「武丸様から会いに来てくれるとは感動だ!」
「会いに来たつもりはないです」
素っ気なく返すが、貞暁の頭の中は悪い意味でざわついていた。
今すぐ立ち去りたい!
かたや、おにぎり片手に満面の笑みを浮かべる叔父こと義宗は上機嫌である。
まじかよ。さっきも食べてたよな。
コイツの胃袋はどうなってるんだ?
しかも、また、代金肩代わりさせられるしさぁ!
払えないなら飯屋で食うなよ。
おかげで俺の懐寒い。
ただでさえ、大金とは無縁だというのに…。
なにせ、見習い僧だからな。
さらに不服なのは飯屋に取っ捕まった瞬間に鉢合わせした事だ。
逃げる気満々な所に出くわすとか確率どうなってんだ?
まさか、この男…鎌倉殿にするとか言いつつ、俺の銭目当てじゃないだろうな。
くそおっ!
待てど暮らせど寺に訪ねてくる素振りがないから、油断していた。
こんな事なら、昌家様の屋敷まで定家様に牛車で送ってもらえばよかった。
今更言っても仕方がない。
だが、まだ手はあるやも?
「人違いです」
「この俺が武丸様の顔を忘れるわけがないだろ」
やはり、別人設定は苦しいか。
「一度しか会ってないですよね」
「一度で十分だ」
愉快そうに笑う義宗。
二度目の遭遇だが、絶対、合わない分類の人間だ。
かかわらないのが得策。
「急いでいるので失礼します」
「そう…つれない事を言うなよ。ここで再会したのは運命だ」
「そのような言葉は好いた女性に語ればよろしかと…」
「あいにく、戦に身を投じる人間だからな。俺は…」
それは自慢する事か?
「しかし、武丸様は違うぞ。鎌倉殿となれば、女はより取り見取り…」
「そういう感情は薄い方でして」
「何?男の方が好みであったか」
「それも違うと言いますか…」
生まれてこの方、誰かを好いたり、好かれたりするものと無縁であったんだよな。
欲の方も強くはない。
僧としてはある意味、天性の才能だと自負している。
「心配するな。そういうのは後からついてくる」
いやいや、別に必要としてないから。
「さあ、分かれば俺と共に天下を目指そうではないか」
「だから、遠慮いたします。仏に仕える身ですので、他をあたって…」
「武丸殿。ちょっと、腰を…」
「はあ?だから、男性を好きになった事はない…」
無論、何度も言うが、女性を好いた記憶もない…。
義宗は残っていたおにぎりを一口で頬張ると、速やかに動き出した。
「ヒヤッああっ!」
ただし貞暁はというと急に足元が宙に浮いて、おかしな声をあげるしかない。
視界が反転した?
自身の体が、義宗に横抱きされているのに貞暁は気づいた。
そして、その体は微妙な振動と共に素早く動いている。
俺、一応、成人の男なんだけど…。
軽々と抱えられているこの状況おかしくねえ?
義宗…どんな腕の構造してるんだよ?
しかも、目の前を複数の刃がかすめていくんだが…。
「なっ!なんだ?」
明らかな手練れだと思われる数名の無法者達が迫ってきていた。
ああ、俺の命もここまでか。
最近、同じことしか思っていない気がする。
あの時は悪鬼相手だったが…。
――カキンッ!
そう静かに自身の運命を覚悟したのだが、どの刀も寸前の所で義宗に弾かれて、貞暁の元まで飛んでくる事はない。
義宗が軽やかな足取りで屋根を伝っていき、追手の追跡をかわしていくからである。
コイツは天狗か何かなのか?
貞暁は展開される戦いを呆然と観戦するしかできない。
人が斬り合う場に居合わせるのは僧の務めではないのだ。
この状況化では悪鬼を相手にしている方がマシとさえ思えてくる。
「しつこいぞ!」
這い上がってきた追手の一人に義宗は投げかける。
「お前に用はない。貞暁を渡せ!」
「嫌だね」
狙いは俺か?
つまりは差し向けたのは幕府…。
はい。刺客確定。
やっぱり、来るのか…。
だから言わんこっちゃない。
貞暁は予想していた事態が訪れて、さらに頭痛が激しくなった。
その間に、義宗は刀を器用に振り回し、追手を蹴散らしていく。
地面に叩きつけられる奴らを一瞥すると貞暁を連れ、その場を離れるのであった。
「怪我はないな?」
「幸いな事に…」
慣れない動きをしたせいで酔いが激しい。
気持ちわるっ…。
「武丸様!やはり、アイツらに…」
怪我でもしたのかと覗き込んでくる義宗から距離を取った。
「落ち着いてくれ…ださい」
「ああ…」
肩を落としてその場に正座する義宗。
今度は何だよ。
「あの…その態度は?」
「武丸様は我が主君。命令には絶対だ」
君主になった覚えないぞ!
扱いにくいな!
「引きこもりてえ~」
思わず、心の声が漏れるのであった。
「そう言うなよ」
項垂れる貞暁に義宗は首を横に振った。
「にしても、危ない所だった。やはり、幕府の連中は武丸様を狙っている。こうしてはいられないぞ。こっちから仕掛けなくては…」
「お前らが余計な事するからだろう!」
やっべ~。素が出ちまった。
落ち着け落ち着け。
でも、キレたくもなるだろ。
折角、平穏に過ごしていたのに!
全く、迷惑この上ない。
「頼むから、構わないでくだされ」
「そうはいかない。奴らは諦めんぞ」
「うっ!」
そうなんだよな。あんなのがまた来たら、一人では対処できない。
因子様の事も片付いてないのに死にたくねえ。
どうするよ?
確かにこの男は強い。
なら、とりあえず出す答えは…。
「では…護衛は許可いたします」
「そうでなくちゃな…」
何がそんなに嬉しいのか?
将に立つとは承諾してないのにな。
後ろをついてくる義宗はどこか犬のようだと思った。
「で、どこに行くんだ」
義宗の問いに、目的を思い出す。
そうだ。コイツにかまけている場合ではない。
早く、昌家様の所に行かなくては…。
うん?
そうなるとこの男も連れていくはめになるのか?
護衛承諾しちまったしな。
まあ、外で待たせておけばいいか。
「この先にある藤原昌家様のお屋敷を訪ねるのですよ」
貞暁の視線に赤い花がかすめていく。
やはり、探す手間はなかった。
お隠れになった姫君の住まいは分かりやすく瘴気に満ち満ちている。
「ここでお待ちを…」
貞暁は義宗を置いて、屋敷の門を叩く。
「お初にお目にかかります。貞暁と申します。この度は一ノ姫様のご不幸、胸が痛む限りでございます」
「これは僧様。わざわざ、ありがとうございます。ですが、あいにく主は伏せっておりまして…」
出迎えてくれたのは昌家様の従者の男であった。
「当然でしょう。大変な時に出向いてしまい申し訳ありません」
「すっげ~。美味しそうだな」
深々と頭を下げる中、上空から呑気な声が漏れてきた。
「義宗殿!」
従者が持っていた水あめに食い入るように視線を送る義宗に呆れ、乱暴に後ろに下がらせた。
「外で待っていてくださいとお願いしたはず」
まさか、塀を乗り越えてきたのか?
「少し入りますか。主が分けてくださったのですが…いくら、一ノ姫様が亡くなられて食欲がないとはいえ、このような高価な物を頂くのはしのびなくて…」
「では遠慮なく…」
その手を叩き落とした。
やめておけ。いくらご厚意とはいえ、水あめだぞ。高級中の高級菓子。喪中に暮れる屋敷の方々から奪うのか?という圧を込めれば、渋々、肩をすくめる義宗の姿があった。
昌家様。従者に高級菓子を分け与える所を見ると、懐の深い方なのかもしれない。
公家の中には素行の悪い者も多いと聞くからな。
さすがは、大納言のお話が上がる方だ。
それと関係なくとも、姫君のお隠れは相当、お心に傷をつけておられているはず。
直接話を聞くのははばかられるよな。
従者のこの方が何か知っていればいいのだが…。
「一ノ姫様はふせっておられたのですか?」
「いいえ。ずっとお元気でしたよ」
「定家様の所の姫様ともご懇意にされていたとか?」
「そうなのですよ。最近はお二人で念仏会に顔を出されておりまして…」
念仏会?
師匠も話題に出されていたな。
「もしや、住蘭という僧が開いている?」
「そうです。とても斬新な説法を披露するとかで…。私も参加してみようかと思っていたのです」
念仏会…。
お二人とも参加なされていたと言うなら、無関係とは思えない。
これはもしや師匠の不安が的中したのやもしれぬな。
「その念仏会はどちらで開かれているかご存じですか?」
「場末の辺りだと聞いておりますが…」
「さようですか。ありがとうございます」
従者の男にお礼を述べた貞暁が屋敷の外に出ると、その周辺はさらに大量の瘴気で覆い隠されようとしていた。
黒い靄がかかったような不気味な装いだ。
「放ってはおけないか」
貞暁は足を大きく踏み込んだ。かかとによって鳴らされた鬼言は砂と共に宙を舞い、瘴気の花を蹴散らしていけば、青空がのぞいた。
唇を返さずに鬼言を操れるようになるとはな…。
ばあさんと一緒にいた頃を思えば、かなり上達した。
ますます、人の身から離れていく気がするが仕方がない。
「いま、何かしたか?」
「視えるので?」
「うん?」
瘴気が視えるのかと思ったが首を傾げている所を見ると違うのか。
なら、先日、コイツから感じた違和感はなんだったのか?
陰陽師が術に使う霊力を有しているのかとも思ったが、目の前に立つ義宗からはその手の力の気配は感じない。
義宗、この男どうも信用ならない。
なぜなら…。
「水あめはやめておきなさいと言ったはずですよね?」
「だって、くれるって言うしよぉ…。武丸様も何も言わなかったじゃん?」
目で訴えたよな。
なんで通じてないんだよ!
「いるか?」
「いりません」
「美味しいのによぉ!」
意思疎通ができない奴だな。
やっぱり、合わねえ!