――ドンッ!
定家が貞暁のために提供してくれている寝殿から爆音が漏れて、思わず足の速度が上がった。
「さあ、吐け。誰の指図で武丸様を狙った?」
目に飛び込んできたのは賊の背中を刀の柄で叩く義宗の姿である。
「やめてくだされ!」
「なぜだ?こんな輩に情けは無用だぞ」
「ですが、このままでは死んでしまう…」
「構うものか。この男だって覚悟の上!」
「いけません」
「はあ…。武丸様は甘すぎる」
本当に相いれない…。
「この方は痛めつけられても吐くような者ではないのでは?武士とは誇り高き者でしょうから」
「真の武士ならな。この男がその言葉に似合うかどうかは試してみれば分かる事だ」
うわっ!
殺気隠す気ないのかよ。
怖ぇな!
人様の屋敷を血で汚す気か?
参ったな。
どうにかして止めなくては…。
貞暁は必死に頭を回転させた。
「時間がもったいないでしょう。貴方がどう思っているかは知りませんが、私だって怒っているのですよ。折角の就寝を邪魔されたのですから」
「おお…。では武丸様自ら、刀を振るうか」
お前に刀を握らせていたら大惨事になるからだよ!
それにこの男から妙な気配がする。
「何でもかんでも刀で解決しようとしないでください。手は他にもあるのです。悪しき物にはそれ相応なやり方がね!」
貞暁は賊の男に向き直った。やはり、微量の鬼力を感じる。
住蘭が漂わせていた物と同じだ。
ならば、この男、おそらく…。
「貴方、式鬼ですか?」
「式鬼?なんだそれは?」
義宗はよく分からないとばかりに首を傾げている。
「視える者がある手順を組むことで従えさせている者達の事です」
この男は因子様が目撃した儀式によって、式鬼となったのだ。
だから、住蘭の鬼力を纏っている。
「つまり、鎌倉殿に仕えている御家人みたいなものか?」
「ちょっと違いますが…。まあ、主の命令に絶対という点ではそうでしょう。ですが、式鬼は主に絶対逆らえません。そうですね。陰陽師が使う式神などの方が近いかもしれません」
「本物の陰陽師とか見たことねえからピンと来ねえな」
「さようですか」
式鬼といえど、悪鬼由来でないこの男なら、今の俺の力でも干渉は可能かもしれない。
貞暁は小さく息を履き、淀んだ賊の瞳を真っすぐに見つめた。
「カッ!」
短い鬼言を唱えると賊の肩がピクリと動き、顔に黒い模様が浮かび上がっていく。
「答えろ!誰の指図だ!」
貞暁は静かに問いただした。
賊の瞳は不気味な血の色に変化していく。
「お前を殺れば、大金が入る…」
どの刺客も似たような事しか言わねえのかよ!
「なるほど。雇い主も知らずにここまで来たのですか?」
「すべては主様の命令」
主?
住蘭の事か?
あの男がなぜ、俺の命を?
「どうせ、北条に決まっている」
今にも斬りかかりそうな義宗の腕を咄嗟に掴む。
だから、何でもかんでも力で解決するなよ。
「私の事はよいのです。因子様を拉致しようとしたのはなぜですか?」
「藤原定家の娘を連れてこい。それが主の命令…」
「では、主とは誰です?」
式鬼は契約者の名を口にすることで解放されるはず。
貞暁は賊に刻んだ鬼言に力を込めた。
「うううっ!」
「苦しいでしょう?ならば、早く言ってしまいなさい。それで、すべて解決いたします」
「ああああっ!」
賊はその場で悶え苦しみながら、こときれた。
その胸に鬼と記された痣が浮かび上がっている。
おそらく、情報漏れ阻止のためにほどこされた術だ。
可哀そうに。式鬼のまま、亡くなれば魂はあの世に行かず、消滅する。
そもそも、必要な情報は手に入っている。術は意味をなしていない。
哀れだ。
貞暁は名も知らぬ男の死を悼み、お経を唱え始めた。
「賊のために祈るのか?そんな事をしている場合ではない!ここは危険だ。逃げた方が良い」
「それは無理です」
「なぜだ。何度も命を狙われただろう?身に染みないのか?武丸様には戦う他、道はないのだ。だから、一刻も早く決起するべきだ」
「戦いたいなら貴方だけでやってください」
「できない!」
「それこそ、なぜです?義宗…お前は
「何を言っている?」
「しらばっくれないでください。頼朝は義経の血筋をことごとく亡き者にしましたが、免れた者もいると聞きます。貴方がそうではないのですか?」
「その事は幕府内でも知る者は少ないだろうに、よく分かったな」
「それは…」
義宗の中に幾度となく見え隠れていた武人。
今では伝説となりつつある義経公の甲冑を身に纏っていた。
あれを
だが、その周囲には強い瘴気が漂ってもいた。
無念のうちに倒れた義経公の恨みのせいか…。
しかし、あの方も頼朝と同様に多くの血を流した。
故に悪鬼がその形を成して、子に取り付いているのかもしれない。
だが、義宗は平気そうだ。
一体、なぜだ?
「俺は幼少期に武丸様のお祖父様。伊達の父上の養子となっていたから命を長らえたのだ」
「では、叔父だというのは間違いではないのですね」
「そうだな」
「なおの事、鎌倉殿になりたいのは貴方でしょう?」
「まさか。俺にとっちゃあ、義経なんざ、どうでもいい。俺の父上はお前のお祖父様だけだ」
「ならば、なぜ?」
「そうだとしても、許せないのだ。生みの父親を死に追いやった頼朝がな。その人生の証たる鎌倉幕府を潰したいと切に願っている」
そうか。平気なわけではないのだな。
その身に宿っている得体の知れない悪疫の影響化にこの男は置かれている。
まるで、怒りや復讐心を常にあおられ続けているような…。
そんな気がする。俺や住蘭とも異なる力だ。
「それが真実の言葉と言うなら、なぜ私に鎌倉殿になれとおっしゃるので?」
武勇が語られる義経の子ならば、味方につく者も多いだろうに…。
「頼朝の治世になって何年経っていると思っている?今更、亡霊の名が挙がったところで一瞬の花火のように散るだけだ。だからこそ、頼朝の正当な血筋である武丸様、貴方が必要なのだ。今の幕府に不満を持つ者は多い。きっと、立ち上がる連中が後を絶たないだろう。それにお前も憎いはずだ。不遇な扱いを受けてきたのだからな」
「私は穏やかに過ごしたい。復讐をするなら、他人を巻き込むな!」
貞暁は義宗ではなく、その中にいる武人に語りかけた。
今の世を生きる彼を解放してほしいと語るように…。
だが、心からの叫びと共に放たれた鬼言は消え去り、届かない。
ダメか。
引きはがすのは難しい。
「お前は何も感じないのか?」
「これも運命です」
「弱気な男だ。見損なった」
「それで構いません」
怒りに燃える義宗に貞暁は背を向けた。
「どこへ行く気だ」
「住蘭殿に会いに…」
「何をしに?」
「奴の思惑を叩くために」
奴が俺に刺客を差し向けた理由は分からないが因子様を攫いに来たのなら、また来るかもしれない。
悠長な事は言ってはいられないのだ。
貞暁は懐から文を取り出し、義宗に握らせた。
「これを定家様に。お前は来なくていい。腰抜けに付き合う必要なないのだから」
どんな理由かは不明だが、悪鬼を飼っている状態に近い義宗を連れていけば、どのような事になるか分からないしな。