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第9話 ティルナの想い

 一気に十件も患者のもとを回ると、さすがに疲れた。

 あたりはすっかり赤く染まっており、雲ひとつない空に浮かぶ夕日が茫洋とスラム街を照らしている。今日は兵士の姿をそんなに見かけなかった。それに安堵しつつ、ゼードはネアに報告するためアジトに戻る途中だった。

 後ろから小走りで駆ける足音が聞こえたのはその時だ。振り返ると、緩くウェーブする金髪を揺らして、こちらへ走ってくるティルナの姿があった。


「ゼ、ゼード! やっと見つけたわよ~!」


 彼女は慌てた様子でゼードのそばまでやってくる。

 呼吸を乱すティルナに彼は眉をつりあげた。


「なんだ、走ってくるなんて珍しいじゃねえか。思い立って俺に告白でもしにきたか?」


「ううん、違うわ。今お仕事中?」

「サラッと流すなよ」


 するとティルナはホッとしたように息を吐いた。それから困り顔を浮かべる。


「今度はマキが怪我しちゃったの。診てもらえないかしら」

「孤児院に行けってか。またガキどもに化け物扱いされるじゃねえか。俺の繊細な心が傷つくんだが」

「なに言ってるのよ。ね、早く早く! ほかの子も心配してるのよ」


 ……遊び盛りの子どもたちだ。きっとまた無茶な遊びでもしていたのだろう。こういうことは頻繁に起きるから、親代わりのティルナにとっては気が気でないはずだ。彼女も苦労が絶えないな、と思う。ゼードが子どもたちの手当てをするのは何回目だったか。

 多すぎて忘れた。

 ティルナはゼードの腕をお構いなしにグイグイと掴んでくる。思わずつんのめりそうになりながら、ゼードは頭を掻いた。


「あー、引っぱんなって! わかってる。行ってやるから!」




「先生! 助かったよ。痛くてどうしようかと思ったー」


 腕に巻いた包帯をさすると、少年マキは勢いよく椅子から飛びあがった。具合を確かめるようにぶんぶんと腕を振り、まだ幼いその顔に満面の笑みを浮かべる。


「さすが先生だよね! よっ! 医魔法にも負けない技術っぷり!」

「調子乗んなクソガキ」


 まったく、先ほどまで痛くて泣いていたくせにだ。マキと向かいあうゼードは医療用ハサミと包帯を鞄の中にしまい、立ちあがる。


「今回はかすり傷だったが、無茶な遊びはすんなよな。ティルナにあんま心配かけるなよ」

「ほんとよ。毎回毎回なにかしら怪我してるじゃない、マキったら。アリエもそうだけど」


 ゼードのとなりでティルナが腰に手を当てて頬をふくらませる。ふたりに揃ってたしなめられたマキは、一気に気のない声をあげた。


「……はあい」


 といっても、またすぐに傷をつくってくるだろう。それが子どもの一種の仕事なのかもしれない。こちらとしてはひやひやするものだが。改めてゼードはティルナの心情を慮るしかない。

 やれやれと息を吐く。


「また傷が痛むようだったら痛み止め塗ってやる。その程度の傷は自然治癒に任せるのが一番だ。さ、手当て終わり。解散」

「はあい! みんな、遊びの続きしよー!」


 マキは一転して嬉しそうに跳ねる。居間で心配そうに見ていたほかの子どもたちに駆け寄っていく。子どもたちもはしゃいだ声をだしながら、揃ってワイワイと居間から二階の子ども部屋に駆けていく。


「ちょっと! 階段! 階段には気をつけてよ~!」

「はーい!」


 ティルナの叫びに子どもたちの楽しげな返事が廊下から響く。


「まったく。元気なものね。元気ないよりはいいけどね」


 彼女は居間の真ん中に置かれた長机につくと、ふと息を吐いた。

 孤児院の居間は相変わらずの様相だ。年季が入った長机はあちこちにペンでいたずら書きがされている。落書きをした子どもにティルナが怒る様子がなんとなく目に浮かんだ。

 決して広くない室内を囲うように木造りの食器棚や本棚が並び、古いカーペットの敷かれた床には子ども用のぬいぐるみやおもちゃが散乱していた。部屋奥の出窓はボロボロのカーテンで覆われており、その向こうを漂うのは夕闇だ。窓の上に設置された時計が午後五時を無言で指している。

 初春の気温はまだ寒い。隅にある暖炉が火を灯しているおかけで、室内は暖かい。

 ゼードとティルナは机を挟んで向かいあった。子どもたちがいなくなり、部屋に沈黙が訪れる。ふたりだけになった室内は薄暗い照明に照らされ、窓の外からは鴉の鳴き声がかすかに響いていた。


「ゼード、ありがと。ほんと助かったわ。そうそう、シエンから聞いたわよ。大変なことになったみたいね」


 咒民を庇い、聖道院に敵対したことを言っているのだろう。帰ってきたシエンがティルナにこっぴどく詰められ、仕方なく白状する姿が脳裏をよぎった。

 案の定、ティルナはムッとした様子で眉を寄せていた。


「もう。心配はしてたけど、やっぱり危険な仕事に行ってたんじゃない。あなたたち、なんだか水臭いわよ」

「すんませんでした」


 それに関しては謝るほかないだろう。彼女に余計な心労をかけたくなかったのが、かえって裏目にでたようだ。

 ティルナはムスッとした表情を浮かべていたが、やがて、意気ごんだように身を乗りだしてきた。彼女の動きにあわせてケープのリボンがふわりと揺れる。


「ねえ。わたしが力になれること、あるかしら」

「力になれること、ねえ……いっそ俺たちと一緒に傭兵やって小金でも稼ぐか? 今回の依頼、達成できなくてシエンは不満みたいだからな」

「それは昔シエンに相談したことがあるのよ。全力でとめられたわ。『君は孤児院での務めだけで大変だろう』って」

「そりゃ建前だよ。本音は死人が必要以上にでるのを危惧してんのさ」

「どういう意味?」

「いや、はっはっは……まあ、いいじゃねえか。それにこれは俺が起こした問題でもあるからな。気持ちだけ受け取っとくぜ」

「咒民のかたを庇ったことね?」

「ああ。シエンには散々言われた」


 不意に押し黙ったゼードに、ティルナは真っすぐな視線を送ってくる。


「その場に居合わせたわけじゃないから、詳しくはなんとも言えないけれど。わたし、あなたのしたことは間違ってないと思うわ」

「……ティルナ」


 大きな瞳に輝く真剣な眼差しに、ゼードは一瞬だけ心を奪われた。彼女はいつもそうだ。人を見る目は清らかで正しく、一点の曇りもない。それは彼女の強さゆえだ。


 だからこそ、俺は……


 ゼードの内心を知ってか知らずか、ティルナは大きくうなずく。


「聖道院のやりかたには、わたしも昔から疑問を持っているの。医魔法だけを医術と認める今の医療制度にも、貧しい人たちはほとんど行けない病院にも。その病院だって、本当に助けが必要な人を助けてくれない時がある。わたしの母さんがそうだったようにね」


 彼女の母親は、彼女が学院生だったころに病で亡くなっているのは知っていた。聖道院の運営する病院に行ったが治療を拒否されたのだ。たらい回しにされるだけでろくな治療を受けられなかったという。

 それに対し、今も聖道院はなんら対処や政策を打ちださないでいる。

 これがロイナの教える、本当の医療なのか? 母の死後、ティルナが力なくつぶやいていたのをゼードは思いだした。


「咒民のかただって同じ人間から生まれた存在よね。それってわたしたちと変わらないじゃない。それなのに、聖道院の幹部は実験のために無差別に彼らを殺しているのでしょう。そんなの、ただの殺人だわ」


 彼女は強くかぶりを振る。


「だから咒民を守ろうとしたあなたは、間違ってないと思うの」

「な、なんだよ。えらく真面目に考えたんだな。ティルナらしくもねえ」

「ちょっと、わたしだってそれくらい思うわよ」

「まあ……そうだな。ロアンヌは人との和平を一番に望んでる。それは伝わってくるんだ。だから、なんとかしてやりたいと思うんだよな」


 ゼードは頬を掻き、それから深く息を吐く。

 それはこの小国を支配する聖道院に歯向かう行いなのだろう。今の会話とて、聖道院の者に聞かれていたら間違いなく処されてしまうに違いない。容易に想像できることだ。

 だが、それでもロアンヌに協力したい。聖道院の者による一連の行いは間違っていると思うからだ。それにゼードにはロアンヌに危機を助けられた借りもある。


「あ! わたし、その人に会ってみたいな」


 一転して、ティルナが天真爛漫な明るい声で言った。


「シエンから聞いたんだけど、わたしたちとそんなに歳も離れてないのよね? もしかしたら友だちになれるんじゃないかしら!?」

「孤児院から離れるわけにはいかねえだろ? ガキが泣くぜ。そういえばシエンはどこだ?」

「ギルドに行きっきりよ。新しい仕事の依頼を探すって言ってたけど。あーあ、残念ね。その人に会いたかったなあ。――そうだ!」


 つまらなそうに口を尖らせていたティルナだったが、思いだした様子で大きく手を叩く。

 その顔に満面の笑みが浮かんだ。コロコロと変わる表情は、彼女らしいというか、なんというかだ。


「近々、広場に大きなキャラバンがくるらしいのよ。それもたくさん! よかったら一緒に行かない? その咒民のかたも連れて。ぜひ。どう?」

「おいおい、ロアンヌは物見遊山の旅にきてるわけじゃねえんだが。それに狙われる立場なんだぞ?」

「でも、きっといい気分転換になると思うのよ。話を聞いてる限り、過酷な状況に置かれてたってことは察するわ。だから、せめて息抜きになればって思うんだけど」

「うーん、どうっすかなあ……確かにネア先生とあの煙いアジトにずっといるってのも……」

「よし、決まりね!」

「って、まだ決めたわけじゃねえ!」


 ゼードが突っこむとティルナはふんぞり返る。


「今わたしが決めたの! よし、留守番はシエンに任せましょ。彼がいるなら孤児院も問題ないでしょ」

「まあ、あいつは子どもたちに大人気だからな。あ、なんか思いだしたら腹立ってきた」


 子どもたちに「顔が怖い」だの「悪いムシ」だのと揶揄された先日のことを思いだしてゼードは顔をしかめた。

 そうだ。怖いといえば。

 ゼードは外套の懐から紙を取りだした。長机に置くとティルナに見せる。

 紙には似顔絵が色つきで描かれていた。彼が即席で描いたものだ。あまりうまくはないが対象の特徴は捉えているだろう。鮮やかな青い短髪。鋭い眼光に、顔に走る青黒い紋様。


「……もし、こんな男がいたら教えてくれ。ロアンヌが捜してる」


 ティルナはその絵をまじまじと見やり、眉を寄せる。


「なにこれ? 人?」

「どう見てもそうだろ。目ぇ節穴なのか?」

「いえ、お猿さんだってもっとマシな絵を描くわよ。これは……なんというか。抽象画といえばかろうじて通るかしら」

「地味にひどいなお前」


 ……まあ、協力者は多いほうがいい。あとでネア先生にも言っておくか。ゼードは絵を折りたたむと外套の懐に戻す。その様子を眺めながら、ふとティルナは静かな声で言った。


「ゼード」

「うん?」


 改めて彼女はゼードを見つめてくる。大きな農茶色の瞳がどこか神妙な色を湛えていた。実年齢よりも幼さの残る彼女の顔が不安そうな表情を浮かべている。それは珍しいことだ。ティルナは常から笑顔を絶やさないから。

 彼女のそんな面持ちを見て、ゼードは内心で息をのむ。


「あのね。無理だけは、しないでね」

「ティルナ?」

「……正直、心配なのよ。シエンもそうだけど、あなたの身になにかあったらって。わたしがこうやって暮らしていられるのもふたりがそばにいるからで。ふたりがいなくなってしまったらって思うと。わたし、不安なの」


 そこでティルナは指先をビシッとゼードに突きつけてくる。


「だから! わたしのためにも無茶なことはしないで。ね? お願いだから!」


 彼女はいつも周囲の人間を想い、気遣ってくれる。今だってそうだ。心の底から心配してくれている。それがきっと彼女の魅力なのだろう。だが同時に言いようのない危うさをはらんでいる気もして、ゼードの心にわずかな不安が影を差す。

 人の心配をするあまり、自分をおろそかにしてしまうのではないかと。そう思えてならないのだ。だが、今ここで彼女の不安を煽るのは本意ではない。


「わかったよ。約束する。俺は無茶しない」

「よかった~!」


 ティルナは胸をなでおろし、椅子にもたれかかった。それからパッと顔を輝かせる。


「じゃ、数日後のバザー、楽しみにしてるからね!」

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