鎌倉殿になれだと!
冗談じゃない!
貞暁は思わず義宗の口を押え、人気のない道に引っ張り込んだ。
どこで誰が聞いているのかも分からないのにこの男は一体何を考えているんだ?
「鎌倉殿と言えば、将軍の事ではありませんか!」
「そうだ。だから、鎌倉の頂点に君臨…」
「それ以上はやめてくだされ!」
心臓の鼓動音が跳ね上がっていく。
少しでも幕府の中枢に野心があると知れ渡ったら、再び、命を狙われるのは確実。
逃げ回った幼少期の頃のような事態にはなりたくない!
それはもう母上も俺も大変だったのだ。
屋根が外れかかった小屋で何日も過ごした事など数え切れず…。
行商人に化けたのも一回、二回の話ではない。
もはや、やっている事は忍ぶ者達のようであった。
楽しい思い出と言えば、人の良い農夫たちにお米を分けてもらった事ぐらいだな。
とにかく、しんどかったんだよ。
すべてはそれに尽きるのだ。
「やっと三代目に入り、幕府も落ち着かれたと聞きます。波風を立てる必要はないと存じますよ」
「それがおかしいだろ。そもそも、貴方様は現将軍の実朝の兄上にあたるんだぞ。順当にいけば先に将軍になるべきお方…」
確かに二代将軍は四つ上の兄である
年齢順でその次を選ぶなら俺かもしれないが…。
「庶子の私に誰がついてきましょう」
「関係あるか!正室だろうが側室だろうが、武丸様はまごうことなき頼朝様のお子…」
そうやって、持ちあげてくる馬鹿がいるから、危険にさらされるんだろうが!
なんとしても、この男の過ぎた野望を打ち砕かねば…。
仮に将軍になったとしても、命の危機は回避できない。
頼家様も散々な目にあったじゃないか!
幕府と鎌倉殿に頼朝…それらの言葉はどれも俺を混沌に引き込む気だ。
恐ろしい!絶対嫌だ。
そもそも、俺は鎌倉には帰れない。
だから、何としても説得する!
「武丸とは、よぶ…」
「それ故に我々は動き出したのです」
幼名を呼ぶなと反論しようと思ったが、義宗の発言に不安が募った。
「ちょっ、まるで謀反でも企てているような物言いですが…?」
「ああ…」
あっさり認めた!
体が冷たくなっていく。
さらに恐怖と困惑が交互につめかけてくる。
「一族のほとんどは父上に味方してくれたのもあって、いい線までいったんだがな」
「まさか、もう兵あげたとおっしゃるのか?」
「成功まであと一歩だったのだ。くそっ!北条め。こざかしい奴らだ。おかげで皆、散り散りになった。悔しい限りだ!おおおおっ!」
一人盛り上がる義宗に蹴りを入れたくなる。
そんな度胸はないので実行しないがな。
ただただ、聞かなかった事にしたい…。
「心配するな。父上を含めほとんどの伊達の者は無事だ」
興奮気味に話す義宗の言葉は耳に入らない。
反乱を起こした?
母上の家族が?
「武丸様が先陣を切るなら、他の者達も集うはず。好機は必ず訪れるぞ。だから、それまで俺と一緒に隠れ…」
「鎌倉のゴタゴタに私を巻き込むな!」
もう、礼節を保つとかそんな事を考えてはいられなかった。
「急な話で戸惑っているのは分かる。だが、父上はお前のために立ち上がったのだ。故に俺は生き恥を晒してやってきたのだ」
じじぃ!全く余計な真似しやがって!
そんなに権力、握りたいのかよ!
唇が青くなっていく。
いやいや。こういう時こそ、冷静であるべきだよな。
貞暁は大きく息を吸い込んだ。
そもそも、この男の言葉をどれだけ信用できるんだ?
「お前…叔父と言いますが、歳は私とそう変わらなそうに見えますが?」
「21になる」
「若いですね。本当に母上の弟なのですか?」
「何を言う!そもそも、父上が子だくさんなのは…」
お爺様のそっち方面の話とか聞きたくねえ。
貞暁は現実逃避がしたかった。将軍の話も伊達家の謀反も…。
どれもこれも、未熟な自分には耐えがたい話ばかりで、思わず逃げ出したのであった。
今度こそ、何も聞かなかった事にするために…。
「鎌倉に帰りたくはありません!」
「武丸様!」
義宗の声が体を通り抜けていくが、知ったこっちゃない。
★★★
勝宝院には数多くの僧侶が修行を行っている。
今も寺のいたるところでお経が漏れてきていた。
その中で人一倍、強く念じるのは貞暁である。
母上の一族である伊達家の謀反の企て失敗の話を聞いてからというもの、何をやっても集中できない。叔父を名乗る義宗という男に関しても頭を悩ませていた。
上手くまけたが、俺がここにいるのは知っているはず。訪ねてくるの時間の問題である。
ああ、なんであの男を助けてしまったんだ。
完全に厄介ごとを自ら招き入れたのと同じじゃないか!
早く師匠に話して高野山に行こう。
「鎌倉が荒れているな」
唱えるお経の音が思わず濁った。
「大丈夫か?」
「し…師匠」
背後に立っていた妙齢の僧。
「動揺しているな」
「申し訳ありません」
「気にするな。そなたの身では仕方あるまい」
師匠は知っているのだ。伊達家が幕府に刃を向けた事を…。
さすが、公家方に顔の聞く師匠だ。
話が早い。
「いずれ、耳に入るだろうが、内裏にも火の手があがったようだ」
「それは一大事でございます」
「幸い人への被害はなかった。何かの前触れでなければよいのだがな…。最近は妙な念仏を広める輩もおると聞く故…」
「念仏会でしょうか?仏の道を説くのは良い事かと存じます」
「邪心のないものならな。
「住蘭殿ですか?」
「なんでも、後鳥羽上皇も関心を示されているとか…。穏やかではないのう」
「はあ…」
住蘭という僧についての噂は貞暁の耳にも入ってきていた。
どこぞで悟りを開いたと息巻いている男。
徐々に信者の数も増やしているとも…。
「何事も無きように祈るのがよいかと…」
「言うな…」
愉快そうに笑う隆暁に思わず肩をすくめる。
「大それた事を申しました」
まだ、修行の身だというのに、奢った考えだ。
「祈るのはよい。だが、それだけにとどめておけ。よいな」
「はい」
ここに来て、数年。師匠の名の一部を譲り受け、穏やかに過ごしている。
それでも鬼言が使える事は話していない。悪鬼に好かれる事も…。
しかし、すべてを見通されている気がするのは僧としての力量の違いか?
鬼力が視えると伺ったことはない。
だが、師匠を前にして、聞く勇気はなかった。
「定家殿はどうであった?」
「お変わりなく…」
「そうか。あの方は博識であられるから、勉強になるであろうな」
ほとんど、泣かれています。
とも言えないので頷けは満足そうな師匠がいた。
そうだ。高野山についての話を…。
しかし、すでに師匠の姿はどこにもない。
歩くの早すぎでは?
仕方がない。戻ってこられた時に取っておこう。
貞暁は師匠は実は仙人なのでは?
と疑っていたりする。
もし、そうであっても認める師匠ではないだろうが…。
再び、座り直した貞暁の視線の先では聖なる火が燃え上がっていたのであった。