目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第二話『吉次郎の御守』

 先日、『こだわりらぁめん 不滅』で大層な扱いを受けてからというもの、やる事なす事が裏目に出、ろくな思いをしない。


 バイトに行けば必要以上に疲れるし、食事をすれば詰め物をしていた歯が欠けた。酒を飲めば頭がぐわんぐわんするし、たまに小人が床で踊っている。


 ――いかん。


 良くない。天中殺でも訪のうたのか。私は元々運が悪く、要領も悪く、金運に至っては特に悪い人間ではあるが、こう良くない事が続くと身構えるというか、これ以上悪くなってたまるかと無性に腹が立ってくる人間でもあり、その心根は人生に対するファイトともなるので結構助かっている。何が? 助かった事なんかあったか?


 自問自答を繰り返す事一週間。待ちに待った休日が訪のうたので私は一計を案じた。


 自由闊達な脳みそをより自由に働かせた結果の一計であり、私自身の気晴らしも兼ねている。


 ――即ち。


 私、吉次郎は出かける事にしたのだ。前回のようなつまらんラーメン屋に足を運ぶのではなく、もっと心を、魂を、ヒーリングするために。


 心を、魂を、ヒーリングするとどうなるか?


 素晴らしい事になるに決まっている。


 心、魂は人間が人間たるための大前提であり、まず、これが曇っていてはろくな事にならない。じゃあ曇ったらどうするのか?


 磨くのである。


 さっきから抽象的かつスピリチュアルな事をのたまっているのは、決して昨夜の深酒が残っているからではない。私には、確固たる自信がある。


 脳みそを自由闊達にフル回転させ、四則演算を越えて数学の地平線まで切り込んだ結果、私は神社に行き、御守りでも買おうと思い至ったのである。


 そうした施設はパワースポットとして密かに人気もあるらしく、たまに霊的な現象も起こって面白いらしい。面白さとは起爆だ。そんな面白さによって、悪い方に傾きつつある私の人生を揺らそうというのが今回の目論見であり、まあ、有り体に言うと暇潰しでもある。


 寺社というのは縁起物なので私は前回の「感謝。」などとプリントされたティーシャツは着ず、またジーンズも履かない事に決めた。


 和装。


 これで行くのが一番作法に則っている気もするが、生憎私は着流しも甚兵衛も持ってはいない。そしてまぁいいかと思って黒のハーフパンツに白の無地ティーシャツで出かける事にした。最早こうした服装もガラパゴス日本のもの、和装と言っても差し支えないだろう。


 ボディバッグにスマホと財布を入れ、伸びをする。さぁ出かけるか。昼前だが、別にこんな時間に寺社が参列でごった返している事も無いだろう。完璧。完璧な休日エンジョイ計画。


 そして私はアパートの玄関を出た。


 人でごった返していた。


 何が起こっているのであろうか。腑抜けたような顔をした老若男女がうろうろ、うろうろとアパートの前の道路を行ったり来たり、行ったり来たりしているのだ。中には礼服の男女なども居り、何らかの式典、或いは儀礼などでも催されているのだろうかと、一瞬考えた。


 だが、特に思い当たる節も無く、また、こんなイレギュラーに休日を妨げられてたまるかという思いも自分の中に強くあり、私は外出を強行する事とした。


 人混み。


 それはこの世の森羅万象の中でもかなり不快度が高いものだ。


 世の中には人混みや人が集まる場所が大好きだという一般人が多いらしいが、私に言わせればそんなものはスリかテロリストだとしか思えず、そして常日頃から人混みが嫌いである事を公言し、誇りに思っている。そうしたつまらない事にでも誇りを持つのは重要だ。特に、私のような何もない人間に取っては――。


 ――ハッ。


 気分が暗くなってしまった。


 これから気晴らしに御守りでも買いに行こうと思っている矢先に気分が暗転するのは良くないし、神霊に対しても無礼というものであろう。


 すべてこの道路を埋め尽くしている人混みが悪い。


 見よあの家で煙たがられてそうななおっさんを。


 見よあの初夏にも関わらず上下黒のレザーで決めたメガネの兄ちゃんを。


 しかしこいつらはうろうろ、うろうろと一体何をしているのだろうか。


 私が思うに、こいつらは恐らく、何もしていない。


 外に出て、うろうろする事。それ自体を目的にうろついているのであり、何故うろつく事を目的にするのかと言えば、きっと――メディアに命令されたのであろう。


 ばんやりした顔のキャスターがテレビの向こうで「今日は外出してうろうろするのに持ってこいの日ですぅ」などと言う。それを受けた視聴者どもはゾンビの如くゆっくり立ち上がり、何も考えていない顔で着替えを始め、目の焦点も合わないまま、口も半開きで外出を始めたのだ。そしてうろうろし、道路を埋め尽くしている。


 何という社会、否、世界であろうか。


 これはもう実質上のディストピアと言っても差し支えはなく、しかも管理社会どころか混沌としており、こんな混沌を誰が求めているのかと言うと、すべてが謎なのである。


 ――しかし。


 今は謎を解く事が目的なのではなく、私が前進する事、それが目的なのだ。


 だがこれだけ人がうろうろしていると前進するのも一苦労だし、何よりイライラしてくる。ゲンを担ぎに行くのに何故運気が磨り減るような精神状態にならねばいかんのだ。


 そう思い、私は努めて冷静を装った。


 若い男性が日傘を回転させながら突進してくる。避ける。


 若い女性がスマホを見ながらじぐざぐに歩んでくる。避ける。


 ちんぴらにしか見えないおっさんがちんぴら特有の鼻息の荒さで迫ってくる。怖いので避ける。


 ええいイライラする。


 目的地である寺社は程好く遠い、地理的にはまあまあな場所にあるのだが、何にせよこの有象無象どもの人海戦術で早くも私の疲労はピークに達しており、果たして寺社に到達できるのかも危うくなってきた。


 先日の腐れらぁめん屋の件もそうだったが、ここ最近、何かがおかしい。


 正直に言ってこれは運気が落ちているどころの話ではなく、言うなれば世界が異変を起こしているのだと思う。世界の異変。世界のルールそのものが改正を迫られているのか、それとも私がルールから逸脱し過ぎたのか。


 しかし、日々、清く貧しく美しく生きている私、吉次郎としてはルールから逸脱した記憶などとんと無く、逆に世界が狂ってきて迷惑を被っているのである。先程からこちらに突っ込んでくる有象無象、先日の腐れらぁめん屋の嫌な記憶。


 ――そして。


 今日に限って脳みそがあまり自由闊達に働かず、これらの上手い回避方法を思い付かない。


「はあ」


 声に出して溜め息を吐く。


 人混みをひょいひょい避けて歩く。


 歩いて、歩いて、歩き続けたその先に、何かがあった。


 私が住まうこの地域には駅チカのビルに生意気にも大型ビジョンが設置されているのだが、その周辺に人だかりができていた。ちょっとイライラするくらいに、有象無象が集結していた。


 いつもはつまらん芸者の商品宣伝くらいしか映し出されていなかったような気がするのだが、責任者が心を入れ換えたのか、それとも何かの思想にはまって主義主張を捨てたのかは判らないが、今日はちょいといつもと違う映像が流れている。


 ――その大型ビジョンでは。


 とても澄んだ瞳をした、スキンヘッドのアフリカ系男性がラップの人みたいな躍りを踊っていた。


 黒のブーメランパンツ以外に一糸纏わず、その筋骨隆々とした肉体を誇示しつつ、満面の笑顔で踊っている。背後には二本の聖火が灯され、両脇ではビキニ姿のブロンド女性二名がこれまた満面の笑みを浮かべて踊っている。


「何だこれは」


 思わず声が出た。


 唐突に画面内で踊っているアフリカ系男性。その映像に何故か群がる有象無象。そしてまた、私もそこに足を止めている。その突飛さに対する「何だこれは」である。


 非日常的だし、何かが現実から浮いている。


 そもそも、この映像は何なのだ。


 一見、海外のミュージシャンのミュージック・ビデオにも見える。だが、流れている音曲は控え目にドコドコ鳴っているだけのよく分からんものである。アフリカ系男性と女性のバックダンサー二人も踊りのキレは良い。だが、芸能に疎い私にとっては、それがここまで有象無象を集客させる程のものとも思えない。


 ――なのに。


 有象無象どもは放心したが如くにその映像に魅入っている。


 ふーむ。またここでも世界の異変が。


 周囲を見渡すと人だかりはまだ増え続けている。たかるな。


 中には合掌し、はらはらと涙を流す中年の女性や、一人で勝手にぷるぷる震えてる男性なども居り、どうにも常軌を逸しかけている空気が漂っていた。


 こんな所に居たら阿呆になる。


 私は踵を返すと、人だかりから立ち去ろうとした。


 後ろを振り向いてびっくりした。


 人だかり! 人の群れ! 群れ! 群れ!


 私の背後にもこの映像を見ようと人だかりができていたのだ。


 これではこの場を離れるに離れられず、突然振り向いた私がまるで阿呆である。


 この場合、私の選択肢は三つある。


 一、強引に人混みを掻き分けてこの場を去る。


 二、ただ阿呆のように映像を眺める。


 三、自害する。


 ――ハッ。


 何故に私は「自害」などという選択肢を拵えてしまったのだろうか。


 私は自分で言うのも何だが、かなり生き汚く、太く長く輝いて人生を全うするつもりである。


 ――なのに。


 急に、ふらりと悪魔が現れるかのように、「自害」などと考えてしまった。これは良くないし、何でこんな事を考えてしまったのだろうか。


 私はふたたび大型ビジョンを見上げる。


 踊り続けているスキンヘッドのアフリカ系男性は、とても澄んだ瞳をしている。


 やがて、その背後に金色の電飾文字が点滅した。


 GOD LA MU と。


 ゴッド・ラ・ムウ。


 それがこの男性の名前、或いは芸名なのであろうか。知る由も無かったが、これだけ人だかりができている以上はさぞかし名のある芸能の人なのであろうと見受けられる。見受けられるのはいいのだが、私は兎にも角にもこの場から立ち去りたかった。


 何だか人だかりに酔ってきたし、終わらない映像から脳内に何かを植え付けられそうだし、そもそも私は御守りを入手するという目的を以てここまで歩いてきたのだ。


 とりあえず、「ちょっとすみません」と言いながら人混みを掻き分けてこの場を離れる事にした。


 はい。ちょっとすみません。すみませんね。すみません言うとるじゃろがと半ば体当たりをするかのように私は人混みを掻き分けて、掻き分けて、掻き分けた。


 だが、有象無象の人だかりはどこまでも続いており、ある者は宙の一点をじっと見つめ、ある者はスマホを大型ビジョンに向けていた。


 掻き分ける


 掻き分ける


 掻き分ける。


 人混みがスッと終わった。


 私の眼前には往来が広がっており、そこは異変を来してはいない日常の空間だった。ちらと背後を見ると、ビジョンに見入る有象無象たちの後頭部がずらずらと並んでいた。


 このゴッド・ラ・ムウの映像は何だったのか。


 そもそもゴッド・ラ・ムウとは何者なのか。


 まあいいか。


 私は寺社の方向へと歩み始めた。


 相変わらずうじゃうじゃと人が多いが、先程の人だかりを経験した今は、お茶の子さいさいである。天気も悪くはないし、別段腹も減ってはいない。


 ああ充実している。


 そう思った瞬間、世界が輝いた。


 脳みそが自由闊達に動き始め、これから手中にする御守りの事に思いを馳せ始めた。


 御守り。


 それを入手したらば私の運気も上向き、世界の異変も収まるだろう。


 そうなるとどうなるか?


 毎日、蕎麦屋や寿司屋に行けるようになるのである。


 私は久しく蕎麦も寿司も食べてはいない。高いし、遠いし、持っている服も少ないからだ。私のような小市民にとってはドレッシングして大枚叩いて遠征するなど夢のまた夢であり、それを難なくこなす市民たちに半ば畏れすら抱いていた。


 しかし、そんな卑屈な人生ももう那由多の彼方に飛んでいくのである。


 私は口角を歪めながら歩く。さながら恍惚に片足を踏み込んで。


 信号を渡り、裏路地に入り、野良猫を愛でつつ私は進撃する。


 ――やがて。


 垣根から緑が溢れている一角に辿り着いた。


 寺社である。


 人気も少なく、緑はきらきらと陽光を反射し、空気も清涼なパワースポットである。


 わたしは寺社の入り口に立ち、『寺社。』と銘打たれた札が掛かった壁を確認すると、頼もう頼もうという気分になり一歩を踏み出した。


 いや~さっきの人だかりとは違う荘厳さがある。何と言っても寺社だからね。


 木々の上では小鳥が歌っているし、寺社ならではの訳の分からん祠みたいなのもあるし、何だったらそこら中を白狐が走り回っている。楽しいなぁ。


 さて本尊さんに挨拶して売店で御守りを購入するかときょろきょろ辺りを見回して、石畳に沿って歩く事にした。


 裏路地の一角にある寺社にしては敷地面積が広く、人影もない。今日は参拝・詣でる人がたまたま少ないのだろうか。信仰なるものを失った資本主義国の一端が垣間見えた気がした。


 目の前に木造の有り難そうな建屋が現れた。いや、正直に言うと私は朝から寺社寺社と言っておいてここで何を祀っているのかとんと判らないのだが、まぁ、こんな清涼な寺社である以上は異端や悪神を崇めている訳ではなかろうと、軽い気持ちで建屋に近付く。


 そして手を合わせる。拝礼。柏手は打たなかった。そしてぺこりと頭を垂れた。


 ――その時。


 がらり、と建屋の引戸が開けられた。


 私はハッとして頭を上げる。


 ――そこには。


 神主みたいな格好をしたアフリカ系の男性が立っていた。


 私は驚いて腰を抜かしその場に尻餅を突いた。


 さっき大型ビジョンで似たような男性が踊るのを見たが、この神主みたいな格好をしたアフリカ系の男性はゴッド・ラ・ムウではなく、別人だった。


「礼拝ですか」


 神主はそう言った。


「ハイ」


 私は咄嗟にそう答えた。


「では主に思う存分祈りなさい。願いなさい。泣きつきなさい」


 神主は手にした杓を振り振りそう言った。言ったのだが、主、とか、願い、とかは、それはちょっとこの場の空気にそぐわない物言いではないかな? と脳みそが回転を始める。


 しかし。裏を返せばここは異国の神仏をも習合させている懐の深い礼拝所であるのかも知れず、宗教に疎い私がどうのこうの言う筋合いも無ければ、論争をする意味もない。私は黙って何らかを願い、祈る事にした。しかし、非常に困った事にこんな寺社の、いや、「こんな」と言うのも失礼に値するとは思うのだが、そもそも寺なのか神社なのかも曖昧な場所で、目の前で神主の格好をした人が杓を振り振りしながら「祈りなさい」などと言ってきた場合、何をどうすれば作法にかなうのか、皆目見当が付かないのである。


 私はとりあえず両のたなごころを合わせた。


 目を閉じ、ぼそぼそと「異変よ収まれ、異変よ収まれ、ついでに私の運気を上げて下さいますように」と唱えた。


 目を開けた。


 神主が杓を振り振り無表情に私を見つめていた。


「祈り終わりました」


 私はすべてが終わりましたとでも言うようにそう言った。


「うん」


 神主はそう返事すると踵を返し、後ろ手で引戸をそろそろと閉めた。


 ――何だったのだ。


 祈るには祈ったのだが、どうも、というか確実に、この祈りは天に通じていないような気がする。珍妙過ぎて。


 まぁ、しかし本来の目的は御守りを入手する事にある。


 私はきょろきょろと左右を見、売店のありそうな方角に見当を付け、そちらに行く事にした。


 白狐がこちらを見ている。小鳥の歌も止んでいた。


 私は釈然としないまま少し歩くと、建屋の裏側に到着する。


 あったあった。ちゃんと『売店』というノボリが立っている。


 寺社に売店というノボリを立てておくのも歌舞いた話ではあるが、まぁ、そういう経営方針の寺社なのであろう。私はひょこっと昭和の駄菓子屋みたいな売店に入った。


 よく分からんグッズが埃を被って並んでいた。


 束になっているおふだの類やキーホルダーを並べているのはまだ分かる。しかし、何故その横に古びたヤカンだの鼻緒が派手な下駄だのが並べて売られているのかがさっぱり分からない。上をふと見上げたら北海道と書かれたペナントまで飾られていた。


 これでは寺社の売店というか闇の骨董市である。それに御守りがどこにも見当たらない。


 私は店番に聞く事にした。


 カウンターの奥に座っている痩せた白髪の男性がそうなのであろう。


「すみません」私の声かけに白髪の男性がこちらを見た。「御守りは売っておりますかね」


「あるよ」


 そう言うと白髪の男性は自分の右を指差した。そこにある曇ったガラスケースには確かに御守りらしきものが並んでいる。私はよく見ようとそこに近より、アッと声を上げた。


 ――ゴッド・ラ・ムウ。


 紫の地に金色のカタカナでそう刺繍されている御守りがまず目に入った。


 それだけではない。その横に並べられてある赤い御守りにも、青い御守りにも、茶色いやつにも、すべて『ゴッド・ラ・ムウ』と金色のカタカナで刺繍されてあったのだ。


 私はしばし放心した。


 何なんだこれは。


 さっき駅チカの大型ビジョンで見た踊るアフリカ系男性の名前をこんな所でも見るとは思わなかった。


 別にあの男性に恨みはないが、人だかりを思い出して気分が悪くなったし、何よりもこんな御守りに御利益は無さそうというか、むしろ持っていると呪われそうである。


「あー」私はわざとらしく声を出した。「もっと他の御守りは売ってないですかね? 地味なやつ」


 白髪の店番はそっけなく「それで全部だよ」と言い、珍妙そうに私の顔を見た。


「いや、ほら、このゴッド何とかじゃなくて、この寺社のオリジナル御守りというか――」


 食い下がってみたのだが、店番はますます珍妙そうに私を見た。


「何を言っておるのかね、うちの御神体がそのゴッド・ラ・ムウさんだよ」


 この店番が言っている事の意味がよく分からなかった。何でさっき大型ビジョンでブロンド美女と共にブーメランパンツ一丁で踊っていたアフリカ系男性が寺社の神体なのか。


「はあ」


 私は生返事をした。生返事をしたのはいいのだが、唐突なゴッド・ラ・ムウの名前や、この寺社の意味の分からなさに頭の中が混線していた。何なんだこの施設は。


 そして私はこんな御守りを買う気にもならず、さりとて何も言わず売店を出ていくのも気が引けるという宙ぶらりんな状態に陥っていた。


「宙ぶらりんでしょうあなた」


 人の心持ちを見透かすかのように店番が言った。


「はあ――いや――普通の御守りを買いに来たのですが――」


「いやいやいや、そうじゃなくてね、あなたの人生が宙ぶらりんでしょうと私は言っている」そう失礼極まりない事を言うと、店番はしたり顔で腕を組んだ。「悪い事は言わないから、うちの神体のゴッド・ラ・ムウさんを信じてみなさい。あなたのつまらん人生にも光明が見え、やがては至る」


 何に至るんだよ。と思ったが私は頑張って黙った。


 ――そもそも。


 何ですか、このアフリカ系男性は。


 そう訊きたい気持ちで頭の中が満たされていたが、それをダイレクトに訊くと大切な何かを失ってしまいそうだという漠然とした気持ちもあった。


「じゃ――ひとつ下さい――」


 私は屈した。


 店番に屈し、場の空気に屈し、我と我が人生の記憶に屈した。


 それは即ち、あのゴッド・ラ・ムウに屈したという事なのだ。


 屈辱だった。


 何で世界が異変を起こした上、こんなものを売り付けられなけらばならんのだ。


「はい! 三千九百八十円!」


 うお、高ぇ。


 店番はガラスケースの裏側を開けると、紫色の御守りを取り出し、裸のまま私に渡した。


 私は財布を取り出し、渋々、いや本当に渋々といった心持ちで四千円を渡した。


 そしてお釣りも受け取らず、とぼとぼと売店を出た。


 白狐が目の前を横切った。小鳥が歌い始めた。そして相変わらず他の参拝者は影も形も見えない。


 こんな御守りを手にしても世界は異変を起こしたままだし、ましてや自分の運気が上がるとも思えない。いっその事投げ捨ててやろうかとも思ったが、貧乏性なのでそれも思い留まった。


 手の中の御守りを見る。


 作りは案外しっかりしている。『ゴッド・ラ・ムウ』のフォントが微妙にふざけているようにも見えるが、まぁ、実際にふざけているのかもしれない。


 私は寺社を後にした。


 ――さて。


 訳の分からん御守りを入手した結果、明日から私の人生はどうなるのだろう。


 そして世界の異変はどうなるのだろう。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?