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君に声が届くまで
ミスミシン
BLオメガバース
2025年01月03日
公開日
3.8万字
連載中
太古、世界は光と闇の勢力に分かたれて戦いを続けていた。
光と闇は『勇者』と『魔王』と名を変えて今尚戦いを続けており、その名はいつしか『勇者』と『ヴィラン』となって連綿と繰り返されている。
そんな『ヴィラン』の高瀬総司は、ある日『勇者』たちに支援を行っている巨大コングロマリット【橘コーポレーション】の本邸襲撃に参加する事になった。
暇つぶしのように適当に作戦に参加していた総司は、発見した隠し扉の奥に監禁されていた橘の御曹司・橘シンがΩであると気付くや彼を連れて作戦から逃亡していた。
理由が分からぬ衝動に戸惑いながらシンと共に元いた地域から脱出する総司。
αからΩへと変質した事で生きる自信を失っていたシンは抵抗する事もなく総司についていき、そこで初めて経験する「普通の生活」にある種の感動を覚えていた。

しかし、共に生活を初めて4ヶ月になる頃、シンは体調を崩してしまう。
監禁生活で弱っていた身体をさらに悪くしたかと不安になったシンは、しかし不意に己の吐き出した【花】に強い恐怖を抱く。
こんな奇妙な病気を総司に知られれば自分はここに居る事は出来ない――……
総司と共に暮らしていくため、シンは己の吐き出す【花】を徹底的に隠し通す事を心に決めた。

二人の前に、光と闇が訪れようとしている事も知らずに――

第一話

 この世界の裏側に【勇者ヒーロー】と【悪者ヴィラン】が居るという事を知っているのは、全人口の何%くらいなのだろうか。


 【勇者】とは、今では【ヒーロー】とも呼ばれるようになった特殊能力を持っている人間の事だ。表向きにはそんな漫画のような能力者なんかは居ないはずの世界で、彼らはひっそりと世界を守り続けている。

 そうして世界の裏側で連綿と戦いを続けている【勇者】たちの敵がいつしか【ヴィラン】と呼ばれるようになるのは、時代の流れとして当然のことだったのかもしれない。

 アメコミの世界でそう呼ばれていた悪人たちの呼び名はいつの間にか日本でも徐々に浸透していって、ヴィランたちを題材にした映画や漫画だってそこそこ人気があるほど。

 でもそれは、現実に【ヴィラン】が居る事を知らない人間が作った創作上の【ヴィラン】の物語だ。

 本当に【ヴィラン】と戦っている人間を知らないから軽率に作れた【ヴィラン】賛歌とも呼べるストーリーを、何も知らないからこそ気楽に作って、憧れる。

 高瀬総司たかせそうじはそんな馬鹿の一人だった。

 総司は元々、【勇者ヒーロー】になる事を嘱望されていた若者だった。運動神経がよく幸いにして特殊能力は運動には関係のないものであった事から、オリンピックも夢じゃないんじゃないかと持て囃される今どきの若者だったのだ。

 オリンピックは総司の夢だった。【勇者ヒーロー】の中には身体能力を強化してしまう体質の者も居て、そういう者は一般人と同じ大会に出る事は出来なかったので総司は本当に幸運だったのだろうと思う。

 風を切って走るのが好きだった。中学時代も高校時代も、毎日のように特殊能力の訓練なんかしないでひたすらに走り込んだ。

 そんな総司を【ヴィラン】にまで陥れたのは、本当になんでもない――【勇者ヒーロー】と【ヴィラン】の戦闘の余波でもなんでもないただの交通事故だった。

 不運だったのは、事故の相手がトラックだったという事。

 そして、事故の瞬間に咄嗟に回避行動をとった総司だったが、【勇者ヒーロー】になる訓練を少しもしていなかった事で完全に回避しきる事が出来ずにトラックに接触をしてしまい、大学に入ったばかりの年に選手生命を絶たれてしまったという事だった。

 もしも少しでも【勇者ヒーロー】としての訓練を積んでいたなら、もっと特殊能力をうまく使えるようになっていたら、とは、何度も言われた言葉だ。でも、そんな「もしも」は事故に遭った後には何の意味もなくて、総司は鬱屈とした気持ちを世界を憎む事で吐き出そうと決めてしまった。

 【ヴィラン】なんていうのは、そうやって簡単に生まれてしまうものなのだという事を、【勇者ヒーロー】たちは知っているのだろうか。

 今までのように走れなくなった足を呪いながら家に帰るのも億劫になってうらぶれていた総司は、段々と【勇者ヒーロー】という存在にまで苛立ちを覚えながら生きていて。

 総司がαであるという現実もまた、その鬱屈を強く深くしていった。

 この世界には、厄介なことに【勇者ヒーロー】と【ヴィラン】という2つの区別の他にも、厄介な括りが存在している。

 それが、「第二の性」というもので、エリートの素養を持ち合わせ優れる者の象徴でありリーダーシップの強い「αアルファ」と、育む者と呼ばれ子を生み育てる事に特化した「Ωオメガ」。そしてそのどちらでもない「βベータ」。

 これらの3つに代表される「第二の性」が、今の人間には存在していた。

 これらは総じて【勇者ヒーロー】と呼ばれる特殊能力が発現したのとほぼ同時に現れだしたと記録がされている。

 つまり今の世界は、何の変哲もない一般人であるβや守られる立場であるΩを【勇者ヒーロー】であるαが引っ張っていく事を望まれた世界に変容していたという事だ。

 【勇者ヒーロー】という存在については一般的には秘匿されているもので、特殊能力だって一般的に周知されているものではない。特殊能力なんていうものはただのフィクションの存在だと思っている人間の方が普通の世界だ。

 しかし「第二の性」については徐々に一般化し始めており、まるでコミックの世界に存在している「設定」のようなそれに合わせて世間の意識も変化をし始めている。

 本当はこの世界にも【ヴィラン】が存在していて、時折起こる現実に起こり得ないと思っていたような凶悪犯罪はそういった者たちの仕業なのではないか、と。

 そして【ヴィラン】が居るのであれば【勇者ヒーロー】だって居るのではないか、とも。

 悲しいかな、総司にとっての【勇者ヒーロー】と【ヴィラン】もまた自分が実際に遭遇するまではその程度の存在で、足の怪我で陸上から離れて【勇者ヒーロー】になってみないかと改めて誘われた時にもピンと来る事はなかった。

 何しろ当時の総司は世間を憎んで憎んで恨んで、なんで自分がこんな目に合わなければならないのだと八つ当たりのように【ヴィラン】たちの手を取って。

 自分たちのしている事は正当な訴えなのだと、いつの間にか何の疑いもなく思うようになっていた。それこそ、映画や漫画の中に登場する【ヴィラン】のように自分も自分の不幸を嘆いてもいいのだと――【ヴィラン】にはそれが許されるのだと、深く考えずに思うようになってしまっていた。


 あの日の襲撃に呼ばれたのも、総司がそんな馬鹿の一人だったからだろう。


 橘コーポレーション。【勇者】たちに支援を行っている企業として裏の世界では日本で一番に有名な企業。

 襲撃先は、その橘コーポレーションを維持している橘家の屋敷だった。

 日本だけでなく世界でもトップクラスの【勇者】支援を専門としたコングロマリットである橘コーポレーションは、その技術力も表の世界での名声もまた高い。

 表向きは恵まれぬΩの救済。裏側では世界のために戦い続ける【勇者】たちの支援と、その名前だけ見れば善性の高い企業であるというイメージしかなかったことだろう。

 そんな企業に総司は当然いい印象はなく、胡散臭くてすぐに手のひらを返すような企業であると思っていた。

 総司がそう思っていれば当然他の「勇者の敵」からの目だって厳しいもので、橘コーポレーション側も【勇者】を雇って防衛を固め、自分たちの抱え込んでいるΩたちのために「Ωを守るα」も多数懐に入れていた。

 結果、その日橘邸に居た人間は、そのほとんどがαだった。

 【勇者ヒーロー】にαが多いのであれば【ヴィラン】にだってαは多い。

 統計的に見て、特殊能力が発現しやすいのはαであるのだと一部で噂され始めたからそう思ったのかもしれないが、少なくともその場に居たのは総司を含めαばかりだった。

 総司は橘邸の襲撃に積極的ではないが、「ざまぁみろ」と愉快な気持ちになっている側の人間だった。

 何しろ橘コーポレーションは総司が走れなくなったと知るとすぐに支援を打ち切って、もう用済みだとばかりにリハビリに励もうとしていた総司から「特待生」という立場も剥奪したのだ。

 確かに総司は陸上の特待生として大学に入学したので走れなくなったなら「特待生」でなくなるのは仕方がない事だったのだろうが、リハビリの結果すら待たずに支援を打ち切られた結果総司は大学に在籍し続ける事も積極的なリハビリも受ける事が出来なくなってしまった。

 総司の両親は特殊能力すら持たない普通の善良な人間で、総司をひき逃げしたトラックの捜索に全財産を注ぎ込んでくれていたのでそれ以上金を出してもらうのもしのびなくって、総司はあれだけ打ち込んだ陸上を諦める他なくなったのだ。

 総司を担当してくれた国の弁護士は必死に橘コーポレーションに話をしてくれたのだけれど、それも無駄だった。弁護士だってタダではない。それ以上してもらうのに報酬を払えないからと弁護士と別れたのは、事故からまだたった2ヶ月しか経過していない時だった。

 あの時、橘コーポレーションがせめて半年待ってくれれば、まだ違ったのかもしれない。

 もしかしたら総司は【ヴィラン】ではなく【勇者ヒーロー】として襲撃から屋敷を守る側に立っていたかもしれなくって、もっと言えばオリンピックにだって出場して支援者である橘コーポレーションの名前をもっと世界に広める事に尽力していたかも。

 夢だ。全ては夢や妄想の世界の話でしかない。

 しかしあの時総司の頭の中にあったのはただただ強い憎悪の念で、突然の襲撃に何も出来ずに倒されていく警備員や追いかけ回される家人たちに対してだって、何の感慨も抱かなかった。

 ざまぁみろ。

 その時総司は、本気でそう、思っていたのだ。

 それ以外の感情はない。あの事故から2年以上が経過してやっと小走り程度には走れるようになった足でパタパタと橘邸の中を観察していた総司は、その中でふと気になる場所を見つけた。

 この屋敷の主である橘丈一郎たちばなじょういちろうの私室の奥に、地下へ向かう階段を発見した。橘丈一郎は優秀な【勇者】でありαだが、その時は海外に出張をしていて橘家の人間は弱った老人しか居ないのは確認済みのはずで、だからこの地下に居るとしても女子供の類だろうと、総司は結論付けた。

 橘丈一郎の執務室の本棚の裏に隠された扉。そんな場所にある扉から入れる階段の先の地下なんて、万が一の避難シェルターくらいしか思い浮かばなかったのだ。


 だから総司は、ニヤニヤと笑みすら浮かべながらその階段を降りていった。

 心の奥ではまだ橘コーポレーションが善の企業であり自分を捨てたのはただの一般人に対する損得勘定であったのだと、そう思っていたのかもしれない。


 しかしそんな感情は、二階分ほどの長い階段を降りきった先にあった分厚い扉を開いたその先の光景を見た瞬間に――手足に鎖を繋がれ薄っぺらい布団の上でぼんやりと天井を眺めている人間を発見した瞬間に、驚くほどあっさりと消滅してしまった。

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