北へ進むと辺境となり、人通りもまばらになっていった。ここまでは広場の喧騒も届いていないようで、似たような荷馬車がのろのろとやる気なさそうに走っているだけだ。
路地の端にとめた荷馬車の中では一触即発の空気が流れていた。
対峙したアキウスがロアンヌに鋭い眼光を飛ばす。
「ロアンヌ。貴様、なぜそのまま死のうとした? あのような雑魚ども相手、魔防具を持っていようが、貴様のマナがあれば抵抗できたはずだ」
「確かに、黒魔法を使えば生き残るくらいはできたでしょうね。でも、それでは結局、私の望む和平につながらない……と思ったんです。黒魔法は、強いマナは、私たちが魔物と言われる所以ですから。それに私は、あの瞬間……すべてを諦めかけてしまった」
彼女は首を振り、弱々しい笑みを浮かべた。
「いけませんね。弱気になっていたみたいです。アキウス、この度は命を救っていただき、ありがとうございます」
「ふん」
にべもなくそっぽを向くアキウスに、ロアンヌは周囲を見回して怪訝な顔をする。
「でも……その、この荷馬車はいったいどうしたのですか?」
その問いに答えたのは、一緒に馬車に乗っていた咒民のひとりだった。
「貸し馬車屋から借り受けたんだよ。スラムには労働夫として潜入したから、金もいくらか得ていたのさ。ここに隠れていれば、当分は姿もバレないだろうさ。お前たち、本当に運がよかったな」
咒民のひとりは説明した。アキウスたちは首都ロイナに潜伏し、ずっと様子を窺っていたという。瘴気により、首都がどのように混乱するか見るつもりだったのだろう。そこに咒民と闇医者が捕まったという報せが入ってきた。ロアンヌとゼードだと理解したアキウスは、公開処刑の日を待ち、のちの展開となる。
命を助けられたのは事実だ。だが、この男は――
ゼードは雑に胡坐をかきながら、アキウスを真正面から睨みつけた。
「アキウス、お前。自分がなにをしたか、わかってんだろうな……?」
「ふん、説教でもするつもりか? くだらんな、人間ごときが」
「大勢の人間が今も被害に遭ってんだぞ。ティルナだって……死んじまったんだ」
「ティルナ?」
「俺の友人さ。瘴気にやられ、死んだ。――お前たちが殺したも同然だろッ!」
ゼードは吐き捨てる。握ったこぶしが震え、唇がわなないた。今にも殴りかかってしまいそうになるのを堪える。今回、助けてもらったのも事実だ。だが、赦せない。赦せるはずがない。奥歯を強く噛みしめる。
アキウスは唇をゆがめて冷ややかに笑った。
「それは残念だったな。だが、人間。すべては人間の――聖道院の行いからきていることを忘れるなよ」
カッと目を見開いたゼードに、アキウスは鋭い瞳を眇める。
「すべてはやつらが我々の尊厳を踏みにじるせいだ。貴様がどこまで知っているかはわからんがな。人間を赦すことはできない。だから思い知らせてやったのだ」
「そのために無実の人々を殺した! ティルナを……殺した。お前たちがやってることと、聖道院の行いと、なにか違いでもあんのかよ。手段は違えど同じじゃねえか!」
彼らの憎しみが連鎖するように、シエンはすでに正気を失っていたのだから。
「お前は……ずっと首都ロイナにいて、人々が苦しむさまを見てたんだろ! この悪趣味野郎!」
「文句があるならとっとと降りろ。貴様がどうなろうと、俺の知ったことではないからな」
「アキウス! もうやめてください! ゼードさまをこれ以上、傷つけないで!」
ロアンヌの悲痛な叫びに、彼は冷然と鼻を鳴らす。
「……くだらん」
場に深い沈黙が降りた。ゼードは血が滲むほどこぶしを強く握りしめる。
……わかっている。アキウスを責めたところでティルナは戻らない。それに、ゼードまでが憎しみに身を焦がすのはティルナの想いにも反するだろう。彼女は言っていたではないか。
シエンをとめて、と。
せめて、それがゼードのするべき行動ではないのか? これ以上、ティルナが望んでいた平和を崩したくはない。
「……俺は、シエンのやつをとめねえと」
ロアンヌがふと首をかしげる。
「シエンさまを? そういえば、シエンさまはどちらに?」
「それは……」
スクリエルの言葉を思いだし、ゼードは苦い表情を浮かべる。
「あのぼんくらクソ野郎はシエンに復讐の機会を与えたと言ってやがった。おそらくだが、咒民の住む村だろうさ」
「復讐、ですか……シエン様が……」
悲痛に目を伏せるロアンヌ。
アキウスが一蹴するように鼻を鳴らす。
「ふん。我々も村へ急ぐ。同胞を殺させはしないからな。問おう。貴様も我々の敵か? 咒民を魔物と蔑称し、怖れ、差別する。愚かな人間と同義なのか?」
「はっ……わかんねえよ、そんなこと。だが、ロアンヌは別だ。それに、俺にはやるべきことができてる。悪いが俺も一緒に行かせてもらうぜ。咒民の村にシエンがいるんならな」
「好きにしろ。だが、少しでも怪しい動きをすれば切り捨てる」
「おっと、怖いねえ……だが、それは俺も同じだってことを忘れるなよ」