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第23話 血の順応

 魔法結界が壊れたとの報が入ったのはそれから一週間後だった。

 爆音が鳴り響き、地面が鳴動する。家から外にでたゼードとロアンヌが目にしたのは、村の入口に巻き起こる幾度もの爆発だった。


「なんだ!?」


 揺れる地面に思わず吐き気を催す。ゼードはおぼつかない足に力をこめて立ちながら周囲を見回した。爆発に巻きこまれているのは聖道院の兵士たち。その悲鳴が遠くからこだまする。

 霞む視界にとなりのロアンヌを見ると、彼女はうなずいて囁くように言った。


「仕込んでいた黒魔法です。結界を破った際に発動するよう、仕掛けました」


 彼女は冷静に見えたが、白い額に汗が浮かびあがっているのがわかった。ほかの咒民たちは村の中ほど――井戸のある中央広場に集まっていた。

 その先頭を仕切るのは青髪の男、アキウスだ。

 爆発を免れた兵士たちが次々と村へ侵入してくる。その数は先日の倍以上だった。それに対して、咒民たちの数は三分の一ほど。兵士たちが手にした得物の切っ先が、昼間の陽光に照らされて反射している。近くで威嚇射撃が何度も鳴り響いた。それに呼応するように、アキウスを始めとした者たちはいっせいに前へ動きだす。


「怯むな! 村に入ってきたやつらに容赦は必要ないッ!」


 彼は先陣を切って走りだす。するとほかの者たちも鬨の声をあげ、高らかに手をあげた。


「アキウス殿に続け!」


 アキウスが手早く両手を突きだすと氷の刃が出現し、向かってくる兵士たちを襲う。悲鳴をあげて倒れていく兵士を蹴りあげて前へ飛びだしたのは、漆黒の髪を爆風に揺らす、シエンの姿だ。ゼードは脂汗が頬を伝っていくのを感じていた。ぐるぐると視界が回るめまいに顔がゆがむ。立っているのもやっとだ。拒絶反応はいまだに彼の身体を蝕み続けている。だが、立ちどまっているわけにはいかない。やつの……シエンのもとに行かなければ。

 そばに立つロアンヌが、ゼードの前を守るように一歩を踏みだす。


「ゼードさま。さがっていてください。危険です」

「なに言ってんだ。俺は……俺がシエンをとめる!」

「ゼードさま……そのお身体ではさすがに無謀です。まだ血が順応していないのです。ここは私たちにお任せください」

「断る」

「ゼードさま!」


 語気を強める彼女にロアンヌにゼードは首を振る。村の中心部では兵士たちとの争いが巻き起こっていた。あがる悲鳴に苦々しく歯を噛みしめる。

 こんなことをしていてはお互い不幸になるだけだ。ゼードはロアンヌを無視して戦場へと歩きだす。足は相変わらずおぼつかなく、意識はかすかに混濁している。今の自分の立ち位置すら曖昧になる。それでも。

 気づけば、地に膝をついていた。喉をせりあがるそれに咳きこみ、地面に小さな血だまりをつくった。それでもだ。俺はここで逃げるわけにはいかないのだ。

 再びよろよろと立ちあがり、戦いの中心へと歩んでいく。シエンはどこだ。すでに血の臭いがあたりに充満している。武器を振るう鋭い音。発砲音。地面に人が倒れこむ鈍い音。黒魔法を発動する咒民たちの叫び声。

 外部から刺激される五感に酩酊する。すると、目の前を人影が遮った。


「やはり……悪運だけは強いな。君は」


 聞き馴染んだ声音だ。ゼードは目を凝らす。掠れる視界に映るのはシエンの姿だった。

 細身の身体に大剣を構え、忌々しげにゼードを睨み据えている。


「それにしても、無様な姿になったものだ、ゼード。その紋様。傷の治りの早さ。咒民にでもなったようだな。彼らの血で生きながらえたのだろう。やはり、咒民は薬になる」


 薬に――その言葉にゼードはシエンへ強い眼光を向けた。


「クソッタレが。やつらは薬なんかじゃねえ。それ以上、口を開くな」

「ふん、言ってくれる。今度こそ地獄へ送ってやろう!」


 シエンの動きは速い。ゼードが反応するよりも早く彼は踏みこんでいる。切っ先がゼードを突く――その瞬間、後ろから一陣の風が吹いたのを感じた。次いで風は激しい突風となり、シエンの剣を鋭く弾く。

 シエンは後方へさがって剣を構え直した。

 いつの間にかゼードの横にはロアンヌが立ち、シエンと対峙していた。


「なりません。兵を引きなさい! 何度攻めても同じこと。私は和平の道を諦めたくありません。ですが、ここで暴挙を働くなら容赦しません!」

「ロアンヌか。かかってこい。化け物に私の刃が通じるか。今こそ試す時だ」

「ゼードさま、さがっていてください。私が彼をとめます」

「いや、こいつをとめるのは俺だ。それが……ティルナとの約束だ」


 呼吸荒く言い放つゼードをロアンヌは睥睨する。


「いい加減にしてください! その身体ではろくに動くこともできません。私は彼に対抗できます。咒民のマナを舐めないでください!」


 両手をかざすと、彼女のまわりを巡るように風が吹き荒れる。


「咒民の本性を現したか。まずはロアンヌ、君から斬り伏せる!」


 シエンは地を蹴り、ロアンヌに向かって大剣を叩きつける。軽やかな身のこなしで後ろに引いた彼女が手を振り払った。今のゼードにはロアンヌの周囲に巡るマナが見える。マナは風となって具現化し、シエンに向かって台風のごとく襲いかかる。

 その強風の余波にゼードは屈みこんだ。ロアンヌの放った風の攻撃はほかの兵士を巻きこんで狂い荒れる。悲鳴があがり、次々となぎ倒されていく兵士たち。シエンは剣を盾に後ろに引きさがっていた。風がやむと間髪を入れずロアンヌに肉薄する。その表情は鬼気迫るものがあった。

 刃と風が交錯し、周囲を猛烈な衝撃が襲う。地面が揺れ、周辺の樹々が唸るように葉を踊らせる。ふたりの攻防を、まわりで戦っていた兵士と咒民の双方が、どこか圧倒された様子で眺めているのだった。


「ぐっ……!」


 ゼードは舌打ちした。彼らを後ろで見ていることしかできないとは。情けない。あたりでは戦いが再開されている。みんな、戦っているのだ。自分だけがこんなところで休んでいるわけにはいかないのに。

 立ちあがろうと力をこめた刹那、喉の奥からせりあがってきた鮮血に咳きこむ。深く、今にも呑まれてしまいそうな眩暈。強く意識を持っていないと、たちまち睡魔に引きこまれそうになる。ゼードは歯を食いしばり、近くに落ちていた木の枝を手に取った。


「うああッ!」


 勢いよく左腕に突き刺した。

 激しい痛みに意識が戻る。左腕から滴る鮮血が地面を濡らしていく。


「俺は……」


 ティルナの声が脳裏に何度も繰り返される。


『あの人がもし、暴走することがあったら、とめてやってね。それができるのは……あなたしかいない』


 シエンをとめること。それは彼女の最期の頼みだったのだ。シエンの心の弱さを知っていた彼女が、ゼードに託した願いに等しい。

 彼女の願いを無下にはできない。だから、ここでとまるわけにはいかないのだ。

 ゼードは顔をあげる。眼前には彼に剣を振りおろす兵士の姿が映った。


「ぐああッ」


 その兵士の身体が吹き飛ぶ。ゼードの横ざまを掠って後ろの樹に激突した兵士は、そのままぐったりと動かなくなった。


「おい、そこでなにをしてる?」


 冷たい声音にゼードは視線を跳ねあげる。彼の前にはいつの間にか青髪の男が立っていた。

 アキウスは手を振り払うと、ゼードを見下すように見おろす。


「戦えない雑魚は引っこんでいろ。目障りだ」

「へっ……悪かったな。そういう、わけにはいかねえんだよ……」


 ゼードは深く息を吐き、ゆっくりと立ちあがる。


「俺は、馬鹿みたいに暴走してるあいつを、なんとかしないといけねえんだ」


 ロアンヌとの戦いを依然として続けるシエンの姿を見つめる。彼の視線の先を追うようにアキウスが首を動かし、肩をすくめた。


「……復讐の気だな」

「ぶっ飛ばして目を覚まさせてやる。俺は、ティルナに託されたんだからな……!」


 ゼードは震える両手を突きだした。意識を集中させる。腹の底を巡る『それ』が腕を伝い、彼の両手に少しずつほとばしり、溜まっていく。

 身体が熱を帯び始めた。全身にそれが循環するのを感じる。もう少しだ。もう少しで具現化する。あとわずか、腹の底からわきあがるそれをくみ取り、手先へと送りこむだけ――


「がッ、ぐ……!」


 身体に走る激痛。ゼードの集中が途切れる。反動が凄まじい。身体を裂かれるような痛みが襲う。地面に膝をつき、肩で息をするゼードの額に浮かぶいくつもの脂汗。地面に落ち、土に染みをつくる。

 弟を助けられなかったあの時もそうだった。どうしても内なるマナを外へ放出できなかったのだ。また同じ過ちを繰り返すのか。大事な時に、またなにもできないのか。

 霞んでいく視界の先にはシエンとロアンヌの攻防。だが、彼女が放つ風はシエンの素早い剣戟に掻き消されつつあった。それに彼は魔防具の盾を身につけている。シエンの繰りだす剣技に、彼女が発動する黒魔法が追いついていない。

 シエンの剣がロアンヌの肩を捉えていた。彼女が目を見開くのがゼードにもわかった。剣の軌跡が彼女を切り裂くさまがありありと脳裏をよぎる。


「ロアンヌ!」


 ゼードは渾身の力をこめて立ちあがり、駆けだした。もはや無意識だった。外套の隠しポケットに手を突っこんでいた。それを、勢いよくシエンに向かって投げつける。

 シエンの腕に当たる。それは――『小瓶』は小さく音を立てて割れ、中の液体が中空で溢れだす。シエンの衣服に浸潤していく。飛沫が彼の顔に飛び散った。


「な……これは……」


 わずかに隙を見せたシエンに、ゼードは思いきり怒鳴りこんでいた。


「シエン! この大馬鹿クソ石頭野郎ッ! もうやめろ! こんなこと、ティルナは望んでねえ! 誰も望んでねえ! お前だってそうじゃねえのか!」


 シエンは息をのむと、苦々しく顔をゆがめた。


「私は……私は彼らが赦せない。彼らに一矢報いることができるなら、私は死んでも構わない」

「……だったらその根性ごと、ここでぶっ倒す!」


 その瞬間だった。身体の奥から力が急速に膨れあがっていく。有り余る力はゼードの両手に光の柱を具現化させていた。まるで大蛇のごとくうねる光が、シエンへ向かって飛来する。

 シエンはその光に身を屈めた。光は彼の耳もとを掠め、近くにあった樹々に激突して轟音と衝撃をあげた。

 シエンが目を見張る。その場の誰もが驚愕してゼードを見ていた。

 樹々は深々と抉られ、黒煙をくゆらせている。

 後ろでロアンヌが切れ切れに囁いた。


「……ゼード、さま。まさか……」

「――おお!?」


 ゼードは思わず手の内を見た。自分でも信じられない。だが、確かに感じる。体内を巡るマナの奔流が整っていくのを。手の内にマナが渦となって収束していく感覚を。

 身体が、熱い。と同時。先ほどまでの苦痛が嘘のように消えている。すべてが身体に馴染んでいく。今までの霞んだ視界は透き通るごとく開かれ、脳が明瞭になっていた。

 誰もが動きをとめる中で、ロアンヌがどこか安堵して息をついた。


「順応、したのですね……」

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