妙な念仏会を後にした貞暁であったが、定家様の屋敷に戻ると別の問題にぶつかっていた。
「貞暁殿。料理はお口に会いましたかな」
「定家様。このようなおもてなしをして頂き感謝いたしますが…。少々、豪華すぎるかと」
並ぶ色とりどりの膳に困惑を隠せない。
贅沢に味をしめると後がつらいんだよな。
どうせ、寺に戻れば質素な生活に戻るんだし…。
はあ…これも試練なのか?
「いやいや、何をおっしゃいますか。因子のために腕の立つ御仁まで連れてきてくださったのです。これぐらいしなければ、罰があたります」
膳をつまむ義宗は終始、ニヤケ顔である。
コイツが勝手についてきただけだ!
しかも、因子様のためですらない。
「任せろ。姫君の身に危険が及ぶと大変だからな」
何をしれっと嘘ついてんだよ。
この瞬間にも俺の漬物に手を伸ばす義宗に怒りを通り越して呆れてくる。
やめよう。この数時間でコイツの性格はなんとなくわかった。
言っても無駄だ。
「公家のお方。こりゃあ、美味い!」
「分かりますかな」
談笑を始める二人にますます、頭が痛くなり、貞暁は肩をすくめるのであった。
「くつろぎすぎでは?状況をお分かりで?」
「ここの姫様がなんか、面倒に巻き込まれてるのを武丸様が助けてるんだろ」
「そうです。ですから、貴方にかまけている暇はないのです」
「心配するな。俺はどこへでもついていく。特にこんな美味しいもんにありつけるなら」
食べ物、目当てかよ…。
「まさか、ここに居座り気で?」
「武丸様がいるならな」
「寝る場所が出来たと内心喜んでおられるのでは?」
沈黙のままに再び、お椀を口に運ぶ義宗。
図星か!
本当に鼻に突くんだが…。
もう、一回殴ってやろうか!
「私はいつまでも居てくださって構いませんぞ」
定家様は神にでもすがるように義宗を拝んでいる。
えっと…。どういう感情なんです?
定家様。やっぱり、分からん方だ。
ああ…一刻も早く解決して、高野山に逃げたい。
「ところで因子様のご様子は?」
「相変わらず、ぐっすり眠っている」
飄々とされていた定家様の声がわずかに沈んでいる。
「さようですか」
「ところで貞暁殿は先ほどから何をしておられるので?どこの言語ですかな?見た事もない」
「これは鬼言です」
「おお、貞暁殿が使われる不思議な力の源ですな」
定家様は熱心に筆を動かす貞暁の背後から覗き込んだ。
「さすがは武丸様だ。陰陽術まで使えるのか?」
関心したように義宗は何度も頷く。
「陰陽術ではありません。あれは霊力由来の術ですから。これは悪鬼が纏うのと同じ力ですよ」
「悪鬼?」
そうだった。この男は知らないんだったな。
「悪意を持って人の世にあだ名す、まやかしの類です」
「その鬼言とやらを書き綴っているのはなぜなんだ?」
「住蘭というあの男に対抗するためです」
「危険なのか?」
「奴も鬼力を纏う者ですから」
こうして会話をする中でも貞暁の手は止まらない。
「何!では、その住蘭とかいう僧は悪鬼なのか?」
慌てふためく定家様に落ち着くように促した。
「そうは言っていませんが、少なくとも私と同類なのは事実です」
「何をおっしゃるか。貞暁殿と出自も分からぬその男とは何もかも異なっているではないか」
「ですが、私も鬼力を使える身。悪鬼に近しい者ですよ」
かつて、鬼言を教えてくれたばあさんもそう言っていた。
「それは違いますぞ。貞暁殿は私の無理難題にも嫌な顔せずに付き合ってくれている」
ご自身の言動は理解しておられたのか…。
なら、おやりにならなければよい物を…。
そもそも、嫌な顔はしていたぞ。
「ですが、怖くはないのですか?悪鬼をあれほど怖がっておられるのに…」
「それはまあ…。要は
「はい?」
「あのお方も怨霊として、京に悪疫を生み出されたが、今は結界の一部を担っておられる。そういう事です」
どういうことだ?
「つまり、定家殿が言いたいのは、武丸様は鎌倉殿に相応しいという事だ」
お前の思考はどうなってるんだよ。
今の会話の中に鎌倉の一文字も出てきていない。
まるで感銘でも受けたと言わんばかりに頷いているのも腹立つ。
「そのような話はしておりません。いい加減、諦めてくれよ!」
いかん。また、素が…。
何だか、どっと疲れてくる。
これではいつまでも書きあがりそうにない。
貞暁の嘆きと共に夜は更けていくのであった。
だが、そんな彼らを狙う者達が屋敷の周りを取り囲むように忍び寄っていた。
月が雲で隠れてゆく。
「守備はいいか?」
数人の賊達が狙うのは…。
賊は高揚感に浸っていた。
今までの連中はことごとく、失敗した。
だからこそ、好機に恵まれたのだ。
賊の一人は暗がりを進み、渡殿を踏みしめて、目当ての者の前に忍び寄った。
簡単に獲物を視界に捉えた事に思わず笑みをこぼす。
「俺は運がいい」
賊は刀を抜き、その首に手をかける。
その瞬間、眠っていた貞暁は目を覚ました。
自分の鼻先に迫っていた刀を前にしても顔色一つ変えない。
「放っておいては頂けないのですか?」
「武士にあるまじき言葉だな」
「幸いとお申しますか。武士としては育ておりませんので」
「どちらでも構わん。その首を取れれば、俺は嬉しい」
「聞いてはくださいませんか」
賊の刀は貞暁に振り下ろされた。しかし、貞暁も素早い。
すぐそばにあった賊の腕を掴み、ひっくり返したのだ。
呆気にとられる賊の一瞬をついて、布団の下に隠していた小刀を引っ張り出し、賊の頭に叩きつける。
「うっ!」
「すみません。殺生は致さぬ故…」
手を合わせ、祈れば賊はその場で崩れ落ちた。
かすかな息が漏れてくる。
その直後、大きな足音を立てて廊下を走る義宗が出迎えた。
「お怪我は?」
「ない」
庭に出れば、そこかしこで倒れている賊達がいた。
10人はいる。
やはり、恐ろしい腕前だな。
この数の賊を一人で片づけるとは…。
名だたる武士の中でもこれほどの力を持つ者は少ないだろう。
そんな風に思っていると、
「因子!」
定家様の叫び声がとどろいた。
思わず駆け出すと、賊の一人が因子様を担いで屋敷の塀を乗り越えようとしていた。
マズイ。連れ去られる!
貞暁の不安と同時に物凄い速度でその傍らを走る何かがあった。
それが義宗が放った矢であるのに気づくのに数秒かかる。
矢は賊の胸に命中し、地面に叩き落とされた。
凄い覇気を放つ義宗から微量の負の気配を感じる。
今度は瘴気…。
義宗の心を覆い隠すように弓を背負い、刀に手を置く武人の姿が再び、目に映った。
またか…。
義宗の中にいる纏わりついている”それ”に興味はあるが、目を覚ました因子様は倒れた賊のそばで震えている。
今は彼女を労わる方が重要だ。
貞暁は思わず駆け寄るが、因子様は動揺から、定家様の手すら払いのける。
「あいつら来た…。怖い!いやっ!」
再び、因子様の心に瘴気が集まってきていた。
「因子様。私がお分かりになりますか?以前、お会いした貞暁です」
因子様の瘴気に念珠をかざし、瘴気を鎮めていく。
「貞暁殿…」
少しだけ彼女の目に力が戻っていく。
正気を取り戻されたか。
「僧は皆、あのように恐ろしいのでございますか?」
「えっ!」
貞暁に見つめる因子様の視線には殺意が宿っていた。