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第14話 学園に眠るモノ

 ノックの音で我に返った。

 桂花けいかが返事をするより先にドアが開き、お菓子と飲み物が載ったトレーを持った桂花の母親が現れた。

「何が好きか分からなかったから、オレンジジュースとウーロン茶にしてみたのだけれど、炭酸の方が良かったかしら?」

「い、いえ! お、おかまいなく!」

 テーブルの上に、空のグラスとペットボトルが二本。スナック菓子が綺麗に盛り付けられた木の器が置かれる。

 緊張して固まっていると、桂花の母親は空になったケーキ皿と紅茶が入っていたカップをトレーに乗せ、「ゆっくりしていってね」とナズナに微笑みかけて部屋から出て行った。

 足音が階段の下へ消えていったことを確認して、肩から力を抜く。

「…………緊張しすぎじゃない?」

「だ、だって! 初めてのお家だし、緊張するよ!?」

「まあ、でも。いいタイミングだったよね。それで、今後の方針なんだけど」

「え? う、うん」

 丁度、ナズナの話が一通り終わって、お互い、自分の考えに沈み込んでいる時だったのだ。

 ユリハナのことで頭がいっぱいになっていたナズナは、ギクリと身を強張らせた。

 今後の方針など、何も考えていなかった。

 桂花はそんなナズナの様子に気付いているのかいないのか、オレンジジュースのペットボトルの蓋を開けながら話を続ける。

 ナズナもオレンジジュースが飲みたかったので、空のグラスをそっと差し出す。

「とりあえず、ユリハナに話を聞いてみたいと思うんだけど」

「あ、あたしも、そうしたい!」

 身を乗り出して、少々食い気味にナズナが答えたが、予想していたのか桂花は手元を狂わせることなく二つのグラスにジュースを注ぎ終える。

 お礼を言ってグラスを受け取りながら、ナズナは首を傾げた。

「カトレアからじゃなくて、いいの?」

 桂花の案に異論があるわけではない。むしろ、大賛成だった。でも、桂花ならば、どこにいるのか、いつ会えるのか分からないユリハナよりも先に、カトレアから事情を聞こうとするのではないかと思ったのだ。

 ユリハナを特別に思っているのは、ナズナだけなのだ。

 桂花は一度ナズナの顔を見た後、オレンジ色で満たされた手元のグラスに目を落とした。

「カトレアは、リリアナと繋がっているから。今はまだ、刺激したくない」

 ポツリと呟く。

 ナズナは不思議そうに目を瞬いた。

 意味が分からなかった。

 それのどこが問題なのだろう?

 疑問には思ったが、あえて追求はしなかった。

 じゃあ、やっぱりカトレアから話を聞こうと言われて困るのはナズナなのだ。

 一番初めに話を聞くのは、ユリハナでなければ嫌だ。真実は、ユリハナの口から聞かされたい。

 それが、ナズナの想いだ。

 ユリハナを裏切り者だというカトレアからは、先に話を聞きたくない。



「ナズナはやっぱり、リリアナを信じているんだよね?」

「え?」

 ユリハナのことを考えて、押し黙ってしまったナズナの耳に信じられない言葉が聞こえた。思わず、顔を上げる。

 桂花がじっとナズナを見ていた。

 長いまつ毛に縁どられた大きな瞳が、ナズナを見ている。

 聞き間違いかと思って、ナズナも桂花を見つめ返す。


 私立リリアナ女子中等学園で、天使リリアナを信じなければ、一体、何を信じるというのだろう。

 天使リリアナの力があるから、ナズナも魔法少女として悪魔と使いであるヘビと戦うことが出来るのだ。

 魔法少女のリーダーであるカトレアには複雑な思いを抱いているナズナも、天使リリアナを疑う気持ちは微塵もない。

「裏切り者」という単語がふと頭をよぎったのを、ナズナは振り払った。


「あの学園には、何かがいる。それは、確か。みんなが、天使と悪魔って呼んでるもの。でも、それは本当に天使と悪魔なの? ここは日本なのに、学園が出来る前から天使と悪魔が眠ってるなんて、何か変」

「それは、でも……! 魔法少女もヘビも本当にいるし、魔法は本当にあるよ! 天使様はちゃんといるんだよ!」

 言われてみれば、確かにその通りな気もしたけれど、でも、それを認めてしまえば、足元が揺らいでしまう気がして、ナズナは必死で反論した。

「うん。魔法少女のヘビも本当にいる。でも、悪魔の使いがヘビっていうのは、何となく分かるんだけど、魔法少女はどこから来たんだろう?」

「え? だって、天使様はあたしたちの味方で、魔法少女は正義の味方だし、天使様に力をもらって魔法少女になるって、別におかしくないよね…………?」

 必死で言いつのるナズナを、桂花は半眼で見つめた。

「どこの幼稚園児なの? 私たち、もう中学生なんだよ? みんなを守るために天使様の力で魔法少女に変身するって、まんまアニメじゃない? 都合がよすぎる。おかしいと思わないの?」

 一気に畳みかけてくる桂花に、ナズナはたじろぐ。


(だって、それは。桂花ちゃんは魔法少女じゃないから、そんな風に思うんだよ。魔法少女じゃないから…………あれ? じゃあ、どうして桂花ちゃんは、こんなにあたしたちのことに詳しいの? 桂花ちゃんは、一体?)


 ナズナの中に、疑念が生まれる。

 まだリリ女がミッションスクールだと思っていた春休みに、試しに読んでみた聖書に書かれていたことを思い出した。

 ヘビにそそのかされて楽園を追放されたアダムとイブ。


(違うよね? 桂花ちゃんは、ヘビじゃないよね? あたし、そそのかされてるわけじゃ、ないよね? でも、じゃあ、どうして、桂花ちゃんは…………?)


「桂花ちゃんは、どうして、あたしと魔法少女のヒナゲシが繋がってることを知ってるの? 桂花ちゃんの目的は、一体何なの?」

 思ったよりも固い声が出て、ナズナは自分でも驚いた。

 これじゃ、責めてるみたいかな、と桂花を窺い見る。

 桂花は、目を見開いて青褪めると、唇を噛みしめた。


(どうしよう。傷つけちゃったかな? それとも…………)


 聞かれたらまずいことを聞いてしまったのだろうか?


 桂花を疑ってしまう自分が嫌で、でも、何と声をかけていいものか分からず、桂花とテーブルの上と視線を行ったり来たりさせていると、桂花が手つかずだったオレンジジュースのグラスを握りしめ、一気に飲み干した。

 ゴンと音を立ててテーブルにグラスを叩きつける。

 大きな瞳が、ナズナの視線を捕らえた。

「そうだね。ナズナの話は聞いたのに、自分のこと、話してなかった。こんなの、フェアじゃないよね。全部、話す。どうして私が〇〇〇〇になったのか。私が、この学園でやろうとしていることが何なのか、全部、話す」

 オレンジジュースにはアルコール分は含まれていないはずだが、桂花の目は座っていた。



「私ね、小学校の頃、インチキ霊感少女って呼ばれてたの」

 空になったグラスを握りしめて、桂花はポツリと呟いた。

 さっきまで、自分を奮い立たせるかのように、激しくナズナを見据えていた瞳は、今は力なく空のグラスに落とされている。

 うっかり「霊感魔法少女」と叫びそうになって、ナズナは慌てて口を閉ざした。

 確か、ルカがそう言っていたのだ。


(でも、どうして、そんな話になったんだっけ?)


「私に、霊感……みたいなのがあるのは、本当。みんなには見えないものが見えたり、感じたり、出来る。だから、かな。私には、天使と悪魔の魔法が効きにくいみたいで、私には、魔法少女の正体が分かるんだよ」

「え?」

 驚くナズナには構わずに、桂花は話を続けた。

「だから、ヒナゲシが誰かも知ってる。サルビアも、スイレンも。キキョウとスズランが、何年何組の誰なのかも知ってる」

 ナズナは呆然と桂花を見つめる。見つめているしかできない。

「私は、リリ女から、ヘビも悪魔も追い出したいの。魔法少女の力じゃ、本当の意味でヘビを倒せない。だから、天使と悪魔の正体を知りたい。リリ女の中で、何が起こっているのか、本当のことを知りたい。敵を倒すにはまず、敵のことを知らないと」

「そ、そんなことない! 魔法少女の力で、ちゃんとヘビは倒せるよ! 桂花ちゃんは知らないかもしれないけど……」

「知ってる。知ってるから、言ってる。あれ、倒してるわけじゃない。弾が当たれば、霧状にバラけるけど、それだけ。時間が立てば、また集まってヘビになる。本当の意味で倒せてない」

「そんな、それじゃあ、あたしたちは、一体…………」

 自分たちのしていることは、無駄なことだと言われたようで、声が詰まる。

「襲われている生徒を助けることは出来るし、全く意味がないってわけじゃないと思うけど。でも、ただパトロールして現れたヘビをその場しのぎで倒しているだけじゃ、本当の意味での解決にならない。だから、だから、私は…………」

 そう言って、桂花は唇を噛みしめる。

「どうして、どうして、桂花ちゃんは、そんなに…………」

 もう、桂花が裏切り者だとは疑っていなかった。

 桂花が本気で、ヘビを、悪魔を倒したいと思っているのが分かった。

 でも、それはなぜなのか?

 ヘビと悪魔を倒したいという、桂花のこの強い気持ちはどこから来ているのだろう?


「私に、所謂霊感っていうのがあることは、みんなには秘密にしてた。死んじゃったおじいちゃんと、加奈ちゃん以外には」

「加奈ちゃん?」

「友達、だった」

「え? だった? え、と、今、は……?」

 桂花の手が、空のグラスを握りしめる。爪の先が、白くなっていた。

「加奈ちゃんのお姉さんは、リリ女に通ってた。合唱部に入ってて、県大会で優勝するために、部活、頑張ってた。練習は大変だったみたいだけど、でも、毎日楽しそうで、家でご飯食べてる時も、部活の話ばっかりだったって言ってた。なのに、ある日突然、部活のこと、全く話さなくなったって……」

 ナズナは息を呑んだ。

 その話は、聞いたことがある。

 ヘビに襲われた生徒の噂。

 部活一筋だったのに、まるで別人になったみたいに部活への興味をなくしてしまった生徒の話。

「加奈ちゃんや家族が心配して部活のことを聞いても、逆に不思議そうにされて。まるで、部活への情熱をどこかへ置き忘れてきたみたいだったって。あんなのお姉ちゃんじゃないって、そう言ってた。加奈ちゃん、お姉さんから天使と悪魔のことを聞いたことがあったみたいで、お姉さんはきっと、悪魔に心を取られちゃったんだって。それで、私に、お姉さんを助けてって言ったの」

「助け、られたの……?」

 桂花はナズナの問いかけには答えずに、話を続けた。

「加奈ちゃんは、笑ったり、馬鹿にしたりしないで、いつも私の話を聞いてくれた。だから、何とかしてあげたかった。頼られて、嬉しかった。だから、だから、私。ただ人と違うものが見えるだけで、お祓いとか、そう言うことが出来るわけでもないのに、私が絶対に何とかするって、簡単に引き受けて。加奈ちゃんに、期待させて」

 ポタリ、ポタリと。

 グラスを握る桂花の手の上に、大粒の涙が零れ落ちていく。

 どうなったのかなんて、聞くまでもなかった。

「嘘つきって、言われた。お化けが見えるなんて、本当は嘘だったんでしょって。次の日から、インチキ霊感少女って噂が流れて、誰にも話しかけられなくなった」

「そんな! ひどいよ! 桂花ちゃんは、悪くないのに」

 友達を助けてあげることが出来ず、揚句、その友達に裏切られたのだ。

 その時の桂花の気持ちを思って、ナズナも涙ぐむ。


「私がリリ女に入ったのは、親に勧められたからなんだ。市立の中学だと、小学校の持ち上がりだけど、私立のリリ女は市内のいろんな小学校から生徒が集まって、人間関係がリセットされるからって。それに、リリ女は市立に比べていじめが少ないって評判だし」

 ナズナも一緒に泣き始めたのを見て、逆に気が落ち着いたのか、桂花は手の甲で涙を拭うと、また話を続けた。

「その、加奈ちゃんって子は?」

「市立の中学に行ったよ」

「そ、そっか」

 そう聞いて、ナズナは少し安心した。

「リリ女に、ナニカがいるのは分かってたけど、でも私はリリ女を選んだ。お母さんたちを安心させたかったのもあるけど、リリ女に入学したら、もっと何かが分かるんじゃないかと思って。少し怖かったけど、でも、加奈ちゃんのお姉さんから大事なモノを奪ったヤツのことを知りたかった。だから、私が〇〇〇〇になったのは、ナズナと同じ、すごく個人的な理由なんだよ。まあ、結局、〇〇〇〇になっても、あんまり詳しいことは分からなかったけど」

 グスリ、と鼻を啜りあげながら、桂花は少し笑った。

 桂花の涙はすっかり止まっていたけれど、代わりにナズナの方は涙が止まらなくなっていた。

「うっく。桂花ちゃんっ…………。あた、あたしも、協力する……。あたしは、桂花ちゃんの、仲間だからね…………!」

 しゃくり上げ、ズルズルと鼻を啜るナズナ。そんなナズナを呆れた顔で見つめた後、桂花は立ち上がって、ティッシュボックスとゴミ箱とってきてナズナに渡した。

「あり、ありがとう」

 受け取って、ナズナは早速、鼻をかみはじめる。


「仲間……か…………」

 ポツリと呟かれた桂花の声は、鼻をかむ音に遮られて、ナズナの耳には届かなかった。


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