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第6話 運命の夜

唸り声をあげ、怯え、獣のように牙を向ける今の因子様を見ていると、かつての母上と重なる。


あの時とは違い、今は昼間だがな…。


もはや朧気になりつつある、母上の声を思い出そうとしたが、無理だ。

武家の娘に生まれ、頼朝の寵愛を受けた美しい娘。

か弱くて守ってあげたくなるような儚げが魅力的だと…。

幼い頃の俺が見聞きした母上はそう囁かれていた。


だが、俺の目に映るその女性は強くてたくましい。商人と値切り合戦の末に勝利し、足腰が強いのか、山も楽々に越える。農作業をさせれば、たちまち、豊作となった。そのすべてが噂の姫君と同一人物とは思えなかった。そして、ずっと、怒っていた。


「武丸!そのように弱くてどうするの!」


母上は口癖のように北条政子様への恨み言を語っていた。


「私達がこんな目に合っているのは全部あの女のせいよ。絶対許さない!許さない!」


ある時、母上の怒りはついにある日、頂点を迎えたのだ。

静かな夜だった。屋根があるだけが救いな小屋の中で女の怒りだけが響いていた。


「頼朝様…私達を守ると約束されたのに!なぜ、このような仕打ちを…」

「母上?」

「お前さえ、生まれなければ、私は今も鎌倉にいられたのに!」


大量の瘴気をその身にため込んで…母上は憎悪のまなざしで俺を押し倒した。


「母上…やめ…て」


くっ苦しい!

息が出来ない。


「お前の体をよこせ。そうすれば、ワレは…」


母上の体から禍々しい何かがいるのを感じ取って恐怖で動けなかった。

その何かが俺の体を弄るように全身を駆け巡っていく。

冷たい感触が肌を伝っていく。

気持ちが悪い。恐怖で動けないでいた。

何よりも悲しいのは母上が俺を憎んでいるのが分かる事だ


俺がいるから母上はずっと怒っている。

一人なら、母上は幸せなの?


すべてが苦しくて…もう、すべて投げ出したくなった。


意識が遠のいていく中、泣いている母上の瞳とぶつかった。

母上は声を発していないのに謝っているようだった。

どうして、そう思ったのか分からない。


「母上?」


手を伸ばした瞬間、母上の体は宙を舞い、その場で痙攣をおこして倒れたのだ。

その体は徐々に動かなくなる。


もしや、お命が?

背中が凍っていくようで、その体を何度も揺さぶった。

お願い。強くなるから、一人にしないで!

良い子になるから。


「心配するな。幸いな事に災いは遠のいた」


あばら屋根に響いたのは年配の女性の声だ。

振り返ると巫女姿の女が笑っていた。

しかし、その瞬間、年配だった老女は姿を消し、30前後の女性が歩いてきた。

長く伸びた銀色の髪をなびかせ、金色に輝く瞳がこちらを見下ろしている。

この世のものとは思えない容姿だ。


「神様?」


思わずつぶやけば、巫女は愉快そうに唇をあげた。


「神か…。妙な事を言う。なるほど。お前にはこの姿が視えるか」


自身の頭の上で左右に揺れる動物の耳を指さす巫女に頷けば、今度は複雑そうな顔を向けてくる。


「そうか。人ならざるものに愛されるか…珍しい。何より、これほどの瘴気を秘めて、生きているのも不思議よのう…」


巫女は面白そうに笑った。


「この子は数え切れぬ悪意にさらされてもなお、生まれてきたのです。強いのですよ」

「強いか…。そう表現するのか」


薄っすらと目を覚ました母上は巫女を見据えた。


「母上!」


僕を抱きしめる母上は先ほどとは異なり、とても暖かだ。


「なぜ、貴女様が?」


母上は現れた女を見据えていた。


「瘴気が立ち込めておるから、何事かと思うてな。ここで巡り合うのも偶然かのう?」

「何がおっしゃりたいので?」

「誰かの意図を感じるとは思わぬか?」

「そのような…」

「まあ、考えすぎか。にしても、そなたにとっては幸運だったな。その子の中にある瘴気によって救われたのだから。でなければ、悪鬼となり、親子ともどもお陀仏だったであろう」


母上と神様モドキは知り合いなのか?


「それにしても興味をそそられる。憑拠ひょうきされておるのにな。親の代…いや、もっと時代をさかのぼれるか?とにかく源家が積み重ねてきた悪疫がその子の体の中で蠢いている。本来なら生まれ落ちた瞬間に死に絶えていた。ああ、恐ろしいのう。なぜ、無事なのか?あの男が何かしたか?それとも奇跡かのう?」

「頼朝様は何も…」


母上は自身の顔を覆いながら泣いていた。


「まだ、あの男などをあてにしているのか?正室どもとよろしくやり、愛した女とその子供の安否も確かめぬ男だぞ。誰のせいで悪鬼を住まわすほどの劣悪な環境に落とされたと思っている?あやつは悪鬼と変わらん」

「ですが…」

「まだ言うか!我が子すら手にかけようとするほど追い詰められたというに。奴は数多の血を流し、無数の悪鬼を生みだすのに加担したのだ!」

「そのような者ならば、乱世の世なら、ごまんとおりましょう」

「哀れよのう。もはや、あの男にすがるしか道が見えぬか?数ある悪意は奴を恨んで生まれた物だ。ゆえに今もなお、あの男の血筋を好んで付きまとっている。そなたも本当は気づいてるのではないか?だから、鎌倉を出たのだろう?」


母上は黙って巫女の言葉を聞いていた。

俺は二人の会話に入れなかった。

一人、その場に残された気分だ。


「しかし、それは間違いだ。かの地はあの男が陰陽師にほどこさせた結界が張られている。他の子供達同様、守られるかもしれぬぞ」

「それは出来ません!悪鬼ではなくとも北条の者達に消されるのが早くなるだけ。それに貴女様は言ったではないですか。この子は瘴気にさらされても正常だと…。他の子達とは違うと言う事でしょう?何より鎌倉御所では不穏な死も続いていると聞いております。その結界とやらもどこまで信じていいものか分かりません」

「確かにな。京の都のように長い時を経て、張られたものではない。今だ発展途中。瘴気を振りまく状態の子供を連れて帰れば、どうなるか想像できぬはな」


巫女の言葉に母上は震えている。

強いと思っていた母上とは別人のようだった。

あの顔は今も忘れられない。

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