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第5話 異変

何度、乗っても牛車は居心地が悪い。

酔いそうだ…。

公家の方たちはなぜ平気なんだ?

最近は武家の連中も愛用し出したと聞くが…。

どっちにしても今は取るに足らない疑問である。


ただただ、この状況にため息をつきたくなった。


鎌倉からの尋ね人と遭遇した日から数日。

思いのほか、平和な時間を過ごしていたというのに…。


やはり、それをぶち壊したのは義宗ではなく、いつものごとく定家様であった。


「頼みます。貞暁殿!祈祷を…いや、鬼言とやらを…」


この世の終わりと言いたげに寺の前で土下座をする名だたる歌人を放っておくほど薄情ではない。


いや、むしろ毎回、この泣き顔のせいで、連れ出されているのだが…。

だってしょうがないだろう!他の仲間の僧たちの目もある。


アイツ、公家に頭下げさせてるぞ?

なんて、囁かれた日には眠れない。


基本的に精神力はそれほど強い方ではないのだ。


違う…。なんだかんだで、俺は人が良いのだ。

だから、無下にできないだけ…。

なんとか納得させようとするが、

自分で言う時点で空しい。


「屋敷に伺いますから、顔をあげてください」

「今すぐきてくだされ…」


そんな感じで牛車に連れ込まれて現在に至るのである。


全くもって、強引な方だよ。


そして、これまた、いつものごとく、法衣を握りしめられたままだ。


法衣がお気に召したのなら、ご自分のを用意すればいいんじゃないのか?


「逃げませんから、そろそろ離していただいても…」

「そうだな。そうなんだが…」


つい先日、祓ったばかりだ。

定家様には瘴気の気一つ感じない。

今度は一体なんなんだ?


「なんなら、ここでやっても構いませんが…」


一通り、念仏でも唱えれば、落ち着くだろう。


「私ではないのだ。因子が…」


定家様はどこか気落ちしている。


「因子様ですか?」

「寝殿から出てこぬのだ」


先日、出会った少女の顔がちらついた。

和歌がお好きな、はつらつとされた姫君。

何かあったのだろうか?


定家様とは違い、瘴気に敏感な方ではないようだったが…。

なら、問題というのは別にあると考えるのが妥当。

多少、気にはかかるが、むやみに首をつっこんでいいものなのか?

悩むな。僧と言えど、男の身であるし…。


定家様も何を考えているのか。

家族の問題まで俺に解決させる気か?

この人、実は友達いないんじゃ…。


「女性ならではの悩みかもしれません。そう言った事は他に適任が…」

「違うのだ。様子がおかしいのだ。ずっと寝殿しんでんから出てこぬし、あんなに熱心に詠んでいた和歌もやめてしまって…。無理にでも入ろうものなら、物が飛んでくるのだ。尋常ではない!これは悪鬼のせいに決まっている。可愛そうに…因子に取り付いたのだ!悪鬼めぇ!どうしたらよいのだ。貞暁殿!」


悪鬼は人に取り付くというのは正しくない。


悪鬼は人を喰らうし、瘴気を振りまくが、幽霊や生霊のように人に取り付く事はない。

もちろん、瘴気を取り込んだために悪鬼誕生の宿主になる場合はある。


悪鬼以外の悪疫…霊瘴とも呼ばれる類のものとごっちゃになっておられるな。

まあ、仕方がない。その多くの力の原動力は瘴気であるものな。


何度もした説明を繰り返すのはもう、諦めてしまった。

ただ、大声で喚く定家様を横目に帰りたいと思うだけである。

先日の親子のやり取りを見ると、定家様は配慮が足りない所がある。

正直、因子様の逆鱗に触れても文句は言えない。


しかし、因子の事がどうでもいいかというとそれも違う。


ただの親子喧嘩ならいいのだが…。

そうではない可能性もないわけではない。


厄介な事にならなければよい。それだけだ。



★★★



滞りなく、定家様の屋敷にたどり着いた貞暁は因子様の寝殿の前に立っていた。


渡殿わたどのに視線を向ければ、定家様が見守っている。

その動く口元は「頼みます」と言っているようだった。

体は小刻みに震えている。


どれだけ怖いんだよ。


定家様の行動にいちいち、感想を言っていても仕方がない。


だが、どうやって、話しかければ…。

姫君相手におかしなことはできない。

だが、いつまでもこうして、突っ立っているのも不自然だよな。

え~い。もう、勢いでどうにでもなれ!


「あの…因子様…。えっと、私を覚えておられますか。先日、ここでお会いした貞暁でございますが…」


しかし、寝殿は静かである。そして、因子様の気配すらしない。

許しもなく入って良いものか分からず、戸惑っていた。

だが、肌にピリピリとした感覚が伝っていく。


悪鬼!


いや、しかし…。


「失礼します。因子様!」


素早く、寝殿に踏み込むと、ありえない光景が広がっていた。

あちこちに文字が刻まれた和紙が張り巡らされている。日がさしているはずの屋敷の中で、ここだけ薄暗く何かが光を遮断している。あらゆる場所が禍々しい物で溢れていた。

そして、寝殿の中央にいるのは目の焦点が合っていない因子様の姿。


定家様の言っていた事は正しかった。


「ナ…コ…マナミ…サマナ…コサマ」


言葉になっていない音を唱えている少女の顔には覇気がない。


これが因子様?


元気でいらした方とは別人のようだ。


「そちらに近づいても?」


静かに近寄ろうとするが、その姿は頭から布団を被り、怯えたように震え出す。


「キャアアアッ!」


力強くはたき落とされて、壁に叩きつけられる。

背中に痛みが走った。

なんて力だ。彼女のものとは思えない。

そして、漂ってくる悪臭。


悪鬼が因子様の中で育っている…?


だが、おかしい。

成長速度が速すぎる。こんな事、通常はあり得ない。

例外はあれど、人を媒体に生まれる悪鬼は長い時を経て、蓄積して、やっと姿を見せる事がほとんどだ。大量の瘴気をため込む人間は稀であるから。


悪鬼誕生の前に命を落としてしまうのも多いしな。

それにしても、前回お会いした時はこのような予兆は感じられなかった。

因子様には瘴気の気配すらなかったのだ。

明るく、日々を楽しんでおられる様子だったのに…。


とにかく、早く処置しなければ…。

このままでは、因子様の体を喰い、悪鬼が這い出てくるのも時間の問題だ。

この瘴気の量から見ると、相当厄介な代物になるかもしれない。


未熟な俺では対処しきれないかも…。

それに因子様のお命も危うい…。


貞暁は小さく息を吸って、その場に座った。


「背筋は伸ばし、悪鬼を視る時はまっすぐと…。口ずさむ音には責任を…」


かつて、悪鬼と鬼言について語った女の言葉が通り抜けていったのであった。

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