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第13話 奇病

「どうだった? 様子は」


 ドクターズギルドに戻ってきたゼードを出迎えたネアが、開口一番に尋ねた。珍しく煙草もくわえずカウンター席に座る彼女へ、ゼードは頭をボリボリと掻く。


「今日だけで四人かかってる。原因はてんでわからん。風邪じゃねえし、感染病でもなさそうなのは確かだ」


 ゼードの報告にネアは「ふむ」と細い顎をさする。ただ、症状は誰もが共通していた。四十度ほどの高熱。倦怠感、身体を刺すような激痛と続く。それが一週間以上経っても治らず、患者はあちこちで日ごとに急増していた。

 謎の病がスラムを襲ってからすでに二週間は経過している。処方する薬もなんら効かないため、連日に渡ってゼードとネアは患者のもとへ駆け回っていた。だが、今の段階でできることといえば応急処置を、熱さましなどの対症療法を行うことくらいだ。


「くそ、いったい……なんだってんだよ。スラムでなにが起きてる?」


 こんな時に、医者であるゼードはろくに動けていないことを歯噛みする。

 ネアも同じ気持ちなのか、しなやかな赤い瞳を細めると苦々しくつぶやいた。


「原因がわからないんじゃ治しようがないね。困ったもんだ」

「先生。先生はフリーの医者なんだろ。今まで諸外国を渡り歩いてきたって言ってたじゃねえか。なんか似た事例の病気とかないのか?」

「まあ、ないね」

「せめて考える素振りはしてくれよ。……はあ、どうすっかな」

「とりあえず、対症療法で様子見だろうね」

「それしかねえか……」


 すると、部屋の奥からシエンが姿を現した。少しやつれただろうか。端正な面立ちには疲れが見て取れた。彼は帰ってきたゼードに気づくと肩をすくめ、力なく息を吐く。


「今は寝てるよ。相変わらず熱はひかないな」

「そう、か」


 奥の間、ゼードの仕事部屋にある診察台にはティルナが横になっている。今はシエンが付きっきりで看病をしていた。ゼードはそんな現状に唇を噛む。やがて、独りごちるよう囁いた。


「医魔法なら、治せねえかな」

「なんだって?」


 それはかねて思っていた考えでもあった。シエンとネアが揃って訝しげな視線をゼードへ送ってくる。彼は意を決して続けた。


「医魔法だよ、医魔法。つまり、病院にかけあえねえかなって思ってさ。もしかしたらだが、治療に協力してくれる医者がいるかもしれねえし、原因を特定できるかもしれん」


 それは苦肉の策ではある。首都の病院はスラムが兵士により襲撃されたあの時も、なんら助けを寄こさなかったのだから。


「本気なのか?」


 即座に言い放ったのはシエンだ。彼は探るようにゼードを見やり、緩くかぶりを振る。


「だけど、費用はどうするんだ。それが一番の問題だろう? スラムの者たちだって、費用がないから治療を受けられずにいるんだ」

「まあ、そりゃ根本的な問題だけどよ。でも、ティルナをこのままにはできねえだろ」


 高熱が続けば体力を消耗する。弱っていく彼女をただ見ていることなどできない。治したいのだ。それだけではない。スラムの人々だって助けたい。

 真剣な顔をするゼードにシエンは額に手を当ててしばらく沈黙した。

 そして、強くうなずきを返す。


「わかったよ。首都の病院に話をしにいこう。だけど、期待はしないでくれ。私たちは聖道院と一度敵対している身。このまま行っても、事情を知っている者がいたら目の敵にされるどころか……最悪、捕まるかもしれない。特にゼード、闇医者の君はね。ネアも危険だ」


 聖道院の兵士がスラムの広場を襲った事件からも二週間が経つ。スラムを見回る兵士の数も以前より増えていた。北の駐屯村で聖道院とひと悶着あったこともあり、捕縛されれば最悪の場合は極刑だ。死にたくはない。それはなんとしても避けたいところだった。


「病院には私が行こう。私が身分を隠し、話してみる」

「シエン……」


 ゼードは神妙につぶやく。言いだしたはいいものの、聖道院の運営する組織にシエンを向かわせることに不安はある。聖道院に敵対したのは彼も同じなのだから。

 ネアも気遣うように言う。


「大丈夫なのかい?」

「ああ。別に聖道院のスクリエルと話すわけじゃないよ。なんとかなるさ」


 シエンはいつも通りの優しい笑みを浮かべ、屈託なくゼードの肩を叩く。それは、かつてともに傭兵として旅をしていた時から見せてきた、ゼードにとっては見慣れた笑みだ。

 どんな危険な仕事だろうとシエンは臆することなく立ち向かってきた。だからこそ思えるのだ。今回だって、きっと大丈夫だ、と。

 さっそくギルドをでていったシエンに代わり、ゼードは寝台で横になるティルナの様子を見ることにした。小さな医務室の中、彼女は苦しそうに寝息を立てている。白い頬は赤く染まり、閉じたまぶたは震えていた。ゼードはバケツの水に浸した布巾を絞り、彼女の額にそっと乗せる。するとティルナが小さくうめいた。うっすらと目を開けた彼女を、ゼードは思わず覗きこんだ。

 おぼろげな瞳が虚空をさまよう。ティルナはわずかに首を動かすと、彼にぼんやりと視線の焦点をあわせた。


「ゼード?」

「お、目覚めたか。気分はどうだ?」

「うん……ボチボチ、かな。ゼード、疲れてるわね」


 切れ切れな彼女の言葉にゼードは苦笑を浮かべる。

 どうやらティルナにはなんでもお見通しらしい。


「あーあ。わかっちまったか。残念。せっかくクールに決めてたってのに」

「ふふ、どこがクールなのよ。わかるわよ。何年の付きあいだと思ってるの?」

「ま、もう十年くらいか?」

「そうねえ。長いような、短いようなって感じ、よね」


 昔を懐かしむように目を細めるティルナ。

 彼女は改まった様子でゼードを見あげた。


「あなたたちに出会えたこと、幸せって思ってるんだ。最近は特にね。母さんが死んだ時もそばにはあなたたちがいてくれた。わたしにとって大切なふたりなの。あなたたちがいなかったらわたし……どうなってたかわかんないもん」

「おいおい、どうした突然? 過去話なんて珍しいじゃねえか」

「そう? たまにはたくさん、そういう話もしたいけどなあ」

「喋ってると余計に疲れるぜ。今は安静にしてろ、な」

「はあい。ゼード先生」

「……あ、そういえばもう春だよな。お前の誕生日も近くなってきた。なんか欲しいものとかあるか?」

「ふふ」

「なにがおかしいんだよ」

「いいえ? なんでも」


 ゼードから目を逸らし、ティルナは考えるように天井を見あげる。


「うーん、そうねえ。誕生日プレゼント、かあ。みんなの無事と健康、それに笑顔。それがあればほかにはなにもいらないかな。うん、いらない。いらなかったわ……」

「ティルナ……すまん」

「なんで謝るの。ゼードは悪くない。なにも、悪くないんだから」


 彼女の瞳から溢れる涙を、ゼードは直視することができなかった。

 ティルナは頬をふくらませたあと、涙をそのままに朗らかな笑みを浮かべる。


「あなたたちの平和が、わたしの幸せ。だから幸せでいて。なにがあっても、必ずどこかに咲く幸せを忘れないで」


 きっとその言葉に嘘はないのだろう。子どもたちを亡くし、病に倒れてもなお、笑顔を絶やさない彼女。ゼードの胸の奥が針で刺されたようにチクリと痛んだ。その痛みを掻き消すように彼は笑みを返し、それからきっぱりと言う。


「でも、まずは自分第一だぞ。さあ休め休め! ――あ、子守唄でも必要か?」

「逆に眠れなくなるわよ」

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