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第21話 夕闇に沈む学園

(こ、この髪型にしてて、よかったっ…………)


 頬を紅潮させ、ナズナは喜びに打ち震えていた。

 三つ編み輪っかは、ナズナもお気に入りの髪型だ。

 右と左で三つ編みをつくって、耳の後ろでくるっと捻って止めるだけ。

 慣れてしまえば結構、簡単だし、寝ぐせも隠せる。おまけに可愛い。

 そして。そして、そして。なんと。

 ユリハナも、この三つ編み輪っかを、大層お気に召したようなのだ。

 ユリハナの指がつんつんと輪っかを突くたびに、ナズナの頬はぷるぷると震えた。口元がだらしなくにやけそうになるのを、必死で堪えているのだ。


 あれから。

 放課後はユリハナと行動を共にするようになった。

 プリムラは調べたいことがあるとかで、には出ていない。

 カトレアたちと合流する気にはなれなかった。

 だから。

 次の放課後、ナズナは。

 再び、職員用のトイレへと足を向けた。

 約束をしたわけではないけれど、もしかしたら、と思ったのだ。


 心の中でユリハナの名前を呼びながら、変身の呪文を唱える。

 すると。

 ナズナの呼びかけに答えてくれたかのように、ユリハナが現れた。

「ユリハナっ!」

 抱き着きこそしないものの、全身で喜びを表すナズナを見て、ユリハナはホッと表情を緩めた。

「…………ここに来たら、また会えるかと思って…………」

「は、はい! あたし、毎日、来ますから!」

 勇んで答えるナズナに、ユリハナは戸惑いがちな微笑みを返してくれて、それだけでナズナは、お腹の奥の方から何か熱いものがぎゅーんと込み上げてきた。



 プリムラが新しい情報を掴んでくるまでは、二人で学園内を見回ることにした。

「今後の方針を考えるなら、三人そろってからの方がいいわよね」

 それまでは、二人で校内のパトロールを続けましょうと言うユリハナの言葉に、ナズナは一も二もなく頷いた。

 パトロールをしている間、二人の間には、ほとんど会話はなかった。時折、ユリハナから注意事項が伝えられて、ナズナがそれに頷いたり、質問したりするくらいだ。

 ユリハナは常に周囲の状況に気を払っていたし、ナズナは喜びと緊張で頭がいっぱいで会話どころではなかった。

 ユリハナの隣を歩きながら、ナズナはつかの間の幸せを味わっていた。

 隣を歩いているだけでも動悸がしてくるのに、時たま、三つ編み輪っかをつんつん突くオプションまでついてくるのだ。その度に、このまま心臓が爆発して死んでもいいとナズナは思った。


 ユリハナのパートナーになりたいという願いは、半分だけ叶えられた。

 本当のパートナーになれたわけではないのは、ナズナにも分かっている。

 ユリハナの視線の先にいるのは、シラユリであって、ナズナではない。

 ナズナとプリムラは、ユリハナがシラユリを取り戻すための、ただの協力者に過ぎない。

 今だけ。

 プリムラがいない今だけ、ほんのつかの間のパートナー気分を味わっているだけに過ぎない。

 分かっている。

 分かっているからこそ。


(ずっと。ずっと、こうしていられたらいいのに)


 そう思ってしまう自分を、抑えることが出来なかった。


 プリムラの調べものが、ずっと終わらなければいいのにと思う。

 そうすれば、ユリハナと二人きりの時間を過ごせる。

 仮初でも、パートナーでいられる。


 桂花けいかに、今日もプリムラは参加できないと伝えられるたびに、いけないと思いつつ、ナズナの心は浮き立った。

 今日も、ユリハナと二人きりの時間を過ごすことが出来る、と。

 それを、ユリハナに伝えると、ユリハナはいつもほんの少し肩を落とす。

 胸の奥に感じた痛みには、気づかないふりをした。


 油断なく周囲に気を配りながらも、ユリハナは時折立ち止まって、校内のある一点を見つめていることがあった。

 ユリハナは何も言わない。

 言わないけれど、ナズナには分かっていた。

 その先に、シラユリが、カトレアがいるのだということを。


 チリリと胸の奥を焦がしながら、ナズナは卒業式の日のシラユリに思いを馳せる。

 ユリハナと二人で永遠に魔法少女でいたいと願ったシラユリの気持ちが、分かるような気がした。




 永遠を願ったシラユリにナズナが共感し始めた頃、二人の時間は終わりを告げた。

 幕を下ろしたのは、プリムラではなかった。


 もしかしたら、カトレアの中で眠っているのかもしれないシラユリに、嫉妬されたのかも知れなかった。

 それは、ナズナにとって最悪の形で訪れた。



「目を覚ませ、ヒナゲシ。そいつは、裏切り者のユリハナだぞ!」

「あなたは騙されているのよ、ヒナゲシ。今なら、まだ間に合う。目を覚まして、戻ってきて、ヒナゲシ!」

 ナズナたちの前に立ちふさがったのは、サルビアとスイレンだった。

 場所は、東校舎三階の廊下。ナズナたちが北階段を上って廊下に出たところで、ばったり出くわしたのだ。サルビアたちは、階段のすぐ隣の教室の、向こう側のドアから出てきたところだった。

 ユリハナの姿を確認するなり、二人は銃を構え、ユリハナに狙いをつける。

 ナズナはユリハナを庇うように前に出て、両手を広げた。

「お、落ち着いてください、二人とも! ユリハナは裏切り者なんかじゃありません! あたしのことを、ヘビから助けてくれたし、それにサルビアだって! ユリハナに助けられたって言ってたじゃないですか! 思い出してください!」

 ナズナの必死の叫びは、二人の胸には届かなかった。

「ユリハナっ、卑怯だぞ!」

「新人魔法少女を騙して盾にするなんて、感心しないわね」

「そんな、どうして…………!」

 ヘビと相対した時以上の憎しみを込めて、二人はユリハナを睨み付けている。

 ユリハナに助けられたことを忘れてしまっても、こんな風に敵意をむき出しにしたことはなかった二人なのに。

 膝がガクガクと震えた。

 認めたくはないけれど、何が起こったのか、何となく察しはついていた。

 二人とも、リリアナの魔法にかかってしまったのだ。

 銃を抜くことも出来ず、震えているだけのナズナの肩に、そっとユリハナの手が置かれた。そのままユリハナは、ナズナの一歩前へ出る。

「それで、どうするつもり? 魔法少女の武器で、魔法少女は倒せないわよ?」

 前に立つユリハナの背中を見ながら、ハッとする。

 そうだった。

 あの銃で、ユリハナをどうにかすることは出来ないのだ。当然、逆もまた然りなのだが、ナズナはサルビアたちを倒したいわけではない。


(もしかしたら、話し合いで何とかできるかも)


 だが、ナズナのその希望は、サルビアの不敵な笑みにあっさりと打ち砕かれた。

「なるほど、たとえ裏切り者でも、魔法少女は魔法少女ってわけか。だったら……」

 ひらりとスカートの裾を捲り、太もものホルスターに銃を戻すと、パンと音を立てて左手の手のひらに右の拳をぶつける。

「拳で何とかするしかないな!」

「な!?」

「え、えええええええ!?」


「拳で解決しようなんて、最近の魔法少女は随分と物騒なんですね」


 走り出そうとしたその絶妙なタイミングを狙って、横合いから鋭い声が飛んできて、サルビアはたたらを踏んだ。


 全員が、声のした方に視線を向ける。

 一年一組のベランダに、人影が立っていた。

 夕日に、染まっているのだと思った。

 だから、あんなにも…………なのだと。

 でも、人影の後ろの空は、少し日が落ちてきてはいるものの、まだ青い。

「プリ……ムラ…………?」


(どうして…………?)


 見間違えかと思って、ナズナは何度も目を擦った。

 でも、教室の窓ガラス越しに見えるプリムラの姿は、何度見ても変わらない。


「プリムラ…………。おまえまで…………。その、姿は、一体?」

「あなたまで、ユリハナに誑かされちゃったの?」

 サルビアとスイレンが、呆然と、ベランダに立つプリムラと、ナズナの目の前にいるユリハナとを見比べている。

「別に、ユリハナに誑かされたわけではないけれど。こうした方が、分かりやすく私の立場を伝えられると思って」

 ベランダのドアは既に開いていた。

 プリムラは教室の中へ入ると、足を止め、銃を構えてサルビアに狙いを定める。

「おまえも、リリアナ様を裏切るのか?」

「悪魔の手先になっちゃったの?」

 銃口を向けられたサルビアは、その場を動けずにいた。

 太ももに手を伸ばそうとして、躊躇う。

 プリムラに話かける声は、少し震えていた。


 魔法少女の武器で、魔法少女を倒すことは出来ない。

 だが、プリムラが手にしているあの銃なら、どうなのだろう?

 プリムラの手の中で、赤く煌めくあの銃なら?


「どういうことなの?」


 焦りを含んだユリハナの声が聞こえたのかどうか、ほんの一瞬だけナズナとユリハナに視線を送って、プリムラは告げた。


「天使も悪魔も、そんなもの、本当はどこにも存在しないのよ。ここにはただ、願いがあるだけ」


「何、言ってるの?」

 ナズナの震える声に、プリムラは答えなかった。


「この学園は、私が開放する。だからもう、この学園に、魔法少女なんて必要ない」

「ふざけないでっ!」

 叫ぶなり、スイレンが引き金を引いた。

 白い光が放たれ、一直線にプリムラの胸元とへと向かっていく。

 文字通り、白線はプリムラの胸元に吸い込まれていった。

「魔法少女の弾丸で、私は倒せない」

 プリムラは、涼しい顔をしてそこに立っている。

 魔法少女は倒せない、とは言わなかった。

「プリムラ…………」

「魔法少女の銃で倒せないってことは、おまえはヘビじゃないってことだよな? だったら、殴ってでも目を覚まさせる!」

 スイレンの攻撃が効かなかったことで、サルビアは勢いづいた。

 プリムラへ向かって、今度こそ、走り出す。

 予測していたのか、プリムラは慌てることなく、冷徹に引き金を引いた。

 赤い光が、サルビアに向かって伸びていく。

 目を閉じて顔をそむけたナズナの耳に、パキンと何かが割れる音がした。


(え? 一体、何が? 何の音?)


 プリムラの数歩前で、サルビアが座り込んでいた。

 制服の色が、チャコールグレーに変わっている。

 魔法少女の白から、リリ女のチャコールグレーへと。


「え? あれ? オレ、なんで、こんなところにいるんだ? って、え? 魔法少女?」

 サルビアは不思議そうに、辺りを見回している。

「サルビア!」

 スイレンが無防備に飛び出した。

 サルビアの前に座り、心配そうに顔を覗き込む。

 プリムラの赤い銃口は、スイレンに狙いを定めてはいたけれど、赤い光が発射されることはなかった。

「サルビア! 大丈夫?」

「あ、ああ。大丈夫、だけど。えーと、もしかして。オレ、なんか、迷惑かけちゃった?」

 心配するスイレンに、サルビアは他人行儀に答えた。

「サル……ビア? もしかして、私が分からないの?」

「え? 魔法少女、だよな? てゆーか、サルビアって、何?」

 不思議そうに首を傾げるサルビアに、スイレンが凍り付いた。

 わなわなと震える唇。いっぱいに見開かれた瞳は揺れている。

 キュッと唇を引き結んで俯いた後、スイレンは顔を上げた。遠目にも、無理をしていると分かる笑顔を浮かべて。

「そう、私は魔法少女。あなたを、助けに来たの。立てる? 外まで、送るわ。…………構わないよね?」

 プリムラには背を向けたまま、最後に冷たく固い声で確認を取ると、プリムラは頷いた。

「そうしてあげたら」


 スイレンはサルビアを立たせて教室の外へ出ると、ナズナたちとは反対側の南階段へと向かう。

 一度も、振り返らなかった。

 プリムラのことも。

 ナズナたちのことも。



 スイレンたちがいなくなると、ユリハナはナズナの手首を掴んで、つかつかと教室の南側のドアに向かった。

「どういうつもり? まさか、本当に悪魔の手下になったわけじゃないわよね?」

 警戒しているのか、教室の中には入らず、入り口から厳しい声を投げかける。

 プリムラの数歩手前、サルビアたちのいた辺りに、二つに割れたチャームが落ちているのが目に入った。

 二つに割れた、サルビアのチャーム。

「言ったでしょう? 悪魔なんていないって。私は、マシロ様と契約したの。神様を何とかするには、神様の力を借りるしかないから」

「え? マシロ様って、祠の神様?」

 プリムラは口の端にフッと笑みを乗せた。

「そう、祠の神様。リリアナは、マシロ様の一部なんだよ。リリアナを何とかするために、私は祠に残っていたマシロ様と手を組んだの」

 マシロ様の正体は、赤い蛇の化け物とそれを退治した僧侶のはずだ。天使リリアナが守り神である僧侶なら、残っているのは…………。

「そんな、プリムラ、悪魔と、契約しちゃったの?」

「悪魔じゃなくって、マシロ様だって言ってるでしょ。この期に及んで、まだリリアナを信じているんだ?」

 顔色を失くすナズナに、プリムラは呆れたため息を零す。

「つまりは、どういうことなの?」

 ナズナから手を放し、太ももに手を伸ばしながら、ユリハナが問いかける。

 太ももの銃が役に立たないことはスイレンが実証済みだが、それでも無意識のうちに手が動いていた。

「つまり、この学園は、私が開放するってこと。もちろん、あなたのこともね、ユリハナ。だからもう、この学園には、魔法少女なんて必要ないの」

 ナズナたちを見つめるプリムラの瞳に、迷いはなかった。

「プリムラ…………」

「もう、その名前で呼ばないで。私はもう、魔法少女じゃない。新しい力を手に入れたの。カトレアを名乗るリリアナに、対抗するための力を。だから、私のことは、そうね……」

 そう言ってプリムラは、自分の体を見下ろす。


「夕闇…………とでも呼んでちょうだい」


 言い捨てて銃をしまうと、プリムラはあっさりと教室を出て行った。

 ナズナとユリハナは、黙ってそれを見送る。


 ヘビを思わせる赤色に染まったブレザーが、ベランダの奥に消えていく。


「夕……闇…………」

 ナズナは絞り出すように呟いた。


 立ち尽くす二人の耳に、カンカンと非常階段を下る靴音だけが響いてきた。


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