ふたりは首都の北境に辿りつく。そこから首都が運営する乗合馬車に乗り、大街道を北へ出発した。
首都をでればその先は広大な街道がはるか彼方まで続いている。大街道はあらゆる都市をつなぐ唯一の道であり、内戦もない今の時代では比較的安全に通ることができる。もちろん、戦えない商人などは用心棒を数人つけてはいるものの。
――途中、宿場町で休憩を挟み、二日ほど馬車に揺られると、やがてひとつの村に到着する。
その村は聖道院が管轄している、咒民を監視するための村だった。馬車を降り、ゼードとシエンは村内へ足を踏み入れる。
真昼の陽光が村を照らしていた。村は小さく、入口の広場からあたりを一望できた。石造りの四角い家々が建ち並び、地面は舗装されず砂利や雑草がむきだしになっている。人通りはほとんどない。聞いた話によれば、この村に住むのは駐屯している聖道院の兵士がほとんどであり、普通の村人はほぼいないという。
確かに、魔物だという咒民がいる近くには住みたくないだろうが。村には見回りをする兵士が軍靴を鳴らして歩いており、見慣れない姿のゼードとシエンを鋭い目で見やっている。どうにも気に食わない態度だ。ゼードがべ~っと舌をだすと、兵士は思いきり顔をしかめた。
シエンが即座に彼の脇をつく。
「ゼード。こっちだ。というか、わざわざ敵をつくるようなことをするんじゃない。それでなくても君の強面は誤解を――」
「あー、はいはい。説教いらんから。わかってるっつの。ご挨拶だよ。ご挨拶」
「まったく。緊張感がないな」
シエンはため息を漏らす。それから迷うことなくとある宿へ向かっていった。仕事の依頼主とはこの宿で待ち合わせの予定らしい。宿は他の民家と同じ石造りの四角い建築で、古びた木の看板が扉の横に立っていた。扉の左右には兵士がふたり、見張るように待機している。彼らが持つ槍の切っ先が、陽光に反射してギラリと光っていた。
どこか物々しい雰囲気である。もしや、依頼主は聖道院の関係者なのだろうか?
兵士たちの駐屯村とはいえ、こうして兵士を置くとはずいぶんと厳重だが。
「私はシエン。傭兵です。名前は聞いていると思います。仕事の依頼主は?」
宿へ入るなり、カウンターで頬杖をつく宿の主人にシエンは言った。主人はどこか疑るようにふたりを見やったあと、ぼそぼそした声で答えた。
「……二〇三号室だ」
宿の奥へ向かっていく。上階段をのぼると、すぐにまた兵士が部屋の扉前で立っている。それを見たシエンはゼードに振り返り、肩をすくめてみせた。
やはり、いやに厳重だ。
兵士にも宿の主人同様に声をかけると入室を許可された。シエンは控えめに何度かノックをしたあとそっと部屋へ入る。それに続くゼードの目に飛びこんできたのは、なんの変哲もない一室だった。
壁は白で塗装されているが薄汚れていた。棚や寝台、机や椅子など、必要最低限の家具が置かれた質素な部屋だ。窓はカーテンで閉め切られており、室内は薄暗い。
そんな部屋の中央――机についていた人物が、ふたりの姿を見るなり静かに立ちあがった。
「ご苦労さまです。あなたがたですね。私の依頼を受けてくれるという者たちは?」
穏やかな青年の声だ。ひとつ間違えば女性と勘違いするほど、聞き心地のよい柔らかなアルトの声音が印象的だった。
香でも炊いていたのだろうか。机には香炉が置かれ、花の甘い香りが漂っている。依頼主は鷹揚に会釈してきた。紫のローブに身を包んだその人物はフードを目深に被り、素顔は窺えない。だが、すっくと立ったその姿はスっとした長身で、身に着けているローブもビロード生地の上等なものだ。
その青年が座っていた椅子の後ろには、大柄の兵士が無言で佇んでいる。こちらは橙色の刈りあげ頭だ。彼は入室してきたふたりを見ても眉ひとつ動かさず、まるで大木のようにじっと息をひそめている。
ローブの青年は、唯一露わになった唇を優しくつりあげ、微笑んで一礼した。
「お待ちしておりましたよ」
「シエンと申します。こちらはともに仕事をさせていただくゼードです。ほら、ゼード」
シエンが横目で挨拶を促してくるものの、ゼードは軽く肩をすくめた。
「ま、堅苦しい挨拶は抜きでいいんじゃねえの。相手さんだってフード被ったままだ。それ、脱ぐ気ないんだろ? なんせ匿名での依頼だからな。詳しくは知らんが」
身分の高さだけはありありとわかるのが皮肉である。聖道院の兵士による守りもかなり厳重だし、名門の貴族かなにかだろうか?
そんなお貴族さまが咒民の死体を欲しているのも妙だ。だすという褒賞もかなりの額だとシエンは言っていた。どうにもきな臭い。
フードの青年は唇に微笑みを浮かべたまま優しげに笑った。その様子に敵意はない。
「そうですね。どうか、肩の力を抜いてください。リラックスといきましょう」
「は、はあ……」
シエンは腑に落ちないといった感じで眉をひそめている。
「長旅で疲れたでしょう? まずはお座りください。話はおいおい。お茶でも飲んでゆっくりしてからでもいいでしょう」
「お、わりぃな」
青年は机に置いたポットから茶器へお茶を注ぐ。ゼードが椅子にドカッと腰かけると、渋々といった様子でシエンも続いた。青年が音もなくふたりの前に湯気を立てる茶を差しだす。
それをためらいもなくズズーっと飲むゼードである。味はよくわからないが、なんだか高級そうなのは理解した。シエンのほうは茶には手をださず、その水面をじっと見つめている。
フードの青年は囁くように言った。
「驚いたのではないですか? ギルドに『咒民を狩る』という依頼があって」
「ええ。咒民はいわゆる魔物といわれるもの。黒魔法を使う、危険な存在と聞きます」
「その通りです。決して野放しにはできない存在です。実は定期的に匿名で依頼をだしているのですよ。聖道院では、咒民は見つけ次第北へと追放しています。その北というのが、この駐屯村のさらに北方にある渓谷です」
ひとつ息を吐くと、青年は机に肘を乗せて手を組み、真剣な声音で続ける。
「あなたがたには、渓谷へ赴いていただきます。そして、咒民を数体ほど狩ってきてほしいのです。もちろんふたりだけでは黒魔法を使う咒民は手に余るでしょう。兵士を何人かつけさせます。ただ殺して、死体をこの村へ持ち帰るだけでいいんです。受けてくれますか?」
「俺は金さえもらえればそれでいいよ。……でもさ、妙な話だよな。なんだって咒民の死体なんかほしいんだよ? まさか、コレクションとか?」
ゼードが冗談まじりに青年を見ると、彼は間をおいてから静かに答えた。
「すべては、医魔法の発展のためでしょうか」
「はあ? 医魔法だって?」
意外な答えにゼードは軽く目を見張った。自然と前のめりになり、木椅子が軋んだ音を立てる。となりに座るシエンが続いて訊いた。
「あなたはもしかして、聖道院の医者なのですか?」
「まあ、似たようなものですよ」
相変わらず唇だけで慎ましく笑う青年。なるほどな、とゼードは思う。聖道院に所属する関係者ならば、この兵士の数もうなずけた。見た目からして上部の人間であるというのも。
ゼードは鼻を鳴らす。
「んで? こっちはさっさと狩って帰りたいんだが。いつ出発すりゃいいんだ?」
「そうですね……」
その時、扉が勢いよく開く音がし、兵士がひとり慌てた様子で入りこんできた。
「お話中すみません! 咒民が、咒民どもが村に現れました!」
「なんですって? 咒民が自らこの村にきたのですか?」
青年の声がサッと冷徹なものに変わった。
兵士は床に跪きながら彼を見あげる。
「はい。数はおよそ十。キャラバン隊に変装して北の門を突破したようです。現在、村に侵入しています! いつも向かっているキャラバン隊は戻っておりません。おそらく連中にやられたかと……」
兵士の苦々しい言葉に、青年は口角をつりあげて笑う。ゼードとシエンのふたりを見やり、勢いよく手を打ち鳴らした。
「彼らの思惑はさておき、向こうからきていただけるとは。さあ、早速ですが仕事といきましょう。村にやってきた咒民たちを――殺してください」
先ほどまでの穏やかな態度は消え、今の青年はどこか底冷えする雰囲気を醸しだしていた。
眉根を寄せるシエンのとなりで、ゼードは勢いよく立ちあがる。
「よし、行くぜ。シエン。これも金のためだろ?」