目次
ブックマーク
応援する
6
コメント
シェア
通報
第二話

 シンと一緒に暮らすようになってから、総司は色々なことを勉強してきた。

 たった3ヶ月だが、その間に一番勉強したのは「一般市民」としての過ごし方だ。大学に入るまでは陸上の特待生として一般人をやってきたわけだが、大学を中退して一人暮らしをするようになってからの総司は【ヴィラン】であったので、大人が普通に生きる上で必要なものを全て無視して生きてきたと思う。

 その時間は、年数にすれば大体3年。親元から巣立った子供が「大人」になるには十分な時間だった。

 だがその間に総司がしてきた事と言えば、同じヴィラン仲間とつるんでの犯罪行為ばかりだ。殺人だとかテロだとかいった重大事件こそ起こしていないものの、ひったくりやスリ、特殊能力を使っての軽犯罪なんかについては一切の抵抗感も持っていなかった。

 果たしてそれらの犯罪がヴィランと言えるほど大きなものかは総司には分からないが、地球の裏側で起きた蝶の羽ばたきが巨大なハリケーンになる可能性があるように、総司のやった犯罪行為がどこかで誰かの悲しみになっていなかったとも限らない。

 【勇者】たちとの戦闘なんかは日常茶飯事だったし、もしかしたら本名や素性が知られていなくても特殊能力の方で把握されている可能性は完全に無いとは言い切れなかった。

 だから総司は正社員になる気はなかったし、いつだってシンと一緒に逃げる事が出来るよう荷物だって最低限のものしか持っていない。今の部屋のインテリアのほとんどだって元々この部屋に備え付けられていた物ばかりだ。

 レンタルという形にはなるが、解約をする時に置きっぱなしにしていってもいいのは逃げるのには楽だと、そう思って決めた部屋。3ヶ月生活してみて、多少金はかかったがその判断は間違っていなかったなと改めて思う。

 何しろ最近テレビでは連日3ヶ月前の橘邸襲撃のニュースが流れていて、その主な内容は実行犯の逮捕と――シンが何者かに拉致されてそれを探しているという内容だ。

 正直、よく言うぜ、と思う。

 ニュースの中では、偶然襲撃時に屋敷にいなかった橘丈一郎とその娘が「兄を返して欲しい」「身代金ならいくらでも払う」と犯人に涙ながらに訴えている。

 こうして世間的に橘シンの拉致を知らしめておけばシンがどこかで死んでいた場合にも「不幸な事件だった」で済むだろうし、戻ってきても「拉致された先で暴力を受けてΩにされた」と言えるわけだから世間体としては橘には一切傷はつかないだろう。

 年齢的にはシンの2つ下の妹になる長女が真実を知っているかどうかは知らないが、そんな事はどうでもいい話だ。

 橘にとってシンは見つかっても見つからなくても政治的アピールに使える存在になってしまったのだと思うと、反吐が出るほど胸糞悪い。

 こんなニュースが流れ始めてしまってからでは、総司の身体に残されていた傷も、一日の大半を寝て過ごしているというのに眠っている最中に何度も飛び起きては嘔吐をしてしまうほど精神的に弱っている事も、何よりあの部屋の中で過ごしていた心の傷も、全部ヴィランのせいにされてしまうのだ。

 腹が立って仕方がないが、そもそも総司がΩになった原因をはっきり聞いたわけではないのでどうしようもない苛立ちだけが総司の中に燻っては灰が降り積もっていく。

 橘家が、何らかの理由でΩになってしまったシンを認めなかったのだろう、というのは総司の想像に過ぎない。

 Ω堕ちビッチングについての詳細な資料は現状ではほとんど無く、αが受け入れる側の性行為を行った事だけで起こるという単純なものではない事だけしか、情報もないのだ。

 今のところかかりつけ医も協力してくれているが、フェロモンの安定しないシンが一人で留守番をしている最中に何かが起きないとも限らないのも怖い。

 実はこの家に引っ越してきてすぐに、酷い発作を起こしたシンの強いフェロモンが外に漏れ出した結果総司の居ない時に隣人が家に押しかけてきたという事件がすでにあった。

 幸いシンは鍵とチェーンを絶対に外さなかったし、隣の部屋とはベランダも離れていたお陰でベランダ伝いの侵入も出来なかったため総司が急いで帰宅して隣人は逮捕されたので被害は玄関ドアくらいのものだったが、シンがひどく怯えて10日ほどは一人で部屋に置いておく事も出来なくて。

 隣人はβだった。それでも誘引させられる協力なフェロモンに警察も困っていて、総司は「早めに病院に行きます」と警察に謝罪はしたものの、「何で一緒に居るのにお前がΩをきちんと管理しないんだ」という言外の圧力はヒシヒシと感じた事件だった。

 通常、αとΩが同居していれば番関係にあると思われても無理はないだろう。

 Ωは、番にうなじを噛まれる事でフェロモンの性質が変化して番しか誘う事が出来なくなる。それは、周囲の人間にとってもΩにとっても重要な防衛本能なんだなと、思い知らされた心地だった。

 しかし総司には、今のところシンのうなじを噛むつもりはない。

 番になるのが嫌だとか、シン自身が嫌いだとかそういうのではないのだけれど、出会ったばかりだしまだ生活もシンのフェロモンも安定していない時にうなじを噛むのは、彼の将来をこちらが左右するようで腹の据わりがよくないと総司は思っている。

 何しろΩは、一生に一度しか番を持つ事が出来ないのだ。

 αからは何度だって、何人とだって番契約をする事が出来るというのにΩはそれが出来ずに番に捨てられたら後は一人で行きていくしかない。

 番しか誘う事の出来ないフェロモンは誰にも嗅ぎ付けられないまま垂れ流しになり、Ωは一生癒えない乾きを抱いたまま苦しみ続ける事になってしまうのだ。

 ヴィランの中にはそういう番に捨てられたΩを集めて風俗店を作っている奴だとか、海外に売り払っている者も居る。

 番を失ったΩはとにかく己の孤独を満たす事で必死になるから性行為にも抵抗感がなくなり、誰でもいいから自分を抱いて欲しいと騒ぐようになるのでおもちゃとして使って飽きたら捨てる、というのが実に容易なのだ。

 総司は過去に何度かそういう人身売買組織を見たことがあるけれど、番を失ったΩは本当に悲惨だなと強い哀れみまで覚えたくらいで。

 だから、シンにはそうなって欲しくないと思って、番契約をしていない。

 番になったならばきちんと愛する自信は総司にもあるけれど、今の2人は決して落ち着く事のできない状況下にある。

 いつどこに橘の関係者や裏切ったヴィランどもが報復に来るかと考えると、番契約なんてのは総司が死んだ時の足かせにしかならないのだ。

 総司とて死にたくはないし死ぬつもりもないけれど、人間は思っているよりもあっさりと死んでいくものだ。

 絶対なんて、ない。

 決して長くはないヴィラン生活の中でも、総司はその事を身体が裂けてしまいそうなほどに痛感していた。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?