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第17話 始まりの場所

 醤油せんべいに、サラダ味のせんべい、かりんとう。ペットボトルのほうじ茶。

 小気味いい音を立てながらサラダせんべいを一口食べ、ナズナはホッと息をついた。

「やっぱり、甘いものの後はしょっぱいものだよねー。和菓子屋さんのお団子も美味しかったけど、こういうスーパーで売ってるお菓子って、なんか安心するよねー」

「まあ、そうだね」

 ナズの部屋にはローテーブルがないので、床に直接お菓子の載ったトレーを置いて、クッションの上に座っている。

 トレーの向こう側では、桂花けいかが醤油せんべいを齧っていた。


 花束おばさんを待ち伏せした翌日。日曜日の午後。

 花束おばさんから聞いたことを話し合うために、ナズナは桂花を家に呼んだのだ。

 前に桂花の家で歓待を受けたことを母親に話してから、ずっと桂花を家に呼ぶように言われていたので、いい機会だった。

 歓待を受けたら、こちらももてなし返すのが、母親同士の流儀というものらしかった。

 最初はリビングで、近所の割と有名な和菓子屋さんで買ってきたお団子各種と来客用のいいお茶で、母親も交えて軽く雑談をした後に、予めせんべいを用意しておいたナズナの部屋に引き上げたのだ。


 普段学校で仲良くしているルカや睦美とは、まだ学校の外では遊んだことがないのに、学校ではほとんど話すことのない桂花とはお互いの家に行ったことがあるのが、なんだか不思議な感じがした。


 せんべいを食べ終わり、唇の周りについた塩を舐めとってから、ナズナは切り出した。

「ねえ、どう思う? おばさんの話だと、真理子さんは悪魔でもヘビでもない感じだよね?

 怖いこととか不思議なこともあったけど、でも…………」

「うん。でも、やっぱり。あそこから始まったのは、間違いないよ」

 桂花が二枚目のせんべいに手を伸ばす。今度も、醤油せんべいだった。


(桂花ちゃんは、醬油派なんだ……)


 どうでもいいことを考えながら、昨日おばさんに聞いた話を思い返す。




☆ ☆ ☆


「私と真理子も、昔はリリ女に通っていたのよ。真理子は小学校の頃から仲の良かった友達なの。クラスは別れたけれど、二人でテニス部に入って、変わらず仲良くしていたわ」


 話している間、おばさんはずっとテニスコートを見ていた。


「小学校の頃の真理子は、どちらかというと引っ込み思案で、いつも私の背中に隠れているような子だったの。私が面倒を見てあげなきゃって、ずっと思っていたわ。だけど、中学に入ってから、あの子は変わった。いいえ、成長した、というのが正しいわね。成績も上位だったし、テニスも私なんかよりもずっとずっと上手かった。レギュラー確実だって言われていたわ。それが、悔しくて……。恥ずかしい話だけれど、私はずっと真理子のことを自分より格下だと思っていたのね。そんな真理子が、私を追い抜かしてどんどん高い所へ行ってしまうことを、私はどうしても認められなくて、それで…………。私は段々、真理子を避けるようになったの」


 おばさんの瞳に透明な膜が張るのが見えて、ナズナは慌てて目を逸らした。


「話しかけられても、聞こえないふりをしたり。後にしてって、断ったり。真理子は戸惑っていたけれど、自分だけがレギュラーを取れそうなことと関係があるって、うすうす気づいていたんでしょうね。もう、何年前になるのかしら。中学二年時の、丁度、今日。部活が始まる前に、テニスコートの端で真理子に呼び止められたの。いつものように聞こえないふりをしたけれど、真理子はその日は強引だった。私の前に回り込んで、私の手に強引にお守りを握らせたの。二人でレギュラーになれるように、手作りしたんだって言ってたわ」


 おばさんの声が震えていた。

 チラリと横目で見ると、頬に光るものが伝っていた。


「馬鹿にされてる。憐れまれてる。そんな風に、その時は思ってしまったの。カッとなって、手の中のお守りを思いきり放り投げた。お守りはフェンスを乗り越えて、イチョウの木の枝に引っかかったわ。真理子は走ってテニスコートを出て行った。少し気まずかったけれど、私は真理子からもイチョウの木からも目を逸らした」


 遠いその日に放り投げたお守りの軌跡を辿るように、おばさんはテニスコートから草むらへと視線を移し、草むらの斜め上の辺りを見つめる。そのあたりに、イチョウの木があったのだろう。

 それから、草むらの端に置かれた花束へと視線を落とす。


「あの頃は、丁度この場所に祠があったの。みんな、リリアナ様って呼んでいたわね。学園の守り神で、願いを叶えてくれるって言い伝えられていたわ。丁度、その祠の後ろにイチョウの木は生えていた。……………………真理子は、お守りを取ろうとしてイチョウの木に登って、そして、祠の上に落ちてしまったの」


 ナズナと桂花は息を吞んだ。

 ナズナは桂花の腕に縋り付く。

 話の中にイチョウの木が出てきた時点で、何となく予想はしていたが、まさか祠の上に落ちたとまでは思わなかった。


「何かが壊れたような、何かが地面に落ちたような、大きな音が聞こえてきて、みんなでこの場所に駆け付けた。真理子は、壊れた祠の上に横たわっていたわ。私が投げ捨てたお守りを握りしめて。物凄くたくさん血が流れていた。大量の血が、道路にまで流れ出ていたわ。壊れた破片で、首筋を切ってしまったの。救急車が来る前に、息を引き取ったわ。私の、目の前で……」


 涙が顎を伝い落ち、おばさんの足元に、いくつも滴が落ちていった。

 濡れた瞳が、ナズナたちを捕らえる。


「それなのに、私がそのことを思い出したのは、卒業して何年も経ってからだったの。思い出すまで、私の中では真理子の死も、仲たがいしていたことも、なかったことになっていた。卒業するまでずっと、私はまるで真理子がそこにいるかのように振る舞っていたそうよ。私の中の、真理子をうらやむ気持ちや妬みは綺麗さっぱり消えていた。ずっと仲良しのままで、中学を卒業したつもりでいたの。…………周りからは、精神的なショックのせいだって思われていたみたいね」


 アスファルトに、黒い染みがどんどん広がっていく。


「ひどいわよね。真理子は私のせいで死んだのに。私が殺したようなものなのに。当の私は、そんなことすっかり忘れて、楽しい中学校生活を送っていたのよ。死んだはずの真理子と一緒に!」


 すすり泣く声だけが響き渡る。

 空には、もうだいぶ茜が広がっていた。

 西の端では、もう夜が始まっている。


「たぶん、真理子さんはあたなと一緒に中学校生活を送りたいという願いを叶えたんだと思います。この場所からは、恨みとか憎しみとか、そういうのは感じないです。ここにはもう、本体はいない。残り香みたいなものしか、感じられない。だから、いつまでもここに捕らわれていないで、来年からは、真理子さんのお墓の方をお参りしてあげてください。その方が、喜ぶと思います」


 桂花が優しく声をかけると、おばさんは涙を流したまま手を合わせ、桂花と、祠があった場所に向かって、何度も何度も頭を下げてから、夕闇の中を帰っていった。




 ナズナがぼんやりしている内に、桂花は三枚目の醤油せんべいに手を伸ばしていた。

 ナズナは迷った末、二枚目もサラダ味にした。

 もしかしたら、桂花はサラダ味が好きじゃないのかもしれないと思ったのだ。聞いてみようかとも思ったが、なんとなく、そんな雰囲気でもない。

 せんべいは諦めて、本題に入ることにした。

「あそこから始まったっていうのは、どういうことなの? あの祠の後には、今はもう、何にもいないんだよね?」

「うん……。あそこには、何もいないと思う。真理子さんも、祠の神様も。残り香みたいなものが感じられるだけ。本体は、たぶん…………」

「たぶん?」

 桂花は、齧りかけのせんべいを見つめている。

「もう。質問ばっかりしていないで、少しは自分でも考えなよ。そんなに難しいことじゃないでしょ? 花束おばさんが経験したようなこと、私たちはよく知ってるじゃない」

 桂花はナズナと視線を合わせようとしない。

 ナズナはコップに注いだほうじ茶を一口飲んでから、おずおずと口を開いた。

 そう、考えるまでもない。

 その伝承を聞いた時から、ずっと何の疑問もなく信じていたことだ。

 なのに、今。

 それを口にするのは、すごく怖かった。

「今は、学校の中に、いるってことだよね。天使と悪魔の、伝説の通り。花束おばさんの時は、魔法にかかったのはおばさんだけだった。けど、今は、学校全体に魔法がかかっている。顔を隠しているわけじゃないのに、魔法少女の正体が分からなかったり、知ってたはずのことを突然忘れちゃったり」

 魔法と口にはしたけれど、心の中では、呪いみたいだと思っていた。

 祠の話を、聞いてしまったからかもしれない。

 背筋に冷気が走った気がして、ナズナはかりんとうを口の中に詰め込んだ。気を落ち着けるために、兎に角、糖分が欲しかった。

 ナズナが奇行に走ったことで、桂花はようやくナズナに目を向けた。その視線には、多分に呆れが含まれていたが。

「祠の伝説と真理子さんの事故が、天使と悪魔の伝承の元になったのは、間違いないと思う。真理子さん自身は、リリアナ様に願いをかなえてもらって、たぶん、花束おばさんが卒業した時に満足して成仏したんじゃないかな」

「天使と悪魔の伝承はいいとして、魔法少女は、いつどうやって生まれたんだろう? 真理子さんが魔法少女になりたかったとかいうわけじゃないんだよね?」

 かりんとうを飲み下してナズナが首を傾げると、桂花の顔が微妙そうに固まった。

「…………………………それは、違う生徒の願いなんじゃない? ナズナみたいな子が、みんなを守るために魔法少女になりたいって願ったら、リリアナ様がその願いを叶えてくれたんだよ、きっと」

「おおー、おおー?」

 桂花の投げやりな言葉に、ナズナは感嘆の声を上げかけて、途中で語尾に疑問符をつける。

 ここは感心するところじゃなくて、怒るところなんじゃ、という考えを掻き消すように、せんべいをかみ砕く音が聞こえてきた。

 三枚目の醤油せんべいの残りが、桂花の口の中に消えていく。

 せんべいは、それぞれ四枚ずつ用意されていた。醤油せんべいの残りはあと一枚。

 ナズナがそっと最後の醤油せんべいに手を伸ばすと、音が止んだ。桂花の大きな瞳が、ナズナの手の先の醤油せんべいを凝視している。

 無言の圧力を感じて、ナズナは醤油せんべいを諦めてサラダ味のせんべいを手に取った。再び、バリボリと音が響き出す。

 右手にサラダせんべいを持ち、左手の人差し指を米神にあてて、ナズナは唸る。

「うーん。結局、つまり。祠の神様は、今は学校の中にいて、お坊さん成分はリリアナ様になって、赤い蛇の化け物成分は悪魔になった。で、リリアナ様がみんなを守りたい誰かの願いを叶えてくれたから、魔法少女が生まれて、ヘビは…………」

「やっぱり、誰かの願いから生まれたんじゃない?」

「え? そんなこと……」

「ないって言いきれる? いじめられたりとか、それとも、花束おばさんみたいな人が、あの子さえいなければ私が一番なのにって思って、良くないことを願ったりとか」

「言い切れないけど、でも、だったら! その相手だけを狙えばいいじゃない!? どうしてヘビは関係ない生徒まで襲ったりするの!?」

「そこなのよね…………」

 桂花が最後の醤油せんべいを手に取り、顔の前に翳す。

「んー、でも。伝承通りってことなのかな。最初は、狙った相手だけを襲っていたけど、その内、暴走して関係ない生徒まで襲うようになった。だから、魔法少女が生まれたのかも。化け物からみんなを守るために、私を魔法少女にしてくださいっていう願いを、リリアナ様が叶えてくれた……とか?」

 翳していたせんべいを一口齧って、ふと桂花がナズナを見ると、ナズナはサラダせんべいを手にしたまま、瞳をキラキラと輝かせていた。

「うん。きっと、そうだよ……。そうに違いないよ! リリアナ様、あたし、みんなのために頑張ります! だから、これからも力を貸してください!」

 ナズナは桂花の当て推量にいたく感激したらしかった。

 桂花はため息をつく。

「まあ、元気が出たなら何よりだよ」

 桂花は黙って、残りのせんべいに齧りついた。



 花束おばさんの話を聞いた後、少なからず困惑していたナズナだったが、桂花と話をしたことにより、すっかりいつもの調子とやる気を取り戻していた。


 やる気は胸に溢れていたけれど、ベッドに入る頃には、細かい話の内容はすっかりどこかへ行っていた。

 天使の魔法でも悪魔の呪いでもなく、本人の問題で。


(桂花ちゃんは、醤油せんべいが好きなのかなぁ…………)


 目を閉じる前に思い浮かんだのは、知ったばかりの桂花の新しい一面だった。


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