目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第九話『吉次郎は衝撃』

 左腕に抱えたキャベツ一玉がずっしりと重かった。


 大変よく葉が巻いた大振りのキャベツだ。


 しかし、今はキャベツの事は比較的どうでもよく、最優先すべきは私が見てきたあの未来の田園風景をどう解釈するか、である。


 ――混沌が。


 失われた、未来。


 私がタイムスリップして到達してきた未来はそうだった。


 そして、あの未来の老婆が言うには、ふたたび戻ってきたこの時代――現代は『混沌期』であり、混沌の真っ只中だと。


 ふーむ。


 少し、私一人の手には余る事態になってきたが、かと言ってこんな事実を共有できる相手も居ない。現に私はこの公園に百年後の未来から戻ってきた訳であるが、ケンさんの姿はもう見えない。

 まあ、あのおっさんはその内また現れるだろうとして、その時に一応この事を相談してみるか。


 しかし、あの混沌が消失した未来は――。


 ハッキリ申し上げて、つまらなさそうだった。


 大体、混沌が消え去ったとして、インフラや店舗や娯楽まで消え去るのはいくら何でもちょっと。それに酒すら過去の遺物となっているという。何だよそれ。しかも、大元である混沌が消えた理由については、何も情報を得られなかった。


 左腕に抱えた未来土産のキャベツがやたら重く感じた。さて。これからどうすべきか。


 とりあえず、家に帰る事にした。スマホを見る。現在は午前十時前。私は一時間ほどこの公園から姿を消していた事になるのか。


 公園から出て、キャベツを抱えたままヨヨヨと歩く。


 うすら笑いですれ違っていく群衆。キャベツを抱えた私。


 アパートの階段を登りながら、昼飯はこのキャベツでいいか、などと考えていた。公園で念力の特訓と称した何かをし、未来へタイムスリップし、土産のキャベツを持って現代に帰還し、それを小脇に抱えて帰宅する。お昼ご飯にそれを食う。


 文学めいている、と言うと文学から文鎮で殴られそうだが、兎角とかく、本日の私の一連の行動には、混沌の文脈があった。しかし、私が垣間かいま覗いた未来では混沌が消失しているという。


 台所でキャベツを刻みながら、それってどーなん? と思いを巡らせる。


 刻んだキャベツを皿に盛り、ツナ缶の中身を投入し、ごま油で和えた。それを丸テーブルまで持っていき、割り箸を割る。


「いただきます」


 一口頬張る。


 シャキシャキしており、とても純粋な味のキャベツがツナと絡んで口内でハーモニーを奏でている。


 美味しかった。


 なので、いや、「なので」って事もないが、私はテレビをつけた。いくら美味しいものを食べていても、孤独は孤独なのだ。


 何かヒップホップ崩れみたいな低音インストゥルメンタルがテレビから流れてきた。そして画面に映ったものを見て私は口内のキャベツを噴き出しそうになった。


 ――テレビの画面内では。


 あの――筋骨隆々としたスキンヘッドのアフリカ系男性が、黒のブーメランパンツ一丁で踊っていた。そして、その瞳はとても澄んでいる。


「ご、ご、ご、ご、」私はどもりながらその御名を口に出した。「ゴッド・ラ・ムウ!」


 ハァイ、と返事をするように暗色の背景に『GOD LA MU』の電飾が光る。


 両サイドで踊っている水着のブロンド美女が揃ってこちらに投げキッスをした。


 私は呆然とした。


 人が自宅でキャベツを食っていたらいきなりあの、ゴッド・ラ・ムウが現れたのだ。


 しばらくその躍りを眺めていた。

 いや、何かメッセージがあるなら直接言ってくれよ。


 ――あ。


 その時、私は閃いた。


 以前、私が念じたらテレビ画面の向こうの野球選手に思った事を喋らせる事ができたのだ。それなら――今、念力を以てゴッド・ラ・ムウに何らかを喋らせる事ができるのではなかろうか。さすればこの超越的存在とコンタクトできるのではないのだろうか。


 やったるわ。

 そして私は割り箸を持ったまま、ふん、と念じた。


 おいゴッド・ラ・ムウ。何なんだよお前は。


 そしたらば。


 画面の向こうのアフリカ系男性――ゴッド・ラ・ムウがニカッと笑ったのである。続いて、私の脳内に直接何らかの言葉が飛び込んできた!


「ムニエッソ・ムニエッソ。パルクァイア・ゼオ・カントラーム。ヒルメッシワチャーハン。オマエ・キチジロウ。オレ・コントンノ・カミ」


 ブルースの名手のごとき美しい声だったが、何をのたまっているのかさっぱり分からなかった。が、その言葉の最後の方に行くに連れ、やや日本語らしき響きを感じた、


 私はテレビに向かってより強く念じた。


 おい何言ってるのかわかんねーぞ! 日本語! ジャパニーズオンリー!


 脳内に言葉が返ってきた!


「ハハハ。オレ・コントンノ・カミ。オマエ・ムカツク・カオシタ・イッパンジン。デモ・タイセツナ・ウツワ。ツギノ・コントンノ・カミ」


 何となく言わんとする事は汲み取れたが、荒唐無稽過ぎて私は返答に窮した。


 どうやらゴッド・ラ・ムウとは混沌の神であるらしい。そこまでは分かるし認めよう。私がむかつく顔をした一般人だというのは一言多い気もするがまあ、認めないでもない。


 ――だが。


 そんな私が大切なうつわであり、次の混沌の神であるとはどういう意味なのだろうか。


 またテレビに向かって念じる。


 おいうつわやら次の混沌の神ってどういう意味だ。専門用語使うな。


「オマエ・キチジロウ。コウヘイナチュウセンノケッカ・オレノ・ツギノ・ウツワニケッテイ。カオモオモシロイシ・イイカナッテ」


 言いたい放題言ってくれるじゃねえか。と思った。


 しかし、公平な抽選の結果、私が次のゴッド・ラ・ムウになるのならば仕方があるまい。んな事あるか。仕方がありすぎるんだわ。勝手に物事を進めるな。


 そこら辺を強く念じてテレビに念波を送信した。


「オレハ・モウナガイコトソンザイシテキテ・ソロソロ・ジュミョウ・チカイ。ダカラ・ツギノ・ウツワニ・オマエヲ・エランダ。オレガ・キエルト・セカイカラ・コントンガ・キエル」


 私はあっと声を上げた。


 混沌が消失した世界――百年後の、未来世界。


 あれは――ゴッド・ラ・ムウ、混沌の神が消えたからこその世界だったのか。


 得心が行った。行ったのだが、つまりこのゴッド・ラ・ムウが死んでしまうと世界から混沌が消えるという事で、それを防ぎたいなら私が次のゴッド・ラ・ムウになれとこいつは申しているのである。確かにあの混沌が消えた未来は長閑ではあったが、つまらなさそうだった。しかし、それを変えるために私が人身御供に喜んでなるかというと、それはまた別の話であり、今現在、自由闊達な脳みそも大変混乱している。


 私は黙ってテレビの画面、踊っているゴッド・ラ・ムウを眺めた。


 とても澄んだ瞳をしている。


 楽しいのかこいつ。


 楽しいといえば、私は酒くらいしか上京してきてからの楽しみは無かった。元々酒で大学を中退し上京してきたのだが、何だったんだろうなあ、自分の人生は。と時折省みる。


 ――はあ。

 何か溜め息が出てきた。


「カクゴキマッタラ・ソノ・オマモリニ・ネンジロ」


 そう最後に言葉を送ってきて、テレビの電源は勝手にプツンと落ちた。


 御守りかあ。

 これはそういう「しるし」だったのだな。

 丸テーブルの上の御守りを見やる。


 そして、私にはこんな大事に関する相談相手も居ない。番場猪之吉ばばいのきち氏や健さんに相談したってどうにもならないだろう。事態が重大過ぎる。


 私は――これからどうすれば。

 私は――ただ、清く貧しく美しく生きていきたいだけだったのに。


 気が滅入ってしまった。時刻はもう昼過ぎだ。


 幸い、何時までに決めろと時間指定はされていないので、とりあえず私は散歩でもしようと決めた。


 アパートの玄関を開けヨヨヨと幽鬼のようにふらつく。ああふらつく。


 相も変わらず薄ら笑いを浮かべた群衆どもがウジャウジャと歩いている。だが、それぞれにはそれぞれの人生があり、それぞれの苦悩があるのだ。そんな当たり前の事に、今、思い至った。


 目的もなく、この大都会をふらふらと歩いていた。


 ふーむ。


 事のすべてというか、殆どが分かりかけてきた。そして判断は私の胸先三寸に任されている。


 ――孤独だ。


 そう。重大な決定をする時、いつも私は孤独だった。


 今回も、恐らく私の人生最後の決断も、一人で決めなければならない。


 私は信号待ちをしていた。横断歩道がやけに長く見える。


 信号が、ぽん、と青になった。進もう。


 ふらふらと私は横断歩道を渡る。


 その時。


 プオーン! とアフリカゾウの鳴き声のような音が聞こえた。ビックリして私は音のした右の方向を見た。


 アフリカゾウというか、黒の自動車が赤信号なのにも関わらずこちらに突っ込んできていた。


 え、何なのこの車。


 私は本能的に念力で運転手をスキャンした。


 運転手は、強いブランデーをラッパ飲みしながらアクセルをベタ踏みしており、完全に酔っぱらっていた。おいおいおい。


 何でこんな瞬間にこんな飲酒運転が都合よく突っ込んで来るんだよ。普段混沌がどうとか言っておきながら、こういう所で律儀にドラマティックな演出をしようとするなよ。これもゴッド・ラ・ムウの意思か? 腹が立ってきた。


 腹を立てたのが災いした。


 私は念力で防衛する事を忘れていた。その時間、約三秒ほど。


 三秒の間に、黒の自動車は私の眼前に迫ってきていた。


 フロントウィンドウ越しにブランデーをラッパ飲みしている運転手の顔が見えた。アヒャアヒャと笑っていた。こいつアルコール以外の薬物も何かやっているんとちゃうか?




 ドン




 凄まじい衝撃を受けた。


 車に跳ねられた瞬間というのは、やたら時間がスローモーに感じる。そして視界がブレる。自分の体勢が分からなくなる。


 続いて訪れるのは、意識の溶暗だ。


 恐らく私は宙を舞い、そのまま何回転もアスファルトの上を転がったのだろう。


 口内に鉄臭い血の味がした。頭がぐわんぐわんと鳴っていた。私の自由闊達な脳みそはもう――回転を始めなかった。


 自分がどうなっているのか、何が何やら分からなくなっていた。


 意識はもう無くなっていた。


 ただ、くらやみの中に私は居た。

 くらやみの中の私は何者なのだろう。


 これから人生の走馬灯でも始まるかと思ったのだが、何時まで待っても始まらない。時間の概念すら最早無かった。


 私、加納吉次郎。


 思えば、私の人生は混沌に支配されていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?