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第25話 友と

「この短時間で順応する、だと?」


 アキウスは驚いた様子でゼードを見ていた。

 全身から力が湧いてくる。抑えこまれていたマナが今、溢れだしている。明瞭になった世界でゼードは手をかざす。イメージする。力をこめる。

 今こそすべてをだし切る時だ。ティルナの願いを叶えるために。大切なものを守るために。

 放出したマナが呼応するように、光の刃となって二本、手もとに具現化した。それを両手に構え、ゼードはシエンと対峙する。

 そうだ。これでいい。これが俺の求めていた力。この力で、俺がシエンをとめてみせる。

 シエンは苦々しく歯を噛みしめた。


「本当の化け物に成りさがるとは。やはり、君はここで始末せねばならないようだ」

「……シエン」

「かかってくるがいい」


 ゼードは一歩踏みだした。光の双短剣を振りかざし、縦横無尽に斬りかかる。シエンはその斬撃を大剣で受けとめると容易く弾き、上段から勢いよく剣を振りおろす。双短剣を交差させ、その重い攻撃をゼードは受けとめた。地面の土に足がめりこんでいく。

 じりじりとそのまま鍔迫り合いが続いた。少しでも気を抜けばたちまち斬られるだろう。ゼードは歯を食いしばり、光の双短剣を持つ手に渾身の力を入れる。

 ふと、シエンと視線がかちあう。凛とした涼しげな目もとは今、鋭くゼードを捉えている。黒い瞳の奥にひそむのは復讐の炎。立ち阻む者は容赦せず殺すという強い意志。

 互いの刃が交錯する。激しい攻防に、周辺で戦う者たちが固唾をのみ、動きをとめていた。


「ティルナが俺たちの戦いを望んでるわけもねえ」


 振りかかるシエンの刃を引きさがり回避したゼードは、手早く双短剣を構え直す。


「だが、お前が……いや、てめえが目を覚ますまで、何度でもこの刃を振るってやる!」


 地を蹴り、シエンめがけて光の刃を繰りだした。刃はシエンの頭部を掠め、彼の髪の毛が数本ほど宙を舞う。彼が怯むことはない。大剣を大きく振り回し、ゼードの腹部に叩きこむ。その斬撃をふたつの光で受けとめたゼードは、凄まじい威力に後ろへと吹き飛ばされる。


「私は、咒民を赦さない……!」


 間髪を入れずシエンが畳みかけてくる。大剣を振りあげる。その刹那。

 彼の動きが、唐突に制止した。


「な、なんだ。これは、身体が」


 その肢体が小刻みにけいれんを始める。呼吸が荒くなり、今にもその場に崩れかかりそうだ。その様子にゼードはハッとした。先ほどシエンに投げつけた小瓶――あれは、ネアからもらったものだが。


『これをやるよ。いざという時に使うといい』


 彼女が言っていたのを思いだす。反射的に使ってしまったが。まさか、あれは毒薬の類だったのか?

 シエンがその場でよろけ、剣を杖がわりにしてなんとか身体を支える。彼の顔が苦渋に染まっていった。


「痺れ薬とは……小賢しい真似を。ぐっ……」


 シエンの弱体化にまわりの兵士にも動揺が走った。


「兵士たちよ。なにをしているのですか? 攻撃を続けなさい」


 村の広場に涼やかな声が響き渡った。広場からわずか離れたところにスクリエルが立っているのを発見する。後ろには例によって大柄の兵士が従っていた。咎めるようにシエンに向かって言い放つ。


「シエン、立ちなさい。復讐があなたの目的でしょう? ここで倒れてはなりません。恋人の仇をとるのです。それが、恋人へのせめてもの手向け」

「ああ。そう、だ……私は」


 悲痛な面立ちで立ちあがるシエン。

 彼は大きく息を吐き、その顔をあげる。


「……赦してくれ。ティルナ。私は、どうしても気持ちを抑えられない。彼らを殺すまで、私は前を向いて歩けそうにない」

「それがてめえの本音ってわけだ。わかったよ。決着をつけようぜ」


 シエンの瞳がゼードを真っすぐに捉える。ゼードも彼を見据え、二対の短剣を逆手に構えた。呼応するように、シエンが大剣を正眼に構える。


「シエン、これが最後だ」

「……ああ」


 ふたりは間合いを取った。

 そして、同時に地面を蹴りあげる――




 交錯した刃につく鮮血がすべてを物語っていた。

 光の刃から滴り落ち、地面をどす黒く染めていく。ゼードは身体から力を抜いた。その瞬間に刃は光の粒子となって霧散して消えていった。

 構えを解き、振り返る。背を向けた状態のシエンが、その身を崩してゆっくり倒れていく。その大剣は空を切り裂き、主の手を離れて地に落ちる。

 鈍く乾いた音が戦場に響いた。

 勝負は決まったとばかりに兵士たちが怖じ気づいて後ずさりする。

 シエンは膝をつき、腹から溢れる血を抑えていた。その背に近寄っていくゼードの気配を感じたのか、うなだれるようにこうべを垂れた。


「私にはわからないんだ……どうして、どうして。ティルナが死ななきゃいけなかったのか。彼女がなにをしたっていう? 彼女は頑張って日々を生きていただけだ。苦しい生活の中で、明るい笑顔を絶やさずにいたじゃないか。誰よりも、報われるはずだった」


 喉の奥から絞り出す痛々しい声音。血の噴出する腹から手を離し、シエンはゆっくりと外套の懐からそれを取りだした。鈍色に輝くそれは力を失った彼の手もとから落ち、音もなく地面を転がった。血だまりの中に沈んでいく。

 指輪だった。血に塗れようとも、陽光に照らされて輝きを放ち続けている。

 いつか見せてもらったことがある。その時の、彼の気恥ずかしそうな面立ちがゼードの脳裏によみがえった。


『ああ、そうだよ。安物だけど。いずれ、彼女に渡したかった』


 シエンは言っていた。照れ隠しに顔を背けながら。ゼードの胸が刺すように痛んだ。苦しんでいるのはこいつも同じだ。俺たちは、同じなのだ。大切な人を失い、その先の道を違えたとしても――その根本にある感情は同じなのだと。


「……終わり、だよ」


 後ろ姿からはその感情は読み取れない。だが、確実に伝わるものがある。彼の虚しさ。大切な人を失った彼の慟哭が響いてくるようだ。

 首を振り、シエンはゼードに振り返ることもなく続けた。


「殺してくれ……頼む。彼女がいない世界なんて考えられない。これ以上、生きる価値なんてどこにある」

「……シエン」


 無意識のうちに名を呼んでいた。ゼードは息を吐く。さらにシエンに近づくと膝を折り、彼の肩へ静かに手を当てた。

 かすかに驚いた様子で振り返るシエンに対し、ゼードの口から言葉が漏れでていく。

 今まで抑えていた本当の想いを。


「俺さ、あいつのことが好きだったよ」


 ――愛していた。叶わない想いだと知りながら。彼女の明るい笑顔が好きだった。優しい声が好きだった。すべてを愛していた。

 相手がシエンで、たったひとりの戦友であればこそ、その想いに蓋を閉じてきたのだ。それが正解だと自分に言い聞かせながら。

 シエンはゼードに向けた瞳を見張っていた。虚ろな眼差しにどこか愕然とした色が宿る。


「な……そう、だったのか?」

「だがよ、シエン」


 彼の肩をつかむ手に力がこもる。


「お前だからだったんだぞ。お前だったから、ティルナを幸せにできると思ってた。だからこそだ、お前に道を違えてほしくなかったのは」

「わ、私は。私は……」


 唇を噛みしめ、シエンが地につけたこぶしを強く握りこんだ。そのこぶしから血が滲んでいくのを見るゼードは、彼に改めて顔を向ける。


「シエン。あいつ、最期までお前を心配してた。お前を愛していたんだ。それだけは……天地がひっくり返ろうと、確かなことだった」


 音もなくシエンの頬に涙が伝っていく。その雫は、地面に広がる血に波紋を落とした。


「さあて、と!」


 ゼードは言ってから彼の肩を軽く叩く。そして前へ回りこむと屈み、彼の腹部を注視した。シエンが手で押さえている指の隙間から、今も血が溢れだしている。このままでは失血するだろう。早急な処置が必要だ。


「ほら、さっさと傷を見せろよな。即席だが、手当てするぞ」

「……なん、だと」


 目を瞬かせたシエンが、呆気に取られた様子で言葉を続ける。


「私は君を殺そうとした男だぞ。情けをかける気か?」

「つったって、俺は医者だもん」


 ゼードは着ていた外套を脱ぐ。それを彼の腹部に強く押し当てながらうなずいた。


「目の前に怪我してる患者がいるんだからよ。助けるのは当然だろ」

「……まったく、君ってやつは」


 苦々しくシエンが破顔する。空を仰ぐと、ため息のように深く息を吐きだすのだった。

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