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第六話『吉次郎に師匠』

「ふぅむ、念力を――」


 番場猪之吉ばばいのきち氏は神妙な顔をして腕を組んだ。

 私はあの鰯が降ってきた翌日に、慌てて氏の除霊事務所に予約を入れ、週末の休みを利用して現在お邪魔させていただいている。

「はあ、念力が使えるようになったんですよ。いきなり。何の前触れもなく。唐突に」

 霊能・退魔・除霊を掲げる氏の事務所ならば、私のこれからの指針を示してくれるであろうと期待しての事であった。

 だが、先程から番場猪之吉氏は選挙事務所の達磨だるまみたいな顔をしてうんうん唸るばかりで、たまに、うぅむ、とか、ほぉほぉ、とか喘ぐような声を漏らすに留まっている。念力ってそんなに珍しい事案か。まあ、珍しいと言えば珍しいのだろうが。


「加納さん」


 番場猪之吉氏の困りくさった顔を眺めていた私はいきなり名前を呼ばれて驚いた。

「はい」

「間違いありません。これはあなたの『うつわ』としての準備が整いつつあるという事です」

 またうつわだの何だの言い出したよこのおっさんは。と思ったが私はそんな事はおくびにも出さず、「はあ、うつわ、ですか」と生返事をした。頭の中では牛丼屋のどんぶりをイメージしていた。キングサイズの。

「最早、間違いはありません。空っぽですっからかんなあなたのうつわに、何らかが入り込まんとする予兆ですね、これは」

 そんな事をのたまわれてもどうしようもないのだが、私は一応、これからどうすればいいのかを番場猪之吉氏に問うた。

「真面目に生きる事です。とにかく今は悪いモノを寄せ付けてはいけない」


 私は挨拶をし、番場猪之吉氏の事務者を後にした。

 悪いモノを寄せ付けてはいけない、か――。

 氏の言う事も分かる。そもそも悪いモノが寄ってきて喜ぶ人間もあまり居ないからだ。そしてこれは肌感覚で考えているのだが、念力もあまり使うと悪いモノを寄せ付けてしまう気がする。現に先日鰯が降り注ぐなどという天変地異に見舞われたし。


 そうだそうだ。そうだな。悪いモノを寄せ付けず清く貧しく美しく生きよう。清く貧しく美しく二十八年間生きてきた結果がこの有様なのは否めないが、そこはちょっと改善の余地があるとして。はあ。


 駅に向かってヨヨヨと歩く。相変わらず道ゆく有象無象どもはニヤニヤと薄笑いで往来に溢れており、群衆の群衆たる何かを考えさせられざるを得ない。こんなに人は多いのに、私は孤独である。今まで孤独だなどと思い悩んだ事はあまり無いが、何せ念力などという能力に目覚め困っているのはそう何人もおるまい。独り。咳をしようが酒が飲みたかろうが念力に困ろうが独り。孤独である。


「吉次郎!」


 びっくりした。


 いきなり、駅に向かう往来で、背後から、大声で、私の下の名前を叫ばれたのだ。


「吉次郎!」


 声の主はもう一度私の名前を呼ばわった。

 恐る恐る振り向くと、知らん人が立っていた。

 知らん人はソフトカーリーヘアでサングラスをかけており、暑苦しい濃ゆい顔で満面の笑みを浮かべた。そして着用している白いティーシャツには大きな王将の駒がプリントされていた。

「はあ」

 今日何回目かの生返事をする。

 てかこの人はどこの誰なのか、さっぱり思い出せないのだが。


ケンだよ! ケンさんって呼んでくれてたじゃないか吉次郎!」


 だから誰だよ。

 私の人生にケンさんなんて知り合いは登場しなかったはずだが。


 その時、私の自由闊達な脳みそが回転を始めた。そして三つの可能性を提示してきたのである。

 ひとつ目は、本当にどこぞの知り合いで完全に私が忘却している可能性。

 ふたつ目は、相手方が別の吉次郎さんと私を勘違いしている可能性。

 みっつ目は、これは完全に関わっちゃあかん人である可能性。


 そして脳みそはあらゆる可能性を考慮し、演算を始めた。念力を使えるようになってきてから脳みそはより自由闊達になってきた気がする。そして脳みそは計算処理を終え、先ほどの三つの可能性のうち、二つをブラックアウトさせ、残り一つをゲーミング調にペカペカと光らせたのである。


 これは完全に関わっちゃあかん人である可能性。


 七色に光り輝く可能性を脳内に感じながら、私はこう、いかにこの場を切り抜けるか、この難を逃れるかを考えていた。現実的なパターンとしては、足早にこの場を去る、走って逃げるなどが好ましいだろう。


 しかし待っていただきたい。


 逃げるのが最善手であるのはそれはそうなのだが、問題が一つあって、何故にこの健さんとやらは私の名前を知っており、いきなり呼び掛けるなどしてきたのであろうか。それが妙に引っ掛かる。

 そこを解決しない限り、このもやもやは晴れず、また、番場猪之吉氏が言っていた「悪いモノを寄せ付けない」事もできないと思うのだ。現にこう、何か変な人に絡まれている訳だし。


「吉次郎! 何を固まっておるのだ!」


 自称健さんは私の方にズカズカと歩み寄ってきた。私は後ずさった。

 こうなった以上はもう腹を括るしかない。

 私は意を決し、腹を下したホトトギスみたいな声を出した。


「あのう――」そして炭鉱に投げ込まれたカナリヤのような声で続けた。「どこかでお会いしましたか?」


 途端、健さんの動作が止まった。

 そして、ふるふると少し震え始めたのである。


 その様子は傍目にはキレかけている危ない人にしか見えず、私の自由闊達な脳みそも露骨に赤信号を点滅させ始めていた。どうしよう、ナイフでも取り出してきたら。

「――ふっ」

 健さんは、静かに笑った。

 そして、少し斜め下を見ながら、ぼやいたのである。


「俺を忘れるとはな、吉次郎。前世で師としてお前を導いたこの俺を」


 世界から音が消えた。


 私は黙っていたし、聴覚も勝手にガラガラとシャッターを下ろした。

 健さんもサングラス越しに私の目を見ながら、多分自分ではニヒルだと思っているのであろう表情で黙っている。

 沈黙が気まずいし、それ以上に『前世』だの『師』だの唐突に言われた私の気持ちが自分でよく分からなかった。

 でも、まあ、こうして往来で二人して固まっていても通行の邪魔である。現に行く人来る人がチラチラと私たちの方を怪訝そうに見ている。

「――はあ」

 私は全力で声を振り絞ってまた生返事をした。

「吉次郎。こんな所で立ち話もアレだ。サ店でレイコーでもしばきながらつもる話でもしようじゃないか」

 こちらとしては特につもる話もないのだが、一応話を聞く事に決めた。恐らくこれも世界の異変の一環であろうし、何だったら番場猪之吉氏の言ううつわの事やゴッド・ラ・ムウに関するヒントを得られるかもしれない。それに、いざとなったら私には切札の念力がある。

 さあついてこいよ! とズカズカ歩く健さんの後ろをいそいそと尾ついていき、適当な喫茶店に入った。健さんは勝手知ったる店のように奥座席にドカッと座ると「まあ座れよ吉次郎!」と私に促した。やたら声がデカかった。


 私も健さんもレイコーを注文した。正確には、私は「アイスコーヒーひとつ」と言い、健さんは「レイコーいっちょ」と言った。

「いやあ吉次郎。まさかバッタリ会うとは思わなかったよ」

「はあ――それはそうと、私は本気でマジで嘘偽りなくあなたの事を知らんのですが」

「まぁまぁまぁ、いきなりの事だから記憶が抜けているのも仕方がない」

 人を間抜けみたいに言うと、健さんは朗らかに笑った。

「あのう、先程、前世だの師だの仰られてましたが、そのソースを提示していただけると会話が非常にスムーズに進むと思われるのですが」

「夢だよ」

「夢」

「夢で見たんだよ」


 私は黙って健さんの顔を見た。正気の度合いを確かめるためにである。


 濃い顔をしている。

 こんな濃い顔で「夢で見た」などとのたまわれても困る。


「吉次郎、お前は念力が使えるだろ」


 びっくりした。

 なんでこのおっさんは私の念力の事を知っているのだ。少し頭の中が白くなった。

「同じだよ。俺には予知夢の能力があるんだ」

 ――予知夢。

 はあ、そういう事か。

 この健さんなるおっさんも超能力に目覚め、その予知夢でグースカ寝ながら私の事を夢に見たのか。キショいが多分そんなところだろう。

「そして夢の中で告げられた。俺たちは前世で師匠と弟子だったんだよ。繋がってたんだよ」

 またキショい事を言う。

「コーヒーお持ちしました」

 店員の女性がコーヒーを二つ置いて去っていった。

 私はコーヒーに少し口をつけ、健さんはズゾゾ、と飲んだ。

 同時にカップを机に置く。

「――それで」私は口を開いた。「何をどこまで知っておられるので?」

「漠然と質問されてもなあ。俺はお前の事と、世界が狂ってきてる事くらいしか知らねえよ」

「ああ、世界の異変、分かりますか」

「この前空から鰯が降っただろう。あれで確信したよ。一般人たちは何故か普通の事として受け入れてるがな」

 ふぅむ。言われてみれば、一般人たちがあれを普通の事として受け入れていると思っていた私も、また狂いかけているのかもしれない。


「吉次郎――」

 健さんは、唐突に私を呼び捨てた。

「はあ」

 私は、上の空で健さんに生返事をした。

「俺を『師匠』と呼べ」


 私は黙って健さんの顔を見つめた。このおっさんは狂っているんとちゃうんかと思ったためである。


「悪ぃようにはしねぇ。この狂った世界に俺ら二人で立ち向かうんだ」

「具体的なプランなぞはありますか」

 健さんは黙った。そして唇を固く結んでふるふると震え始めたのである。

「――ふっ」

 しばらくすると、健さんは少し斜め下を見ながら静かに笑った。先程も見たようなパターンである。


「そういうところがお前の可愛い所だよ吉次郎。プラン。プランね。ああ、俺にゃとっておきのプランがある。それは何か? お。何か知りたいような顔をしているな吉次郎。だがな、こいつは本当に切り札だ。迂闊に教えるワケにゃ行かねぇ。今はただ、俺を信じろ吉次郎」


 何か重要な事を言っているようで、その実、何の内容も無い空疎な台詞を吐き終えると、健さんはものすごいドヤ顔で私を見た。正直むかついた。


 ――だが。


 今は、誰かを信じたい、連帯したいという気持ちも確かに私の中にあり、とどのつまり世界の異変から翻弄されてきた孤独な私は、仲間を本能的に求めていたのであろう。いくら胡散臭いとは言っても、この健さんなるおっさんは一応能力を持っているみたいだし、念力の事も知っている。


「では――」私はゆっくり口を開いた。「その話に乗るか前向きに検討する事を検討したいと思う所存です」


「そう来ないとな!」


 健さんは豪快に笑った。私の顔に唾が散った。


 そして、私たちはライーンというメッセージアプリのIDを交換して今日は別れた。喫茶店代を割り勘にされたのが何だか腑に落ちなかったが、まあよろしかろう。


 また連絡を取る。そう言って健さんは去っていった。


 兎にも角にも、私には新たな仲間ができた。

 ――そろそろ。

 狂い行く世界への反撃の機運が高まってきたのかもしれない。

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