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第2話 孤児院にて

 孤児院に行くのは二週間ぶりだ。ゼードはスラム街を見回る兵士たちの目を適当に流して逃れつつ、西へ歩を進めていく。孤児院は居住地のひとつとして利用させてもらっていた。普段は居場所を特定されないようにスラムのあちこちに隠れ蓑を用意しているのだ。無論、自分の居場所は患者であっても教えることはしない。どこに敵の目があるかわからない以上、捕まる可能性はできる限り低くしたい。

 トタン屋根の連なる民家群の中に、やがて目的の家が見えてくる。ほかの民家と同じように茶色い屋根の、古びた木造建築。孤児院というにはあまりにも粗末だ。だが、金がないのはスラムに住む者なら誰もが同じだろう。

 空は赤く色づき始め、屋根の至るところで鴉が羽を休めていた。ゼードは家の前に着くと遠慮なしにどかどかと玄関へ入っていった。


「うっわ! ゼード兄ちゃん!?」


 遊びの途中だろうか、玄関口には数人の子どもがいた。彼の姿を見るなり驚いた様子で飛びあがる。


「ヤベッ! きたあー!」

「――なんだその反応は!? 俺は化け物かよ!」


 怒鳴るゼードに対して子どもたちは一目散に奥の部屋へ逃げていった。ムッとしつつも玄関を抜けて廊下を渡る。廊下の煤けた壁には、子どもたちが描いたであろう拙い絵が何枚も乱雑に飾ってあった。それを横目に居間の扉を開けると、子どもたちの声がドッと響き渡ってくるのだった。


「あッ! 悪いムシがきた!」

「おい、こら! 誰が悪いムシだって!?」

「あはは、怖えー! 食われるー!」

「ゼード兄ちゃん。アリエが怪我した! 膝小僧やった」

「ああ? またかよ。で、そのアリエはどこだ?」


 ゼードは騒がしい居間を見回す。狭い居間には最低限の家具しか置かれていない。外観と同様、粗末なものだ。子どもたちのいたずらだろう落書きが、棚や机に描かれているのが遠目からでもわかる。奥の出窓を覆うカーテンはしわくちゃだし、壁はところどころ壁紙が剥がれている。遊び盛りの子どもたちというのは容赦がないものだ。

 部屋の中央に置かれた長机の隅には隠れた女の子がいた。ゼードは雑に手招きする。


「アリエ。怪我したんだろ。こっちこい。見てやるよ」

「……やだ」

「やだじゃねえ」


 彼が近づくと、途端にアリエは泣きだした。


「やだあ! 怖い!」

「ぐっ……」


 さすがにこれは傷つく。確かにゼードの目つきは鋭く強面といっていい。客観的に見てもそうだし自覚もある。だが、この仕打ちはあんまりだ。


「あはは、相変わらずだな。ゼード」


 部屋の奥から子どもを抱えて、痩身の青年が姿を現した。子どもたちは彼を見るなり目を輝かせて駆け寄っていく。あっという間に囲まれた青年をゼードは憎々しく睨んだ。


「シエン! お前、ちょっとはフォローしろよ!」


 青年――シエン・グンジは苦笑いで対応する。彼は首都のギルドでも信用の高い、名のある『すご腕』の傭兵である。……なのだが、その見た目は威厳など感じられない生粋の優男だ。

 さらりとした黒髪。涼しげな黒い瞳。癖のない端正な顔立ちはいわゆる美形というやつだろう。本人に自覚があるかはわからないが。しなやかな肢体を黒い外套に包み、背には大剣を背負っていて、それだけが繊細な雰囲気にどこかそぐわない。

 まったく。医者であるゼードとは容姿を間違えて生まれてきたとしか思えなかった。


「顔が怖いのは事実だろう? フォローといっても難しいぞ」

「お前まで言うか、こら!」

「大丈夫だぞ、みんな。ゼードは魔物でも悪い賊でもない。ただの医者だ。君たちに危害を加えたりはしない」


 子どもたちは満面の笑みで「はーい」と手をあげる。長机の端にいたアリエもおずおずと手をあげるのだった。


「ただいまー!」


 玄関口から明るい女性の声が響いたのはその時だ。子どもたちはその声に、途端にハッとして目をぱちくりさせる。


「ティルナ姉ちゃんが帰ってきたッ!」


 ひとりが言うなり、シエンから離れて玄関口へいっせいに走りだす子どもたち。まるで押し寄せる波のようだ。忙しいことである。

 やがて子どもたちに囲まれながら居間に入ってきたのは両手に買い物袋を引っさげた女性、ティルナ・ウォルスタールだった。夕食の買いだしだろう。買い物袋にはハムや葉物野菜、黒パンがぎゅうぎゅうに詰めこまれていた。おそらくスラムの市場で値切りに値切ってきたに違いない。彼女が口八丁手八丁で店主を丸めこむ姿が想像できる。


「あらあら、きてたの? ゼード」


 緩くウェーブのかかった肩口までの金髪が、首をかしげる彼女にあわせてふわりと揺れた。胸元にフリルのついた淡い桃色のワンピースに、暖かそうな厚手生地のケープが彼女の華奢な上半身を覆っていた。

 小動物を思わせる大きく丸い瞳が印象的な女性だ。白い肌はほんのりと赤く色づき、小ぶりな唇も血色がよい。

 ティルナは唇をほころばせる。


「よかったらごはん、食べてく? ちょうど今から準備するところだから」

「おっ、いいのか」

「もちろん。ついでに近況とか聞かせてよ。ゼードってば、全然こっちに顔だしてくれないんだもん。心配してたのよ?」

「って言ってもなあ」


 ゼードはボリボリと頭を掻く。


「いつもとそう変わんねえぜ? ま、ボチボチやってる。ティルナも相変わらず忙しそうじゃねえか。ガキどもがうるさくて大変だろ」

「なに言ってるの、元気な証拠よ。さて、じゃあお夕飯の支度でもしようか、みんな。手伝ってくれるわよね~?」


 彼女が人差し指を突きあげると、子どもたちは高らかに手をあげる。そうしてティルナのあとをついていく子どもたちが台所へ姿を消すと、それまでの喧騒は一気に収まった。ゼードとシエンのみが居間に残される。

 ゼードはやれやれと首を振り、胡乱な目線で台所のほうを見やった。


「まったく、嵐のようなやつらだなあ。ティルナの言うとおり元気が一番だがよ」

「最初はみんな塞ぎこんでいたからね。こうして笑うようになってくれて安心したよ」


 両親が病で亡くなり、天涯孤独になった子。スラムに生まれ、そのまま捨てられた子。その生い立ちや境遇はさまざまである。それぞれ事情があってここにいる。子どもたちも、最初から元気があったわけではなかった。

 そんな子どもたちに安心と元気を与えたのはティルナの献身的な日々の行動によってだ。スラムで暮らす以上、安穏とした暮らしができているわけではない。それでもティルナはどんな子どもに対しても優しく接し続けている。スラムにあって今の平和があるのは、ひとえに彼女のたゆまぬ努力のおかげだった。とうてい真似のできることではない。


「ああ、そうだ。ゼード」


 思索に耽っていたゼードに、シエンは慎ましい笑みを浮かべてみせる。


「ちょうど君がここにきてくれて助かった。実は話があってね。少しいいか?」




 スラムはすっかり夕焼けに包まれていた。雲ひとつない空にくっきりと浮かぶ夕日が、周囲に点在する民家群の屋根をぼうっと照らしている。

 昼間にたくさんいた兵士たちの姿はなくなっていた。いったん撤退したのだろうか。あたりにひと気はなく、ゼードとシエンはティルナの孤児院から近い廃材置き場になんとなく歩いていく。彼らの髪を緩く吹く風が揺らしていた。まだ初春の風は肌寒い。外套の内側に冷やりと入りこんでくる。

 ゼードは廃材置き場に打ち捨てられた木箱へドカッと腰かけた。シエンが彼の前に立ちながら腕を組む。


「で、話ってのは? まさか、新しい恋人が別にできたとか言うんじゃねえだろうな」

「……君もわかっていると思うが、私たちは貧しい」

「スルーかよ」


 シエンは小さく咳ばらいをすると、真剣な顔をして言う。


「真面目に聞け、ゼード。孤児院だって日々カツカツの状態だ。ティルナは気丈にやっているけど、限界はある。私としては、このスラムを脱して……ティルナや子どもたちと首都に住みたいと思ってる。そのための資金が必要だ」


 そこで言葉を切るシエン。やがて意を決したように続ける。


「実は、ギルドで実入りのいい依頼を見つけたんだ。この依頼をこなせば大金が手に入る。私の夢に近づくのさ。私としては、ぜひともこなしたい仕事だ」

「へえ、お前がそこまで熱くなるなんてな。で、いったいどんな依頼なんだ? 聞くだけタダだし聞いてやるが」

「咒民(じゅみん)狩りだ。死体が数匹ほど必要らしい」


 思ってもみなかった言葉にゼードは目を見張る。

 咒民とは、首都の北に追放されているという不気味な連中のことだ。別名、魔物とあだ名されている。強い黒魔法を行使して人々を傷つけるという話である。そのため、国の政にも介入している聖道院は、国の各地にひそむ咒民を捕らえては北へと送っているのだ。

 すべては人民の安全のため。そんな咒民を、狩るだと?


「おいおい、そりゃあ危険も危険だろ。あのおぞましい魔物が相手だぜ?」

「それは承知の上さ。それに、傭兵をしていれば危険なのは当然の話でもあるからね。まあ、少し気がかりなこともあるんだけど……」

「なんだ?」

「それが、匿名での依頼なんだよ」

「……そりゃ怪しい。俺なら絶対やらないね。命がいくつあっても足りねえよ。怖えし」


 ろくでもない仕事なのは間違いなさそうだ。咒民の死体が欲しいだなどと酔狂極まりない。いったい死体をなにに使う気なのか。深くは考えたくない話だ。

 唇を固く引き結んだシエンが顎に手を当てる。


「だけど、背に腹は代えられないと思ってる。資金のためにも私は受けるつもりでいるよ。それで、ゼード。ここまで話せばもうわかるだろう?」

「はあ、手伝えってんだろ。お前の考えてることなんかお見通しだよ。そういうしたたかなところあるよな、お前」

「ふふ、さすがは十年来の相棒」


 ――相棒、か。互いをそう呼んでいた時もあったな、とゼードは内心で苦笑する。そんなに昔の話でもないのが憎らしい。ゼードが一年前からスラムに留まることになっても、シエンは傭兵を続けている。それまでは各地を巡り、ともに依頼をこなしてきた仲だ。


「君だって金が必要なはずだ。資金がないとスラムで医者をやり続けるのも難しいだろう」

「まあ、な……」


 ゼードは考えこむ。ネア先生とともに現在は医療を低価格で提供している身だ。カツカツという表現は自分にも当てはまるだろう。金銭的に余裕ができれば医療器具もさらに調達できるし、スラムの者たちの役に立つはずだ。


「……だがよ、言っとくがあんま長くは空けられねえからな。スラムにゃ俺の治療を待つ連中がいるんだ。やつらを放置はできん」

「わかっているさ」


 涼やかな笑みを浮かべてシエンは手を軽く叩いた。


「とりあえず詳しく話を聞きに行きたいんだ。首都から依頼主のいる北の村まで行く必要がある。それは我慢してほしい」

「あ。だが、『許可証』はどうすんだ?」


 ここはスラム街と呼ばれるくらいだ。聖道院の兵士が治安維持に当たっているとはいえ、決して安全とは言えない。西に位置する首都としては、なるべくスラム街から人の流出を抑えて犯罪を減らしたいのだ。そのため聖道院の兵士による見張りが、首都とスラムの間にある検閲所に常時立っている。スラムから首都にでる場合、『許可証』なるものを兵士に見せる必要があった。


「傭兵のお前はともかく、俺は簡単にでられねえだろ。下手すりゃ捕まっちまう」


 そこでシエンは「ふふん」と不敵に口角をつりあげた。外套の懐から手に収まるくらいの紙切れを取りだし、ひらひらと指先で揺らしてみせる。


「君のぶんも調達してある。このくらいの偽造、私の伝手に頼めば簡単さ」

「やっぱしたたかだよな、お前……」


 ゼードが嘆息した時、小さな足音と一緒に天真爛漫な声が響き渡った。


「シエン、ゼードっ!」


 ふたりが揃って声のしたほうを見ると、ティルナが小走りに駆けてくるところだった。手を振る彼女の金髪が肩口でふわりと揺れる。白い頬をわずかに上気させながら、彼女はふたりの前で立ちどまると笑みを浮かべた。


「こんなところで立ち話? 夕飯の準備ができたわよ。さあ、早く早く! 子どもたちが待ちかねてるから!」


 言うが早いか、ティルナはゼードとシエンの腕をグイグイと引っぱる。


「そんな引っぱんなっての! そそっかしいやつだな、お前は」


 軽く悪態づくゼードにティルナはいたずらっぽく笑顔を浮かべた。シエンも苦笑しつつどこか楽しげだ。ティルナに引かれるまま歩きだす。

 地平線に落ちていく夕日が、そんな三人を眩しく照らしていた。


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