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第7話 逃避の末に

 窓の向こうはとっぷりと日が暮れていた。点在する民家からわずかに漏れる明かりが黄色く夜の闇を色づけている。遠くから梟の低い鳴き声がし、部屋の壁にかけられた時計が深夜を告げる短い音色を響かせた。


「と、こんなもんかね。さすが俺。いい手際だぜ」


 ゼードは腕に巻いた包帯を確かめるように眺めた。包帯の巻きかたひとつで医者の技量というのはわかるものだ。傷は痛むが満足げにひとつうなずくと、視線を部屋の中に投げる。

 質素な木造りの宿部屋だ。駐屯村から真っすぐ大街道を逃げ、現在いる宿場町マドアに辿りついたのはつい先ほどのことだった。

 適当な宿にいったん身を隠すことにし、ゼードたちは今に至っている。部屋には古びた寝台がひとつあり、そこにはロアンヌが静かに腰かけていた。彼女は緊張した面持ちで口を閉ざしている。照明灯が明滅を繰り返し、彼女の真っすぐな水色の髪をまだらに照らしていた。

 その顔には疲労の色が濃い。


「おーい。お前さん、大丈夫か?」


 ロアンヌはじっとしたまま動かなかった。その様子はどこかうわの空だ。

 ゼードは声を張りあげてみる。


「おーい!」

「――……は、はい!?」


 ハッとして顔をあげるロアンヌに彼は思わず苦笑した。


「全ッ然、大丈夫じゃなさそうだな?」

「あ……ごめん、なさい。その……」


 改めて、ゼードは彼女を見やった。

 白い頬に浮き彫りになる青黒い紋様。土埃に塗れ、汚れたロングドレスから覗くほっそりとした手が鮮血に濡れている。今も床に滴り落ちている血に気づき、ゼードは傷の痛みも忘れて彼女のもとへ屈みこんでいた。その手を取ると、ロアンヌが驚いた様子で目を見張る。それに構わず、彼は傷の具合を確かめた。

 手の甲が切れているようだ。


「怪我発見。即席だが手当てしてやる。動くなよ」


 言うが早いか、ゼードは肌身離さず肩にかけていた鞄を床に置く。鞄から水の入ったボトルとガーゼを手早く取りだした。さっそく水で血と患部を洗い始める。傷の中をしっかり洗い流し、汚れや異物を取り除くのだ。傷の中に異物があると破傷風など細菌感染を起こす可能性もある。小さい傷とて侮れない。

 次いでガーゼで手の甲の傷口を押さえて止血した。ものの数分で血がとまったことにゼードは安堵する。基本、消毒液は常在菌を殺してしまうため使わない。かえって傷の治りが遅くなるからだ。

 素早く治療する彼を見おろし、ロアンヌはおずおずと声を発した。


「あ、ありがとうございます」

「怪我してんなら早く言えよな。つってもお前さん、なんかやせ我慢する性格してそうだけど」


 軽い調子で言うゼードに対し、ロアンヌはどこか神妙にあいづちを打った。


「お医者さま、なのですね。ですが、その治療の術と道具は」

「あー」


 彼女の言葉に含まれる意図を察した彼は肩をすくめ、あっけらかんとした態度で笑う。鞄から傷に貼るパッドを取りだし、それをロアンヌの手の甲にゆっくりと貼りつけた。


「俺はいわゆる闇医者ってやつ。医魔法は才能なくて使えなかったんだ。なんでも俺はマナが完全欠如してるんだとよ。学院じゃ散々怒られた」

「そう、なのですか」


 ロアンヌはそれ以上を尋ねてこなかったが、その顔は複雑そうだった。彼女たちが聖道院によって追放されていた北の渓谷――いわゆる流刑地は、小国では数少ない闇医者が送られる場所でもあるのだ。


「これでよしだ。……お、服の裾、破れちまってるじゃん」


 先の戦いや、逃げている最中に裂けてしまったのだろうか。彼は医療道具を鞄にしまうと、次いで小型の裁縫道具箱を持ちだした。中から針と糸を取りだし、


「すぐに縫ってやる。ちょっと待ってろ」

「い、いえ。このくらいなんとも……」

「こういうのは得意なんだよ。任せてくれ。あ、柄にもないって思ってんじゃねえだろうな。傷つくぞ、俺。意外と繊細なんだから」

「は、はあ……」


 慣れた手つきで針に糸を通し、破れたドレスの裾を手早く縫いあげていく。それを見おろしながら、ロアンヌが感心したように嘆息した。


「まあ、器用なのですね。すごいです。あ、この鞄も、もしかして?」


 彼女の視線がゼードの足もとに置かれた鞄に向く。一見するとなにも入っていないように見えるが、側面や奥底には隠しポケットが幾重にも仕込んである代物だ。


「ああ、そうだ。既製品だが俺なりに改造してんだ。医療道具が入るポケットを隠したりとか、簡単なカモフラージュだがな。なにもしないよりはマシだろ?」


 このくらいの小細工は当然のこと。

 それからゼードは身につけている赤い外套に目をやる。


「それに、服もだな。裏地の色んなとこにポケットをつくってある。今もほら、簡単に道具を取りだせるんだ」


 袖に縫った物入れから自慢げに小型のハサミを取りだしてみせる。縫い終わりの糸を切った時、部屋の扉が開く軋んだ音がした。

 ふたりが揃って扉のほうを見ると、シエンが戻ってきたところだった。彼は後ろ手に扉を閉め、やれやれと肩をすくめる。


「今のところ追っ手はきていないようだ。それで、これからどうする?」


 シエンはロアンヌを複雑そうな目で見やり、続ける。


「君は、本当に咒民なのだな」

「……はい」


 シエンは小さくため息をついた。


「とんだことになったよ。報酬を得るどころか、こうして聖道院を敵に回すはめになるとは……ただごとじゃ済まないだろう」

「そりゃ、まあな。俺もこの展開にはびっくりだぜ」

「ゼード……他人事みたいに言うな。もとはといえば君がだな――」

「あー、やだやだ。説教なんか聞きたくねえやい」

「す、すみません。争いに巻きこんでしまったのは私です」


 申しわけなさそうにロアンヌが首を垂れる。


「お前さんが謝ることじゃねえや。あ、そうだ。俺はゼードってんだ。で、こっちが」

「シエンという者だ」


 シエンは律儀に一礼するものの、その瞳はわずかに曇っていた。

 ロアンヌがふたりに倣うようお辞儀をする。


「改めまして、私はロアンヌと申します。先ほどは助けていただき、ありがとうございました」

「それで君の仲間だが。なぜ、あの駐屯村を襲ってきたんだ? 事情を話せないかな」

「はい。あなたがたには知る権利があるでしょう」


 寝台に腰かけたまま、彼女はぽつぽつと話し始める。


「北の渓谷には私たち咒民の住む村があります。基本的には、週に一度キャラバン隊がやってきて、私たちの生活を最低限は賄ってくれています。でも、今……村では人を憎む者たちが多くて。反対派、と私は呼んでいます。反対派というのは言葉どおり私に反対する者たちです。その筆頭がアキウスという者で、彼は前からあの駐屯村を脱出することを考えていたようなのです。私はこれまでなんとか彼を抑えていたのですが、さすがに歯どめがかからなくなって。それで、やってきたキャラバン隊を殺し……あのようなことに」


 アキウス。鋭い瞳を持つ、あの青髪の男だ。彼が今回の争いの首謀者というわけか。確かに彼は言っていた。

 我らを魔物と誹り、追放したこと、決して赦しはしない、と。


「確かに彼らの気持ちもわかります。私たちは咒民とあだ名され、蔑視され続けています。それに対する怒りも憎しみも、わかるつもりです。私だってどうしてなのかと思う。ただ、強いマナがあるだけで聖道院から危険視され、差別されているわけですから」


 神妙な面立ちでロアンヌは唇を引き結んだ。


「でも、その感情に任せていてはだめなのです。決していい結末にならないと私は思います。少しでもわかりあえる道があるなら……それにすがりたい。だから私は、諦められなくて」


 そこで口を閉ざし、沈黙する彼女。部屋に重苦しい静寂が流れた。

 シエンは渋い表情を浮かべつつも、どこか困惑した態度でゼードを見やった。


「私たちが聞かされていた咒民の姿とは、ずいぶんと違う」

「魔物にはとても見えねえけど」


 この小国では、咒民はおぞましい魔法を使う魔物であると聖道院から教えられている。だがロアンヌの姿はそんな情報とは似ても似つかない。むしろ逆だ。和平を望む、誠実なひとりの女性にしか見えない。アキウスたちにしてもそうだ。確かに顔や身体には不可思議な紋様があるし、使う魔法も強力なものだった。だが、それだけだ。

 ゼードの思考を遮るようにシエンが疑うような声をだす。


「だけど、咒民は咒民だ。このままにしておけば、なにが起きるかわからない」

「シエン。お前なんだか冷たいぞ。女には優しく丁寧にがお前のモットーだったじゃねえか」

「いや、そんなモットーなど君に言ったことはないが……」

「ノリがわりぃなあ。まあ、いいや。で、ロアンヌ。お前はこれからどうすんだ? このまま和平とやらを模索すんのか?」

「はい。その前に、アキウスが気がかりです。彼を捜しだし、とめねば。彼は咒民の中でも特に人間を恨んでいます。なにをするかわかりません」

「そのアキウスという者がどこに行ったのか、見当はつくのか?」


 シエンが訊くと、ロアンヌは表情を曇らせる。


「それは……正確にはわかりません。けれど、なんとかして見つけださなければ」


 思いつめたように彼女は囁いた。それからゼードとシエンを見やり、深々と頭をさげる。


「おふたりとも。匿ってくださり、ありがとうございました。これ以上、あなたがたに迷惑をかけるわけにはいきません。では、私はこれで」


 ロアンヌは寝台から立ちあがり、ふたりの間を縫って扉へ向かう。その身体はわずかにふらついていた。疲労が溜まっているのだろう。彼女が扉の取っ手に指をかけた時、ゼードはたちどころに呼びとめていた。


「おいおい、待て待て。そう急ぐなよ。人捜しをするなら、人手は多いほうがいいんじゃねえの。俺たちも協力してやる」

「は?」


 素っ頓狂な声をあげたのはシエンだ。彼はすかさずゼードに迫ってくる。


「なに勝手なことを言ってるんだ、君は……!」

「こいつをこのままにはできないだろ? だって、ここまで連れてきちまったし」

「それは、そうだが。いや、だが彼女は咒民だ。もしかしたら隙をついて魔物に変貌する可能性だって……人々に危害を加えることになれば、ただでは済まない」


 シエンの言葉に、振り返ったロアンヌが悲痛な顔をする。怒りも反論もしないその様子を見て、ゼードの心に憤りがわいてきた。


「そんなことはねえ」

「ゼード……なんの根拠があってそう言える?」

「うっさい。そっちこそ、なんの根拠があって魔物になるなんざ言えるんだよ。スクリエルが流布したのを信じてんのか? だいたい、本人を前にして失礼じゃねえの」


 狭い宿部屋の中、両者はじりじりと睨みあう。


「失礼もなにも、咒民が魔物だというのはこの国では当たり前の事実じゃないか。それが違ったなんて、それこそ――ではなぜ、聖道院はそんな嘘をつく?」

「そりゃ……」


 聖道院の思惑など今のゼードにはわからない。だが、聖道院幹部の『処分屋』スクリエル。あの青年の言葉が脳裏をよぎる。


 ――咒民は道具です。実験のね。


 世間に咒民が魔物だと流布することで恐怖と嫌悪を植えつけ、実験体として利用することを正当化しているつもりなのだろうか。それとも、ほかに理由があるのか。


「詳しいことなんて知らねえ。だが、俺はロアンヌが悪人だとは思えない」

「いわゆる『勘』というやつか」


 はあ、とシエンは深いため息をついて天を仰いだ。


「困ったやつだ。君は言いだしたら聞かないからな……」

「そうだぜ? よーくわかってんじゃねえか、相棒。さすがだな!」

「まったく、調子のいいことを言う」


 シエンの言っていることも正しいとは思う。咒民を庇うという事実は、この小国を支配する聖道院に逆らうのと等しい。どんな目に遭うかわかったものではない。彼は彼なりに心配しているのだと理解はしている。


「わかったよ。ロアンヌ、といったね」

「は、はい」

「協力はしよう。だけど、私は後先を考えない行き当たりばったりなこの男とは違う。少しでも怪しい行動をとれば……」


 ロアンヌはうなずき、胸に手を当てて深々と腰を折る。


「はい、お心遣い感謝いたします」

「そうと決まればすぐに行動したいところだが」


 シエンが顎に手をやって考えこむ。


「万が一、君が聖道院に見つかってしまえば大変だ。流刑地に逆戻りか、極刑か。どちらにせよ、身を隠しながらアキウスを捜す必要があるだろう」

「身を隠す、かあ。となると……」


 ゼードは得心し、ニヤリと笑って人差し指を立ててみせる。


「隠れられるアジトが、ひとつだけあるぜ」

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