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第15話 宣言

 スラムでも、初の死者がでたらしい。

 この状況を打開したい。このままではティルナが危ない。策はないだろうか。

 そう考えたゼードは首都の図書館に足を運んでいた。今までの歴史の中で、この小国や他国に猛威を振るった感染症や流行り病についての文献を読み漁っていく。だが、どれも今回の症状に一致しない。

 数日間、ティルナの看病をしながら図書館へ出向く日々を送った。

 初春の風が緩く吹く、曇天。図書館をでたゼードは空を見あげて息をついた。流れていく雲の動きは速い。雨が降るのかもしれない。

 今日も有力な情報はゼロだった。そもそも、聖道院によって情報が制御されているらしい。医魔法による治療が一般的になってから、どの治療法もゼードには使えないマナをもとにした術が大多数で役に立てないものばかりだった。かつては小国に興っていた外科や内科の技術も、今は聖道院により禁忌とされており、それに関連する本もほぼ消えている。

 図書館から一歩足を踏みだす。首都図書館は時計塔や議事堂の近くにあり、それらに囲まれるようにして大広場が続いていた。広場では時折大道芸などの催し物があるという。今回もそうなのだろうか。レンガ造りの広場には、大勢の人が押し寄せて賑わっている。

 もう少しで日が暮れる。早くティルナのもとへ帰らなければ。急いた気持ちでゼードは広場の隅を歩き、人ごみを縫っていく。

 すると彼の耳に、高らかな声が響き渡った。思わず足を止めて広場を見やる。相変わらずの人混みの向こうに、その姿はあった。

 目を見開く。広場の中心――組み立てられた高台の上に、すらっと佇むその姿は忘れもしない。さらりとした黒髪は肩から背に流れ落ち、夕刻の微風に揺れている。その痩身を上質な紫のローブに包み、彼は手をあげて民衆の注目を集めていた。よく見れば、あたりの人ごみは彼に向かって集まっているようだ。

 遠目からでもわかる、女性のように白く端正な顔。

 聖道院幹部『処分屋』のスクリエルだ。


「みなさん、よく聞いてください。此度の病に関する、重要なお話です」


 相変わらずの澄ました顔だ。ゼードは群衆の後ろからスクリエルを睨んだ。なんだか腹が立ってきた。その視線に気づくこともなく、スクリエルは穏やかな口調で続ける。

「このたびはみなさんも不安に思っていることでしょう。現在、首都を忌々しい病が広がり、多くの人を苦しめている」

 彼が声を発した途端、広場は静まり返った。誰もが麗しき幹部の次なる言葉を待っている。ゼードの近くに立つ老婆が手をあわせながら細い声で祈りを捧げていた。


「すでに死者も多数でています。私たちは早急に事態を収束させねばなりません。そうでなければ病は首都をさらに広がり、小国全土へと広がってしまうかもしれない。そうなっては遅いのです。今のうちになんら手を打たねば、重大な国の危機となり、ひいては国の存続に関わってきます。……さて、本題に入りましょう」


 スクリエルはわざとらしく一息つき、自分へと眼差しを送る大勢の群衆を見回す。穏やかだった表情をぐっと引き締めた。


「我々は病の原因を突きとめました。この首都を襲う病。これは、病などではない。呪いなのです」


 静まり返っていた周囲が、にわかに騒然とする。


 ――呪い、だと?


「驚くのも無理はありません。我々も驚愕しているのですから」


 スクリエルは首を振る。


「まさか、この首都全体に呪いがかけられているとは、考えもしませんでした。ですがみなさん、思いだしてください。先日、咒民が暴動を起こしたことを。兵士の駐屯する北の村を襲った、その事実を」


 咒民。その言葉に、再び周辺にどよめきが起きた。誰もが驚いたように顔をあわせてなにごとか言い交わしている。その声は、群衆の最後尾にいるゼードにもはっきりと聞こえてきた。


「あれか? 魔物……咒民が北の駐屯村を襲って逃げだした事件だよな」

「連中の何匹かがスラムに現れたっていうぞ」


 違う。違うのだ。囁く人々の声にゼードは苦々しく舌打ちした。彼らは聖道院の放つ偽りの情報を疑いもしない。咒民が魔物だなど、と。


「……好き勝手言いやがって」


 ゼードはこぶしを握りしめ、スクリエルのもとへ飛びだすのを必死にこらえる。

 すべては聖道院の嘘だ。だが、そんなことを主張しては兵士に拘束されて終わりだろう。それでなくても闇医者という身分なのだ。

 スクリエルは人々の囁きを受けとめるようにしばしの間、沈黙していた。やがて、強くうなずく。


「そうです。先日、北の駐屯村を襲撃した多数の咒民が逃げだしました。彼らはこの首都に潜み、放ったのです。不浄のマナを。そう、『瘴気』を」


 遠目からでも彼の視線が鋭くなったのがわかった。

 スクリエルは再び声を高らかに告げる。


「聖道院は正式に発表いたします。これは咒民の放った瘴気によるものだと」


 馬鹿な。ゼードは思わず足を踏みだしかけた。すんでのところで耐え、グッと唇を噛みしめる。だめだ。スクリエルの前にでていけばろくなことにならない。耐えるしかない。だが、瘴気を放っただと? そんなこと、和平を望んでいたロアンヌが許すはずがない。

 そこでハッと気づいた。アキウスたちのことを。あの時、スラムの高台で不敵に笑っていた彼の姿を思いだす。スラムをたびたび襲った地揺れのような波動。空気の振動。ロアンヌはマナの波動と言っていた。まさか、あれが?

 瘴気のことは医学的な知識としてゼードも知っている。

 瘴気とは、大気を汚染する毒のことだ。これが体内に入ると病気を引き起こす。スクリエルは不浄のマナとも言っていた。確かに、大気にもマナは存在するらしい。大気中にあるそのマナがなんらかの毒に冒されているということか? 不浄とはどういうことなのか、情報がまだ少なく確定できない。

 思考はスクリエルの澄んだ声に遮られる。彼は背筋を伸ばし、勇猛に叫んでいた。


「咒民は人間に危害を加える悪の権化です。北へ追放するに留めていましたが、そろそろ根絶に動かねばなりません」


 すると、彼の後ろに控えていた数人の兵士が、彼の横に揃って立ち並んだ。兵士たちが携える抜き身の剣が、夕日に反射して眩しく輝く。そのうちのひとりには見覚えがあった。橙色の刈りあげ頭をした大柄な兵士だ。確か、駐屯村の宿でスクリエルと対話した時、後ろにずっと控えていた男だ。


「正義の名のもとに、彼らが放った瘴気からこの小国を守るために、今こそ咒民を滅ぼす時です」


 スクリエルは目を細め、静かに言い放った。


「私は、咒民を残らず滅します」

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