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第三話『吉次郎と霊能』

 外出すると、ろくな事にならん。


 残業残業で疲れた身体にアルコールを補給しながら、私、吉次郎は部屋で鬱屈としていた。


 明日はシフトが入っておらず休日ではあるのだが、先日の腐れらぁめん屋の事や、ゴッド・ラ・ムウの御守りの件を思い出すと、さあ休日だ、どこに出かけようかなワクワクチョイ~ンといった気分にもならず、さりとて家に居てもテレビを見て毒づくだけの一日になる事は明らかであり、八方塞がりな状況に逼塞しそうなのである。


 ふと、買って帰って以来、丸テーブルの上に置いたままの御守りを見た。『ゴッド・ラ・ムウ』というカタカナの金色フォントの刺繍が本当にふざけている。ふざけていると言えば世界の異変も最近まことにふざけており、どのようにふざけているかと言うと、家鳴りがし始めたのだ。


 家鳴り。


 私は今、「家鳴り」などと極めて可愛く言ったが、実のところ、ほとほとにこの現象に困り果てている。まず、家のあちこちがバチバチミシミシとうるさくてイライラするし、たまにヒョエー、ウワーと人の悲鳴に似た音響までそれに混ざっている。布団に潜っているとオホーホッホッホと枕元でヒステリーを起こしたような高笑いが聞こえるし、これでは安眠・熟睡する事も叶わず、バイトの暇な時間にトイレに籠って船を漕ぐなどした。今でもバチバチと部屋のあちこちが鳴っている。


 そしてわたしがこの現象を放置しているのにも入り組んだ理由があって、第一に、大家に「家鳴りがうるさいから何とかしろ」と言いに行っても鼻で嗤われるか退去を迫られるだけだろうし、アパートがボロいのを承知で借りたのだから私にもこうした事態を想定していなかった責任の一端がある。それにこの家鳴りを気にするあまりヨソの人にクダでも巻こうものなら少しおかしな人扱いをされるかもしれない。


 ――それに。


 私はチラッと丸テーブルの上に視軸を遣る。


 そこにはあのゴッド・ラ・ムウの御守りがある。


 この謎のアイテムの効能を試したいという目論見もあった。


 そもそもこの御守りを買ってきてから家鳴りがし始めたのでは? というごく正調な意見も分かるのだが、私の中の脳みそ――自由闊達な知的好奇心は、この現象に御守りがどう関与するか、そして結末はどうなるのかを知りたくて堪らず、疼いているのである。


 バチ。


 また家鳴りがした。心なしか夜の方が家鳴りがうっさい気がする。もうこんなにバチバチと鳴っているものを「家鳴り」と一言で済ませるのも腹が立ってきたので、私はスマホをタップし、検索エンジンを開いた。


 ――家鳴り 原因


 ――家鳴り うるさい


 ――家鳴り 味噌に頭でも突っ込め


 等々、自由闊達に検索を繰り返していると、ふと――指が止まった。


 そこには、『霊障の家鳴り――ラップ音』と見出しがあった。


 ラップなら昔につまらん日本の音楽グループのをいくらか聴いていたが、そういう事ではないらしい。


 まず「霊障」なんて二文字からして不穏だ。霊に障りである。何だか背中がゾクゾクとしてきた。酒、飲み過ぎたか。飲み過ぎたんか?


 私はその記事をタップし、開いた。一通り読む。


 恐ろしい事が書かれてあった。


「あなたは祟られている!」


 でっかい赤文字が目に入った。同時にバチ。と部屋の片隅で家鳴りがした。


 冗談も大概にしていただきたい。


 私は先日、あの訳の分からん寺社に参拝し、御守りを買ってきたばかりなのだ。まさかそこの本尊のゴッド・ラ・ムウなるアフリカ系男性が悪神・異端のたぐいでも無かろうし、そもそも清く貧しく美しく慎ましく生きている私が悪霊に祟られる謂れなど無い――と思いたいのだが、以前の腐れらぁめん屋を始め、私の人生、その節々に、「実はちょっと祟られちゃってるんじゃない?」と思い当たる事も多く、気付けば私はスマホを握ったままわなわなと震え、戦々恐々としていた。


 ――祟り。


 最近始まったこの家鳴り、いやさラップ音も祟りが強まってきた兆候なのだろうか。


 私はふと背後を振り返った。


 壁の埃染みが人の顔――それもえらく不細工な――に見えた。


 ――駄目だ。


 私は観念した。


 しかし。これは祟りは実在する、という真実に屈したのであって、私の幸福や健康まで悪霊にくれてやるという観念ではない。ならばやる事はひとつ。解呪の儀式だ。だが、私にはその手の知識がとんと無く、とりあえず御守りを片手で持って翳すなどしてみたのだが、そんな行為は無視してバチバチとラップ音は鳴り続けている。わたしは大人しくスマホで検索を続けた。


 ――祟り どうすれば


 ――祟り 何故か


 ――畳 六畳


 最後のは打ち間違えたのだが、それはともかくとして諸々のサイトやブログを漁り続けた。そしてふと指が止まる。その瞬間、一際激しくバチバチとラップ音が鳴った。


『うわさの泣き虫退魔師・番場猪之吉ばばいのきちの除霊相談所』


 そんなスポンサーサイトの見出しが表示されていた。


 私は生唾を飲み込んだ。


 何がうわさの泣き虫退魔師なのかさっぱり分からないが、逆にその胡散臭い文字列が頼もしく見えた。私は恐々とその見出しをタップする。


 どっかのおっさんの顔写真がでかでかと貼られていた。おまけに満面の笑みを浮かべている。脳味噌を自由闊達に回転させてみたところ、多分このおっさんがうわさの泣き虫退魔師・番場猪之吉氏なのであろう。そう考えてみるとどこか優しい顔立ちにも見える。まぁ、おっさんの顔に見とれている場合ではない。私はこの除霊相談所の概要を読む。要約すると、おうちの心霊現象に困っているアナタ! 一日一万三千円ほどで番場猪之吉がお家に伺い、悪霊を祓います! 食費は別途請求。というような事が書かれていた。一万三千円。フリーターである私にとっては決して安い金額ではないが、相場としては安いのだろう。三桁万円ぼったくられたなんて話も聞くし。ものは試しだ。


 わたしは、サイトのメールフォームに連絡先番号と氏名、人生に於ける不幸、そしてこのうっさいラップ音について書き連ね、送信した。もう夜の九時を過ぎているから、恐らく先方からの連絡は明日以降だろう。


 そして、ひとまず今夜は眠る事にした。ストロング飲料の缶を空ける。全然酔わねぇ。煎餅布団に突っ伏す。バチバチうっさい。目を閉じる。悪夢。超未来のイカ軍とタコ軍の科学戦争に巻き込まれる夢を見た。


 ――そして。


 朝が来た。


 もっさりと起床すると私はスマホの通知を見る。そしたらば、メールボックスに番場猪之吉氏からの返信が来ていた。


 要約すると「それは大変ですねえ。直ちに伺います。都合の良い時間はありますか? 何なら本日中でもオッケーだよ」というような、フランクさと頼もしさが溢れる返信だった。時計を見る。朝七時。


 私は「ほんなら本日の昼前くらいにお願いできますか? 早めにご飯食べて待ってます」とフランクさを装って返信した。


「オッケーオッケー。間違っても早まった事はしないでね」と返信があり、私は番場猪之吉氏を待つ身となった。


 ラップ音はいまだバチバチと鳴っているが、夜に比べると少しだけ静かだ。少しだけね。


 私は番場猪之吉氏が訪うまでに部屋を掃除しておこうと思い、窓を開けた。外は明るい。初夏の涼やかな風が入ってきた。そして箒とちりとりを手に取り、サッサッサと床をはく。ああ爽やかで充実してるなぁ。部屋のみだれは心のみだれ。じゃあ部屋のラップ音は何なんだよ。心のラップ? ええい胸糞悪くなってきた。


 一通り片付けと掃除を終えたので、カップ麺でも食べようとお湯を沸かすべく電気ケトルのスイッチを入れた。呆けた顔をして待っていると、ケトルがゴボゴボピーピー鳴き始めた。そしてバチンと凄まじい音を立てて、スンとも鳴かなくなった。


「は?」


 壊れた? ついこの前ネットで買ったばかりだが。


 お湯は沸いているが、電源ランプが点灯していない。カチカチとスイッチを入れてもウンともスンとも言わない。


 壊れた。


 苦虫を噛み潰していると、背後でケタケタと嗤うような声が聞こえた。振り返ったが、そこにはタンス以外に何もない。正確に言うと、胸に「感謝。」とプリントされたティーシャツは脱ぎ散らかしてタンスの上に放ったままだが。


 ラップ音だけではなく、ついに本格的に霊障まで起こり始めたか。しかし霊というのは何でこんなに陰湿・陰険なのであろうか。文句があるなら直接言え。なおその折に関しては怖い姿で出てきて威嚇しようとしてくんな。


 煮え切らないものを感じながらカップ麺にお湯を注ぐ。数分待つ。


 よし。


「いただきま――」


「おはようございます」ピンポーーーン。


 人がカップ麺を食おうとした瞬間、誰かが来た。誰か、と言ってもどう考えても番場猪之吉氏が来たのに決まっているのだが、タイミング、というものが世の中にはあって、初対面の日にこうタイミングを外されるのも、あまり縁起はよろしくない。


 とは言ってもこちらから依頼した手前、というか「カップ麺食うまで待て」などと非常識な事を言って無碍にする訳にも行かず、私はカップ麺を置いたまま立ち上がり、少しパンツとズボンを引き上げ、玄関のドアを開けた。


「おはようございます。加納吉次郎さんのお宅でよろしいでしょうか」


「はい」


「初めまして。番場猪之吉です。退魔師をやらせていただいております」


 中年サラリーマン然としたにこやかなおっさんだった。何がどう『うわさの泣き虫退魔師』なのか相変わらず分からなかったが、私は一例をし、今日はよろしくお願いします。何分こういう現象は初めてなもので――と言った。


「大体皆さんそう仰るんですよ」


 私は番場猪之吉氏に家に上がっていただいた。


「まずこの玄関がいけません。風水的に見てアウト。福の神を叩き出して鬼を呼び込むレイアウトです」そんな事を言いながら番場猪之吉氏は部屋中を見渡した。「これは――相当ですねぇ」


 何が相当なのか。不穏な事を言って不安にさせるでない。


「今も鳴ってるこのバチバチ音に困っているのですが――」


 私がおずおずと言うと、番場猪之吉氏は深く頷いた。


「はい。聞こえております。ぶっちゃけ貴方は祟られています」


 唐突にぶっちゃけられて私は絶句した。


 祟られています。って。


「あのう、祟られているのは仕方がないですけど、いや仕方がないなんて事もありませんけど、私には祟られる理由がさっぱり――」


 戸惑いながらそう言うと、番場猪之吉氏の表情から柔軟さが消え、真顔になった。


「理由? 理由と仰いますか。理由。理由ねぇ。世の中、多くの人間は理由を探している。逆説的であるかもしれませんが、生きる理由。死ぬ理由。挙句の果ては金を使う理由までをも人々は探し、苦しんでいる。ただ、理由を求めて。何故か? 人は、理由が無いものに恐れを成すからです。私はよく何故退魔師になったのかと問われます。その理由とも言えるべきものは複数あり、また複雑に絡み合っておるのですが、そうさなぁ、最たるものは私がかつて泣き虫の病弱だった幼年期にまで遡るでしょうか。私は虚弱脆弱だった我が身を呪い、恨めしく思いました。外に出れば骨折し、風が吹けば高熱が出る。ええ辛かったですよ。何が辛いかってそれに腹を立てた両親からの折檻も辛かった。そんな辛い日々を過ごす内、ある日夢枕に神仏が現れたのです。神仏はこう仰いました、他人の辛さ苦しさをお前が背負ってあげているのだ。と――。私は感動し、一晩中泣き明かしました。そして決意をしたのです。ならば、苦しんでいる人のために生きる事こそが私の宿命であろうと、決意をね。それから私は神仏について勉強し、気付けば霊能を――得ていました。それからの活躍はオフィシャルサイトに書いてある通りです。それで理由? 貴方が? 祟られているのは何でかって?」


「はあ」


「うつわには色々な物が入ります。しかし世の中には陰陽という概念があり、分かりやすく言うと美しいもので満たされていたうつわが空っぽになると、次は醜いもので満たされてしまうのです。貴方はうつわなのです。それも聖なるものが入っていた。しかし何故か空っぽになってしまった。ほんなら。という事で次は魔が入ろうと付け狙われているのです。生ゴミにはハエが湧くでしょう?」


 生ゴミ云々は少し例えが違うんじゃないのかな? と思ったが、何となく得心が行った。要するに私がすっからかんになったから邪悪に寄生されかけていると言いたいのだ。このおっさんは。


「何となく分かりましたが、それで私はどうすれば」


「この場は私が徐霊します。しかしそれは応急措置に過ぎません。貴方がどうにかして自分を満たさない限り、またこんな現象や異変が起こりかねません」


 世界が異変を起こしているのもあれか、私がすっからかんなせいなのか。何でもかんでも私のせいにされているようであまり気分は良くないが、背に腹は代えられなかった。


「では徐霊をお願いします。私もどうにか頑張ろうと思いますんで」


「その心意気で生きていきなさい。では早速ですが徐霊に取りかかります」


 ――そして。


 退魔師・番場猪之吉氏による徐霊が始まった。氏はまず部屋の四方に訳の分からん漢文が書いてあるお札を貼り、それから数珠を取り出し手首に掛け、ポケットから使い込まれた十字架を取り出した。えらくフリーダムなスタイルである。そしてその場に立ったまま指を二本立て、目を閉じ、ぶつぶつと文言を唱え始めた。何を言っているのかよく聞き取れないが、「悪霊よ悪神よ」「直ちに退散するが良い」「この阿呆の家から」と節々に聞こえた気がした。次第に氏による詠唱の声は大きくなる。やがてピタリと文言は止まる。私は固唾を飲んだ。ラップ音は心なしか弱々しくはなったが、まだバチバチと音を立ててはいる。


「喝!」


 番場猪之吉氏が叫んだ。それは絶界にまで響き渡るような怒号だった。空気が揺れ、私は腰を抜かしそうになった。思えば氏が家に訪うてからお互いにずっと立ちっぱなしである。世界が一瞬歪み、耳がキィンとなる。だが、しばらくすると――ラップ音は、完全に止んでいた。


「騒霊は退散しました」


 こちらを振り向いた氏は柔軟な表情に戻っていた。私は「は――はい」と情けなく返事をする。何しろ徐霊の現場など見るのは初めてであるし、てか徐霊の現場なんか見る事は人生でそうそう無いと思うのだが、正直な話、私は当初、番場猪之吉氏を多少ナメていたのもまた事実であった。しかし、実際に徐霊を果たした番場猪之吉氏の頼もしさ、神々しさに今は完全に感服していた。


「加納吉次郎さん、さっき言った事を覚えてますか」


「喝、ですか」


「いや、貴方が自分でどうにか頑張って生きていくと言った事です」


「ああ、そんな事を言うたような覚えもありますね」


「その約束だけは実際にちゃんと守って下さい。でないと――」


「でないと――?」


「また、出ますよ」


 そう言って番場猪之吉氏は、両手を胸の前でだらりと垂らし、アヘアへとした表情を作った。そんなもんにまた出られたら困る。私はブルってしまい、前向きに検討します、と返事をした。


「では」そう言って氏はニッコリと笑った。「本日の徐霊料金は一万三千円となりますが、初回サービスで二千円割り引いて一万千円となります」


 初回サービスって、二回目三回目の祟りがあるような言い方だなオイと思ったが思っただけで口にはせず、私は財布を持ってきて中から一万と千円を取り出し、氏に手渡した。


「領収書は切りますか?」


「あ、結構です」


「そう言わず切っておきなさいよ」同時にバッグから氏は領収書らしきものを取り出す。「これ、裏面に魔除けのルーン文字が印刷されてあるんですよ」


 無国籍というか本当にフリーダムな徐霊スタイルだなと思ったが思っただけで口にはせず、私は「じゃあ――」と領収書を切ってもらった。


「こういう食べかけのカップ麺を放置しておくのも魔を呼び寄せたりするんです」


 氏は目を細めた。


 私は貴方が来たからカップ麺食えなかったんですよと思って目を細めた。


 ――あ!


 そうだ。


 折角である。


 この有能な退魔師ならば、アレの詳細を知っているのかもしれない。


「あの、最後にお聞きしたい事があるのですが」


「何でしょう? 我が事務所はアフターケアも万全です」


「今回の徐霊とは関係無いんですけどね、番場先生ならばこれの詳細を何か知っておられるのかもと思いまして」


 そして私は丸テーブルの上からゴッド・ラ・ムウの御守りをつまみ上げた。


 番場猪之吉氏は少し眉間にしわを寄せ、御守りに顔を近付けた。


 そして氏の顔面はみるみる蒼白になった。


「ご、ご、ご、ゴッド・ラ・ムウ!?」


 氏の双眸は見開かれていた。私もその狼狽えようにビックリした。


「加納さん、この御守りをどこで!?」


「いや、うちからちょっと歩いた所にあるよく分からん寺社で購入したんですが――」


 信じられない、といった表情で氏は私の顔を見つめた。何か照れる。


「この地域に寺社など無いはずです」


「えっ」


「加納さん、正直に言って下さい。これをどこで――?」


 正直も何も、私は嘘など吐いていない。


 いっそぶっちゃけるかと思って、私は御守りを購入しに出かけた事、駅チカのビジョンでスキンヘッドのアフリカ系男性が踊っていた事、それがゴッド・ラ・ムウという名前であり何故か寺社で本尊として祀られていた事を話した。


 氏は深刻そうな顔をして聞いていたが、少ししてポツリと漏らした。


「未だに信じられない。ゴッド・ラ・ムウが――」


 思わせ振りな事を言うのは不穏なので止めていただきたいが、私は黙っていた。


「加納さん」


「はい」


「これから私の言う事を耳の穴かっぽじってよく聞いて下さいね」


「はい」


「貴方はもう普通の人生を送れません」


「はい――はあ!?」


「先程私、言いましたよね。空っぽのうつわには何者かが入ろうとして来ると」


「はあ」


「貴方はとんでもない存在に見初められたのです」


「あのスキンヘッドの筋骨隆々たるアフリカ系男性が?」


「――最近、何かおかしい事が頻発していませんか?」


「この前バイト先のトイレで居眠りしてるのが責任者にバレそうになりました」


「それだけ?」


「あと世界が異変を起こしているっぽいです」


「やっぱり」


 番場猪之吉氏は俯くと、深く息を吐いた。


「加納さん」


「はい」


「いいですか。これからは責任と自覚を持って何事も行なって下さい」


「そうですね。トイレで居眠りしてたら普通はクビにされますからね」


「そうじゃなくて。 いや、それもありますが、世界が、貴方の双肩に掛かっているのです」


 私はポカンとした。急に世界情勢を私のせいにされても返事のしようがない。というかこのおっさん大丈夫かと疑念が頭を掠めた。しかしあのゴッド・ラ・ムウに関しては何らかを知っていような素振りである。私は黙って話を聞く事にしていた。


「残念ながら加納さん。私には貴方をこれ以上手助けする事はできません。それ程までにゴッド・ラ・ムウは全てを超越しているのです。本来ならラップ音などの霊現象が貴方に付け入る隙も無いはずなのですが――」


「はあ」


「貴方の普段の性根が悪すぎて、付け入られてしまったのです」


 私はこのおっさんを侮辱罪で訴えたろかと思った。霊障で困っていたのに挙句に私の性根が腐っているからだとは何事か。


「私はこれでおいとましますが、それでも貴方のこれからの数奇な運命は気になります。何かあれば、またご連絡を下さい。土日祝・連休は休みです」


 私はとりあえず礼を言い、また何かあればよろしくお願いいたしますと社交辞令を交わし、番場猪之吉氏を見送った。その後ろ姿はくたびれた中年そのものだった。


 ――しかし。


 実際にラップ音は止み、徐霊は完了し、ゴッド・ラ・ムウの事を少しながら知る事もできた。世界は異変を起こしたままだし、次にトイレで居眠りしている所を責任者に見咎められるとクビだろうが、ひとまずの安寧は得られている。これからの事はこれから考えれば良い。それに、お腹も空いている。


 どことなく爽やかになった部屋の空気を存分に楽しみながら、私は伸び切って冷めたカップ麺に箸をつけた。不味かった。夜は久し振りに買い物に行って自炊でもするか。そんな気持ちになる休日だった。

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