――カキンッ!
迫る刀を跳ね返した義宗は振り返った。
「武丸様!」
視線の先には荒い息を繰り返す貞暁。
「平気だ」
一息を入れ、体勢を整えた貞暁は倒れている住蘭を見下ろす。
「人を救わねば…」
小さな声でつぶやく住蘭のゆったりと意識を取り戻していく。
生きている?
瘴気も鬼力も感じない。
すでに命を終えられていると思ったのは奇遇だったのか?
「諦めない。この地は俺のもの…」
悪鬼に毒されての事だと思ったが、欲とは恐ろしい。
ゆらりと起き上がる住蘭の瞳は充血し、焦点があっていない。
怖えっ!
思わず構えの姿勢に入る。しかし、
「ぐはっ!」
仁王立ちする住蘭の頬を何かが直撃し、再び倒れたのであった。
「よくも浪子様を…」
因子様!
深淵の姫君とは思えぬ形相で住蘭を本で何度も殴る彼女の目には涙が溢れている。
「因子様。もう、終わったのです」
貞暁は気絶している住蘭に視線を映し、因子のそばに膝をついた。
「終わってなどいません。私のせいで…」
「違います。悪いのはその男です。ですから、お話したように奴のために瘴気をため込む必要はないのですよ」
「でも、なら私はどうしたら浪子様に償えるのですか?彼女に何も返せない。詠む歌を笑って聞いてくださっていたあの方に!」
「償いは必要ありません。因子様が浪子様を忘れず、思い出を大切になされれば、きっと記憶の中で笑ってくださいます。その男にも処罰は下される。ですから…」
「思い出ですか?」
「はい」
安易な慰めしかかけられないとは…。
俺も所詮、ただの人だな。
貞暁が一人落ち込む中、因子は小さく息をついた。
「世の中は 夢か現か 現とも 夢とも知らず ありてなければ…」
因子の声は空へと消えていく。
夢は夢から覚めて初めて夢だと分かる。この世が夢であるとされても、その夢から覚めない限り、この世を夢であると決めつける事はできません。
「私は夢に行きたい。そうすれば、浪子様にまた、会えるかもしれませんから」
「大切なご友人だったのですね」
「それはもう…。あの方だけでした。友と呼べる者は…」
「羨ましい限りです。私はただ一人の友と語れる者もおりませんゆえ…」
「貞暁様…」
同じ寺で修行する者達をそう呼べない事もないが、本音を言えるかというと無理だ。
「因子様がよろしいと思うなら、私を新たな友としてくださいませ。浪子様の変わりは務まりませんが、お話相手にはいつでもなりますよ」
「やはり、お優しいのですね。お父上様が懇意にされるのも分かります」
瘴気払いにこき使われているだけな気もするが…。
「やはり、同性の方が良いですね。失礼しました」
「いえ、嬉しいです」
暖かな雰囲気が流れていく。
「そいつを始末するか?」
場の空気を変えたのは武士達を片付けた義宗であった。
この瞬間にも住蘭に刀を振り下ろそうとしている。
ぎゃあっ!
だから、そう簡単に斬ろうとするなよ。
「やめてください」
「だって、アイツら弱くって、話にならない」
至る所でうめき声をあげながら地べたを這いつくばっている武士達が転がっていた。
鬼力の気配がない。式鬼契約が切れたのか?
「命を奪わなかったのですね」
「だって、武丸様嫌がるだろ?だから、そいつだけでも…」
「私を思って、考えを改めてくださったのなら最後まで貫いてください。住蘭の裁きは朝廷にお任せします。因子様もそれでよろしいでしょうか?」
「貞暁様に従います」
因子様は小さく頷く。
「ところで、なぜこちらへ?」
「貞暁様が決戦に向かわれたとお父上様が騒いでおりましたから…」
慌てふためいている定家様の姿が容易に想像できて、頭を抱えた。
「まさか、こっそり来られたのですか?」
「住蘭は私が先に殺りたかったんです。浪子様の仇ですから」
因子様、意外と過激な方なの?
印象、変わるよ。
うん?
俺の周り、発言が物騒な奴ばっかりじゃね?
一人、紋々とする中、
遠くで笛の音が響いた。
「あの音は?」
義宗は振り返る。
やっとか。
「後鳥羽上皇様が
「検非違使?」
「都を守る武に心得の有る者達です。もちろん、ご存じでしょう?」
義宗に問えば、空を仰いでいた。
まさか。知らないとか言わないよな。
平安時代からある由緒ある
お前の実の父、義経公も任命されていた。
「なら、早くここを離れた方がいいな。面倒になるだろ?さっさと行くぞ」
話、そらしやがった!
「ちょっ!」
両脇に貞暁と因子を抱えた義宗は軽やかな足取りで塀を乗り越えていく。
「空を飛んでいるみたいだわ」
嬉しそうな声をあげる因子様とは対照的に貞暁はうんざりしていた。
またか…。
そして検非違使が廃寺になだれ込んでくるのが見える。
後鳥羽上皇の見切りの速さには関心する。
そして、仕事の速い定家様にも…。
文には住蘭の念仏会の不透明さ。念仏の名を語り、多くの公家の方々を慰め者にしているという密告を記したのだ。あまつさえ、上皇様のお優しさに付け込み、意のままに操り、朝廷をわが物にしようとしていると尾ひれをつけて報告した。
若干、真実と異なるがその辺りはご愛敬で済まされるだろう。
武力によって朝廷を、京を混乱させようとしていたのは事実だしな。
念のため、文に鬼言も書き込んでおいた。上皇様も住蘭の術に、はまっている可能性があったからだ。
しかし、完全にではないとは予想していた。でなければ、住蘭はもっと露骨に朝廷に介入していたはずだからだ。とにかく上皇は文を聞き届けたのだ。兵を出したのがその証拠だ。
上皇様は俺が予想した通りの人間という事だろうな。
自分の地位を少しでも脅かしかねない人物を見逃すほど、寝ぼけてはいない。
そうでなければ、長年、あの地位にはいない。
「定家殿から後鳥羽上皇の元に文が届くと見越していたのか?」
「可能性はあると思ったまでです。これでも頼朝の血筋。その文ならば、興味を持つだろうと…」
「ならば、やはり鎌倉殿に名乗りを…」
「それとこれとは別…。住蘭のような末路はごめんですから」
「あんな男と一緒にするなよ。貴方様にはれっきとした大義名分が…」
「そう言うのが嫌なんです。何度も言いましたが私は穏やかに過ごしたいんですよ。ですが、そうですね。一つ、考えを改めた事もあります」
「なんだ?」
目を輝かしたところで、この男が望む言葉を紡ぐ気はない。
「人は簡単に戦いたがるのだと身をもって知りました。その芽を摘めればと思います」
「それはどういう意味だ?」
「お前の復讐心を失くす所から始める」
真剣なまなざしを向ければ、義宗は大笑いを始めた。
「それはない」
「だから、やりがいがあるんです」
貞暁は義宗の中にある義経という名の怒りの炎は未だくすぶっているのを確認する。
瘴気への耐性があったとしても、いつ悪鬼になるか分からない危うい物。
この男も住蘭のようになる可能性は無いわけではない。
やれやれ。これでは高野山に行くのはしばらく先になりそうだな。
だが、旅立つのは今でなくてもいい。
この男との出会いも何かの縁かもしれない。
ならば、その負を消し去る手伝いをしてやっても罰は当たるまい。
頼朝がこの光景を見たらなんというのだろうか。
かつて、死に至らしめた弟の忘れ形見と己の息子がこうして、顔を突き合わせている姿など想像もしなかっただろうから。
「武丸様。勘弁してくれよ。復讐心がなきゃ、俺が生きている意味がない」
「復讐心は大切ですわ」
なぜだか会話に入ってくる因子は納得したように頷いている。
「そうだろ。姫さんは話が分かるな」
「姫さんですって!馴れ馴れしい!却下!」
「はあ!」
ひと騒動起こしそうな因子様と義宗を前に貞暁は眉を顰める。
俺を無視して、話が広がり始めた!
まだ、言いたい事もある!
のけ者にされたら困るだろうが!
「つれないですね。叔父さん」
あえて、猫なで声をあげれば、腰に回る義宗の力が強くなる。
「叔父じゃねえ」
「関係性的には叔父上でしょう?自分がおっしゃったんですよ」
「叔父さんっていう響きはなんだかしっくりこねえ」
へえ~。良い事聞いた。
「叔父さん!」
「やめろ!」
この数日後…。
後鳥羽上皇の命で住蘭と呼ばれる僧侶とそれに与した者達が斬首に処されるのを三人はまだ知らない。
「呼び方なんて自由でしょう?」
「姫さんは黙っててくれ」
「だから、却下だと言いました」
因子は不満げに義宗の腕をつまんだ。
「自由じゃねえじゃん!」
「では、叔父さん呼びも許して差し上げたら?」
因子様、よく言ってくださった。
「部外者は黙ってろ!」
義宗は因子にそっぽを向く。
「その態度は容認できませんね」
貞暁は義宗の頬に両手を添え、鋭い視線を向ける。
「叔父さん呼びを受け入れてくださらないなら、私の事も武丸ではなく貞暁と呼んでください」
しばし、見つめ合う貞暁と義宗。
この時間、なんだよ。
さっさと頷けば済む話だ。
「武丸様が良い!」
謎なこだわり発言、意味不明すぎるぞ。
武士ってみんなこうなのか?
「では、叔父さんで…」
ああでもないこうでもないと言い合う三人を欠ける月が照らしていた。