「来た」
他方。球形の障壁で防御しながら微動だにせず、人を癒す異能を馬車に注いでいたブエルは呟いた。
高原一帯の魔物と盗賊と勇者の戦闘。己の周辺での巫女と頭目の戦闘。そうした騒乱の合間に、微かな口喧嘩が中心にある角馬車から聞こえだしたからだ。
「ですから、外は危険なんですって!」
と、甲高い鳥の鳴くような声。そして――
「だからほっとけないんだろ。第六感がヤバい気配感じてんだよ、おれはこんな時こそ役に立てるんじゃないのか!?」
と、若い男の声だ。
後者は紛れもない、救世主のもの。霞ヶ島聖真の発言だった。
次いで、馬車の幌を開けて背面から本人が現れた。寝巻き姿の聖真が、外を覗いた格好で固まる。
彼が目にしたのは、天変地異に襲われたかのごとき荒野。そこで荒れ狂う無数の影。加えて、すぐ目前の地に立つ異形の悪魔だった。
「待ちかねたぞ」異形、ブエルは感動したように迎える。「決着をつけよう。預言の救世主、セイマ・カスミガシマよ!」
一瞬の間。
「……いや」
聖真は言う。
「誰だよ。まあ外見からするとコラン・ド・プランシーの『地獄の辞典』にルイ・ル・ブルトンが添えたブエルの挿絵っぽいし、こんな状況招いてるのがあんたなら止めるけど」
初対面時は、聖真にとって遠すぎる距離だった。
「フフ……、わ、我など記憶の片鱗にもなしか」
瞼を閉じて、ブエルはマジでショックを受けながら自嘲する。それからカッと再度双眸を見開くと、堂々と名乗った。
「いかにも。我こそは統馭三魔帝が頂点であらせられる黎明魔王ルキフェル真魔帝様が配下、親衛隊次席上級六魔神が一柱アガリアレプト司令官指揮下! 下位十八魔属官が一柱。第二魔軍長官、星辰総統ブエルなり!!」
「いや長いから」
あまりにもあんまりな一言だった。
そんな態度を横目に、勇者と巫女は決着が近いと悟る。
「第一階梯
フレデリカは唱えた。
猛獣のような顔付きとなった彼女は長髪が逆立ち、並々ならぬ気迫を纏って神速で突進。一歩踏むごとに地割れを起こしながら、アルバートと刺し違える。
ジャマダハルの片方を杖でへし折り、衝撃波を伴って頭目をも打ち据えたのだ。
「特別階梯
チェチリアも唱えた。
彼女のクトネシリカから四柱の
柄頭の地を司る小狼神の飾りが具現化。鍔の縁と鞘一面に絡み付く雷神である雌雄の龍が降臨。鯉口の装飾より耳と尾の先だけに毛の生えた霧を吐く風神たる夏狐神が君臨。
それらは、これまで彼女が刀剣を振るうたびに巻き起こしてきた嵐。その最も巨大なものをもたらした。
暴風と雷が霧と共に周囲を駆け巡り、残っていた数万の悪魔の半数を消滅させ、半数を撤退に追い込む。盗賊団は壊滅した。
同時。
雲に届くほど高く跳んでいたブエルは、馬車後部の幌から半身を出した聖真に躍りかかりながら絶叫する。
「特別階梯! 異教
彼の頭上の雲だけが一挙に晴れ、まだ朝にも拘らず部分的に夜となって射手座の星々が現れた。星座中心からは、巨大な光の矢が放たれる。
ブエルはそいつを槍のように三本の山羊の脚でつかみ、流星のごとく標的へ墜落。
「なんで起きてそうそうこうなんだよ!」
一連の出来事を嘆くも、聖真は大悪魔を迎え撃つほかなかった。相手は〝矢〟を用いているというヒントのみで。
馬車内からは誰かが抑制した。
「預言の、無理は禁物です!!」
「わかってるって!」
落ちてくるブエルを睨んだまま、聖真は唱える。
「〝
途端、彼は閃光と共に平安時代の日本の立派な甲冑を纏っていた。
「お、重ッ!」
伝説で知ってはいたが、それはとてつもなく重かった。ほぼモヤシな男子高校生は耐え切れず座り込んでしまう。
構わず、矢と化した星辰総統は衝突――。
寸前で大きく軌道を逸らされる。
「なんだとッ!?」
という叫びを最後に、彼の軌跡は馬車の端を僅かに削ぐ。
そこからは勢いを増して直進。光の線で荒れ地を削りながら越え、仲間たちを吹き飛ばし、ロス草原向こうに聳える、雪を頂いた霊峰エレバス山に激突。
爆散した。
一拍置いて、衝撃波だけが戻ってくる。
まだ立っていた全員が踏ん張って耐えた。
地鳴りと爆風と横殴りの石礫が襲う。ようやく治まりだした頃には、もはや件の山は半分になっていた。
全ては、聖真が召喚した甲冑〝避来矢〟の成した業だった。
平安時代中期の武将、
「ちっ」
一連の光景を見届けたアルバート。彼は舌打ちして旧友の腹に刺せた側のジャマダハルを抜き、打ち据えられて鎧が砕けた自身の脇腹を押さえつつようやく崩れる。
「化けもんだらけだぜ。んな力があんなら、世の中ちっとはマシにしやがれ……」
嘆いた彼は、もはや地肌が露出した土に突っ伏した。
後ろでは、ベルセルクの術が解けたフレデリカも片膝を着いた。彼女もアルバートの一撃で傷を負っていた上に、技が強力過ぎたのだ。
「リッキー、預言救世主!」
遠くから、剣を鞘に収めた剛毅勇者チェチリアが駆け寄る。
煙のように甲冑が消えたあとの聖真もまた、ふらつきながらやっと立っている状態だった。
やがて、巫女と高校生は互いを視認。それが合図であったかのごとく、そろって倒れた。