覚悟はしていた。
覚悟はしていたけれど、でも。
ユリハナの話は、やっぱり、ナズナを打ちのめした。
ユリハナとシラユリ。
二人は、やっぱり親友同士だったのだ。
ナズナが入り込む余地など、これっぽっちもありそうにない。
そう考えると、キリキリと胸の奥が痛んだ。
でも。
それでも。
悪いことばかりではない。
朗報も、ある。
ユリハナは、やっぱり裏切り者なんかではなかった。誰も、裏切ってなんかいなかった。
それに。
8年前から、ずっと変わらない姿で学園の放課後を生き続けるユリハナ。もしかしたら、ユリハナは幽霊なんじゃ? もう、死んでいるんじゃ? って、そのことを、ずっと恐れていた。
最悪、ユリハナの口から、自分はもう死んでいるのだと聞かされるかもしれないと、覚悟もしていた。
その可能性が、ゼロになったわけではない。ユリハナの話だけでは、まだ、分からないことがたくさんある。
でも、ユリハナが死んだと、確定されたわけでもない。
だったら、信じたいとナズナは思った。
(大丈夫。きっと、ユリハナは生きてる。悪魔を倒せば、もう魔法少女は必要なくなる。それは、少し寂しいけれど、でも、仕方ない。その方が、学園にとってもいいことなんだから。そして、そうなれば、ユリハナも放課後から解放されるはず。解放されて、開放されて、それで…………)
それで?
それで、どうなるのだろう?
そうなった先の未来が、ナズナには思い描けなかった。
そこに、ナズナの望む未来はあるんだろうか?
ユリハナが学園に囚われたのは、ユリハナが中等部を卒業する時だったのだ。
8年前の卒業式。
すっかり大人のお姉さんになってしまった従妹の
本当ならば、ユリハナだって、文香のように大人の女性に成長しているはずなのだ。
――――ということは、つまり?
解放されたユリハナは――――?
怖くて、その先を考えることが出来なかった。
解放してしまうことも怖い。
けれど、解放しなかったら、ナズナが中等部を卒業した後も、ユリハナとカトレア(シラユリ?)の二人は、二人だけは永遠に放課後の学園を生き続けるのだ。
ナズナは卒業したら、すべて忘れてしまうかもしれないのに。
それは、どうしても嫌だった。
思い沈むナズナを放置して、プリムラはここぞとばかりにユリハナに質問をぶつけていた。思考が行き詰ったナズナは、ぼんやりとその様子を見つめる。
プリムラは、ナズナとは別のところが気になっているようだった。
ユリハナが第一のナズナと、悪魔を倒すことが目的のプリムラ。
目指すところが違うと、気になるところも違うんだなと、ナズナは他人事のように思った。
「シラユリが魔法少女をしていた頃は、今みたいにグループで行動していたわけではないし、リーダーもいなかったんですね?」
「ええ。私自身が魔法少女だったわけじゃないから、そこまで詳しく知っているわけじゃないのだけれど。でも、お互いに、相手の正体を知っているようではあったけれど、特に連絡を取り合ったりしているわけではなかったと思う。シラユリは、いつも私と一緒に行動していたし」
「やはり、カトレアが鍵なんですね」
「そうだと思う」
二人は深刻そうな顔で話を続けている。
カトレアが鍵という言葉は気になったけれど、話に割って入れる雰囲気でもなく、ナズナはやっぱり、ぼんやりと二人の話を聞いていた。
「シラユリが、カトレアなんだと思いますか?」
「…………分からない。姿は、シラユリそのものだけれど。でも、話し方や仕草や表情は、まるで別人。それに・・・・・」
「それに?」
「シラユリは、ユリハナって名前をとても大事にしていた。自分以外の誰かに、決して呼ばせたりしなかった。なのに、あいつは……」
「魔法少女たちに、ユリハナの名を呼ばせている。それも、裏切りの代名詞として」
「あれが、シラユリのわけがない」
ユリハナの顔が憎悪に歪む。握りしめた拳が、震えていた。
カトレアのことを、リリアナのことを語る時、ユリハナはいつも顔を歪ませる。瞳に怒りの炎を灯す。それは、ユリハナがシラユリを、今も大切に思っているからこそなのだと分かって、ナズナは鳩尾を押さえた。
何か、嫌なものがぐるぐるしている。
それを振り切るように、ナズナは口を開いた。
「あの! あたしたち、ユリハナって呼ばない方が、いいですか? その、大切な名前、なんですよね?」
ユリハナという名前の響きを、ナズナも気に入っていた。
けれど、それが二人が大事にしていた思い出の名前なのだと思うと複雑だ。
いっそのこと、ナズナはナズナで別の名前を、ナズナだけに許された名前を呼びたいと思った。
しかし、ユリハナは躊躇なく言い切った。
「いいえ。これからも、ユリハナと呼んでもらって構わない」
「どうして、ですか?」
驚くナズナに、ユリハナは引きつった笑みを浮かべる。
「自分以外はユリハナって使ってはいけないって、そう言いだしだのは、私じゃなくてあの子の方だもの。他の子にこの名前を使われるのが嫌なら、あの子が、シラユリが自分でそうさせるべきだわ!」
「わ、分かりました」
新しい呼び名の許可を得るどころか、二人の絆を見せつけられる結果となってしまい、ナズナは震える声で答えた。お腹の中のグルグルが、さっきよりもひどくなった気がした。
それを察してくれたのか、そもそもナズナの話を聞いていなかったのか、プリムラが唐突に話を変えてきた。
「今、シラユリの体を動かしているのは、リリアナなんじゃないかと私は考えています」
「……………………ええ。たぶん、そうなんでしょうね。シラユリの体を、リリアナが乗っ取って、好きに動かしている。それが、カトレアの正体」
プリムラの推測に、ユリハナは同意した。
ナズナは、息を呑む。
お腹の中のグルグルが、どこかへ飛んでいった。
二人が何を言っているのか、ナズナにはよく分からなかった。
無条件に、リリアナを信じているナズナには。
「ユリハナが、永遠に放課後に存在し続けられるのは、シラユリがそう願ったから。でも、そうすると、カトレアの存在は……それに、リリアナは、なぜ…………」
「一つ、言っておきたいことがあるの。言っても、意味がないことかも知れないけれど」
一人でぶつぶつ言い始めたプリムラを、ユリハナが制した。そして、プリムラだけでなく、ナズナにも視線を投げかける。
ナズナは、ゴクリと唾を飲み込んで、大きく頷いた。
「あの話をしたのは、実を言えば、あなた達が初めてではないの」
この発言には、プリムラも驚いたようだった。瞳が、零れ落ちそうになっている。
「カトレアの正体を暴いて、シラユリを取り戻すためにも、協力者が欲しかった。私の方から何度も声をかけたり、ヘビから助けてあげた魔法少女が、向こうから私に話しかけてきてくれたこともあった。私とシラユリの話をしたら、大抵は話を信じてくれて、協力を申し出てくれる子もいた。しばらく、共闘したこともあった。けれど、みんな、いずれは…………」
「そのことを、忘れてしまうんですね?」
あとを引き継いだプリムラに、ユリハナは目を伏せたまま頷く。
ナズナは、サルビアとスイレンのことを思い出していた。
あの二人も、そうだった。ユリハナに助けてもらったことがあるというサルビアは、ユリハナへの誤解を解きたいというナズナに協力すると言ってくれていたのに、次に会った時には、そのことをすっかり忘れていたのだ。ユリハナに助けてもらった事実すら、二人は忘れていた。
あの時のショックは、忘れられない。
忘れられた当の本人であるユリハナは、その現実を突きつけられて、どれほどの衝撃を受けたのだろう。
「忘却のタイミングに法則はないみたいだった。たぶん、リリアナの気まぐれに左右されるんだと思う。リリアナは、おそらく、放課後の学園内で起きたことは、ほぼすべて把握しているんだと思う。だから、もう、私は他の魔法少女と関わることを止めたの。諦めたの。どうせ、なかったことにされてしまうのだもの。あなた達も、次に会った時は、私のことを忘れているかもしれない」
そのことを恐れているかのように、ユリハナはナズナたちから視線を逸らしたまま、左手で自分の右ひじをギュッと掴んだ。
「な、なのに、どうして? あたしたちに、その、話してくれたんですか?」
ユリハナはチラリとナズナと、そしてプリムラに視線を走らせると、また斜め下に目線を逸らす。
「天使と悪魔の秘密を暴きたいって、言っていたでしょう?」
「はい。言いました。天使と悪魔の呪いから、この学園を開放したいって、思っています」
プリムラが、真っすぐにユリハナを見つめて断言する。
今、この場で。一番迷いがないのは、プリムラかも知れなかった。
ナズナは、何を言うことも出来なかった。
ユリハナが話をする気になった切っ掛けが、プリムラの言葉だったと知って、胸の奥がモヤモヤした。
「だからよ。カトレアがリーダーになってからの魔法少女たちは、みんなカトレアの言葉を鵜呑みにして、天使や悪魔の存在に疑問を持つ子はいなかった。カトレアに言われるままに、ただヘビを倒して回るだけ。でも、あなた達は違った。だから、もう一度、賭けてみようと思ったの」
そう言いつつも、ユリハナはナズナたちと目を合わせようとはしなかった。
賭けてはみたものの、やはりまだ恐れているのだ。
全てを、なかったことにされてしまうことを。
心を通わせたはずの相手から、再び裏切り者と謗られることを。
「大丈夫です。私たちは、忘れたりしません。私は元々、霊感的なものがあるせいか、リリアナの魔法がかかりにくいみたいなんです。だから、リリアナが隠していた魔法少女の正体も分かっている。他のみんなが忘れてしまっていることも、覚えている」
プリムラが、一歩ユリハナに近づいた。
ユリハナの肩がピクリと揺れる。
ナズナも、何か言わなければと足を踏み出したが、そこで止まってしまう。
何を言えばいいのか、分からない。
忘れない。忘れたくない。
でも、それはただのナズナの願望で、何の根拠もない。
これでは、ユリハナを安心させてあげることが出来ない。
オロオロと思考を彷徨わせていると、ため息をつきながらプリムラが助け舟を出してくれた。
「この子も、きっと、あなたを忘れない。それが、この子の願いだから。それはたぶん、リリアナが、願いを叶える神様だって言われていたことと無関係じゃないと思う」
そう言うとプリムラは、続きは自分で伝えなさいと言うように、ナズナに目配せをする。
「あ、あたっ、あたしの願いはっ」
ナズナは、グッと両手を握りしめた。
そういう覚悟はしていなかったし、本人を目の前にしてそれを告げるのは、かなり恥ずかしい。でも、今が正念場なのも分かっていた。
今は、勇気を出して、一歩前へ踏み出す時だ。
ナズナは顔を真っ赤にして、ギュッと目を閉じる。大きく息を吸った。そして。
「あたしの願いはっ、ユリ、ユリハナを守ることですっ。あたしなんて、まだ魔法少女になったばかりで、頼りにならないかもしれないけど! ユリハナは強くて、一人でヘビとも戦えるのかもしれないけど! でも! いっつも一人で行動してて、本当は優しいのに裏切り者とか言われてて、それで、だから、せめて。ヘビとか悪魔じゃない他のものから、ユリハナを守ってあげられたらって。あと、出来れば、もっと強くなって、ユリハナと一緒に戦えたらって思って。そのために、魔法少女にしてくださいってお願いしました!」
所々で、声がひっくり返ったりはしていたものの、それでも、何とか気持ちを伝えることが出来た。
(い、言えた! あたしの気持ち、伝えられた!)
肩で息をしながら、ユリハナの反応を待つ。
ユリハナを想うが故に嫉妬に苦しみグルグルと思考を彷徨わせたりもした。
でも、それが、ナズナの一番最初の願いだった。
ユリハナ本人を前にしたことで、一番最初の純粋な願いが溢れ出し、たどたどしくも零れ落ちていった。
そうして、はっきり口にしてしまえば、グルグルしていた気持ちがスッキリとクリアになった。
透き通るような気持ちで、ナズナなユリハナの答えを待つ。
今なら、どんな答えでも受け止められそうな気がした。
けれど、いくら待っても返事は返ってこなかった。
(新人魔法少女のくせに、ユリハナを守りたいなんて言ったから、怒らせちゃった? それとも、呆れられちゃった?)
恐る恐る、片目を開けてみる。
「ユ、ユリハナ!?」
すぐにもう片方の目も開けて、ユリハナに向かって手を伸ばした。
けれど、触れる直前で、触ってもいいのか迷い、手を止めてしまう。
所在なさげなナズナの両手の先で、ユリハナは静かに涙を流していた。
「……………………ありがとう」
掠れるように小さなその声は、ちゃんとナズナの耳に届いた。
少し迷ってから、そっとユリハナを抱きしめる。
ナズナの手の温もりを感じたのか、ユリハナは一瞬身を竦ませあと、ゆっくりと体から力を抜いていく。
そうして。
ナズナの腕の中で。
ユリハナは。
静かに、静かにすすり泣いた。