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第14話 蓋をした想い

 シエンが戻ってきたのは翌日の早朝だった。

 その顔は青ざめている。目は暗く淀み、隈ができ、まるで生き返った死人のような形相である。ふらりと緩慢にギルドの医務室に足を踏み入れた彼は、今にも倒れそうだ。

 ティルナの眠る部屋からでてきたゼードはシエンを見てギョッとした。


「うおッ!? ゾンビかよ、お前。百年の恋も冷める顔だぞ」

「悪かったな。徹夜明けなんだ。こればかりは仕方ない」


 息を吐くシエン。纏っていた黒い外套を手早く脱ぐと椅子の背にかけて、彼はそのまま静かにカウンター席へついた。


「ティルナはどうだ? 容体は?」

「うーん、また熱があがってきてな。今も安静にしてる」

「そうか……」


 ゼードはカウンターテーブルに置いた水差しを手に取り、空のグラスに水を注ぐ。シエンにそれを手渡した。本当は酒でも飲みたい気分だったが。

 眉を寄せ、難しい顔をつくる。


「スラムの連中も次々と罹患してんだ。俺も対症療法しかできてねえ。今はネア先生が対処にいってるところだ」

「……そのことなんだが」


 受け取ったグラスに口をつけながらシエンが続ける。


「スラムだけじゃないようだ。首都ロイナでもこの病が広まっているらしい。死者も何人かでてるという話だ」


 患者によっては熱が四十度を超えることもある。身体にも激痛が走り、肉体への負担が大きい。小さな子どもや老人は耐えられない可能性もある。

 シエンはグラスをテーブルに置き、腕を組んで考えこむ素振りをみせた。


「病院も対応に追われていたよ。だが、病院はこの病について、まだなんら対応策を打ちだしてないみたいだね。話に行ってきたけど、ろくな会話にならなかった。ほぼ無理だと追いだされたようなものさ」

「んじゃあ、病院は当てにならんか」

「病院がだめならと、聖道院の動きも夜通し探ってきた。すると彼ら、なんでも『薬』の開発を急いでいるらしい」

「薬だあ? この病に効く薬か?」

「ああ。だが、その薬の中身なんだけど――」


 突発的にゼードはいやな予感を覚えて顔をしかめた。聖道院、ということは薬開発の指揮をしているのは幹部だろう。そういえば、スクリエルは自身も有能な薬師だという話だ。北の駐屯村で対峙した時、やつが言っていたことを思いだす。


『彼らの身体に秘められた強いマナは、使いかた次第では秘薬になる可能性もあります』


 ゼードの様子にシエンがうなずき、声をひそめる。


「察したようだね。そうだ。彼らは咒民の肉体や血を利用して薬をつくろうと実験しているらしい。今はまだ試作段階みたいだけど、何人もの咒民が犠牲になっている。それに、できた薬は聖道院で一度占有するつもりのようだ」


 やつらは相変わらず咒民を殺しているというのか。ゼードは舌打ちした。世間では依然として咒民は『魔物』として認識され、恐怖の対象となっている。ゼードだって彼らに会うまではその認識を疑いもしなかった。だがロアンヌは、人との和平を望む心優しい普通の女性なのだと知ることができた。

 今はかつての思考を恥じている。だからこそ聖道院の行いを看過できない。だが、今の自分になにができるというのだ。目前の患者も救えない自分に。

 それにロアンヌは無事だろうか。捜しにいきたいものの、今スラムをでるわけにもいかない。


「とにかく、この病については今のところ打つ手がない。だけど、ティルナをこのままにはしておけないよ」


 シエンがふと、考えるようにうつむき、黙りこんだ。

 その横顔を一瞥するゼード。


「シエン? どうした?」

「――いや、なんでもない」


 その時だった。ティルナの眠る部屋からうめくような大きい声が聞こえたのだ。

 目を見あわせたふたりはなおも続く彼女の悲鳴にカウンター席から立ちあがる。彼女の部屋へとっさに駆けこんだ。

 寝台の上に横たわる彼女は、苦しそうにもがき、身体を左右に揺さぶっている。まるで痛みにのたうち回っているようだ。ギシリと寝台が軋んだ音を立てる。シーツは乱れ、寝台のもとに置かれていたはずのランプが床に転がっている。

 シエンは寝台のたもとに駆け寄ると、ティルナの顔を覗きこんだ。


「ティルナ――どうした!?」


 ゼードもティルナの顔を見て息をのむ。おそらく痛みなのか。彼女は表情を苦渋にゆがめ、白い額に脂汗が浮かんでいる。伝い落ちた汗は質素な麻の枕カバーをまだらに湿らせていた。


「大丈夫か!? ティルナ、ティルナッ!」


 次いでそばに立つゼードに振り返ると、彼は切羽詰まった様子で睨みつける。


「ゼード!」

「鎮静剤を打つしかねえ」


 高熱のほか、身体の激痛に襲われる例も多くみられている。ゼードは寝台そばにある小机の引きだしから鎮静剤の薬液と注射器を取りだす。薬液を手早く注射器に注入していく。針先から液の雫がしたたり落ちると指で弾き、床に小さな点をつくった。

 原因がはっきりしない以上、やはり対症療法でごまかすしかない。

 もがくティルナの身体をシエンに押さえてもらい、ゼードは彼女の細腕に注射を打つ。

 数分ほどすると、荒かった呼吸が徐々に落ちついてきた。彼女はぐったりと寝入っていく。額に浮かぶ汗は相変わらずだったが、苦渋に満ちていた面立ちはわずか緩み始める。

 シエンはその瞬間、そばにある木椅子に気抜けして崩れ落ちた。握った拳をとっさに振りかぶる。空を切った拳は途中で行き場を失い、寝台の木枠に垂れさがった。


「どうして……なぜ、ティルナがこんな目に……」


 そばに立ったゼードを、シエンはすっくと立ちあがって睨み据えた。


「ゼード! 君は医者だろう。なんとかするのが君の仕事だろう!?」

「――なんとかなりゃあこんな状況になってねえだろうが!」


 不意に大きい声がでてゼードは目を見開いた。

 ティルナの容体の変異は、彼の心にも重くのしかかり焦りを生んでいた。今までにない病なのだ。治療法も特効薬もまだ見つからない。まして病にかかったのはティルナだ。

 彼女を見やり、ゼードは歯を噛みしめる。苦しげなその様子を見ていると胸がジワリと痛んだ。俺に代わることができるなら。

 シエンもハッと目を見張り、次いでばつが悪そうに再び椅子へ座りこむ。


「そう、だな。わかってる。……悪かったよ」


 彼は独り言のように続けた。


「私は、ティルナにはずっと笑っていてほしかった。これ以上、苦しい思いなんてさせたくないんだ。彼女はずっと頑張って生きてきたから……」


 シエンがティルナのことをそばでずっと見てきたのは知っている。彼女の苦労が手に取るようにわかるのだろう。だからこそ、彼女には幸せになってほしいと思っているのだ。

 シエンはティルナに向き直り、彼女の白い頬にそっと触れた。すると、彼の懐から『それ』が音もなく落ちて床を転がっていく。

 あ、と声をあげるシエン。それはゼードが履く靴のつま先に当たった。


「んあ? これは……指輪?」


 ゼードは思わず首をひねった。転がり落ちてきたのは銀色の細い指輪だったのだ。転がったランプの明かりに、指輪は鈍く輝きを放っている。

 シエンを見ると彼は素早く指輪を拾いあげ、懐にササっとしまいこんでいた。まるで電光石火のごとく動きだ。

 その頬が赤く染まっている。


「ああ、そうさ。安物ではあるけど。いずれ、ティルナに渡したかった」

「……ふーん。サプライズでも考えてんのかよ?」

「私なんかに大それたことはできないよ。それに、この状況下ではね」

「あ、そうだ。いい案があるぜ。もうすぐティルナの誕生日だ。それ、その時に渡せばいいんじゃねえか」


 わかっている。彼らが互いを想う間柄であることは。納得だってしている。シエンならティルナをきっと幸せにできるだろう。

 それなのに――胸の奥がざわざわと揺れ動くのは、どうしてなのか。

 シエンが「なるほど……」と得心しているそばで、ゼードは頭を掻く。


「ティルナも喜ぶぜ。よし、決まりだな。そうと決まれば病気をなんとかしねえと。お前さんが安心してティルナに指輪渡せるように、な」


 ニヤリと笑い、シエンの肩を叩く。

 いつもどおり、うまく笑えたならいいのだが。

 心の片隅で、叫ぶ己が心に蓋を閉じて、ゼードは思うのだった。

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