ゼードがシエンとともに宿からでると、周辺は騒然とした気配に包まれていた。石造りの四角い民家が点在する中で、少し開けた広場が村の奥にある。そこに無数の兵士が武器を構えて戦闘態勢を取っていた。ある者は怒鳴り、ある者は困惑した様子で武器の切っ先を広場の向こうへと突きだしている。村のあちこちから増援の兵士が集まりだしていた。ふたりはそんな兵士たちに混じり、彼らに対峙するその『集団』を見やった。
集団は誰もが旅装束の装いをして立っている。中には鎧をまとっている者もいた。先ほどキャラバン隊に変装して村を突破してきたと兵士が言っていたが。
やつらが、咒民?
集団のうち、ひとりが一歩ほど前へでた。一見すると人間と相違ない、青髪の若い男だ。だが、決定的に違うところが遠目からでもはっきりとわかった。
紋様である。
男の顔にはまるで蔓のように青黒い紋様が縦横に走っている。それは彼だけではなく、そばに立つほかの者たちも同様だった。
「作戦成功だ。やつら、『盾』を持っているからと油断したようだな。ここも突破させてもらうぞ!」
青髪の男は鼻を鳴らし、周囲を鋭く睥睨した。
「我らの未来のため。死んでもらう。人間どもめ」
彼の言葉にあわせて咒民たちが鬨の声をあげた。空気が振動するような大きい声だ。相対する兵士が一瞬たじろぐ。
「おや、威勢のいいことですね」
兵士たちの間をゆっくりとした歩みでやってきたのは、フードを目深に被った依頼主の青年だ。彼は対峙する者たちに臆した様子もなく、相変わらず鷹揚な態度で立ちどまる。
「いずれ、こうなることはわかっていました。なんの未来のためか知りませんが、しかし、ここで果ててもらいますよ」
すると、青年の背後に立っていた例の大柄な兵士が、ふたつの『盾』をゼードとシエンに差しだしてくる。鉄製の、小ぶりな盾だ。なんの変哲もないように見えるが、青年が振り返って補足してくれる。
「それは『魔防具』と呼ばれるもの。黒魔法を弾く盾です。聖道院だけの特注品でもあります。詳細は省きますが、あなたがたを咒民の攻撃から守ってくれるでしょう。さて」
青年は一息ついて静かに手をあげる。
「全員、突撃せよ――」
そのひと声で、兵士たちは弾かれたように咒民の集団へ襲いかかった。
「怯むな! 我らをなめるなよ、人間ども!」
青髪の男が兵士たちのもとへ疾駆する。
突きだしたその手が、わずか光を帯びた。
その刹那。
氷の刃のようなものが中空に具現化し、得物を手に肉薄する兵士たちの盾を掻い潜った。鎧ごと切り裂いていく。悲鳴があがり、血飛沫が飛び散った。後続の兵士たちが怯んで動きをとめた。ゼードはその光景に目を見張る。見るのは初めてだ。
あれが、黒魔法――?
横から肩を小突かれる。ゼードが意識を戻すと、そばに立ったシエンはすでに大剣を背中の鞘から引き抜いていた。
「私たちも打ってでるぞ。これも依頼だ。そうだろう?」
「……あ、ああ。わかってら!」
ゼードは肩にかけていた鞄を斜めがけにし、外套の懐から二対の短剣を取りだす。盾を腕に括りつけて短剣を両手に構えると、走りだしたシエンを追いかけて突撃していく。
考えている暇はない――
村の小広場はふたつの勢力によって戦場と化している。兵士の剣戟が広場のあちこちで繰り広げられていた。対峙する咒民たちの手からは黒魔法であろう光が幾度もほとばしった。まるで手品でも見ているような光景だった。放たれる魔法に悲鳴と怒号が溢れかえり、兵士はひとりふたりと倒れていく。
相手が十人と数少ないとはいえ、その力は圧倒的なものだ。
今までシエンとともに傭兵として戦場に立ってきた自負がゼードにはあった。だが、黒魔法を相手にしたことはなかった。短剣の柄を握った手が汗でぬかるむ。
ゼードの目前で黒魔法の衝撃を受けた兵士がうめき声をあげて吹き飛ばされた。鎧や盾からは黒く煙が立ちのぼっている。その煙を切り裂くように姿を現したのは例の青髪の男だ。
男は手を振り払い、倒れた兵士に氷の刃を突き刺す。
地面はいつの間にか鮮血で濡れそぼっていた。
「我らを魔物と誹り、追放したことは赦さない! 死ね人間!」
返す手を突きだし、男は兵士の後ろにいたゼードに狙いを定める。飛来する刃をゼードは腕に装備した盾で弾き返した。凄まじい衝撃だ。身体が大きく跳ねあがり、足に痺れが走る。
なんとか耐えたゼードを、男は意外そうに見やった。
「貴様、服装からして聖道院の者ではないな。雇われか?」
「――だったらなんだ!?」
「別にどうもしない。金のために我らを殺す。いいだろう。貴様もここで死ね」
ゼードは苦々しく舌打ちを漏らした。内心に生まれたのはわずかなためらいだった。なぜだろう。連中と戦うことに戸惑っている自分がいる。咒民は魔物だと、言葉も通じぬ化け物だとずっと聞かされていた。だが彼らは常人にはない紋様は確かにあれど、姿形は人間と相違ないではないか。思っていたものと違う。
こいつら、本当に魔物なのか?
青髪の男が彼の思考を待つことはない。ゼードは頭を振り、息を吐きだした。
「俺にも事情があるんでね! 悪いが狩らせてもらうぜ!」
男は鼻を鳴らす。その手から現出した青い刃が数本、ゼードめがけて飛来する。とっさに身をひねっていた。刃のひとつが外套の脇を切り裂き、もうひとつが双短剣の刀身に当たって甲高い音を響かせる。
柄を握る手に鋭い痛み。飛び退り、男から間合いを取る。横ざまから兵士が倒れこんでくるのを避けた。周囲を巡る黒魔法の光がゼードの両眼を焼き、視界を鈍らせる。
魔法を相手にどう戦えばいい。見当がつかない。距離を取ったところで飛来する魔法の刃にはあまり意味がないだろう。盾は確かに魔法を吸収する効果があるようだが、そう何度も耐えられるものではないかもしれない。
ゼードは顔を苦渋にゆがめる。
青髪の男が踏みこんできた。手を振り払う。何本もの刃が音もなく出現する。その照準はゼードを捉え、飛来する切っ先が彼を穿たんとする。身体が強ばった。動くことができない。
――その一瞬。
肩に強い衝撃が走り、ゼードは横に弾き飛ばされた。全身を地面に打ちつける。呼吸がグッととまるものの、すぐに歯を食いしばって上体を持ちあげる。ゼードがもといた場所の地面には刃が深々と突き刺さっていた。それは靄となって静かに形を失っていく。
「大丈夫か、ゼード!?」
シエンの声が飛んでくる。どうやら彼に助けられたらしい。ゼードは立ちあがり、双短剣を構えたまま青髪の男と再び対峙する。となりに立ったシエンが大剣を正眼に持ち、男を睨みすえている。
周囲では依然として兵士と咒民の戦いが繰り広げられていた。晴天に浮かぶ太陽が怒号の響き渡る駐屯村を照らしている。あちこちで魔法の余波だろうか、黒煙が細くあがっていた。
両者はともに数を減らしつつあった。このままではジリ貧である。ゼードは後方を一瞥した。フードの青年は静かに成りゆきを見守っているだけだ。
青髪の男は問答無用で突きだした手を翻す。男の動きに呼応して、いくつもの刃が次々とふたりを襲った。ゼードは歯を噛みしめる。鋭く縦横から飛んでくる刃を短剣の刃で叩き落とし、盾で防ぐ。だが、五月雨式に打つ攻撃に対処が間にあわない。斬撃はゼードの赤い髪を掠めて外套ごと肢体を抉っていく。
「ぐっ……! くそ、いってえな!」
防御で精いっぱいだ。いや、防御さえまともにできない。身体の至るところから鮮血が飛び散った。焼けるような痛み。シエンも大剣や盾で相手の攻撃を防いでいたが、避けきれない攻撃が肌を裂いていった。
「終わりだ」
男は冷然と吐き捨てる。その言葉の通り、力をこめるように両手を広げた。青い光が手の内に輝いた瞬間、今までの攻撃とは打って変わって現れたのは、大きな剣のごとく光だ。
まわりで戦っていた兵士たちの悲鳴があがる。彼らは怖れをなした様子でその場から逃げだした。
あんなものを直に食らったら真っ二つだろう。ゼードは痛みをこらえ、じりじりと引きさがった。至るところに刻まれた裂傷が身体の動きを鈍らせる。全身が鉛のように重い。動かない。
青髪の男が手を振り払う。光が弾けた途端、氷の剣がゼードたちに向けて飛来した。
凄まじい突風がその場を駆け巡ったのは、その時だった。