1人になった薫はさっきの人物の事を思い出す。なんだか嫌な感じがしたからだ。敵意を向けているような、異様な空気感を放っている匂いが漂っていた。何か言いたい事があるのでは、と足を早めるとドンとぶつかってしまった。
「すみません」
「っつ……」
ぶつかってきた相手は尻もちをついてしまった。焦りながらも薫は手を差し出し、大丈夫?と不安そうに問いかけた。
「大丈夫です、僕も前見ていなくて……」
「俺はいいんだよ、ほら」
引き上げるとヨロッとよろけてしまい、薫の胸元に倒れ込んだ。支えようとしたが、咄嗟に抱きしめてしまった。ヤバいと感じながらも、どうしたらいいのか分からず、硬直している。
「あっ、薫ー、おはよっ」
「……伊…月」
後ろからボフッとワンコのようにじゃれてきた伊月は、中々動かない薫を不審に思い、正面に回った。
「は?」
「いや……これ、は」
さっきまでご主人様にベタ惚れだったはずのワンコは修羅の如く、睨みを効かせ薫の耳を摘んだ。
「その手、離してよ。誰その子」
「事故だ、事故」
「言い訳、無用!」
パッと手を離すと、顔を隠しながらペコリと頭を下げた。伊月はそれ所ではなく、薫を攻めまくっている。その様子を見ていた男の子はプッと吹き出し、ゲラゲラと笑いだした。
「なんなの、コイツ」
標的が薫からその子へと変わった瞬間だった。黒髪でメガネをかけている大人しそうな子は、前髪をあげるとニッコリと微笑む。
「夏樹ぃぃ? なんで」
「誰ですか?それ……僕は伊月です」
「「!?」」
雰囲気が全然違うので、まさか夏樹だとは思わなかった2人は、口をあんぐり開けながら、静止している。そんな2人の反応が、心地よかったのだろうか。得意げにウィンクすると「よろしく」と二人の間に入り、肩をポンっと叩いた。
「今日から俺が伊月で、お前が夏樹な」
影武者の代わりに夏樹の名前を使っていたのに、当の本人が来てしまっては意味が無い。伊月は急いで、親父に連絡すると圏外になっていて繋がらなかった。
どんよりした顔で、頭を抱えるしかない伊月は生気を吸い尽くされたように、ふらふらとその場から離れた。
「おい…い、夏樹」
「保健室、行くわ」
いつもの癖で伊月と言いそうになったが、どうにか口にしなかった。今までも本当の名前を口にしそうになっていた薫は、学園内でボロを出さないようにしようと思い、職員室へ足を運んだ。
「一応、伝えとくか」
伊月のクラスの担任って誰だっけ、と考える。これからの事はどうにかなるだろうと、なかった事にしとこうと決めた薫だった。