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第11話 念仏会

昌家様のお屋敷に漂っていた瘴気の花は鬼言を込めた砂で蹴散らしたが、どうも、京の都全体に不穏な空気が漂っている。


気のせいと呼ぶにはやっぱり首をひねるよな。

仮にこの瞬間、悪鬼の顔がそこらじゅうから飛び出してきたとしても驚かない。


嫌な気配だ。


「念仏会ってなんだ?」


だが隣を歩く義宗は相変わらず間の抜けた声で、ちょっとイラっとする。


背筋が凍るように冷たいのはこの男のせいじゃないよな?


義宗の片手には再びおにぎりが姿を現していた。


またか!

一体、どこに隠し持ってんだ?

もしかして、特殊な着物でおにぎりを収納できるのか?


義宗が着込む青色の布を凝視するが、何の変哲もない。


謎だ…。


さらに言えば穴だらけである。


寒くないのか?

はあ…。時間が空いたら縫ってやった方がいいかもな。

いやいや、なんで俺がコイツの面倒見なきゃなんないんだよ。

ああ…。やめたやめた。真面目に相手するのがそもそも間違いなんだ!


貞暁は深呼吸をして、自身を落ち着かせる。


「あのですね。念仏会とは文字通り仏が記した言葉を披露する場の事です。そういう解釈で合っているはずですよ…たぶん」

「僧のわりには自信なさげだな」

「私が学ぶのは長い時を経て、この地に根付いてきた仏典ですから。つい昨日生まれたばかりのものと一緒にしたくはないだけです。最近は仏由来でない念仏を披露する者も多いですから」

「武丸様は新しいものが嫌いか」

「そういうわけではありません。新しい物に触れるのは楽しいですよ。ですが、最近、おかしな連中が増えてきているのが気にかかっているのです。中には無害な方々もおりますし、大抵は根付かずに消えていきます。ですが、住蘭という僧は少し異なるようですね。私は尾ひれがついた噂も含まれていると思っていたのですが…」

「昌家様の従者が話していた僧だな。知っているのか?」

「直接会った事はありません。しかし、急速に信者を増やしているという話は伺っています。庶民だけではなく、公家の方々も心の拠り所にしている。さらに後鳥羽上皇のお心も射止めたとも…」


真偽のほどは分からないが、おそらく情報通の師匠が名を止める僧だ。

内裏でも話題に上っているのかもしれない。


「京の人間は深く考えすぎだな。何事も腕で解決すりゃあ良いのによぉ」

「貴方が単純すぎるだけでは?鎌倉にだって、奥深く考える方はおられるはずでしょう。第一、皆、先が不安で仕方がないのです。誰かさんのせいで…」

「俺か?それは心外だ」

「どこもかしこも戦の影が忍び寄っているのは事実でありましょう。幕府と朝廷はその際たるものかと…」

「そういうなら、やはり、武丸様が鎌倉殿となり、朝廷との仲が取り持つのが最善だ。というわけだから、さっそく…」

「どうやっても、私を武士になさりたいか?」

「あたりまえだ。何もしなくたって幕府の手の者はやってくるぞ。ならば、こちらから…」

「俺は護衛だけを許可したんだ。そういう話をするなら…」


まずい。また、心の声が表に出てきちまったよ。

ずっと、声を荒げないように努めてきたのに…。

思っていた以上に自分の中で怒りがこみあげているようだな。


「すまない。急ぎすぎたな」


謝罪の言葉も言えるのか。


あからさまに肩をすくめる義宗に少し悪い気がしたが、自業自得だと納得した。


「分かってくれればいいんです」


後ろに控える彼をおいて、一人で歩き出した。

だが、背後で強い悪鬼の気配がして、振り返る。

立っているのは義宗だけだ。

周囲は静けさだけが漂っている。瘴気の気配一つない。


今の気配は一体?


「それで、武丸様。住蘭とかいう僧に会ったら、どうするんだ。一発殴るか?」


武士的発想すぎる。


「決めていません。因子様と関係があるかもまだ、分かりませんから」

「因子様?もしや、武丸様の良い方?」

「とんでもない事をおっしゃらないでください。あの方は藤原の性を持つ立派な公家の姫君です。冗談でも許しませんよ。第一、男女だからと言って、何でもかんでも色恋に結び付けるのはいただけません!」


そう言えば、こいつに因子様の事を話してなかったな。


「心配せずとも、口外はしないさ」

「少しは人の話を聞いてください」

「僧とて、たまには…」


ホントに聞かねえな奴だな!


思わず義宗の口を手でふさいだ。

この男と話していると頭がおかしくなりそうだ。

ある意味、俺にも念仏会が必要かもしれない。


ああ…平穏が欲しい。


義宗の口がモゴモゴ動いているが気にしない。


貞暁は肩を落とす中、風が吹いた。

そろそろ、目的地に着く頃だな。


貞暁は周囲を見渡した。

昌家様の従者に教えられたのはこの辺りのはずだ。


貞暁の視線の先には廃寺が現れる。

京の中心から外れたこの辺りにはこのような廃墟となった建物が多い。


すぐ前の通りは賑やかであるのだがな。


その一帯だけは木々で生い茂る寂しい空気が漂っていた。

貞暁はそう認識する。

だが、寺の本殿は綺麗に改修され、あちらこちらに明りが灯っていた。

もう、日が沈む頃だというのに、大勢の人々が集っているのだ。

公家も庶民も入り混じる不思議な光景。


普通はあり得ない。公家の多くは下の者を見下す傾向にある。

しかし、この場にいる誰も彼もが微笑み合っている。


「なんと理想的な…」


ある意味で身分を超えた集団に思える。


「住蘭様!」


その場にいた誰かの声が上がると一斉に視線は一か所に降り注がれる。

本殿から仰々しく出てきたその男は世界の中心とばかりに一礼した。


なるほど。あれが住蘭。

歳の頃は俺より少し上か?


「さあ、皆、よく集まってくれた。今宵はいつもと違い、特別な念仏を用意している。私が霊山に修行に行った際に授かった特別な力であみ出した奇跡だ。きっと、皆を幸福にしてくださることだろう」


住蘭が両手を広げると上空に数本の光が龍のごとく上っていく。


「ほんに奇跡じゃ!」


その光景を目の当たりにした者達はとめどなく声をあげていく。


絵に書いた世迷言を語るのだな。あの男は…。



「住蘭様!」「住蘭様!」――

「住蘭様!」「住蘭様!」――



その音は巨大な何かに変わるような不気味さが滲み出ている。

少しでもこの集団に心動かされたこの身が恥ずかしい。


烏帽子をかぶり、着物を翻す装いはどことなく、古の陰陽師を思わせる。

そして、語られる念仏は聞いた事がない。

最初は大陸のものかとも思ったが、その音に乗るのはどう見ても鬼力だ。


ならば、あの男は悪鬼か?


されど、悪鬼は瘴気も放つ。

しかし、奴からは感じられない。


ならば、妖か?


いや、妖の者たちも鬼力を扱えるが、彼らは妖力を好んで使う。


見た所、おそらく、人の身であるのは確かだ。

であるならば、俺の同類…。

鬼力を人を惑わすために使うとは…。

何が僧だ…念仏だ…呆れる!

これは同属嫌悪という感情だろうか?


だが、おかしい。

鬼力によるあのような悪疫現象は普通の人には視えないはずだ。

それなのに、ここにいる者達の目にははっきりと映っている。


それだけ、住蘭という男の力が強いと言う事か?

透き通る空気を肌で感じているのに胸やけを起こしそうになる。

しかし、集まった人々から瘴気が放たれているのに気づいた。

かなり強い瘴気だ。しかし、誰も彼もその表情は明るい。


素養を持たぬ者なら、これほどの瘴気の中にいれば、意識を失うのが道理のはず。

下手をすれば命すら危ないかも…。


それなのに、平気な顔をしている。

彼らはどう見ても、素養のない者達なのに。

不思議な事ばかりだが、とにかく、因子様をあのような姿になったのはここが原因だろう。

出なければ、説明できないほど、この場所は悪意で満ちている。

そもそも、これ程、濃い瘴気が漂っているのにこの場に来るまで何も感じなかった。

妙な違和感が肌を突き抜けていく。


高揚する人々とは真逆に貞暁の表情は色を失いかけていた。

吐き気がする。

俺の鬼力と相性が悪いのか?

心臓の鼓動が激しくなり、息苦しい。


「一旦、帰りましょう!」


隣に立っているはずの義宗に話しかけたつもりだったが、姿はなかった。


アイツ、どこ行った!

早く探して、ここを立ち去らなければ…。

どう見ても、鬼力の量は俺よりもあの僧の方が上だ。

今、ぶつかったら絶対、殺られる!

常に命を狙われてきたためか、脅威への直観力は昔から働くのだ。

奴をどうするにしても、準備ぐらいは整えて挑まなくては…。


「僧侶殿?」


義宗を探して、辺りを見渡す貞暁に声をかけてきた男がいた。


住蘭…。


認識されたくはなかった若い僧侶は優美な笑みを称えて貞暁を眺めている。


まるで、獲物でも見据えるような鋭い目だ。


貞暁は額に嫌な汗を噴き出るのを感じながら、小さく会釈したのであった。

鬼力を宿した僧、二人。

相まみえた瞬間である。

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