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第二話

「……え?」

「今のお前、自分のΩを宣伝して歩いてるようなモンだもん」

「いや、でも……番とかじゃ……」

「だから言ってんの。番じゃねーΩのニオイぷんぷんさせてたら、フリーのΩがそこに居るって言ってるようなモンだろが」

 お前が後つけられたらとか、考えてる?

 そう言われて、総司はようやく今の自分の状態を理解した。

 言われてみれば、その通りだ。自分がシンのフェロモンをそこまで感じないからといって、他のαが同じだとは限らない。

 今まで警戒していたのはヴィランや橘の手の者だけだったけれど、隣人の襲撃があったのだからそういう事も考えなければいけなかったのだ。

 先輩は総司が本当にそういった所を考えていなかったのだと気付いたのか、汗ふきシートのパッケージを総司に差し出して、

「お前も、多分そのΩに引っ張られてフェロモン出てる時あるかもよ。同じαだからオレにはわかんねーけど」

「そ、うなんですかね……」

「わからんけど、客がお前の事ジロジロ見てる時何回かあった」

「……オレが美しいばかりに?」

「ばーか」

 ヘラっと笑いながらシートを2枚ばかり頂けば、先輩も笑いながら頭を叩いて突っ込んでくれた。

 総司の外見は、悪い方ではないと自分では思っている。何度か逆ナンされた事もあるし、ライブハウスで働いているからか女性客に呼び出されて告白された事も少なくはない。

 それがαだからなのか自分の外見に由来するものなのかは流石に分からないが、Ωシンのフェロモンを引っ付けていたのであればそれに影響されてαそうじのフェロモンも……というのは、無い話ではないだろう。

 これは、もう一度医者を受診するべきなのかもしれない。

 総司の気付かぬシンのフェロモンもそうだが、総司がフェロモンを垂れ流していたのだとしたらそれも問題だ。

 現状総司は、恋人を作るつもりはない。

 自分が連れてきたシンに対して責任を持たなければいけないし、そもそもバース婚というものを総司はあまり好んでいなかった。

 第二の性に、【勇者ヒーロー】と【ヴィラン】。この世界には人間を区別するものが沢山あって、何も考えずに恋人を作ろうとするのにはあまりにも障害が多すぎた。

「すんません。忠告ありがとうございます……えーと」

「おいお前まだオレの名前覚えてねぇの?」

「す、すいません」

「ま、いいや。今度はちゃんと覚えてくれよな~」

 先輩は笑いながら、バッグの外側のポケットから取り出した名刺を一枚総司に差し出してくれた。

 そこには、九条大輔くじょうだいすけという名前と共に恐らくバンド名と思われる名前と、ヴォーカルという記載がされていた。

 びっくりして思わず九条を見上げると、彼はにんまりと笑顔を浮かべてから汗を拭ったばかりでボサボサの髪を頭頂部でひっつめてピースサインを総司に向ける。

 そこでようやく、総司は「あっ」と声をあげていた。

 先輩、ではなく、九条大輔という名前であれば覚えがある。このライブハウスで歌っている常連バンドのひとつである【Blooming Maladyブルーミング マラディ】のヴォーカルの男は、そういえばイケメンのαだという事でスタッフの間でも話題になっていた人物だった。

 総司も仕事の合間に彼らのステージを見たことは何回かあったのだが、後頭部で髪を括って歌っている九条大輔と、眼の前のボサボサ髪の先輩はどうしてもイコールにならなかったのだ。

「マジですか」

「マジですよ。まー売れてないバンドだからな、バイトの時間のが長いけど」

「いやいや、メジャーの声かかったって聞きましたよ」

「それ駄目だったヤツだかんなー。相手の女社長がΩでさ」

「あぁ」

 なるほど、と言うと、九条は「お互い苦労するな」なんて言いながら背中を叩いてくる。

 αというのは大体にして体格や顔がいい場合が多く、そういうαを自分のトロフィーとして使いたがる地位の高いΩも今はそこそこ居るのだ。

 地位のあるΩは大体親からの引き継ぎでその地位を得る事が多く、だからこそ余計に有能で顔のいいαを求める傾向にある。九条の場合も、その女社長のお眼鏡に叶ってしまったのだろう。

 夢だったメジャーデビューを、そこで断れるというのは中々の勇気だとは思うが。

「ま、なんかあったら相談しろよ。お前のΩすげーいいニオイだから心配だわ」

「いやだから、番とかじゃ……」

「だとしても、だ。その人と別れるつもりねーなら、ちゃんと考えろよな」

 手をひらひらとさせながら去る九条の背中をぼんやりと見つめながら、彼の言葉の意味を考える。

 別れる、と言われても、自分たちは恋人同士というわけではないからその言葉は適切ではないだろう。かといって、それじゃあなんという言葉が最適なのかと言われればそれはそれで分からないのだが。

 どちらにしても、次の休みにあの闇医者にかかる事と臭い消しの購入は急がなければならないと、総司は携帯のタスク管理アプリに予定を打ち込んだ。

 また金が飛んでいくが、仕方がない。こういう時のために金を稼いでいるのだから、必要だと思った時にしっかり使わないと。

 今日はもう薬局がやっている時間ではないので、明日出勤前に寄るしかないだろう。一応自分たちの間ではフェロモンの問題は出ていないので大丈夫だろうが、九条をして「ムラムラする」と言われたニオイを放置しておくことは出来ない。

 ため息を吐きつつ、総司は捨てる寸前で譲り受けた自転車を駆って家まで戻った。

 随分と寒くなった空気がさっきまで汗をかいていた肌に冷たく、ちょっと突っ張るくらいに乾燥している。

 何となく早めに戻ってシンの様子を確認しておきたくって、自転車のペダルを漕ぐ足を急がせた。起きているならそれでいいが、眠っているのならばせめて顔色くらいは確認したいと、思って。

 しかしアパートに戻った総司は、廊下に面している窓から何か苦しそうな嗚咽が聞こえてくる事に気がついた。

 このアパートは、広めの玄関のすぐ横にトイレがある。トイレには窓はついていないが玄関の靴箱の上には小さな窓があって、流石にトイレのドアが開かれているとそこから室内の音が聞こえてしまう距離だ。

 確認してみると一応窓は閉じているが、かすかな苦しそうな声は確かに部屋の中から聞こえてきている。部屋の前に来なければ気付かない程度の声だが、これは間違いなく自分たちの部屋の中からだ。


「シンさんっ!?」


 鍵をあけるのももどかしく、急いで鍵穴に鍵を突っ込んで乱暴にシリンジを回した総司は転げるように部屋の中に飛び込んでいた。

 それとほぼ同時に、トイレを流す音がする。しかしトイレの扉は開け放たれたままで、トイレと廊下の僅かな段差には足が放り出されたままだ。

「シンさん、具合悪いの? 大丈夫?」

「…………ぅ」

「吐いてた? まだ気持ち悪い?」

 流水ボタンを押した状態で便座にぐったりとしがみついているシンの顔色は、真っ青を通り越して青白い。血の気の失せてしまった顔に慌てて額に手を当ててみれば、少しばかり熱いような気がした。

 ヒートだろうか。でも、彼のフェロモンをまだ、総司は感じ取れない。

「ちょっと待っててね」

 また便座に顔を突っ込んで嘔吐する体勢になったシンの背中を擦ってから、総司は急いでキッチンへ行って冷蔵庫の中のスポーツドリンクを1本取り出した。

 吸収率がよくて脱水症状の予防に、と宣伝されているそれは今冷蔵庫に必須で常備されているもので、中々食事をとれなかったり水を飲んでくれないシンには必ずこれを一日1本は飲ませている。

 少しばかり甘いからかシンもこれはちゃんと飲んでくれていて、バイト上がりにゴミ箱に空きボトルがあるかを確認するのが総司の日課になっていた。

 ボトルから取っ手付きのコップに移して、これもシンのために常備されているストローのついた蓋を被せてトイレに急ぐ。

 その時には、またトイレの水を流す音が聞こえた。

「シンさん、大丈夫? 飲める?」

「…………ン」

「まだ吐く?」

「……ン」

「そっか。じゃあ、飲んだらベッドに行こう」

 何回か吐いて落ち着いたのか、シンが虚ろな目で総司を見上げてから小さく首を振った。

 コップを手に取る力は無いようなので、着ていたダウンをシンにかけてやってから顔の近くにストローを持っていって唇に当ててやる。しかしシンは数回吸い込もうと頑張った結果、飲むのを諦めてストローを離してしまった。

 どうやら嘔吐をして随分と体力を使ってしまったようだと焦ったが、このまま何も飲ませないわけにもいかない。

 口だってすすいだほうがいいだろうし、何より脱水が心配だ。

 総司は、ぼんやりとしていたシンが段々と震え始めているのを見てため息を吐くと、思い切ってスポーツドリンクを口に含んでからシンと唇を合わせる。

 けれど、少しばかり覚悟をしたというのに彼の口からは吐瀉物どころか胃液の匂いすらしなくって、ほんの少し花のような香りがしたような、気がした。

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