――世界から、そして地球から。
核兵器が一斉に消え失せ、十年が経った。
そう。あの時、消え失せたのだ。まるで神の
――あの時。
今から遡さかのぼる事、十年前。
一人の男性が横断歩道を歩行中に、暴走車に跳ねられて死亡した。取り調べ中に発覚した事だが、暴走車の運転手は薬物の常習犯で、普段から自分の直腸にアルコールを注入したり、飲酒運転や信号無視、唐突に裸踊りを始めるなど奇行を繰り返していたらしい。
まあそんな奴は死刑か懲役二千年くらいで良いとして、被害者の男性が跳ねられ、絶命した瞬間に――世界が少しだけ光ったのだ。
多くの人間は、大衆は、その刹那の光に気が付いていなかった。
だが、ごく一部の人間――世界が異変を起こしていた事に
光。
それは、恐らく天上界からの合図にして兆候。
時間と空間を越えた
この前会った
「あいつはな、自分の意思で決めたんだよ。生まれて始めて、自分でドえらくて、でっかい事をやらかそうと決めたんだよ。そうに違ぇねぇ。あいつの最後の、決意の目を俺は予知夢で見てきたんだ」
正直、何を言っているかさっぱり分からなかったが、健さんの口調は本気、マジだった。怖かった。
自己紹介が遅くなったが、僕は全国の様々な風聞を集め、それを文章にして生活している三文物書きだ。特にオカルトや怪談を得意分野としている。
――でも。
世界が異変を起こしていたなんて、初めて知った。
微かに、世界が光ったのは記憶している。しかし、あの健さん曰く、その光に気付いた者は世界の異変に巻き込まれていた者だという。
僕はそんな異常事態に巻き込まれていた覚えはなかった。
しかし実際に世界は光り、あの暴走車による痛ましい事故から十年が過ぎて、世界中から核兵器は消えた。
そりゃもうびっくりした。
テレビは特番特番特番。泡を食った世界中の為政者たちがピーチクパーチクとうるさく、あの暴走車による事故の話題などあっさり流れ去ってしまった。今や跳ねられて死んだ男性の名前など誰も憶えてはいまい。核兵器がいきなりスゥーッと世界から消滅したのと、二十八歳フリーター男性の事故死。これらはニュースバリューが違い過ぎた。
――しかし。
僕があの事故に目を付けたのは、普段から懇意にしている退魔師・
氏はこう言った。
「彼は――きっと、うつわとしての準備が整い、あの混沌の神ゴッド・ラ・ムウのもとに――召されたのだと思います」
真顔で氏は続けた。
「彼が次なる混沌の神となるか、それともふたたび人間として生まれ変わるかは、彼の意思に任されているのでしょう。ただ、私は思うのです。彼が次世代の混沌の神となったならば、何か大きい事をやらかしてくれるのではないかと――」
以来、僕はあの事故死した男性に関する証言や、生きた証を求めてふらふらとしている。あの男性が次なる混沌の神となり、世界中から奇蹟のように核兵器を消滅させたのか、それを確かめるために。
世界から核戦争の危機は消滅した。核兵器が全部消えたのだからそりゃそうだ。
――だが。
代わりにと言っては何だが、生活圏内に犬猫が増えたような気がする。飼い犬、野良猫、あと小鳥も。とにかくよく動物を見るようになった。今、僕が歩いている寺社前なんか、白狐が飛んでいる。空はよく晴れ、蒼穿には鷹が舞っていた。
しばらく歩き続ける。
この街を、通りを、あの男性はかつては歩いたのだろうか。
わん。
唐突に吠えられた。
鳴き声の方向を見ると、野良犬が居た。
わん。
もう一声鳴くと、野良犬は舌を出してハッハッと嬉しそうに僕の顔を見ていた。何を期待しているのかはしらないが、人懐っこい野良犬だ。
しゃがんで少し撫でてやると、ちぎれんばかりに尻尾を振って気持ち良さそうに目を細めていた。僕が立ち上がり去ろうとしても、野良犬はトコトコと
僕と犬は連れ立って歩いていた。
そして色々な人とすれ違った。
老若男女、それぞれが色々な表情で、様々な装いで歩いている。
いつもの日常だ。しかし、どこか喜びが深い。
こんな平和な世界で混沌の神は何をしているのだろう。
そんな事を考えながら、ふと僕は自分のお腹が空いていたのを思い出す。そして、たまたま近くにはラーメン屋があった。看板には『こだわりらぁめん 不滅』とペイントされている。
不味そうな店だけど、ここで昼食にするか。
ふと尾いてきていた犬の方を見た。犬はポリパケツを引き倒し頭を突っ込んでいた。そうやって逞しく、たらふく食べて元気に生きてきたんだな。そう思い、僕は犬を置いてラーメン屋のドアを開けた。
先客が一人、カウンター席に座っていた――かのように見えたが、その姿は薄っすら透明になって消えた。まぼろしか? 何だろう今のは。
「らっしゃい」
カウンターの奥で新聞を読んでいたおやじが立ち上がる。
僕はテーブル席に着くとラミネート加工されたメニューを見た。
味噌、塩、チャーシュー、豚骨、高菜、その他諸々の充実したサイドメニューがならんでおり、その文字列を眺めるだけで猛烈に空腹感を覚えた。
中でも目を引いたのは、恐らく看板メニューにして一番高価なラーメン――『不滅らぁめん』だった。
「不滅らぁめん、お願いします」
「あいよ、不滅一丁ね」
そう言うとおやじは元気良く調理を始めた。
言っては悪いが、こんな寂れた店舗で経営が成り立っているのだろうか。
「前にねぇ」
おやじがこちらに背中を向けたまま、訊いてもいないのに急に語り始めた。
「やけくそになっててね。一番むかつく顔をした客にクソ不味いラーメンを食わせて店を畳もうと思ってたんですわ」
「は――はい」
「それでね、それはもうむかつく顔をした客がある日、来てね。『感謝。』とかプリントされてるシャツまで着てやがったの。こいつに決めたと思ってね。死ぬほど不味いラーメンを食わせたんですわ」
「そ、そうなんですか」
「そいつは何かギャーギャー言いながら帰ってったけど、不思議な事にね。それ以降、私の心が清められたというかね、こんな事してちゃならん、物価高やむかつく客に負けてちゃならんと思いを新たにしましてね。細々と、今に至るまで経営させて貰ってるんですわ」
「はあ――」
「『不滅』の名に恥じないようにね」
語り終えると、おやじは僕の席にラーメンを持ってきた。
「不滅ラーメン、うちの看板メニューだよ。よく味わって食べてくんな」
「はい。いただきます」
僕は割り箸を割ると、早速麺を口に含んだ。
美味い――という程では無いが、コシがあり、噛み応えがあり、不味くはなかった。
美味くはないが、不味くもなかった。
――そう。
人生のように。
不滅は、人生のような味だった。
ナルトやチャーシューに海苔が混ざっている、混沌の人生のようなラーメン。
僕はそのラーメンのお勘定をすると、店を出た。
歩く。
あの暴走者による事故現場の横断歩道を渡る。
もう誰も近くに献花をしていないし、そもそも花で弔われていたのだろうか。あの跳ねられて死んだ男性に、身寄りや友人や恋人はあったのであろうか。孤独なまま、あの男性は混沌の神となり、世界中から核兵器を消滅させたのでは――。
歩を進めるたび、自分の中のセンチメンタルがどんどん深くなり、気付けば少し街並みを外れて住宅地の方へと入っていた。
歩いて歩いて、歩いた果てにアパートの解体工事現場と遭遇した。
重機が轟音を起てており、解体中のアパートからガラガラとコンクリートの破片が零れてきている。作業員たちは黙々と猫車を押し、シャベルを動かし、たまに大声で何かを指示していた。
元々は古びたアパートのようだが、もうここの住民たちは全員退去したのだろうか。最早、誰も住んでいないからこそ解体してるのだろうけど。
こんなボロアパートに住んでいた人間に思いを馳せる。
何なら唐突に霊障でも起こりそうなボロさだ。
でも、祟られた人間だってそれなりに楽しく、軽妙に困ったフリをしながら――いや、実は本当に困ってお祓い等を依頼したのかもしれないが、それなりに人生を歩んでいたのかもしれないし、もうここには住んでいない元住民もきっと今頃どこかで噛み締めているのだろう。チンケだけど大きな人生を。
僕はあの事故死した
――それは。
文学とカオスの匂いのする人生。
例えば、大学を中退したとか、親に勘当されたとか、アル中だとか、フリーターだったとしても構わない、ひとつの混沌たる人生。
そんな人間はさぞかし自由闊達であったのだろう。
混沌と自由闊達さは不可分なるものだ。
できれば僕の頭――具体的に言うと、脳みそも自由闊達に回転してほしい。もし自由闊達な脳みそを持っていたら、僕の人生ももっと濃く、豊かなものになっていたのかもと考える。
歩く内、住宅地を抜けた。
今日の散策もここまでにしておこう。
だけど僕の人生は続く。
核兵器が全世界から消え去り、より混沌としてきたこの世界で。
神様はふざけて核兵器を消滅させたのか、御心のままに行なったのかは永遠の謎である。神様と念力などで交信できたら聞いてみたいものだ。
――さて。
この物語――今日の分はそろそろ終わる。終わりを迎え、恐らく、次の物語が明日には始まる。毎日はそれの繰り返しだ。
この数奇な運命を辿った男性の事を、これからも僕は追い続けるだろう。
真面目に、時にはふざけて、最終的にはロード・オブ・混沌と化した加納吉次郎という男性の人生を。
僕なりに知った彼の人生をまとめ上げるまで、混沌の中を生きようと思う。
そして帰路。
駅チカのビルの大型ビジョンの前に、大衆が集結していた。
――何だろう?
僕は、大型ビジョンの方を見上げ、目を凝らした。
『ロード・オブ・混沌』 ―完結―