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第十話『吉次郎は輪廻』

 私は、薄紫の美しい錦雲の上にあぐらをかいていた。


 そして、対面にはケンさんがあぐらをかいている。


 天上、雲の上。詩的で解放されたこの美しい世界で、なぜ私がこのおっさんと顔を突き合わさねばならぬのかさっぱり意味が分からないのだが、とにかく目の前には健さんが居るのだし、私もこうしてここに居るのだから仕方がない。


「吉次郎よ」


「はい」


「ついにお前、死んじまったのか」


「そうみたいですね」


 私はあの黒い暴走車にはねられ、どうやら生命活動が停止してしまったらしい。意識が吹っ飛ぶ寸前に、私の人生は混沌に支配されていた、とか思ったのはよく憶えているし、目が覚めればこの雲の上に居て驚いた。ここが天上界かあ、と、キラキラした瞳で周囲を見渡すと、このおっさんがサングラスをかけて座っていたのでガン萎えした。


「ところで健さん」


「何だい」


「私が横死してここ天上界に召されたのは分かります。それで、さっきから気になって仕方がねえのですが、何であなたまでここに居るのでしょうか」


「俺、今寝てるんだよ。地上ではちょうど丑三つ時だ」


「はあ」


「つまり俺は予知夢を見てる最中ってワケよ。お前が公園で姿を消してから俺も帰ったが、何か胸騒ぎがしてな。それはそうと歯磨きをして寝たらほら、この予知夢だ。夢の中でお前が死んだ事を知り、夢の中でお前とこうして話してるって事よ」


 健さんの予知夢能力は本物だったという事か。今さら詮無き話だが。


「それでな、吉次郎よ」


「はあ」


「教えてくれや。お前、念力の特訓中に公園で唐突に姿を消したけど、何があったんだよ。それで何で死んじまったんだよ」


 イチから説明するのが面倒くせえなあ、と思いつつ、私はタイムスリップをして百年後の未来に行った事、そこでは混沌が消え失せていた事、お土産にキャベツをいただいた事、現代に帰ってきてそのキャベツを刻んで食っていたらテレビにゴッド・ラ・ムウが顕現し、交信した事。などを話した。ついでに、いや、ついでにというのも何だが、ゴッド・ラ・ムウはもう寿命が近く、次のうつわに私を選んだとほざいていた事も言い添えた。


「ほぉーん」健さんは顎を擦りながら生返事をする。「つまり混沌の神の寿命がもう残り少なく、それが死んでしまうと世界から混沌が消える。混沌が消えた世界は非常につまらない。だから吉次郎、お前を次の混沌の神に選んだ、と」


「要約するとそういう話ですね」


「それでお前はショックと傷心と震えるようなエモーションのあまり、街を浮浪していたらラリった暴走車に轢かれて死んだと」


「一言、いや二言ほど多い気もしますが、まあそうでございますね」


「現代は『混沌期』だったのか。俺の予知夢の能力や、まだ見ぬ世界の異変の諸々もゴッド・ラ・ムウの断末魔であり、次のうつわの選別だったのかもな」


 そう言うと健さんは一人でウンウン頷いた。髪の毛の寝癖がピョンピョン跳ねていた。


 まあ、それならそうとして、仕方がない事である。私は現世には特に未練も無いし、この天上界でぐうたら過ごせるのならそれで良いのかもしれない。


「ところで吉次郎」


「何ですか」


「お前はどうなんだよ」


「どうって、もうありのままを受け入れるしかないでしょう。死んだんだし」


「なに不貞腐れてるんだよ」


「不貞腐れていませんよ」


「お前、まだ輪廻できる可能性があるんじゃねえのか? 人間に」


 私はハッとした。

 輪廻転生。生まれ変わり。来世。

 私はそれらの概念をすっかり忘れていた。あのゴッド・ラ・ムウの超越的存在に、なすがままにされていたのだ。


 でもでもでも。


 ゴッド・ラ・ムウは神であって、私は神の思し召しでこうして人間としての生を終え天上界にやってきたのだ。なのに今さら人間に戻りたいとか人として生まれ変わりたいなどという未練がましい願いが通ずるのだろうか。


 私はその旨を健さんに話してみた。


「で、人間にまた輪廻したいとして、ゴッド・ラ・ムウは許してくれるんですかね」


 返事の代わりに健さんはブッと屁をこいた。


「すまねえ。寝る前ににんにくを食っててな」


 相変わらず都合の悪い事には答えないおっさんだが――私には、まだ選択肢があるのではなかろうか。


「でもなあ、吉次郎」


「はあ」


「そこでゴッド・ラ・ムウの意に反したとして、罰としてお前の来世、虫けらとかにされたらどうすんだよ」


 言葉に詰まった。

 輪廻転生。六道。生まれ変わり。

 そう、来世がまた人間である保証など無いのだ。


 つまり、これは一見私には自由と選択肢が保証されていると見せかけて、実質、何の選択肢も無いという嫌らしい手法である。汚い大人のやり方である。


 何だかムカムカしてきた。


 ――しかし。


 あのアル中のフリーターとしての享年二十八の人生と、これから混沌の神として存在する道。このふたつは天秤に架けられるようなものではない。


 混沌の神ったって、何をすりゃいいのかサッパリだし、あのゴッド・ラ・ムウに至っては踊っているだけにしか見えなかったが、これから私が神となるのも悪くないのかもしれない。


「お前、現世に未練はねえのか。人間としての生活に」


「ん――特に。何だか毎日疲れてましたし」


「人間ってな、どうしようもねえけど、素晴らしいものでもあると思うけどな」


 素晴らしいか?

 私のキョトンとした顔が意外だったらしく、健さんが言葉を続けた。


「親御さんの事とかよ」


「大学を勝手に辞めた時点で勘当されました」


「それなら友達とかよ」


「上京して一人も友達などできてませんね」


「やりがいのある仕事とか」


「あのクソ倉庫のピッキング、ダルいんですよ。班長は少し気が狂ってるし」


「なら、女はどうなんだよ」


「自慢じゃありませんがお姉様の店には二ヶ月に一回くらいしか行きませんね」


「お前、じゃあ趣味もねえのかよ」


「酒も控えたし――何でしょうね。趣味、思い当たりませんね」


 自分で言っておいて何だが、我と我が身が情けなく思えてきた。


 空っぽだ。

 空っぽ人間だったのだ。私、加納吉次郎は。


「――吉次郎」


 私は顔を上げた。


「お前、泣いてんのか?」


 確かに私の顔面には涙と鼻水が垂れていた。

 シズル感あふれる顔面とは裏腹に、自由闊達な脳みそは静かにしている。


 そして、健さんは黙っている。


 永久にも思える沈黙。雲の上は蒼穿。天のはては見えない。


「まぁ、お前がどうしたいかだよ。俺は短い間だったがお前と知り合えて楽しかったぜ、吉次郎」


「楽しかったっすか」


「ああ。普通の世界の普通の人間には味わえねえ混沌だったよ。世界の異変も俺の予知夢能力もこれからどうなるかは分からねえ。お前が次の混沌の神になったとして、世界がどうなるかも知らねえ。てかお前が次も人間に輪廻するとしてももう会えるかどうかも分からねえ。分からねえ事だらけだ。だがな、それが楽しいんだよ俺は。そんな混沌がな」


 そう言う健さんの身体が、ゆっくりと薄く、薄くなって行った。


「あの、身体が透けてきてるご様子ですが」


「現世ではもう朝方なんだよ。つまり俺もそろそろ目が覚めて起床する時間が近いんだ」


「起床するとどうなりますか」


「ま、お別れだろうな。予知夢――夢の世界は自分じゃ操れねえ。もうお前ともこれで今生の別れになると思うわ」


 深刻な事を言いながら薄くなっていく健さんが面白かった。

 思い返せば、濃かったけど面白いおっさんだったな、この人。


 矢継ぎ早に私の自由闊達な脳みそが記憶を掘り起こしていく。


 あの『不滅』とかいう腐れらぁめん屋。霊障。野良犬。番場猪之吉氏。念力――そして、あのゴッド・ラ・ムウの御守り。


 ゴッド・ラ・ムウは覚悟が決まったら御守りに念じろと言っていた。


「吉次郎」


「はい」


「俺はもうそろそろ目が覚めてここからは消える。だから最後に見せてくれねぇか。お前の念力と覚悟を」


「ちょっとやってみますね」


 私は、よよよっ、と唸った。

 右掌に、あのゴッド・ラ・ムウの御守りがぽんと出現した。


「お前がその御守りに念じて、次なる混沌の神になるか、それともまた人間に生まれ変わるかは自由だ。フリーダムだ。リバティーだ。その結果を敢えて俺は問わずにお前と別れを告げるつもりだ」


 もう薄くなっているどころか半透明の健さんは静かにそう言った。私は黙ってこのおっさんのサングラス越しに目を見る。てかこのおっさんは眠る時にまでサングラスを掛けていたのだろうか。


「じゃあな吉次郎。俺はもう目が覚める。憶えていたらお前と俺の物語を語り継いでいくつもりだ」


「物語、何かありましたか」


「俺らの人生が物語なんだよ。物語ってのは混沌だろ」


 ――そして。


 健さんの姿は、完全に消えた。


 どうやら現世で起床したらしい。


 やれやれ。


 ――これで。


 私もこの天上界でひとりぼっちになってしまった。


 あとやる事と言えば、神となるか、人として転生するか、この御守りに念じるのみだ。


 優柔不断ではなかったと思いたいが、流石にこんな究極の選択を迫られては手が震えるし、ウンウン唸ってしまう。頼みの綱の自由闊達な脳みそも回転しない。


 思えば、この脳みそも、念力も、世界の異変も、すべてゴッド・ラ・ムウの寿命が近かったゆえの混沌であったのだろう。次のうつわたる人間たちに公平に課せられたカオスであったのだろう。そして公平な抽選の結果として私が選ばれたとかあの存在はのたまっていたが、そこに私の自由意思が介在する余地は無かった。今、神か人かの選択を迫られているのが、唯一私が意思決定できる余地だとも言える。


 ふざけてるなあ。

 ふざけてやがる。


 世界も、神も、人も、物語も、すべてがふざけている。


 混沌の主、ロード・オブ・カオス。世界の中心。


 私がそこに位置するとしたら、徹底的にふざけ倒してやる。

 脈々と受け継がれてきた混沌の神の座、そこに位置したらふざけ倒してやるわ。くそっ。


 くそ、なんてお下品な言葉を使ったのが効いたのか、右手に握っていた御守りが熱を帯び始めた。鰯の雨を止めた時以来のエネルギーを放ち始めた。


 ぎゅんぎゅんと御守りはエネルギーを高めていく。


「よしっ」


 私は自分で自分に気合いを入れた。


 覚悟の程を決めた。


 ――すべてが、決まった。


 そして私は、御守りに願った。

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