だって、あれ以上どうしろっていうんだよ。
伊月は苛立ちながらパソコンに向かっていた。最近、午後は書斎でなく、もっぱらテレビをつけながらダイニングテーブルで仕事をするようになってしまった。今日は金曜日、本来は『おまかせ! ステーション』に笹井のコーナーはないのだが、台風が近付いているため番組の内容を変更してお送りされており、都内各地の中継に若手のアナウンサーが駆り出されていた。
あれから、何度か連絡をした。改めて飯でも行こうよ、と言ってみたものの、ありがとうございますと社交辞令のような返事があっただけ。いくつか具体的な日時を挙げても、予定が合わないのでとかわされ続けて二週間。伊月自身もまた次の締め切りが迫ってきていて、きらりのところに行く時間すら取れない。
窓の外は風雨がすごい。高層階の窓は容赦なく叩きつける雨風で滝のようだった。東京タワーも滲んで、霞んで、良く見えない。
新橋駅前に配置されたらしい笹井は、ヘルメットに雨合羽姿でいつもの笑顔はなく、神妙な面持ちでリポートをしていた。交通の乱れによって帰宅が困難になりそうなサラリーマンに声を掛けた様子が収録映像で流れ、新橋駅前からお伝えしました、と締めくくられた。続いて上陸間近だという静岡の映像に切り替わったが、こちらは見ているだけで危険そうだ。スタジオの進行役も「無理せず安全なところに」と断りを入れている。
台風の現地中継など、以前は馬鹿馬鹿しいと思っていた。そんなにセンセーショナルな映像が欲しいか、と穿った見方をしていた。しかし今は180度違う。真剣な表情に胸を打たれ、その身の安全を願ってしまう。人間とは愚かなものだ。自分や自分の大切な人の身にふりかかってこないと、心を寄せることすらできない。
大切な人、か。再び窓の外に視線を移す。雨に濡れていればかわいそうに思うし、危険なことをしていれば心配だ。それは、ただの他人ではなく、大切な誰かに対する感情に近いということに、気付いてはいる。
しかし好きかと言われると、少し困る。好きだと言われて悪い気はしないが、でも、後ろめたさがある。
十年。十年ずっと好きでした、か。十個も年下の、自分の作品のファンだという若者に対して、どう接するのが正解なのか、未だに分からずにいる。
十年前、地元から上京してあの本を書いていた頃は、誰かに寄り添いたくて、誰かに寄り添って欲しくて、その思いをひたすら綴っていた。その本が知らず知らずのうちに昔の彼に寄り添っていたことは、伊月にとっても喜ばしいことだった。しかし、今の自分はどうだろうか。彼の思いに寄り添えているのか。向き合えているのか。
ざあ、と大きな音がして雨粒が窓を打ち付ける。彼は今日帰れるのだろうか。雨に濡れたまま、風邪を引いてはいないだろうか。
会いたい、ような気がした。ここから新橋駅まで、車ならほんの十分もかからない距離だ。今そこにいるのに、走って会いに行けない相手というのは不思議なものだ。画面の中の人。さしづめ彼にとって自分は、本の中の人か。
台風が過ぎたら連絡しよう。画面の中と本の中ではなく、もう一度直接会って話がしたい。どうしてそんな風に思うのかを、もう一度会って確かめたい。
台風七号は進路を北北東に変え、夜半にも静岡県に上陸する見込みとのことだった。