廃寺のすぐ近くの林の中で一人の武者は様子を窺っていた。
「貞暁…。奴を殺せばたんまりと金が入る。誰が先に仕留めるか勝負と行こうか」
後ろにいるはずの同類たちに声をかける。返事はない。
当然だろう。仲間と呼ぶには浅はかな連中だ。
連携は難しいだろう。
「誰に話してるんだ?」
「誰って…」
武者が振り返るとついさっきまで一応戦力として捉えていた仲間達がいたるところで息絶え、倒れていた。
「なっ!」
仲間達にとどめを刺した男に武者は驚愕で動けない。
だが、恐怖からではない。
「あっ!貴方様は…!死んだはず!」
武者は恐ろしいものでも見るように震え出した。
「一体誰と間違えている?」
一人残った武者の首をつかまえた義宗は頭をかいた。
殺気に感づいて、来てみれば案の定、武丸様狙いの連中がたむろっているとは…。
やれやれ。一体、何人送り込まれてんだ?
「義…」
言葉を紡ぐ武者の口を大きな手で覆い隠した義宗は武者を覗き込む。
「やれやれ。亡霊の名を語るか」
懐かしい名を京の地で聞くとはな。
ニヤリと笑えば、武者の顔はさらに青ざめていく。
「あの男と面識があるのか」
義宗がそう尋ねると武者の震えは収まり、変わりにその意識は研ぎ澄まされていく。
「当然であろう。わしはあの方と共に数多くの戦を経験したのだ。それこそ…」
確かにこの男はかなり高齢だ。源平合戦に参加していた可能性があるほどに…。
その刻まれた皴は歴史を積み重ねているのが見てとれる。
「そんな男が人から身を隠し、頼朝の子を暗殺しに来るとは…。落ちたものだな」
「生き恥を晒して繋いだ命もそう長くはない。それでも、頼朝の血を引く者を殺れるならあの方への冥途の土産ぐらいにはなれるだろう?」
「浅はかだな。だが、北条の犬に成り下がった男ならそれが限界か?」
「何!」
「世俗から離れた方を斬るか?」
「今までだって、散々やってきた事だ。今更だろう?」
確かにそうだ。かつて、頼朝は兄弟達をも手にかけた。
中には僧侶も含まれている。
武士にとって、命はその程度のもの。
「ああ、よく知っているさ。だが、幕府は…北条はよほど追い詰められているようだな。お前のような老いぼれを鞭うってここまで来させる所をみるとな」
「戦場で死ねるなら本望だ」
「笑わせる。ここが戦場か?」
「たしかに、だが、予想もしていなかった瞬間にも出会えた。捨てたものではない」
「俺と会ったようにか?」
「そうだ。貴方様は本当によく似ておられる」
この武者が語る男に似ていると言われた事はないんだがな。
それでも、ある種の人間にとってはこの顔に亡霊を映すのか…。
良くも悪くも幕府にとって忘れられない人間であるあの男の影を…。
その人物の姿を知る人間は少なくなったようだがな。
だから、俺ではダメなのだ。この身を証明する物がない。
そもそも、鎌倉殿になりたいわけではないしな。
「故に解せません。なぜ、頼朝の子を守るのか?」
「すでに時代が変わった。面と向かって幕府に挑んで勝てると本気で思っているのか?武丸…。あの僧はどうしても手札に加えておきたい。戦のために…」
そうだ。幕府に対抗するために実朝に変わる後継者が必要なのだ。
御家人どもを黙らせられる可能性があるのは今のところ武丸様だけだ。
むしろ、お経にしか興味のない僧ならお飾りの将にうってつけだとも思ったんだがな。
だが、その考えは少し改めるかな。
昼間、幕府と戦うように促す俺に明確な拒否を示した武丸様には確かに覇気があった。
およそ、祈りの道を生きる僧とは真逆の殺意に似た目をしておられた。
あれは紛れもなく戦う者の風格。
あれほど、肌がピリつく感覚は初めてだった。
武丸様は僧としてではなく、武士の世で花開く方なのだ。
駒として、仲間に引き入れるつもりだったが気が変わった。
貞暁、あの男を今しばらく観察してみるか。
思わず、笑みがこぼれる。どこか殺伐したその表情に、
「なんと。わしのような老いぼれには計り知れないお考えをお持ちなのか」
武者は大きな野望が隠されているのだと勘違いしたようだった。
「どうか。私をその計画に引き入れてくだされ」
すがる武者に使い道はあるか?
どんな理由があろうとも主の仇を討つどころかその懐で生きながらえた男だ。
切り捨てるに値する。
それでも、どこかで役に立つかもしれない。
「武丸様を諦め、ここから立ち去るなら見逃してやる。俺の計画に加えるかは保留だな」
「それで構いません。ああ、我が主!」
「お前の主になった覚えはない。俺は今は伊達の義宗だからな」
冷たい視線を向ければ、武者は肩をすくめた様子で立ち去っていく。
あれが、武士か?
しかし、どこか抜け目のない男でもあった。
果たして逃がして正解だったのか?
それにしても、あの男の生前を知る者と出会うとは…。
俺もほとんど覚えていないというのに…。
世の中不思議なものだ。
武丸様にこの話をすれば、「すべては仏の御心です」とでもいうのだろう。
だが、それほど穏やかなものではないのだ。
あの男が残した遺恨こそが、この身に宿り、怒り、憎しみという名を持って燃えたかっているのだ。
それを鎮める術を俺は持っていない。
たとて、どれだけ空腹を満たそうとしてもな。
「ああ、腹減った」
だからこそ、武丸様。
貴方が羨ましくて憎い。
同じような立場にいながら、俗世間から離れ、僧という世界に逃げたのだから。
「僧などと…」
この念仏会とやらもそうだ。
住蘭とかいう男はどこか胡散臭い。
そして、集まった公家と庶民たち。
重要なのは彼らではない。
集まった群衆に交じり、身を隠している連中の方だ。
最初は幕府の手の者かと思ったが、そういうわけでもない。
それでも、戦い慣れている者どもだ。
見渡しただけでも数十人はいる。
義宗はそう言った者達を見分けるのは得意なのだ。
この身は血に飢えているから。
大抵の事は自分で対処できる。
だが、不安感が募るのは経験した事のない何かを感じ取っているからか。
それは武丸様の周りにも漂っている。
しかし、何かを表す言葉を義宗は見つけられないでいた。
「一体この寺はなんなんだ?」
その疑問は空気中に消えていくだけである。