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第2話 因子

「では、貞暁殿。また、よろしく頼みますよ」

「はい…」


次があるの前提なんだよな。

いつもの事だが…。


法衣を破る勢いで、泣きわめいていたというのに今は上機嫌な定家様に頭痛がしてくる。

俺の方が瘴気に呑まれそうだ。

ある意味、瘴気への耐性があるこの身でそれはあり得ないくせに…。


だが、疲れたのは本当だ。

俺って人と話すのはそれほど得意じゃないんだよ。

出来れば、一日中、瞑想していたいぐらいだ。

だから、今日こそは早く帰る!

気が変わって定家様に呼び止められてはまた、日が暮れてしまう。


大野路おほのぢ繁道茂路茂しげちしげみちしげくとも君しかよはば道は広けむ」


和歌?


女性の声が漏れてきた。

川のせせらぎに吸い寄せられるうぐいすのような美しい響きだ。


草木が繁りに繁って狭い大野の道でも、あなたが通るなら道は広がるのでしょうね…か。


前向きな歌だな。


あまり和歌には詳しくはないがなぜだかホッとさせられる。

貞暁は思わず足を止めた。


声のする方へと視線を向ければ、障子の隙間から女性の姿を捉える。


因子よるこ!貞暁殿がお帰りになる。挨拶しないか」


定家様に促され、着物の裾を翻して現れた女性はまだ、どこか幼さがうかがえる。


俺よりも二つほど下か?いや、三つかもしれない。


「ご挨拶が遅れまして申し訳ありません。お父上様がご無礼を…」


定家様の娘…。

目元がそっくりだ。

さすが、親子。

そう言えば、ご家族と顔を合わせた事はなかったな。

そもそも、この屋敷は静かすぎる。

栄華を誇る藤原氏の名を持つというわりには殺風景で人の出入りも多い方ではないらしい。

変わり者故なのか、それとも、公家の時代が終わりを迎えつつあるためのなのか?

ただの僧侶の俺に分かるはずもないか。


「いえ、定家様にはよくしていただいております。姫君様」

「姫君様だなんて。因子でかまいません。僧侶様」

「私も貞暁とお呼びください。因子様」

「はい…」


優雅に微笑む因子様は恥ずかしそうに持っておられる書物で顔を隠されてしまう。


「和歌を詠まれておられたのですか?」

「聞かれて?恥ずかしいかぎりです。失礼いたしました」

「いいえ。誰かを想われての歌でしょうか?」

「そんな。私にはそのような方はおりませんから!」


書物の間からうかがえる因子様の顔が真っ赤に染まっていく。


「因子はまだまだ子供で…。からかわないでくだされ…」

「お父上様!お客様の前でやめてください!私にだって!」

「いるのか?夜這いに来られる気配もなかったのに!」


そういう話は俺が帰った後にしてくれないか?

さらに嬉しそうなのはなぜだ?

公家の感性ってわかんねえ…。


「いません!歌の背景を妄想して楽しみたいんです。お父上様と一緒にしないで!」


憤慨する因子様は書物を定家様に投げつけて、踵を返した。


「これ…私のじゃないか!また、勝手に持ち出したのか!」


今、言うのがそれなの?

そもそも、親から好きな人は出来たのか?とか聞かれると恥ずかしいものだぞ。

僧侶の俺には無縁の話だが、因子様が嫌がるのは理解できる。


「知りません!私、出かけますから」

「どこへだ?」

浪子なみこ様にお呼ばれされていると話したじゃない!」

「そうだったか?」


ご友人だろうか?

それにしても、定家様は娘との会話も、忘れるのか?

いくらなんでも、天然すぎやしないか?


もはや、苦笑いを浮かべるしかない。


「こら!走るんじゃない。あれでは男も出来ぬか」


憤慨したように走って行かれる因子様を見送る定家様は呆れているが、嬉しそうにもなされている。


なんだかんだで、姫君が可愛いのだ。


羨ましい。


「申し訳ない。まともな挨拶も出来ぬ娘で…」

「いいえ。元気でよろしいのでは…。何より、姫君様のお相手は僧である私には荷が重いですから」


少しばかりの胸の痛みを無視して、貞暁は定家に一礼した。


「謙遜なされるな。貴方がいなければ、私はとっくにお隠れしていたのです。感謝しきれませんぞ」


だから、大げさなんだよ!

空腹で倒れてただけだろ!

それに因子様にしたって、公家の姫君とまともに話せる自信はない!

そちら方面の作法は学んでいないんだ。

長い立ち話でもされようものなら、間が持たない。

離れてくれた事に感謝している。


貞暁は余所行きの笑みを称えて定家の屋敷を後にしたのであった。



★★★



空は明るい。

しかし、いき行く人達の面持ちは重たそうである。


幕府と朝廷の関係が芳しくないせいか?


状況次第ではまた、戦になる可能性もある。

おちついたとはいえ、未だ鎌倉の中には好戦的な者達も多いはずだ。

もし、何かしらのきっかけで衝突すれば、ますます瘴気が強まってしまう。

そうなれば、悪鬼が大量に発生し、悪疫によって多くの命が奪われるのは想像するまでもない。

平穏に過ごしたいのだ。血なまぐさいのはやめて欲しい。

そうは言っても貞暁の目には大量の花が空を舞っているのが映っている。


漂う不気味な色だ。

野に咲く花とは違う美しさを放っている。

悪鬼が放つ鬼力が形を成したものだ。

禍々しさが肌を伝っていった。


いやあ…多くねえ?

あれが一斉に落ちてきたら花びらで窒息しそうだ。


道中そんな風に考えているとどこからか唸り声が漏れてきた。


いるな。


視線を横に滑らせると塀を悠々と闊歩する中型の猫…しかし、頭に角が生え、長い爪をたてる姿はまさに異様。


正真正銘の悪鬼だ。


陰陽師が書き記した書物によれば、妖には感情があり、ある程度、人と意思疎通ができる。

されど、悪鬼は違う。

心を持たぬ異凶の怪物。

その生まれは多岐にわたる。

心あるものの悪意だったり、術の過程で生まれたり、悪疫の副産物としてこの地に降り立つのだ。


定家様がおられなくてよかった。

きっと泣きわめいただろうからな。

そもそも、視えないだろうが…。


さて鬼言を唱えるか?

いや、この辺りは長い時をかけて陰陽師が施した結界が張られているはずだ。

下手をするとそれらの術も破壊しかねない。

もし、誤って破壊しようものなら、それこそ至る所に封印されている名だたる悪鬼が目覚めかねない。そうなったら、さらに混乱してしまう。


対峙する悪鬼の奇声に交じって、鬼力を帯びた花が飛び出してくる。

周囲に咲いていた花達が一瞬で散っていく様に貞暁は大きく息をはいたのであった。

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