目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第3話 旅立ちと追憶

 早朝。シエンとともに孤児院をでるゼードの背に、ティルナが慌てて声をかけてきた。


「ゼード! ちょっと外套! 外套を忘れてるわよ!」

「あ、やべ。わりぃな。ティルナ」


 外套を受け取ったゼードを見あげ、彼女は頬をふくらませて指を突きつけてくる。


「それに寝癖! もー、シャキッとしないわねえ! そんなんで本当に大丈夫なの!?」

「朝から騒がしいんだよ。オカンか? 別にいいだろ、寝癖くらい。どっかパーティに行くわけでもねえし」

「ゼードってば……この!」


 ティルナは背伸びをすると、ゼードの髪に力ずくで櫛を通した。


「あいたッ! か、髪が! 禿げる!」

「よーし、跳ねが直ったわね。少しはシャンとした?」

「いてて……容赦ねえなあ。馬鹿力なんだから少しは加減しろよな……」


 ゼードは頭を押さえて顔をしかめる。ティルナがふんぞり返って腰に手を当てた。


「ふふ。気合いを入れてあげたのよ。で、改めて。忘れものはないわね?」

「子ども扱いすんじゃねえやい」


 ゼードは外套をザっと羽織り、自身の姿に目をやる。着慣れた赤い外套が身体によくなじんだ。外套の裏ポケットには護身用の短剣が二対、いつものように息を潜めている。

 肩にさげた革製の鞄にはぎっしりと中身が詰まっていた。解剖用のメスや医療道具、薬などを入れこんでいる。医者である身だ。どこに行こうと医療に関する道具を欠かすことはできない。もちろんこれらの道具は見つかるわけにはいかなかった。自分で改造した鞄は裏地に色々と物を入れられるようにしており、一見すると入っている物は見えない仕組みになっている。

 今一度その装いを確認するとゼードはうなずく。ティルナへ向けて「すん」と鼻を鳴らす。

 次いでなんの気なしに孤児院を見あげた。

 ほかの民家と変わらないトタン屋根。その年季の入った赤茶色が、朝の陽光に反射して白く輝いている。目線を下に戻すと、ティルナが難しい顔をして「うーん」と唇を尖らせていた。


「あ? ティルナ、なんだよ」

「念を押しておくけど、本当に危険な仕事じゃないわよね? あなたたち、ふたり揃ってでていくって言うんだもの。なんだか心配なんだけど」

「大丈夫さ」


 答えたのはとなりにいたシエンだ。彼はティルナに優しい笑みを向ける。


「たいした仕事ではない。すぐに帰ってくるよ。だから、安心して待っていてくれ」

「本当? シエン、信じていいのね?」


 どこか神妙に眉を垂らすティルナに、シエンは力強くうなずいてみせた。それにホッと息をついた彼女が屈託なく笑ってゼードに目をやる。


「ゼードも気をつけるのよ。あなたはこのスラムに必要な人なんだから。くれぐれも怪我とかしないでよ」

「はいよ。じゃあ、行ってくるとすっか」

「あ、ゼード。ちょっと待って!」


 シエンに倣って歩きだそうとする彼にティルナが両手をあげた。


「んだよ。まだなんかあるのか?」


 すると彼女はゼードのそばに寄り、小声で耳打ちしてくる。


「シエンを守ってやってね。あの人、ああ見えて実は向こう見ずなところあるから。わたしたちのことを想ってくれるのはありがたいんだけど、ひとりで抱えこんでないか心配なの」

「あー……なるほどな」


 ティルナの思うところは概ね理解できる。ゼードは顎を撫でると不敵に笑った。


「ま、怪我の心配はすんな。致命傷くらいなら神の手でパパっと治してやるからよ」

「ふふ。頼もしいわね。ありがと。あ、それと。わたし、ゼードのことも心配してるんだからね?」

「はあ? 俺?」

「うん。聖道院のこととか、色々と大変でしょ。いつ捕まってもおかしくないし。それでもあなたはみんなのために働いてくれてる。本当、感謝しているのよ。昨日もアリエを手当てしてくれたでしょ」

「別に……俺は」


 不意に声がでなくなる。ゼードは顔をしかめ、鼻を鳴らしてティルナからそっぽを向いた。


「俺はただ医術が好きなだけだ。そう……好きでやってることだからな。そんな大層なもんじゃねえし、感謝なんて別にいらねえよ」

「実は驕らないところ、ゼードらしいわね」

「――な、なんだよさっきから! 頭でもイカれたか? 変なもんでも食ったか?」


 不覚にも頬が熱を持った。対してティルナは晴れやかな笑みを浮かべる。それは朝の陽光に負けないくらい明るく、優しく包みこんでくれるような笑顔だった。ふと、胸の奥がちくりと痛むのを感じる。痛みはジワリと心に浸潤していき、閉じていた感情に翳りを差す。

 わかっているのだ。彼女が見ているのは、いつだって自分ではなくシエンだということは。

 今だって友人として心配してくれているのだろう。それでも――

 シエンを通じて少しでも彼女の役に立てるなら、助けになりたい。そう思うのだ。馬鹿馬鹿しい話かもしれないが。


「さ、いってらっしゃい!」


 ティルナはゼードの背を大きく叩いて押しだした。衝撃に前へつんのめった彼を、先に進んでいたシエンが怪訝そうに振り返るのだった。




 ふたりは孤児院をあとにし、むきだしの土を踏みしめて歩く。まず向かうのはスラムの西にある首都ロイナだ。首都をでたあとは、北へ大街道を進んでいく。北にあるという約束の村までは大街道を走る馬車で数日ほどかかる。

 偽造した許可証が本当に使えるのか。ゼードは一抹の疑念を覚えていたが、検閲所の兵士は差しだした許可証を一瞥するだけであっさりとふたりを通した。拍子抜けするゼードにシエンは軽く鼻で笑ってみせる。杜撰というか、兵士の職務怠慢な気もするがこれを見越していたのだろうか。ふたりは揃って川にかかる橋を渡り、首都ロイナに足を踏み入れた。

 首都ロイナとスラム街は川を隔てて東西に区分けされている。スラムの者が首都へ赴くことは少ない。ゼードも久しぶりだ。

 首都の石畳を横に並んで歩くゼードとシエン。スラムの人間からすると、通りを行きかう人々は誰もが上質な衣服を着て闊歩しているように見える。女性は上品なロングドレスを身にまとい、男性が被るハットや身に着けているスーツも上等なものだ。通りゆく全員が華美というわけではないが、泥臭いスラムの住人とは大違いである。

 ゼードは歩きながらあたりを見渡す。石畳の道をレンガ造りの家々が立ち並び、はるか遠くまで続いている。広い車道を馬車がゆっくりと走っていた。

 街には首都の名前にもなっている聖女ロイナを描いた旗があちこちに高く掲げられ、風になびいている。建物の外壁のいたるところに信奉の言葉を綴った張り紙がしてあり、彼女の偉業を誇っていた。


『ロイナ、万歳! 聖道院、万歳!』

『医魔法に永遠の栄光あれ』


 そんなふうに書かれた紙の横に『闇医者捕らえるべし』と殴り書きされた紙が乱雑に貼られている。ゼードは苦々しく舌打ちした。まわりの目がなければ破って捨てているところだ。

 進むうち、視界の西側に首都ロイナを象徴する時計塔が姿を現す。鋭い尖塔の形をとったその建築物のとなりには、聖道院の本拠地である豪華絢爛な議事堂が堂々と建っていた。議事堂のそばには聖道院直轄の首都学院が置かれている。

 ここからわずかに見える学院の平たい建造物を見て、ゼードはますます苦い顔をした。学院からそっぽを向いてずかずかと歩を進めていく。


「こうして見ると、学院時代を思いだすよ」


 そんな彼に歩調をあわせつつ、シエンは肩をすくめた。


「君にとっては複雑な思い出も多いだろうけれど。私としては、君とここで出会えたことは僥倖だったよ。確か、ティルナが君を学院に誘ったのだろう?」

「あー、そうだったわな。あの時は物好きもいると思ったぜ。わざわざ裏町の『落ちこぼれ小僧』に話しかけて、一緒に成りあがろうなんて言いだすんだからさ」

「ティルナはそういう人だ。決して色眼鏡で人を判断しない。それに彼女だって多くの苦労をしてきたのだから」


 シエンはまるで自分のことのように誇らしげだ。

 ゼード、シエン、ティルナの三人はかつて、首都学院の同学年だった。首都学院ではおもに聖道院に所属する医者を育てる医魔法科、聖道院に仕える兵士を育てる兵士科の二科がある。

 医魔法科にはゼードが、兵士科にはシエンとティルナのふたりが通っていた。それはもう十年も前の話になる。

 聖道院の医者となるべく医魔法を学んでいたゼード。医者を目指した理由など単純だ。この小国では、聖道院の医者は貴族より地位が高くなる。若者が立身出世を目指して医者や兵士を目指すことも多い。彼もそのひとりというわけだ。

 すべてはかつて故郷の裏町でくすぶっていたゼードの前に、突然現れたティルナが放った言葉が起因している。


『さあ、わたしの手を取って。一緒に前へ進んで未来をつかむの』


 あの時はティルナがまるで天から遣わされた女神にも見えたものだ。暗く陰っていた道筋に光が差した気がした。己の進む道が見えた気がしたのだ。だから必死に勉学に励み、難関である首都学院になんとか滑りこむことができた。

 だが――


「……君は、まだあの時のことを悔やんでいるのか?」


 シエンの声がゼードを思索から引き戻した。ハッとしてゼードはかぶりを振る。


「いや、過去のことだ」

 今はもう、あの時の無力な自分ではない。医魔法こそ最後まで使えなかったが、今のゼードには学院を中退したあとネアに師事し、シエンとともに各地を旅して腕を磨いた『医術』があるのだから。

 この力で、救えなかった弟のぶんまで。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?