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ずっとあなたのファンでした!
しなの
BL現代BL
2025年01月01日
公開日
3.1万字
連載中
「ずっと、あなたのファンでした。でも今日から、あなたの恋人になってもいいですか?」
小説家・神長伊月(かみながいつき)は、締切明けに友人の店で出会った男を自分の部屋に誘うが、徹夜が祟ってそのまま朝まで寝落ちしてしまった。名前も覚えていない彼との間に何かあったのかなかったのかと考えていると、つけっぱなしだったテレビの中で、昨夜の男が食レポをしているのを見て驚く。彼は笹井洸一郎(ささいこういちろう)といって、テレビ局でアナウンサーとして働いていた。番組終了後、残されていたメモの番号に連絡すると、彼から連絡が。洸一郎は伊月のことを知っていた。「先生の作品に救われました」「初恋でした、十年前からずっと好きでした」と告白するも、それ以上は何も求めず去ってしまう。自分より十歳も若い洸一郎の告白を真面目に受け取れなかった伊月だったが、真面目な仕事ぶりに触れるうち、洸一郎の思いに応えたいと思うようになる。再会し、伊月も洸一郎に向き合うことで思いが通じ、ファンとその対象から恋人同士へと関係を進めることになる。

第1話

 都会の夏というのは、暑い。近頃は特にだ。暑い上に長くなった。暦は六月、まだ梅雨も明けていないというのに気温は既に夏のそれだし、もう日が落ちて大分経つというのに足元のアスファルトはまだべっとりとした熱を保っていた。北生まれには正直、堪える。ましてやまともな睡眠をとれていない今の身体には。

 時刻は二十時すぎ。伊月は張り付くシャツの襟元を緩めながら、革靴の底で煮えたアスファルトを蹴っていた。たかが10分程度と高を括ったのが悪かった。滴る汗で眼鏡が滑り落ちていく。早々に脱いでしまったジャケットは腕の中で皺になり始めていた。

 軽い気持ちで引き受けたエッセイの連載は散々な仕事だった。女性向けファッション誌にカルチャーコーナーとして掲載される原稿は、校了が甘いわりに提示されるテーマのクセが強く、しかも毎月のグラビア撮影にやたら時間を取られた。テキストに付加するスナップ程度と聞いていたはずだったのだが、実際は毎月ヘアメイクと衣装のついた本格的な撮影だった。そもそも三十路を過ぎたおっさんのグラビア、必要か? それとも逆か、本文は必要なく、写真があればそれでよかったのか。そうか。最後の難関である単行本化にあたっての書き下ろしをようやく終えて、原稿料は悪くなかったけれどとにかくあまり好きになれなかったその仕事から、伊月はついに解放されたところだった。

 神長伊月は小説家である。繊細な心理描写と爽やかな読後感で若年層の支持が厚い青春小説家。バイセクシャルの少年の恋愛とそれを隠して生きる葛藤を描いた『昼に光る星』でデビューしたのは、白林館大学在学中の二十四歳のときだ。著者が大学を二年留年して書き上げた現役大学生であったこと、そして本人も当該作の主人公同様バイセクシャルであると公表したことが話題になり、その年のヒット作となった。学歴と線の細いビジュアル、さらに歯に衣着せぬ物言いで伊月本人にも注目が集まり、まるでタレントのような扱いを受けたこともあった。十年経った今では世間の興味もすっかり落ち着いたもので、メディア露出もたまに今回のファッション誌のようなグラビア仕事が回ってくる程度になった。今年で作家生活は十年になる。書き続けてはいるが、映画化もしたデビュー作以上のヒットは今のところない。

 とはいえ、ある程度の財を成したことも確かだ。見る人が見れば“その程度”の名声であっても、しがない地方都市出身の何者でもない男にとっては十分な“成功”だった。しかし、税金対策も兼ねてマンションを買う際にこの街を選んだのは、成功者のシンボルだから、というだけではない。

 六本木交差点を背に、東京タワーに向かって歩く。この景色を見慣れたと思う程度には、この街に住んでいる。


 伊月がようやく目的地に辿り着くと、店の前には派手な色のバルーンが刺さったフラワースタンドが何基も並んでいた。地下に続く階段の先にも「祝開店一周年 きらりずむ様」「きらりちゃんへ」の文字が躍る。ひときわ大きな一基の差出人に自分の名前があるのを確認して、伊月は店内へと足を進めた。今日はこの店、「バーきらりずむ」の一周年パーティーだった。

 漏れ出る冷気に誘われるように、ふらふらと階下に降りていく。

 ドン、ドン、と一定のリズムが大きなスピーカーを震わせる。重すぎる低音とビカビカした照明は、寝不足の状態で浴びたいものではなかった。狭いフロアには人が溢れていて、奥の人の輪には近づけそうもない。盛況で何よりだ。

 人の隙間を抜け、なんとか手前のカウンターに取り付く。

「あっ伊月さん! きらりちゃん、伊月さんいらっしゃってますよ!」

 ドリンクを作っていた馴染みの店員・アキが伊月を見つけ、奥に声を掛けた。ひときわ大きな人の輪の中心にいたのはもちろん、今日の主役、この店のオーナー・きらりだ。

「あら~先生遅いお着き、お待ちしてましたァ~」

「今日締切だって言ったよな!?」

 それなのに這ってでも来いっつったのお前だろうが、毒付いてもきらりは臆することなく「ほら座って」と伊月をソファへと引き摺り込んだ。

 この店のオーナー店長であるところのきらりは、伊月とは上京当時からの腐れ縁の友人だった。お互い北と南の田舎から出てきて、東京で右も左もわからぬ頃に知り合った、互いの貧乏学生時代をよく知る古い友人。そして伊月にとっては初めての、ゲイの友人でもあった。言いたくはないが、親友と呼べる仲だ。

 今日はそのきらりがこの店を開いてちょうど一年という、祝いの席だった。頼まれなくたって来るつもりではあったのだ。たまたま締切が重なったのが不幸だっただけで。

「それでぇ? 神長センセーは何を入れてくれるのかしらぁ?」

「いいよなんでも、好きなの入れろよ、そんな高い酒があるわけじゃないんだから」

「みんな聞いたー? センセーがピンクのシュワシュワ入れてくれるってー!」

「あんま調子乗んなよ!」

 フー! 独特の盛り上がりと共にテーブルの周りに人が集まる。なんともいえない居心地の悪さを感じて伊月はポケットから電子タバコを取り出した。用意されていたとしか思えない手際の良さで運ばれてきたシャンパンが、ぽんと景気の良い音を立てる。

 ダンサーを目指して上京したというきらりと小説家を目指していた伊月は、互いに紆余曲折ありながら、今もなんとかこの東京で仲良くやっている。全てが上手くいっているわけではないが、この店もそれなりに繁盛していて、伊月も食いつなげる程度には書けている。ありがたいことだ。

 薦められるままに飲んでいると、少しずつ酔いが回ってきた。どうせ振る舞い酒なのだから律儀に飲み干さなくとも良いのだけれど、締切明けの解放感も手伝ってか、ついついグラスを空にしてしまった。ああそうだ、自分はほぼ徹夜明けな上、今日はろくに食べてもいないのだった。水でも貰うかと席を離れてカウンターに近付く。

「っ、と」

「大丈夫ですか?」

 スツールに足をかけて躓いた先に、すいっと知らない腕が伸びてきた。

「ああ……すみません」

「お水もらいましょうか」

 すみません、とバーカウンターに声をかけるその横顎も、やはり見覚えのないものだった。自分が忘れているだけの知人という感じでもないし、一方的に伊月のことを知っている風でもない。

 この店は狭いしリピーターが多いので、伊月とも顔見知りが多い。直接交流はなくとも顔くらい見たことがある客が大半だ。そのうちの誰かの連れなのかもしれないが、まったくのご新規がこんな日にいるなんて。

「どうぞ」

 出されたペットボトルのキャップまで緩めてくれるかいがいしさに、伊月はついまじまじとその男を見上げた。見上げるほど背の高い、若い男。

「……見ない顔だね」

「ええ、あの、連れが帰ってしまって」

 未成年ではなさそうだけれど、短く刈った襟足は若々しく、困ったように笑う顔はまだ幼いと言っていいほどだ。白いポロシャツの袖から伸びる腕は少し日に焼けて、こんな店には不釣り合いなほど健康的に見える。

 大学生……? いや、さすがにそこまで若くはないか。大学を出たてか二年目か、まだ運動部だった頃の筋肉が落ちていない、そんな感じだ。上京したてか、それとも実家を出たばかりか、どちらにしろ夜遊び慣れはしていなさそうだ。見るからに心許ない。

「一緒に帰らなかったんだ」

「そうしようかとも思ったんですけど」

「きらりに会いにきたの?」

「いえ、その、……ええと」

 この店には老若男女の客がいるが、彼らはおおむねきらりを慕う者たちだ。しかしまれにそうでない客もあり、その場合は大体、きらりか伊月のゲイ友達と、その“仲間”だ。

 きらりに会いにきたわけでもなく、連れと一緒に帰るでもなく、何かを期待して待っているのだとすれば――――出会いを求めて、とか。

「じゃあ一緒に出る?」

「え」

 いやいや、何を考えてる。自分より十は若そうな、男の子といっていい歳の相手に。

「帰ってもいいし、飲み直してもいい。無理にとは言わないけど、どちらにしても一人で店を出るよりいいだろ」

「……ですね」

 いやいや、こんなくだらないおじさんについてきちゃ駄目でしょうが。カードを渡してサインする間、言っていることと裏腹に頭の中の自分がツッコむ。尤も自分がこのくらいの年の頃は、もっとくだらない生き方をしていたような気もするが、だからといって今目の前の若人がそうしていいというわけでもない。

 店の階段を登りきると、目の前に大きく広がる景色がある。きらりがこれが良くてこのテナントに決めたのだと言っていた、自慢の眺めだ。

「わあ」

 あとからついてくる彼が感嘆の声を上げた。俺たちが好きな、東京という街の象徴。東京タワーだ。

「ここよりもっとよく見えるとこがあるよ」

「え、どこですか?」

「俺んち」

 伊月の部屋は、六本木の一角にあるマンションの角部屋だ。価格の割に広くも新しくもない。ただひとつ、全面ガラスの向こうに大きすぎるほど大きな東京タワーが見える。伊月にとって、それは他の何より価値のあることだった。

「見にくる?」

 いや、まさか。下心なんかないけれど、自分が憧れたあの頃の景色を少しばかり自慢したくなった。それだけだ。

「いいんですか!?」

 ぱっと表情を明るくした彼の名前を聞かぬまま、伊月はタクシーを拾うため、通りに向かって片手を挙げた。翌朝にはそれを後悔することになると、少し考えればわかることなのに。

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