瞬間だった。
ロドルフの緊張した視線が、クロードの背後に固定されたのだ。そばにいたスミエでも警備兵でもない、混乱する人込みの内部に。
標的は、そこから人波を掻き分けてやってくる二つの影だった。その男女が、おのおの声を発する。
「狙いは子爵だけじゃないからだ」
「はい。いずれ、もっと大規模な復讐を遂げるのですからね」
自分たちのすぐ後ろで止まった人影たちを、もう一人の騎士と未来人はゆっくりと振り返る。真っ先にクロードが、対面した者たちの名を呼んだ。
「ピエール、セシール!」
「あ、あなたたちが?」糾したのはスミエだ。「妖精に味方して人類に攻撃したって本当?! どういうつもり!」
「どういうつもりかだって?」
ピエールは失笑し、かつての親友たる騎士のほうへと回答する。
「共存を拒んだのは人類だ。クロード、おまえだってドラゴン退治のゲオルギウスに憧れてたろう。古代の終戦で撤退せず、この世界の各地に残留していたオーガのような妖精たちを駆逐し、人類が領土を広げてきた例など枚挙に暇がない。妖精側からすれば人間こそが侵略者だろう。恨みを買っている自覚がなかったのか」
「――そういうことじゃない!」
かつての親友は憤怒した。
「妖精には人類への恨みがある? かもしれん。でもおまえたちは人間だろう。どうして裏切る!? 妖精に臣従の誓いでも立てたか!」
「簡単なことです」
穏やかな物腰で口答したのはセシールだった。
「わたくしはチェンジリング、もともと妖精ですよ」
彼女は、そんな告白をした。幼いうちに人間の子供と入れ替えられた妖精――〝取替え子〟だというのだ。
己の控えめな胸に手を当てて、セシールは嫣然と紡ぐ。
「この役割を担えるのは妖力を隠すなどの擬態が得意な者、でなければ人を欺けず単純な結界などにも引っ掛かってしまう。取替え子は人間社会で過ごすことで、人に擬態する訓練でもあるのですよ。現にあなたでも見抜けなかったでしょう、クロード。
姉の悪行に隠れ、異質さを隠蔽することもできましたからね。酷い虐待をして修道院に捨てたような家族の下で育ったのですから、アンヌのほうがある意味正常ということです。ピエールは恋人として、こちらに誘っただけですよ。各地を旅する遍歴騎士の立場は、邪魔なあなた方と別れてここに来られるいい時期でした」
「……なんでだ」
少女の信じがたい自白をどうにか受け止めて、クロードは一歩踏み出す。
「なんでそんな誘いをし、それに乗る!?」
「黙れ!!」
一喝したのはピエールだった。あまりの迫力に、付近の市民たちにまで静寂が訪れる。
「妖力を隠していた卑怯者が、何様のつもりだ」
人類を裏切った男が恐ろしい声を上げ、炯眼は怪しい光を放つ。
それを実見して、事態を把握しかねて立ち尽くしていた警備兵含む市民たちは後退った。ついさっきの若者たちの異常にこの会話だ、ただ事ではないと判断したのである。
「そうさ」逃げだす市民たちなど意に介さず、ピエールは元親友を見据える。「おまえが元凶だよクロード!」
裏切りの騎士の像が揺らめき、鍔広の帽子とマントを羽織った姿に変じる。いつのまにか腰のベルトには、装飾の施された角笛が結わえてあった。
その様は、あの廃墟と化した修道院でラッテンフェンガーと呼称されていた少年だ。彼が角笛をはずすと、そいつは瞬く間に、柄と刀身を備えた剣に変化する。
「――ずっと気に入らなかったんだ、貴様がなッ! 〝
すさまじい勢いで、角笛剣で斬りかかる。
とっさにジョフロアの大牙でクロードは受けたが、剣戟の接触面で爆風が炸裂した。たちまち彼は、そばにいたロドルフもろとも街の彼方に吹っ飛ばされる。
即座にピエールは、人ではありえない跳躍力で元親友を追った。
動転して仲間を追跡しようとしたスミエの前には、セシールが立ちはだかった。チェンジリングたる少女も、奇怪に揺らめいて瞬時に変容する。
聖母のような顔立ちで首から下をマントで覆った姿形。全身が金属のような光沢となった彼女は、あの廃聖堂でアイアイメイデンと呼称されていた存在だった。