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第17話 住蘭

「これから、大仕事が待っている。楽しむなら今のうちだ」


住蘭は女や男に群がる武士達に投げかけた。

そこかしこで、着物がはだけている者達の表情は様々だ。

恍惚としている女や泣いている公家の男。

ボーっとしている農夫もいる。


それとは対照的に刀を携えた武士どもの瞳には獣が宿っているようだ。


どうやら、皆、準備は万全のようだな。


住蘭は鼻を鳴らして笑った。


人を操るなど動作もない。

特に馬鹿な武士どもなら片腕だけで十分だ。

単純な欲を満たしてやれば事足りるのだから。

例えば、女をあてがったりだ。

それだけで、有頂天になる連中。

俺の神秘の力はその人物の欲と馴染む事で自らの糧とできる。

だから、俺の命令に従う眷属にするのも容易い。

なんと、素晴らしい力だろう。

おかげで、長い間、練ってきた計画が実現できる。


そう考えるだけで胸のあたりがうずうずとたぎるのだ。

この廃寺ともついにおさらばだ。


住蘭は自分の頭の良さに酔いしれた。

しかし、招かれざる気配を感じて、思わず背筋を伸ばしたのである。

暗闇の中に立つ男を見て思わず笑った。


「おや、このような夜更けに何用でしょう?」


現れたのは貞暁とかいう僧侶。

高潔な血筋を持つ男。そして、俺と同様に高みに生きる人間。


やはり、送り込んだ刺客は始末されたか。


後鳥羽上皇などよりもずっと厄介な男だ。だが、興味深くもある。

それこそ、この僧ならばより強い力となるかもしれない。

やはり味方に付けておいた方が得策か?


この瞬間にも集まった武士達が松明を持ち、朝廷に攻め込む瞬間を今か今かと待ちわびている。

その中に貞暁を混ぜてやろう。

奴の欲をあぶり出し、神聖な眷属の一員に加えるという名誉と共にな。

それが同類の好というものだろうから。


その真っすぐと俺を射抜く瞳にどんな色が芽吹くのだろうか?

楽しみだ。


住蘭が一歩、踏み出せば貞暁は小さく一礼した。


「物々しい雰囲気ですね。戦でも始める気で?」

「そのように見えますかな?」

「ええ。出なければ何だと言うんです?」

「貴方様のおっしゃる通りですよ」

「否定なされないので?」

「する必要がありませんから。貞暁殿もご一緒にいかがです?」

「冗談でしょう?皆、どうしてそう死に急ぐのか」

「武士の頂点に立ったお方の息子とも思えない」

「はい?」


出自を把握されているのがそんなに不思議なのか?


「存じていますよ。貴方様の中に流れる血の由来を…」

「お調べに?」

「私に助けを求めた落武者が話してくれたのです。望まれぬ頼朝の血を消せば、大金が入るとね」

「もしや、その世迷言を横取りしたと告白されているのですか?」

「受け取り方はご自由に。ですが、何かと物入りでね。大金の話に乗らない手はない。当ては外れましたが…」

「残念ながら、このように足はついていますよ」


動作一つ一つが鼻につく男だな。


その場で飛び跳ねる貞暁に住蘭は眉を顰めた。


「その落武者も式鬼にされたのですか?」


式鬼?


「分からぬのですか?私の元に送り込んだ刺客の事です」


何もかも承知のうえで、俺と言葉遊びを楽しむ気か?

何様のつもりだ。

ああ、胸の通りが悪い。

その澄ました顔をゆがめてやりたい。


「その様子ですと殺したのですね。なんと惨い…」

「使い捨てにする術をかけたのは住蘭殿では?ご所望なら、あの方がどのように亡くなったかお話いたしましょうか?」


ちぇっ!皮肉も効かないか。

冷淡な男だな。

顔色一つ変えねえとは…。


「結構ですよ。使い物にならなくなった人間に用はありません」

「簡単に切り捨てるのですね」

「私の手助けになりたいと言う者は後をたちませんゆえ」

「人心掌握術に長けていらっしゃるようで…。それが住蘭殿のお力で?」


住蘭はおどけたように肩をすくめた。


「たまたま、この身に授かった神の力を人の幸せのために使っているだけですよ」

「人のためですか?」

「そうです。私には人を救う力があるのです。だから、こうして、救いを求めて人が押しかけてくる」


そうとも…。俺は特別なのだ。

家族はそれを分かっていなかった。

だが、神は見捨てはしなかった。

だから、直接語りかけてくださったのだ。

俺を蔑ろにする者は見捨て、自らの足で歩き出すようにと…。


声に従うのは当然だろう。神が折角、示してくださっているのだから。

故に、家族を殺したっていいはずだ。

無価値な連中だったのだから。


今も奴らが血を流し倒れる光景は鮮明に思い出せる。

何せ最高の瞬間だったからな。


そして、俺は放浪の旅に出た。何も不自由はしない。

神から授けられた人の欲望を垣間見る力が懐を豊かにしてくれたからだ。

威張り散らしている公家の連中も俺に頭を下げる。

いい気分だ。そのうち、何もしなくても人が集まってきた。


想わぬ人脈を引き連れて…。


後鳥羽上皇もその一人だ。朝廷の権力を誇示する生きる妖怪。

そんな噂が囁かれる人物だが、現れた老人は朝廷を牛耳るには取るに足らない痩せ焦げた人物だった。


こんな老いぼれが京を支配しているのか?

なんと、滑稽な。

思わず笑いがこみあげそうになった。

今ここで後鳥羽上皇を眷属にして、俺の傀儡にしてしまおうか。

そうすれば、朝廷は俺の物だ。いや、さすがに人の目がありすぎるか。

まあ、いいさ。こんな老人、いつでもいかようにできる。

もしくは、俺がこの国の主になるという手もあるな。

俺にはその資格があるのだから。


あの瞬間、夢が生まれたのだ。


「貞暁殿。私はね。仏の道を模索する中で、すべての悪の元凶は権力者にあると悟ったのです」

「何を世迷言を…。まともに修行をした事もないでしょうに」


やはり、本物の僧には分かるか。

しかし、だから何だと言う。

あの余命いくばくもない老人が国を回しているのだ。

この俺にできないわけがない。


「ですがね。同じく神に愛された貴方様ならお分かりになるでしょう?人ならざる力を授けられた私ならば、この国をもっと上手く回せると言う事が…」

「神?住蘭殿。もしや、ご自身が扱う力の本質を分かっておられないのですか?」


この男は何を言っている?

何百という数の神々は古来よりこの地を守ってきた神聖な存在だ。

各地で崇められているではないか。

それらに俺は選ばれたのだ。


それでも貞暁という僧の瞳には哀れみの色が滲み出ている。


腹が立つ!


「朝廷をおさえた暁には幕府を攻め落としますよ。これなら、貞暁殿も興味があるのでは?」

「恐ろしい事を!まさか戦をなさるおつもりだったとは…。」

「弱腰な物言いですね。貴方様を蔑ろにした者達を叩く好機だというのに」

「無意味な事です。そもそも、幕府は…。源の一族は呪われている。これ以上、何を望むというのです?」

「やれやれ。思っていた以上に役立たずな方だ。これでは幕府を追われ、落武者となった者達の方が使える」

「追い出された?」

「お話いたしましたでしょう。私に助けを求めた者達の多くがあの地から流れてきた者達なのですよ。ですが、野蛮な連中でもありますな。どいつもこいつも情を発散したいという欲ばかり。呆れてものも言えませんよ。さらに、深淵の姫君が良いと言う妄想に浸る始末。眷属にするのも大変なのです。一時的にでも奴らの願いを叶えてやなればならないですからね」

「まさか、それが理由で念仏会を開いたのですか?」

「うまい物でしょう?私の念仏は公家の姫君たちも存分に引き寄せてくれました。それだけではなく仏という言葉を紡ぐだけで馬鹿な公家も庶民も簡単にほだされる。後鳥羽上皇とて同じ…」


まあ、藤原定家の娘を捕まえたかったのは眷属契約の儀式場の近くに居合わせても意識を保っていたからだがな。腕に覚えのある武士どもですら、すぐに俺の軍門に下ったと言うのに。

神は彼女を欲している。きっと、強い眷属となり、俺の計画の礎となってくれるという意味なのだろう。それは貞暁という僧にも言える事だが…。


「本当に天下を取れるとお思いですか?いくら戦力を揃えたといっても高々数十人程度でしょう。朝廷は知りませんが、幕府には多くの手練れがおります。それだけは分かります」


馬鹿が!

戦力と知略、両方網羅するために武士も公家を眷属にしたんだろうが!

それに俺には奥の手も残されている。


「私には心強い味方が付いているのですよ。念仏会はね。私を愛してくださっている神への貢ぎ物の意味もあったのです。眷属が増えれば増えるほど、神聖な力はより強大となるのです。それこそ、どんな、戦力よりも役に立ちます。そうでしょう?」


貞暁は思わずため息をついた。


「お前のような奴とまともに話そうと思った私が愚かでした」

「ふんっ!」


なんだよ。折角、丁寧に説明してやってるのによ!

神が興味を示しているとはいえ、最初の計画通り始末してやるよ。


「住蘭殿。皆が貴方に救いを求めると言いましたが、それは不安だからです。多くの者が念仏にすがり、この世の先の混沌を鎮めたいと願っている」

「甘いですな。戦いなど、私でなくとも誰かが始める。早いもの勝ちです」

「何を語ろうとも、意味はありません。住蘭。鬼力を人を惑わす道具に使い、悪鬼の糧とした貴方にかける言葉は私にはない!」


貞暁は静かに目を閉じたのであった。

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