帰りのホームルーム後、生徒がいなくなってきた頃を見計らって千晃さんを呼んだ。『啓も一緒に来ていい?』とお願いされたため、悔しいが快く承諾する。あの彼氏面のインテリメガネ男は千晃さんの何なんだ?
校門で待っていると、向かいの校舎から千晃さんとメガネが出てくるのが見えた。大きく手を振り、相手も手を振り返す。
水ノ宮学園の生徒は他に見えず、今日は休みなのだろうかと俺は疑問に思う。
一本道を渡り、千晃さんとメガネは山吹高校の校門前に到着した。
「久しぶりです、千晃さん!」
俺は
「水ノ宮の人いないねー。二人だけ?」
周りに固まっていた仲間たちが物見遊山に俺の後ろから顔を出す。千代田が代表して二人に尋ねる。
「今日は学校の創立記念日で、休みなんだ。僕たちのクラスは大学受験の対策用の集中補習で、登校日なんだけど」
千晃さんが事情を話してくれる。休校日の日に大変だな。
「もしかして特進クラス? すげー」
千代田が感嘆の声を漏らした。俺も同意だ。爽やか美形の上に頭もいいとは、神様に愛されている人もいるもんだ。
千晃さんはふっと柔らかい表情を作る。
「ここのところ根詰めてたから、幸介くんへの返信もあまりできなくて、ごめんね」
「あ、ああ……。そういうことだったのか」
俺は少しほっとした。何だ、避けられてるわけじゃなかったのか。
千晃さんが学生リュックから俺の落とした財布を取り出す。
「はい、幸介くん。これで間違いないかな?」
「おお、ありがとうございます! 確かに俺の財布だ!」
「一応、盗られてるものがないか確認した方がいいよ」
うなずいて、財布を確かめる。中身は無事だった。もともと札も小銭も笑えるほど少ない額だし、ポイントカードなどもそのままに入っていた。
「よかったー! 安心したー! 拾ってくれたのが千晃さんでラッキーっすよ!」
俺のテンションにインテリメガネは冷たい目を向けているが、千晃さんの方はニコニコと微笑んでいる。天使。天使がここにいる。
「あの! 久しぶりに顔見れて嬉しいっす!」
行儀よく姿勢を正して正直な愛を伝える。彼に届け!
「うん、ありがとう」
キラッと音が響いたようなスマイルが俺の目を刺激する。浄化の光だ。
「敬語は、使わないでいいよ。一歳しか違わないんだし」
さらに千晃さんは優しく、俺の丁寧語をやんわりとほぐしてくれた。いい人だなあ。
「あ、紹介が遅れたね。彼は僕の親友で、
千晃さんが誇らしい表情で、メガネを俺たちに紹介した。
「よろしくぅー」
「頭いいなんてすごいね!」
「今度、宿題教えてくれよ!」
千代田、矢来、飯田が好意的に神楽坂を迎え入れるが、俺はちょっと渋って「……どうも」とだけ挨拶する。対する神楽坂はメガネの縁をクイッと上げ、「よろしく」とこいつも不愛想な返事を返した。
千晃さんの放った「親友」という響きが、俺の心にサックリとメスを入れる。こっちだってそのポジションを手に入れたいっつうの。
――いや、本当は、親友なんかじゃ足りないけれど。
気持ちを隠し、「や、山吹高校はどうよ?」と新しい話題を出す。
「みんな元気で、賑やかだね。明るくていいことだと思うよ」
千晃さんは素直に感想を述べてくれる。その口調には何の含みもなく、心から俺たちの学校を褒めてくれているのだと伝わってきた。
愛校心とかじゃねえけど、長所だと言ってくれるとやっぱり嬉しいな。
「騒がしくて山猿かと思ったが、意外と悪くない雰囲気だな」
一方、神楽坂の野郎は論外だ。誰だ、山猿って。言葉を選んで表現しろってんだ。
軽くディスられたのに俺以外の三人は特に気にする風もなく、「ちょっと学校探検してってくださいよー。もう放課後だしうるさく言われないっしょー?」と千代田を筆頭に二人を誘う。
「お邪魔していいの?」
「大丈夫、大丈夫―。なあ、京?」
千代田がおもしろそうにチラリと目くばせする。こいつ、楽しんでんな。まあ、俺も嬉しい提案だからいいか。
「勉強の息抜きに遊びましょー」
矢来が自慢の愛嬌を振りまいて千晃さんと神楽坂の顔を見上げる。上目遣いの悩殺スマイルを出せば相手が了承してくれると、経験でわかっているのだろう。何とも聡いやつだ。
俺も、勇気を出そう。
「千晃さん、校内デートしようぜ」
俺はそう言って、千晃さんの腕をそっと引っ張って歩かせた。「デート」と若干冗談っぽく言いながら、胸中で心臓がうるさく高鳴っていた。
「ここ、アホな学校だけど、楽しいものもいっぱいあるんだ」
俺の言葉に、千晃さんもうなずく。
千晃さんの手は温かくて、子どもみたいな体温だった。平熱が高いのかなと思ったけれど、すぐに彼は照れているのだと気づいた。俺も何だかくすぐったい気持ちがして、足を速めて千晃さんを急かす。
「まずはグラウンドで男の勝負だ!」
「男の?」
きょとんとする千晃さんの顔は相変わらず可愛くて愛らしい。この人に俺の自慢の身体能力を見せたいのだ。
十五時をだいぶ過ぎたグラウンドは体育会系の部活動が仕切っているのが標準だが、うちの学校で部活動を真面目にやってる人間などいないので、部外者が入ってきても何も言わず、「水ノ宮の制服じゃね?」「すげー」とささやかれるだけで終わる。適当に放っておいてくれるのが山吹高校の不良のいいところだ。
ちょうどサッカーゴールポストが空いてたので、そこで仲間と一緒にフットサルをやることにした。
もちろん、俺と千晃さんは同じチームに采配してやった。
「なのに、何で神楽坂! お前まで来るんだよ!」
「気心知れたやつと同チームにしてやろうという気遣いもできないのか、お前は」
憮然として言い返す神楽坂はターミネーターのごとく冷徹な目線を俺に向ける。くそ、さっきから敵対心をビシバシと感じるぜ。
「まあ、俺ら六人だから、この場合フットサルにもなってないけどね。スリーオンスリーにするべきだったかな」
矢来が場を収めるようになだめる。バスケのやつね。でもここからだと体育館遠いしなあ。
「じゃ、フットサルもどきってことでー」
千代田がダウナー系男子特有の間延びした口調で決を取る。
俺チームは、千晃さんと、神楽坂との三人。千代田チームは矢来と飯田。体育倉庫で調達してきたサッカーボールを足慣らしに数回蹴った後、ゲームを開始した。
「ほい! 千晃さん!」
彼のベストな位置にボールを蹴って送る。やや不器用な受け止め方で、千晃さんは「わっ、わっ」とあわてながら慎重にボールを蹴っていく。もしかして運動は苦手なのかな? 可愛い。守ってあげたい。そして俺のイケメン度を見てほしい。
敵チームの飯田が迫ってくる。千晃さんがピンチだ。
「こっち!」
俺は手を挙げ、サインを送った。
千晃さんが懸命にボールを蹴ってパスを送るが、
「もらったあ!」
飯田は颯爽とボールを奪ってしまった。
くそっ、飯田め。今日だけはお前に「KYデカブツ」という呼び名をつけてやる。
飯田は華麗な足さばきでゴールに突進する。
が、そこに神楽坂が立ちはだかった。
そして、
「うおっ!?」
何とあの飯田が、対応できない反射神経を使い、ボールを再び奪って俺チームに渡したのだった。
あいつ、運動神経までいいの? 何それ、神様って人間を一部贔屓してない?
「千晃、がんばれ!」
神楽坂は俺を通り過ぎて千晃さんに高度なパスを送る。俺を無視すんなや!
千晃さんが必死にパスを受け止め、一生懸命に走り込んだ。
でも、スピードが可愛い。がんばって走ってるのはわかるんだけど、筋肉の無駄な動きが多くて、まるでちょっと運動音痴な女の子と一緒にプレイしているような気恥ずかしさが増していく。千晃さーん、がんばれー、めっちゃ可愛いぞー。
彼に回り込むようにして、千代田と矢来が挟み撃ちしようとしてくる。
そんな真似はさせねえぜ!
足の速さでは、二人より俺の方が格上だ。
俺はすぐに追いつき、今度こそ手を大きく掲げ、
「千晃さん!」
名を叫んだ。
彼が俺を見る。
頬が上気し、目がキラキラと輝いている。彼の視界に映る俺は、どんな顔をしているのだろうか。ぱっと花が咲いたように笑った千晃さんは、ドキッとするほど美しかった。
世界がまるで黄金色に光っているかのようだった。
景色が、綺麗だ。
千晃さんの足から放たれるボール。
千代田と矢来が阻止する前に、走り込んでボールを守った。
楽しい。
スポーツって、楽しいな。
当たり前の事実だけど。
俺は自慢の脚力で、誰も追いつけないスピードを出し、ゴールポストに最大出力のシュートを放った。
ゴールキーパーのいないポストはいともたやすくネットに入る。
「よっしゃー! 一点!」
俺の雄叫びに、千晃さんがピョンピョンと飛び跳ねる。めっちゃ可愛いんですけど、この人!
「千晃、そろそろ上がった方が……」
ふいに神楽坂が彼に近づいて、忠告した。どうしたんだろう、まだそんなに動いてないのに。
「まだ大丈夫。もう少し遊びたいんだ。体動かすの、楽しくて」
肩で息をしながら、千晃さんは弾んだ声で笑った。
その後も、しばらくフットサルごっこは続いた。
千晃さんは心から楽しそうに目いっぱい、体を動かしている。満面の笑みで俺たちを見つめ、普段より高めの声を出し、はしゃぐ。無邪気な振る舞いが本当に無垢だなと思って、心が温かくなった。
空に夕焼けの色が差し込み始めた頃、みんなで地面に座り込み、息をつく。
「俺は用事があるから先に帰るが、千晃、一人で大丈夫か? 家には帰れる?」
神楽坂は塾があると告げ、千晃さんに声をかける。過保護な扱いだな、何だかんだ、世話焼きタイプなのかも。
「大丈夫だよ。また明日、学校でね」
荒い呼吸をくり返しながらも、千晃さんは神楽坂に返事をする。
「わかった。では、先に。千晃をよろしく頼む」
神楽坂はやけに固い挨拶をし、グラウンドを去っていった。
その後、俺たちはドリブル選手権やらいろいろな遊びをして、そう時間が経たないうちにお開きとした。
「あ、そうそう! 俺らも用事があるの忘れてた! お先~!」
千代田がそう言ったのを合図に、矢来と飯田も我先にと後片付けを始める。お前ら、俺へのサービスが見え見えだぞ。いつもありがとな。
仲間たちと別れ、俺と千晃さんは肩を並べてグラウンドから校舎内に入った。
玄関の下駄箱を借りていたから、体育シューズを靴に履き替えて、ロッカールームから各々リュックを取り出す。
「シューズもロッカーも貸してくれてありがとう」
千晃さんは爽やかにお礼を言った。マイナスイオンを標準搭載しているかのような癒しの人だ。
「この学校、そこらへんはうるさくないし、気にしなくて大丈夫だよ」
俺はややカッコつけて言った。千晃さんに敬語を使うのも好きだったけど、タメ語の方が確かに距離を近く感じられて、ドキドキする。
「うん」とうなずき、微笑む千晃さん。
動き過ぎたせいなのか、汗が俺と比べてすごく出ている。顔も赤く、体温が引いていないのかなと察知した瞬間、俺は自分の鈍感さを激しく呪う状況に陥った。
千晃さんが床にしゃがみ込んでいた。
頭がぐったりともたれ、両腕で体を抱きしめている。肩が苦しそうに上下していて、体調不良に陥っているのがはっきりとわかるほど、小さく震えていた。
「千晃さん? 具合悪いのか!?」
「大丈夫……」と返す千晃さんの顔色は明らかに大丈夫なんかじゃなくって、俺はあわてて彼を背中に背負い、保健室まで走った。