目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第16話 祠の神様

 白鳴はくめい山には白蛇の姿をした神様が棲んでいる。

 そう、語り継がれていた。

 社や祠は存在しなかった。村人たちは、山そのものと、山に棲む白蛇をご神体として崇めていた。

 山で白蛇に出会った時は、みな手を合わせて白蛇を拝んだ。

 ある時、村のならず者が、山裾で白蛇に出会った。ならず者は白蛇様を信じておらず、その白蛇の頭を石で叩きつぶしてしまった。

 白蛇様の体は己の血で真っ赤に染まった。

 祟りを恐れた村人は、ならず者を白蛇様と同じように石で頭を叩き潰して、白蛇様のご遺体の前に供物として捧げた。

 けれど、白蛇様の怒りは治まらなかった。

 その日から、村には赤い毒の霧を纏った蛇の化け物が現れるようになった。身の丈ほどの、頭を切り落とされた赤い大蛇が村の中を這いずり回った。毒の霧を吸ったものは、みな命を落とし、赤蛇が通った後の田畑は、たちまち作物が枯れ果てた。

 村人たちが困っていると、偶然、旅の僧侶が訪れた。村人たちは、僧侶に赤蛇を退治してくれないかと頼んだ。僧侶はこの頼みを引き受けた。

 死闘の末、僧侶は赤蛇を倒したが、毒の霧を浴びたことにより僧侶も命を落としてしまう。

 村人たちは蛇が再び祟らぬように、その亡骸を丁重に祀った。

 蛇と僧侶が息絶えた場所には祠が建てられ、村の新たな守り神となった。



☆ ☆ ☆


「―――その祠の神様はマシロ様って呼ばれてたんだって。戦争の前まではこの辺りの集落の人たちでちゃんと祀っていたんだけど、戦争の後はたまにお年寄りがお供えしたり掃除したりしてたくらいで、それも、リリ女が出来た頃には、すっかり忘れられた神様になっちゃったみたいだね。その後、何か事故があって祠は壊れちゃったんだけど、建て直したり移転したりとかはしなかったって。お祓いみたいなことはしたみたいだけど……って、聞いてる!?」

「…………はっ。う、うん、聞いてる、聞いてる。なんか、授業中みたいで、ちょっと意識が遠のいちゃっただけだから、大丈夫!」

 ウトウトと、立ったまま瞼を落としかけていたナズナは、桂花けいかに耳元で怒鳴られて、ビクリと体を震わせた。

 花束おばさんが現れるはずの土曜日の夕方。

 テニスコートとグラウンドの間の小道。その西の角で、張り込みをしながら桂花の戦果を聞かされていたのだ。

 午前中に、お寺をやっている伯父さんから話を聞いてきたのだという。

 最初にそう聞かされた時は、どうして誘ってくれなかったのかとむくれたナズナだったが、今は誘われなくて正解だったなと思っている。桂花の伯父さんの前で、こちらから話を聞きに行ったのに、話の途中で居眠りとかしていたらと思うと恐ろしい。

「全然、大丈夫じゃないじゃない。まあ、いいわ。一応、今の話を便箋にまとめておいたから、ちゃんと読んでおいてよね。あと、これ、あげる」

 桂花はため息をついた後、ショルダーバックの中からクローバー柄の便箋と、小さな白い紙袋を取り出してナズナに押し付けるようにして渡した。

「気休めにしか、ならないかもしれないけど。伯父さんに教わって、作ってみたの」

「え? 手作りの何か?」

 頬を赤らめて俯く桂花がなんだか可愛くて、ナズナはニマニマしながら渡された紙袋の中を覗き込み、中身を取り出す。

「わあ。お守りだぁ。すごい! お守りって、手作りできるんだ!?」

「一応、お寺、だし……」

 銀の糸が織り込まれた薄いピンク色のお守りを掌に載せて、ナズナは目を輝かせる。

 桂花はそんなナズナの様子をチラリとだけ確認すると、また目を逸らして、ぼそぼそと喋る。

「ありがとう、桂花ちゃん!制服のポケットに入れて、いつも持ち歩くよ~」

「そうして……。それから、ちゃんと便箋の中身も読んでおいてよ?」

「うん、もちろんだよ! えっと、つまり、赤い蛇のお化けが悪魔で…………蛇をやっつけたお坊さんがリリアナ様ってことなのかな~? で、でも、今はもうマシロ様じゃなくてリリアナ様なんだから、お坊さんから天使様に生まれ変わったってことだよね? あたしたち、真の力が解放されて、坊主頭になったりしないよね?」

 威勢よく答えた後に、心配そうにそう尋ねるナズナに、桂花は肺の中身を全部出し切るような深いため息で答えた。

「……………………そこなの?」

「だ、だって! 女の子として、大事なことだし!」

「たぶん、大丈夫だと思うよ……」

「そっか。なら、いいんだけど」

 生ぬるい桂花の笑みには気づかずに、ナズナはホッと肩から力を抜いた。



「そろそろかな……」

「うん……」

「…………マシロ様の伝承が、天使様と悪魔の伝説の元……ってことなんだよね?」

「そうだと思う。たぶん、マシロ様の伝承を知っている生徒がいて、それが段々、天使と悪魔の伝説に変わっていったんだと思う」

「自殺した子が、復讐のために赤い蛇のお化けを悪魔として復活させて、リリアナ様になったマシロ様がそれを止めようとしている…………ってことでいいのかな?」

「もしかしたら、その子が悪魔なのかも。まだ、分からないけど」

「そ、その子の幽霊が、悪霊?…………になっちゃったてこと?」

 足元から冷気が這い寄ってきた気がして、ナズナはぴゃっと身を竦めた。

「だから、まだ、分からないって、あ…………誰か、来た……」

 辺りには誰もいないので、別に声を潜める必要はないのだが、何となく小声で話していると、コツコツと足音が聞こえてきた。

 グラウンドの西側の通りから、紺色のスーツを着た年配の女性が、こちらに向かって歩いてくる。右手に持っている大きな紙袋から、花束らしきものが覗いて見えた。

 息をひそめて身を固くしているナズナを隠すように、桂花はさりげなく立ち位置を変える。丁度、花束おばさんに背を向ける形だ。

「リリ女の傍で中学生が立ち話してても別におかしくないんだから、不自然に緊張しない! かえって、怪しいから」

「うぅ……ごめん…………」

 ナズナはますます身を縮こませた。

「なんか、私がナズナにカツアゲでもしてるみたいじゃない……」

「く、くふっ、カツアゲって……」

 腰に手を当て、苦虫をかみつぶしたような顔をする桂花を見て、ナズナは思わず噴き出した。

 笑っている内に、花束おばさんは角を曲がり、ナズナたちに軽く会釈をして、草むらのある方へと歩みを進めていく。

 ぎこちなく会釈を返し、その後姿を見守る。

 笑いはもう、止まっていた。


 テニスコートを越えたところで、花束おばさんは立ち止まって草むらに向き直った。

 通りの端で跪き、紙袋の中から花束を取り出す。

 大事そうに抱えた花束を、そっと草むらに横たえると、手を合わせて俯く。

 祠にお参りするというよりは、墓参りでもしているかのようだった。

「行くよ」

「う、うん」

 桂花がナズナの手首を掴んで、草むらに向かって歩き出す。

 桂花も緊張しているのか、その手は少し汗ばんでいた。

 そのことが、かえってナズナを落ち着かせた。

 手首は掴まれているものの、桂花の後をついて行くのではなく、ちゃんと隣に並んだ。


(死んじゃった子の、友達とか、家族なのかな。一体、何があったんだろう。それに、うまく話を聞き出せるのかな…………?)


 どうやって話しかけたらいいのか考えている内に、花束おばさんの背後までたどり着いてしまった。

 花束おばさんは、お参りに集中しているのか、背後にナズナたちが立ち止まったことに、気づいていないようだった。

 桂花が目配せをしてくる。

 ナズナはその意味を正しくくみ取って頷いた。

 邪魔をするべきではない、とナズナも考えていた。



 数分が過ぎ、おばさんが立ち上がったところで、桂花が声をかけた。

「あの、すみません。少し、お聞きしたいことがあるんですけど」

「あら? あなたたちは…………?」

 振り向いたおばさんは驚いた顔をしていたけれど、さっきテニスコートの角ですれ違ったことを覚えているのか、不審に思われてはいないようだった。

「私たち、リリアナ女子中等学園の生徒なんです。リリアナ研究クラブに入っていて、クラブの課題で、この辺りで伝わっている伝承について調べているんです。それで、昔、この辺に祠があったって聞いたんですけど、もしかして祠をお参りしてたんですか? だったら、祠の伝承のこととか教えてもらえないでしょうか?」

 まるで台本でもあるかのようにスラスラと尋ねる桂花に驚愕した後、質問の内容にさらに驚いたナズナは素っ頓狂な声を上げた。

「え!? いじめられて自殺した子の話を聞くんじゃないの!?」

「あっ、馬鹿! そんな、行き成り…………」

 桂花が慌ててナズナの口を塞いだが、もう遅い。

 警戒されたかと、恐る恐る桂花がおばさんの様子を窺うと、花束おばさんは真っ青な顔で、ナズナが手に持っているお守りを凝視していた。穴が開きそうなくらいに。

「違う……違うの…………。自殺じゃない。あの子は、自殺なんてしてない。あの子は、真理子は、私が……したようなものなのよ…………。ごめん、ごめんね、真理子。私があの時、お守りを投げ捨てたりしなければ…………」

 呻くようにそう言うと、おばさんは口元に手を当てて身を震わせ始めた。

 思いがけない展開に、ナズナがあわあわしながら桂花を窺い見ると、桂花も戸惑っているようだった。

 どうしていいか分からずに、その場で立ち尽くしていると、おばさんは鼻を啜りあげ、ハンカチを取り出して目元を押さえた。それから、取り繕うように、ぎくしゃくと笑みを浮かべる。

「ごめんなさい、なんでもないの。ここは、私の友達が事故で亡くなった場所なの。それだけなの。私のせいで、怖がらせてしまったのならごめんなさいね」

「あっ、待ってください」

 そう言って立ち去ろうとした花束おばさんを桂花は慌てて呼び止めたが、その後、何と続けていいものか分からずに、おばさんと後ろの草むらを交互に見ていると、ナズナが及び腰で情けない悲鳴を上げた。

「け、けけけ桂花ちゃん!? も、もしかして、視えるの!? そ、そそそそそそこの草むらに、もしかして、その子の幽霊がいるの!?」

 だが、それが功を奏した。

 歩き始めていたおばさんが、立ち止まって草むらを振り返った。

「真理子がそこにいるの?……………………真理子、真理子、本当にそこにいるの!? ねえ、いるなら、返事をして!? 真理子、ごめんなさい。私、私のせいで! ごめんなさい、真理子っ……」

 流れる涙を拭うこともせずに、必死の形相で、誰もいない草むらに向かって呼びかける。

 何度も、何度も。

 答えは、返ってこない。

 風が、さわさわと草むらを揺らしているだけだ。

「本当に、あなたには、真理子が視えているの…………?」

 草むらを向いたまま、おばさんが桂花に尋ねた。

 桂花が答えを躊躇っていると、さっきまで腰を抜かしそうになっていたナズナが、目元を擦りながら勝手に宣言した。

「桂花ちゃんは、霊感魔法少女なんです! だから、よかったら、何があったのか話してみてください!」

「そう…………なの?」

 泣きはらした目のまま、おばさんが振り返る。

 ナズナには一言いいたかったが、幸いにも霊感魔法少女の件は聞き流してくれたようなので、桂花もそれに倣うことにした。

「真理子さんかどうかは分かりませんけど、何か、気配は残っています。祠にいた神様なのか、真理子さんのものなのかは、分かりませんけど。その、もし、事情を話してもらえれば、私から伝えられることがあるかも…………」

 躊躇いがちに話す桂花を、花束おばさんは黙ってじっと見つめていた。それから、ナズナの手元に視線を移す。ナズナが手に持っていた、薄ピンクのお守りへと。

 しばらくそうしてお守りを見つめながら考え込んだ後、空を見上げる。

 見上げた先の空は、まだ青かったけれど、西の空に棚引く雲には、そろそろ茜が射し始めていた。

「今日、ここで、お守りを手にした子に合うなんて、きっと、これも何かの縁なのかもしれないわね…………。いいわ、お話しします。それが、真理子の供養になるかもしれないなら。大丈夫、そんなに長い話ではないから」

 西の空にチラリと目を走らせて、おばさんは静かに笑った。



 長くはかからないとは言ったが、話が終わったころには、辺りはすっかり薄闇に包まれていた。

「お守り、効果あったね……」

「こういう効果を狙ったわけじゃないんだけど……」

 ご利益、という意味ではない。それも、少しはあるのかもしれないが。

 ナズナが手にしていたお守りをおばさんが目にしなければ、たぶん、うまく話を聞くことは出来なかっただろう。

 狙ったわけではないナズナの言動が、結果的にいい方に転がっていた。

「なんか、思ってたのと、違うはなしだったね……」

「でも、無関係じゃない」

 ナズナたちの見つめる先で、おばさんはグラウンド脇の角を折れ、元来た方へと帰っていく。

 カラスの鳴き声が響いて、ナズナはビクリと身を竦ませ、桂花の腕に縋り付いた。

「もう、暗くなる。私たちも帰ろう」

「うん……」

 歩き出してからは、二人とも無言だった。

 それぞれ、物思いに沈む。


(悪魔って、何なんだろう? なんか、分からなくなってきちゃった)


 花束おばさんの話を聞けば、悪魔が目覚めた理由が分かるかもしれないとナズナは期待していた。それなのに、何だかかえって袋小路に迷い込んでしまったかのよう気分だった。

 花束おばさんの話は、リリアナ様の伝説と無関係ではなかった。

 けれど。

 悪魔が。

 赤い蛇が目覚めた理由は、むしろ前より遠ざかっているようにナズナには思えた。


(悪魔って、ヘビって、一体、何なの? どうして、生まれたの? どうして、リリ女の生徒を襲うの?)


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?