チャリリ――――。
スイレンを模したチャームが通された鎖を、夕闇となったプリムラはカトレアに投げ渡した。
「昨日の放課後、校門の脇に置いてあったの。スイレンも、もう戻らないみたいだね」
放課後。
東校舎一階の三年三組の教室に、サルビアとスイレン以外の魔法少女全員が集まっていた。
場所を指定したのは、夕闇だった。
ナズナには、
他の魔法少女アたちに、どうやってこの場所のことを知らせたのかは分からない。夕闇はマシロ様と契約して新しい力を手に入れたと言っていた。だから、たぶん、その力を使ったのだろう。
配置は、ほぼ昨日と同じだった。
ナズナとユリハナは、教室の前、教壇側にいた。カトレアたちは教室の後ろ、入り口の近く立ち、夕闇は窓際に一人立っている。
「な!?」
「プリムラ、どういうつもりだ!?」
スズランとキキョウが気色ばむ中、チャームを手にしたカトレアは、一人涼しい笑みを浮かべていた。
いつもと同じ、女神のような微笑み。
「ユリハナと、手を結んだというわけではないのですね?」
可愛らしく小首を傾げる。
いつもの他愛無い雑談をしている時と、何ら変わりない様子だった。
そのことが、何だかナズナには恐ろしく感じられる。
夕闇はそんなカトレアを無表情に見つめていた。
スズランとキキョウが、銃を抜く。
夕闇は微動だにしなかった。
その武器で、自分が傷つけられることはないと知っているのだから。
「ふ、ふふ。前座くらいにはなるかと思ったのだけれど。役不足みたいね。二人とも、ご苦労様。あなたたちは、もういいわ」
ふわっと、花が綻ぶようにカトレアが微笑み、パキンという音が、二つ聞こえてきた。
何か、固いものが割れる音。
聞いた覚えのある音だ。
瞬きしている間に、二人の魔法少女が消えて、チャコールグレーのブレザーを着た生徒が二人、現れた。二人の足元には、二つに割れたチャームの破片が四つ、落ちている。
「ここは、危ないから。早く、外に出なさい?」
状況が分からずきょとんとしていた二人は、カトレアに促されると、顔を見合わせて、慌てて教室を出て行く。
あっという間の出来事だった。
「最低ね」
夕闇が、冷たく吐き捨てた。
「手間が省けてよかったでしょう? 余興にかまけるより、早く本題に入った方が面白そうですし。それに、必要になれば、魔法少女なんて、またいくらでも調達できますし」
光が射したかのような笑顔を浮かべながら、カトレアは言った。
清らかな笑顔には、似つかわしくない内容だった。
「あな、あなたは、誰なんですか?」
震えながら尋ねるナズナに、カトレアは優しく微笑みかけてくれた。
「わたくし? わたくしは、カトレア。魔法少女のリーダよ。そうして同時に、この学園の守り神・天使リリアナでもある」
「リリアナ様……リリアナ様は、どうして、どうしてっ」
質問の先を、続けることは出来なかった。
聞きたいことはあるはずなのに、何を聞いたらいいのか、分からなかった。
出来の悪い後輩を優しく見守るように、カトレアは微笑んだ。
「そうね。わたくしが、存続するため、かしら?」
言い淀むナズナに、これがすべての答えだというように、カトレアが答える。
「存続?」
ナズナの隣で、ユリハナが眉をひそめた。
夕闇は無表情のままだったが、特に話を止めるつもりはないようだった。
「そう、存続。この学園がある限り、生徒たちがリリアナを信じる限り、わたくしはこの学園に存在し続ける。そうね、もっと詳しく話してあげる。わたくしのことを。自分のことを誰かに話すのって、初めてね。でも、悪くない気分だわ」
重苦しい雰囲気の中で、カトレア一人が場違いに楽しそうだった。
「そうねえ。どこから話せばいいのかしら? わたくしがマシロサマと呼ばれて、守り神として祠に祀られていたことは、知っているのよね?」
そのまま歌いだしそうなほど軽やかな声音の問いかけに、三人は無言で頷いた。
「マシロサマは忘れられた神様だったの。みんなに忘れ去られて、静かに眠りについていた。でもね、そのマシロサマを揺り起こした人間がいたの。三人の、人間の女の子たち。マシロサマに新しい名前を付けて、それぞれ願いをかけた。願いの一つは、守り神だったマシロサマにとって、とても馴染みのなるものだった。それが良かったのかしら? 何者でもなくなっていたマシロサマは、まだ力は弱いけれど、新しいカミとして生まれ変わったの」
「それが、リリアナ様……」
呟いたナズナに、カトレアはよく出来ましたと言うようにふわりと笑んだ。見る者の心を温かくさせるような、そんな笑みだった。
「リリアナ様の名前は、少しずつリリ女の生徒の間に浸透していって、わたくしは少しずつ力を取り戻していった。そうして、一人の少女が、血と命と祈りを捧げたあの日に、わたくしは完全に目を覚ましたの。わたくしは少女の祈りを聞き届け、願いを叶えてあげた。ふふ、お友達から黒い心が消えて、また、前みたいに仲良くなれますように、二人で一緒に卒業できますように、ですって。黒い心なんて、可愛らしい表現をするわよね。ふふ、二人とも、願いを叶えて、ちゃんと
花束おばさんと、その友達の真理子のことを言っているのだろう。
二人とも
チラリと夕闇を見ると、気づいた夕闇が小さく頷いてくれた。
二人の様子には構わずに、カトレアは話を続ける。
「う、ふふ。お友達の黒い心は、赤い霧に食べられてしまったの。そして、少女が
「まさか、それが…………?」
ずっと黙って話を聞いていたユリハナが、思わずといった風に合の手を入れる。
「そうよ。それが、ヘビの始まり。ふふ。丁度、この頃から、リリ女の生徒は性格が穏やかだとか、いじめが少ないだとか、評判になり始めたらしいわよ? それは、そうよね。嫌な感情は全部、ヘビが食べてくれるんですもの」
「なっ!? で、でも! ヘビは、見境なく生徒を襲って、大事なものを奪ったり、忘れさせちゃったりしてるじゃないですか!?」
叫ぶナズナに、カトレアは笑みを深くする。
「わたくしを揺り起こした最初の願い。願いは、三つあったの。三人の少女が一つずつ。一つ目は、この学園をお守りください。二つ目は、面白いこと、楽しいことがたくさん起こりますように。そして、三つめは、みんな壊れてしまえばいいのにって」
最後に不穏な願いを聞かされて、ナズナは怯む。
ユリハナも眉間に皺を寄せていた。
マシロ様を通じて、既にそのことを知っていたのか、夕闇だけは表情を変えずにいる。
「生徒たちの黒い心を食べ過ぎたヘビは、成長したっていうのかしら? 上半身は女生徒、下半身は蛇の、今の姿になって、手あたり次第に生徒を襲うようになった。黒い心のせいで暴走しちゃったのかもしれないし、単に好みが変わっただけなのかも知れないわね? その生徒が一番大事に思っていることが、今は大好物みたいなの」
「大好物って…………」
まるで、ペットの餌の好みが変わったの、みたいな話しぶりに、顔が引きつる。
「救いを願う声が高まると同時に、破滅を願う声も確かに存在した。あの子もヘビにやられちゃえばいいのにって」
「なっ…………!?」
ナズナとユリハナは体を強張らせたが、夕闇は黙って話を聞いていた。
「そのうちに、みんなを守るために自分を魔法少女にしてって願う子が現れたの。ヘビと魔法少女が対立するようになると、勝手に天使と悪魔の伝説がつくられて、リリアナを信じる生徒も増えて、わたくしの力もより大きなものになっていった。最初は一人だけだった魔法少女も、シラユリが入学してきたころには三人になっていたわ。わたくしを揺り起こした最初の願い、守りたいという願いと壊したいという願いは、わたくしの力と相性が良かったみたいね」
サラリと流れる髪を耳に掛けながら、カトレアはユリハナへと視線を流した。
「三つの願いのうち、二つ目だけはよく分からなかったのよね。でも、シラユリと一緒になることで、ようやく、楽しいとか面白いってことの意味が分かったの。偶然なんでしょうけれど、よく出来た願いだと思ったわ。まるで、わたくしのためにあるかのような、三つの願い。三つの願いをすべて叶えることで、よりわたくしの力は強くなる」
ナズナとユリハナは怪訝そうな顔をした。
よく意味が分からない。
「破壊と守りが争うからこそ、面白い。片方だけでは駄目なのよ。ヘビと魔法少女が対立するからこそ、生徒たちは夢中になるの。ヘビを恐れ、魔法少女に憧れ、天使と悪魔の伝説に、より熱中する。恐怖心が薄まらないように、適度にヘビの犠牲者を出すのがコツなのよ? 恐怖心があるからこそ、生徒たちは魔法少女に憧れ、天使リリアナを信じる。やりすぎて学園の評判が下がると、生徒の数が減ってしまうから、加減が大事なのだけれど。その辺のさじ加減を覚えるまでは、少し苦労したかしら?」
「そんな、事のために…………。願いを叶えてあげたって、恩着せがましいけれど、みんなの願いを自分のために利用しているだけじゃない!」
夕闇が、ギリリと唇を噛みしめる。
「あた、あたしたちは、あなたのオモチャじゃありません!」
ナズナはここへ来てようやく、天使リリアナは本当の意味での守り神などではないのだと理解した。ようやく、天使のかけた呪いから抜け出せた。
リリアナは、決して生徒の味方などではない。
敵でも味方でもない。
得体の知れない、ナニカだった。
生徒の願いを利用して生きる、ナニカ。
「ひどい言われようね? わたくしはただ、みんなが願ったから、叶えてあげただけなのに。こういうのは、むしろ、共生関係というのではないかしら? みんなは願いが叶って、わたくしはそれによって力を得る。素敵な関係じゃない?」
「そんな、こと…………」
「みんながみんな、同じことを願うわけじゃない。ただ、犠牲になっただけの生徒もいるのに……」
慈善活動を推奨するかのようなカトレアの物言いは、到底、受け入れがたかった。
ギリギリと歯ぎしりする夕闇を捨て置いて、カトレアはユリハナだけを見つめた。
「シラユリには感謝しているのよ? 体を手に入れて、魔法少女のリーダーとなることで、魔法少女たちを自由に動かせるようになったのだし。今、この学園でリリアナを信じていない生徒はいない。この学園には、わたくしの力が満ちている。それもこれも、全部、わたくしに体を与えてくれたシラユリのおかげね」
「シラユリの、シラユリのせいみたいに言わないで! シラユリを、返して。シラユリを返しなさいよ!」
ユリハナが吠えた。それでも、カトレアの笑みは崩れない。
「あら。まるで、わたくしが無理やりこの体を奪ったような物言いね。言っておくけれど、この体はシラユリが自分で差し出したのよ? ユリハナ。あなたを助けるために」
言い終えたカトレアの唇が、弧を描く。
「何を、言って…………どういう、こと?」
カトレアはユリハナから視線を外し、宙を見上げた。
口元に人差し指を当てている。
愛らしいポーズだ。
「そうねぇ。今となっては、実を言えば、どちらの血だったのかは分からないのだけれど。非常階段から落ちた二人は、血だまりの中で横たわっていたの。あなたは、なかなか目を覚まさないし、シラユリはあなたが死んじゃったのかと動転していたわね。それでね、シラユリはリリアナ様にお願いしたのよ。ユリハナを助けてくれって、そのためなら、自分はどうなっても構わないって」
「そんな…………」
呆然と、ユリハナは床に膝をつき、そのまま座り込んだ。
シラユリの姿をしたカトレアを見上げる瞳に涙が溢れ、頬を伝い落ちていった。
ナズナは、何と声をかけていいのか分からず、自分も涙を浮かべ、唇を噛みしめる。
「それで、どうしてこうなったの? 代償として、シラユリの体を奪ったことは分かる。でも、シラユリはユリハナを助けてって願ったんでしょう? なのに、どうして、ユリハナが裏切り者になるの?」
鋭い声が横合いから飛んできた。
夕闇だ。
「あら、裏切り者でしょう? 少なくとも、シラユリはそう感じていたみたいよ?」
「っ!」
ユリハナが口元を押さえて、床に突っ伏した。
赤い髪が、床の上に広がる。
「わたくしはただ、シラユリの願いを叶えてあげただけ。ユリハナは助かったし、二人で永遠に魔法少女でいたいという願いも、叶えてあげた。さあ、わたくしの話は、これで終わり。次は、あなたの番よ、夕闇。あなたの目的は何? 私に成り代わって、この学園の神になりたいというわけでもないみたいだけれど? 一体、何のために、わたくしたちを集めたのかしら?」
「あなたから、シラユリを開放することよ。シラユリだけじゃない。ユリハナと、それから…………。あなたの相手は、その後でじっくりしてあげる」
カトレアと相対しながら、視界の端に一瞬だけナズナを映す。
ほんの一瞬のことだったけれど、カトレアはそれを見逃さなかった。
「ふうん? 威勢のいいことだけれど、何か策はあるのかしら?」
挑発するようなセリフを投げかけながらも、女神の微笑は揺るがない。
「そんなもの、ないわよ」
無策を告げる夕闇の言葉は、けれど。
そのセリフとは裏腹に、力強い響きで教室内に木魂した。