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第7話 妖

巫女の美しく怪しい黄金の瞳が俺を射抜いていた。


俺の顔はそんなに変なのか?


「母親を助けたいという思いが瘴気を操る力…鬼力を発現させたのかのう?それとも、元々持っていたものなのか?多くの者に望まれず、誕生の瞬間に呪詛をかけられたのが原因か…もしくは悪鬼に魅入られる頼朝の血筋故の産物なのか?全く謎だらけだ。愉快なのはそれでも人である点だ。ワシの目には悪鬼と区別がつかぬのに。いや、母親の中にあった悪鬼を消滅させた所を見ると妖に近いか?それともワシの同類かのう?う~ん。悪鬼を消滅させたと言うのは適切ではない…力でねじ伏せたというべきか?いやあ、とても興味深い…」

「お戯れはやめてください。その子は安全なのでしょう?」


母上は弾かれたように起き上がった。


「いいや。悪鬼に好かれる事に変わりはない。お前もそうだ。今回は上手く行ったが次も同じように行くとは限らんぞ。今度こそ、その手で息子を殺める羽目になるやもしれぬ」

「では、どうしろと?」

「生活を改めろ。この前はいつ食事をとった?」


母上は黙っていた。


「言えぬか…。ここで会ったのも何かの縁よのう。時と場合によっては女一人の方が身軽な場合もある。お前の息子は私が預かろう。観察対象として実に面白い」

「冗談を!武丸は頼朝様の血を引いておられるのですよ。恐れながら、貴女様は頼朝様に恨みを持たれているはず」

「そうだ。ワシはあの男に愛する男を殺され、その子供もこの手に抱けなかった」

「申し訳ありません。余計な事を申しました」

「いいさ。それも人であったころの話だ。もはや、過去にすぎぬ。心配するな。この子に手は出せん。何せ、瘴気の塊のような存在だからのう。下手な真似をすれば、こちらが危うい。信用できなくとも、かつて、そなたと同じ立場だった女が手を差し伸べたと思えばいい。残念ながら、ワシは武士の娘ではなかったがな」

「私は貴女様の舞が好きでしたよ」


母上たちはなぜだか分かり合ったようだった。


無性に腹が立った。


勝手に決めるなよ。

母上と巫女の話の半分も理解できなかったが、この謎の女に売り渡されるのだけは確信できる。


「嫌だ!」

「残念ながら、お前に決定権はないぞ。お前が母上のそばにいるだけで、危険だからな」


どういう意味だ?


「子供の前でやめてくだされ」

「嘘を言ってどうする?ワシに口答えできる身分か?悪鬼を宿したとはいえ、我が子を殺そうとしたのは事実であろうに?」


押し黙る母上は小さく項垂れる。


何なんだコイツは?


「別に責めてはいない。子を産んだからといって、誰もが親になれるわけではない。それを思うと、お前は頑張った方だ」

「やめろ!母上をいじめるな」

「見たか。健気なものだ」


表情を曇らせる巫女。

対照的に母上の表情は厳しい。


「武丸。その方とお行きなさい」

「なぜです!」

「私が貴方を傷つけるから」

「平気ですから」


母上に殴られても、首を絞められてもそばにいたかった。


だが、どんなに泣きわめいてもすがっても、母上は首を縦には振ってくださらなかった。


それが母上を見た最後…。


風の噂では摂津国で出家されたと聞いている。

この先、会える日が来るのかは謎だ。

いや、会わぬ方がお互いのためなのだろう。


母上が悪鬼を宿したのは俺がそばにいたせいなのだから。

今はそれが理解できる。


そして、あの運命の夜と同じような光景が目の前に広がっている。


因子様は母上のように度重なる疲労と誰にも頼れぬ孤独に耐え、鎌倉からの圧力に震え上がった末に瘴気をため込み、悪鬼を宿すほどに心を病まれていたわけではなかったはずだ。


それなのになぜ?


今は考えている暇はない。


あの時は無意識に母上を助けたが…。

今回はどうだろうか?

巫女…ばあさんもいないしな。


母上とはまた違った意味で俺をしかりつけ続けた老婆の顔が一瞬チラついた。

状況を中々受け入れられない俺を引っ張りまわし、鬼言と身を守る術を教えてくれた謎の女。

母上の言葉を繋ぎ合わせると彼女も鎌倉と縁のある人間なのだろう。


いや、元人間だっただな。あの姿は妖に見えた。本人はどちらともつかぬ態度で交わしていたが、確信している。どちらにしても京の都で仏の道に進むまでの短い時間をあのばあさんと過ごした事実は変わらない。


今頃どこで何しているやら。

この状況を知ったら、八倒されそうだ。

何せ、鬼言は己の身を守る時だけにしておけと念を押されたからな。


「言っておくぞ。悪鬼の言葉を理解できても…その身で瘴気を受け止められると言えど、ただの人であるのは変わらん。奴らと同じ力を使う羽目になっていてもな。だから、鬼言を使えば、いずれ、お前の身は悪鬼に飲まれ、心を失くすかもしれぬ」


全く、人を怖がらせるのが得意な、ばあさんだよ。

その言葉のせいで、夜眠れなくなった日が一週間は続いたんだぞ。

それに悪鬼の言葉である鬼言を覚えるために悪鬼の巣窟に放り込まれた事も絶対忘れない。

死にかけたんだ。一生恨んでやる。


だから、忠告なんて無視だ。

そもそも、京の都は安全だと言ったのは、ばあさんのくせに。

かなり的外れな推測に踊らされている。

それでも俺にとってみれば、鎌倉よりはマシなんだよな。

悔しい事に…。


しかし、叔父だとか名乗る男も現れた。

いつまでも京にもいられない。

悪鬼だけではなく、刺客の対処まで押し付けられては生きた心地がしない。


はあ…。胃が痛い。

だから、さっさと因子様を助けて、高野山に行く。

それだけを考えよう。


貞暁は鈴を鳴らすような音を口づさんだ。一人で紡ぐ鬼言の中では人生で強い言葉だ。

失敗すれば、因子様を傷つけてしまう。もし、彼女に何かあれば、定家様は嘆かれるだろう。

あの方は俺の父親とは違う。善良な方だ。

だから、悲しませてはいけないのだ。


腹の中を伝うように一本の線を因子様に纏わせるように集中する。

強い瘴気が押し寄せてくる。目の前にいるのはまだ因子様のはずで、悪鬼ではない。それでも巨大な悪疫と戦っている気分にさせられる。


持久戦に持ち込まれると厄介だ。


貞暁は振りほどくように力強く腕を振り、因子を抑え込む素振りをする。

その瞬間、因子様の中を這いまわる強い鬼力に交じるように声が漏れてくる。


「君がむた 行かましものを 同じこと おくれてれど 良きこともなし」


虚ろな目を向けた因子様と視線は合わない。

そして、鬼言の響きに覆い隠されるように、彼女は地面に叩きつけられ、意識を失ったのであった。


確かに聞こえた声は因子様のものだった。


あなたと一緒に行けばよかった。旅はつらいのだろうけれど、残されても苦しい。何も良いことはないです…とはどういう?


しかし、その疑問は自身の咳によって、しばし中断されるのであった。


喉が焼けるように痛い。これだから、鬼言は嫌いだ。

特に長い音を繋げるのはな…。


息をきらせて貞暁はその場にしゃがみ込んだのであった。


頼むから、成功してくれ。

出なきゃ、今もなお、生きている俺がいる意味がない。

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