会話さえ聞こえなければ、魔法少女のリーダーが裏切り者を説得している場面に見えただろう。
女神の微笑みを浮かべている、白いブレザーの魔法少女。
相対するのは、不快そうに顔を歪めた、赤いブレザーの少女。
そして、もう一組。床にひれ伏して泣いている、赤い髪の魔法少女と、その傍らでなすすべもなく立ち尽くしている、小柄な魔法少女。
この中で、正義の味方は誰かと問われれば、リリ女の生徒ではなくても白いブレザーの少女を指さしただろう。
後光が射しそうなほど、清らかな微笑み。
彼女は
理由は、それだけで十分だった。
しかし、それも。
会話さえ、聞こえなければの話だった。
「それにしても、ユリハナは何だか期待外れだったわ。最初は、もっと面白かったのだけれど。シラユリを救おうと、他の魔法少女たちに協力を呼びかけたり、頑張っていたのよ? 結局、裏切られるのだけれど。その度に、シラユリも昔は、わたくしの中でざわざわしていたのに。最近は二人とも、すっかり大人しくなってしまって、面白くないと思っていたの。魔法少女全体が、少々マンネリ気味でしたしね」
会話、というよりも。
カトレアが、リリアナが一方的に話しているだけだったが。
「だから、あなたたちには、期待しているのよ? 夕闇、ヒナゲシ。あなたたちの願いを聞いた時には、震えが走ったわ。ユリハナを守りたい。悪魔を倒したい。ふふ、どこかで聞いたことのある、懐かしい願い事よね?」
リリアナが、夕闇に向かって両手を広げる。
「さあ、どうするの? 夕闇? このままで、終わるつもりはないんでしょう? それとも、本当に無策でわたくしたちを呼び出したのかしら? ほら、もっと、わたくしを楽しませてちょうだい?」
リリアナが歌う。
夕闇は、リリアナではなく、泣き伏しているユリハナに鋭い声を投げつけた。
「ユリハナ! いつまで、泣いているつもり!? シラユリの体を好きに勝手に使われて、シラユリの体であんなことを言わせて、それでいいの!?」
「…………だって、だって、シラユリは……私の、私のせいで…………」
答えは返したものの、ユリハナが顔を上げることはなかった。
ナズナの責めるような視線に、夕闇は取り合わなかった。
「あなたのせいだっていうなら、なおさら! あなたが何とかしなさいよ! シラユリを助けられるのは、あなただけ! あなたが諦めたら、シラユリはずっと、アレの中で眠ったまま、好き勝手に体を使わてしまうのよ!?」
「そんな、こと、言われても……、私は、どうすれば…………?」
ユリハナが、ゆっくりと上半身を起こす。ぐしゃぐしゃの顔が夕闇に向けられる。
「シラユリの魂は、消えちゃったわけじゃない。リリアナの中で、眠っているだけ。まだ、助けられる。だから、シラユリの名前を呼んで。リリアナの中で、今は眠ってしまっている、シラユリを叩き起こして! そうしたら、後は私が何とかする!」
夕闇が赤い銃を抜き放った。
ユリハナとナズナは、息を呑んで赤い銃口を見つめた。
魔法少女のものではない、赤い銃。
サルビアのチャームを撃ち壊し、魔法少女の力を奪った、赤い銃。
ユリハナが、ゆらりと立ち上がった。
リリアナに向かって、一歩足を踏み出す。
リリアナは、楽しそうな笑みを浮かべて、その様子を静観していた。
やれるものならやってみなさい、と言わんばかりだった。
「シラ……ユリ…………」
泣いたせいで掠れた声が、ユリハナの唇から漏れ聞こえてくる。
「シラ、ユリ。シラユリ。シラユリ、シラユリ、シラユリ、シラユリ、シラユリ!」
段々と、声量が上がっていく。
「シラユリィー!」
ユリハナが絶叫した。
「シラユリ、お願い! 目を覚まして! 戻ってきてよ! お願いだから! ねえ、シラユリ! シラユリ! シラユリィ!」
ユリハナはシラユリの名を叫び続ける
それでも、リリアナの笑みは崩れない。
「シラユリ、シラユリィー……う、うぅー…………」
嗚咽交じりに、シラユリを呼ぶユリハナ。
見ていられなくなって、ナズナは。
後ろから、ユリハナの腕に縋り付いた。
そうして、楽し気に傍観しているリリアナを、睨み付ける。
正確には、リリアナの奥で眠っているはずのシラユリを。
「シラユリさん、いいんですか!? あなたが目覚めないなら、ユリハナはあたしがもらっちゃいますよ? あたしの願いは、ユリハナを守ること。ユリハナのパートナーになること! あなたが目覚めないなら、その役目は、あたしがもらっちゃいます! それでも、本当にいいんですか!?」
ユリハナは驚いてしがみつくナズナを見下ろした。
目をパチクリとさせ、グスリと鼻を啜る。
ナズナは、しがみつく手を緩めずに、むしろより一層強くしがみついた。見せつけるように。
リリアナの形のいい眉毛が、微かに動く。
夕闇はそれを見逃さなかった。
「効果があったみたいだね、やきもち作戦。このまま、二人で協力して畳みかけて。もっと、もっと、リリアナの奥にいるシラユリまで届くように!」
「奥まで、届くように…………」
夕闇の言葉を繰り返して、ユリハナはスカートの中に手を伸ばし、自分の銃を取り出した。そして、銃口をリリアナへ向ける。
「この銃に、シラユリへの思いを込めて撃つ。あなたにも協力してほしい。ナズナ」
「は、はいっ!」
ユリハナへは、ヒナゲシとナズナ、両方の名前を伝えてあったけれど、名前を呼ばれるのは、これが初めてだった。
いつも、あなたとか、ねえとか、呼ばれるばかりだったのだ。
「一緒に、シラユリさんを取り戻しましょう、ユリハナ!」
ユリハナの腕を離し、ナズナも銃を構える。
名前を呼んでもらえたことが、嬉しかった。
頼ってもらえたことが、嬉しかった。
たとえ、それが。
シラユリを助けるためなのだとしても。
たとえ、今この時だけなのだとしても。
ユリハナのパートナーになれたようで、嬉しかった。
だって、初めてだったのだ。
こんな風に、ユリハナに頼ってもらえるなんて。
誰かに、頼ってもらえるなんて。
それだけで、心は舞い上がった。
それだけで、力が湧いてきた。
並び立って銃を構える二人。
まっすぐにリリアナを見据えて、銃身に、シラユリへの思いを込めていく。
リリアナは抵抗する様子を見せなかった。
むしろ、待ち望んでいるようだった。
より一層笑みを深くし、瞳には歓喜の光が宿っている。
この状況を、心底楽しんでいるのだ。
「ふふ、なかなか、悪くない手ね。この体は、結構気に入っていたのだけれど。これで、お別れかしら? 残念ね」
大して残念でもなさそうな声は、集中しているナズナたちの耳には入らなかった。
「行くわよ、ナズナ」
「はい! ユリハナ!」
二人の指に力がこもる。
「シラユリ!」
「シラユリさん!」
「「届けえーーーーーっ!!!」」
白い光が、同時に放たれる。
「う、ふふ」
リリアナは両手を広げて、その光を進んで受け入れた。
二人の想いが、リリアナの胸の中に吸い込まれていく。
両手を開いたまま、リリアナは目を閉じる。
でも、あの微笑はまだ、消えていない。
(どう、なったの?)
「シラユリーーーー!!」
ユリハナが叫ぶ。
「それは、シラユリの体なの。そこから、出て行きなさい、リリアナ!!」
赤い光が、リリアナに向かって伸びていく。
光が当たって、リリアナが床に倒れた。
「シラユリーーーー!!」
ユリハナが駆けだして、横たわる少女の体を抱え起こす。
(うまく、いったの?)
確認するように夕闇を見ると、夕闇は銃を構えたまま、教室のあちらこちらへと忙しなく視線を動かしていた。
(ああ。終わったんだ)
夕闇が、シラユリの体から追い出されたリリアナを探しているのだと、分かった。
リリアナは、まだこの学園のどこかに存在しているのだと、消えたわけではないのだと、理解していた。
けれど、やっぱり。
もう、終わったのだとナズナは思った。
だって、ナズナの願いは。ユリハナを守ることだったのだから。
思ったとたんに体から力が抜けて、ぼんやりとシラユリに縋り付いて泣いているユリハナを見つめながら、ナズナはその場にぺたりと座り込んだ。
ユリハナが大切なものを取り戻す手助けを出来たことを、たとえ一瞬でも隣に立って戦えたことを誇りに思う。
それと同時に。
そのことを、後悔している自分もいた。
この後、どうなるのかは分からない。
ただ一つ分かっているのは、ユリハナを守るというナズナの役目は終わったのだということだ。それは本来、シラユリの役目だったのだから。
シラユリが帰ってきた以上、ナズナはお役御免なのだ。
―――――それが、あなたの本当の願いなの?
頭の中に直接声が響いてきて、ナズナはビクリと身を竦ませた。
知っている声だった。
ナズナに、ヒナゲシの名を与えた声。
天使リリアナの声。
―――――シラユリが目を覚ました以上、ユリハナはあなたのことなんて、直ぐに忘れてしまうでしょうね? それに、あなたも。明日からは、また新しい魔法少女を選ぶことにするわ。あなたはもう、魔法少女じゃなくなるの。そうしたら、あなたは全部忘れてしまう。自分がヒナゲシだったことも。ユリハナのことも。全部。
カタカタと、体が震えた。
夕闇にチャームを壊されて、魔法少女としての自分の名前さえ忘れてしまったサルビア。
キキョウにスズランも。
あんな風に。
あんな風に、ナズナも。
ヒナゲシだったことを忘れてしまうのだろうか?
ユリハナとパートナーのように過ごした放課後も。
二人で協力して、本当のパートナーのように心を通じ合わせて、シラユリを取り戻したことも。
ユリハナを守りたいと思ったことも。
全部、全部。
忘れて。
「…………ヤダ。そんなの、ヤダ。…………たくない。忘れたくないよ、ユリハナ……」
太ももの上で握りしめた手の上に、ポタポタと滴が落ちる。
「ナズナ?」
異変を感じた夕闇が、慌ててナズナに駆け寄ろうとする。
———―――あなたの、本当の願いは何?
「ナズナ! ダメ!」
分かっている。
言われなくても、分かっている。
その声に、耳を傾けてはいけないと。
ナズナは、唇を噛みしめる。
ずっと、ナズナの胸の奥でグルグルと渦巻いていた願い。
ユリハナにとっては、これが一番のハッピーエンドなんだよ……なんて綺麗ごととは無縁の本当の願い。
それを、口にしたらダメだと分かっていた。
ユリハナが、それを受けれてくれないであろうことも、今はもう分かっている。
あんなユリハナを見せつけられては、分からざるを得ない。
自分本位な汚い願いを口にして、ユリハナに幻滅されたくないという気持ちだって、ナズナの本心だ。
だから、ナズナは口を噤んだ。
でも。
それでも。
たとえ、口にはしなくても。
心の中で、願ってしまうことは、止められなかった。
願ってしまうことを、止めることは出来なかった。
(あたし、あたしは…………)
本当の願いは何かと問われれば、どうしたって想いは湧き上がる。
それをせき止めることなんて、どうしたって出来ない。
どうすれば、止められるのかすら分からない。
だから、ナズナは願ってしまった。
そうして、口には出さずとも。
願うだけで、事足りた。
だって、相手は神様なのだ。
願うだけで、通じてしまった。
———―――その願い、叶えてあげる。だから、わたくしを受け入れなさい?
声と共に、何かがナズナの体に入り込んできた。
それは、仄かに温かく、何だか心地が良かった。
体中に、温かい力が満ちていくのが分かる。
胸の奥に感じていた痛みが、消えていく。
ナズナはうっとりと、それに身をゆだねた。
(あたしの、本当の願いは、ユリハナ…………)
ナズナは手にしたその力で、自らの願いを叶えた。