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夢と傷跡

 その晩。


「――クロード! 無事か!?」

 ピエールの声に、這い蹲っていた地面から甲冑を纏った身体でクロードはよろめきながら起きた。


 どこだここは?


 ヘルムから窺える狭い視野は昼の荒野。折れて落ちた槍、主人を置いて走り去る自分の軍馬。離れたところには、馬上から心配そうにこちらを見下ろすピエール。そこら中に満ちる完全武装の騎士と魔法使いたちは、剣戟と魔戟まげきを交わしている。

 片方の軍にはフランス王国の、もう一方にはアラゴン王国の旗印があった。


 そうか。

 あの戦場だ。


「隊列を乱すなピエール!」

 よそ見していたベンジーに襲い掛かる敵騎兵。それをフランス王国重臣の騎兵が横から斬り伏せて、忠告する。

「おまえは馬上だ、新たな突撃に備えろ」

 ピエールは重臣とクロードを交互に窺い、焦ったように訴える。

「で、ですが、彼のそばにいる男。あの頬の傷は名高い騎士の――」

「だろうな。だが疲労しているようだし奴もクロードも魔術騎士ではない、純粋な剣技ならあいつはやれるかもしれん。おまえも同じ新兵、余所見している余裕はないぞ!」

 それでもピエールは、名残惜しそうに友を見据えていた。


 ――そうだ。油断を突かれ騎乗突撃で馬から振り落とされるときに、クロードも目にしたのだ。

 頬に特徴的な傷の名残りを持つアラゴン王国きっての名騎士、〝傷跡シカトリス〟がいたのを。

 そもそも、彼に気を取られて落馬したのだ。背後辺りにいる形になったはずの、その騎士の方を向く。

 上からは期待されているし、この状況。クロードは後に引けなかった。

 そこで親友のベンジーに頷いてやると、相手は強張った顔に若干安堵の色を浮かべて頷き返した。それから、重臣と共に戦場の人込みへと馬を走らせていく。


「――ぐあァ!」

 ちょうど、悲鳴がした。

 〝傷跡〟が、フランス王国側の騎士を二人同時に倒したところだった。

 彼は兜を失い、鎧も損傷、身体にもいくらか刀傷を受け、背中には矢が刺さっていた。

 隣国まで名声が轟く騎士だ。首を狙われたのだろう。

 クロードが騎上にいたときから、〝傷跡〟はすでに馬から落とされフランス兵たちに囲まれていた。

 そこを目撃して、クロードには欲が芽生えたのだ。


 だいぶ消耗しているようだ。おまけに自分には〝あの力〟がある。討って名を上げるチャンスかもしれない、と。


 その思索に耽った隙を別の騎兵に突かれ、自分も落とされたのだった。

 もっとも、こうして対峙することになって自信も揺らいできた。〝傷跡〟は、クロードが馬上にいたときは五、六人ほどに包囲されていたのに、もはや刺客たちは全員死体となっているのだから。


「……貴様」

 荒い息の合間を縫い、〝傷跡〟の側もクロードに着目。開口一番、言い放った。

「ただの騎士ではないな。素人に毛が生えた程度の構えの割に、似つかわしくない期待をされているようだ。魔術騎士か?」

 初めて対峙した強敵、緊迫した状況、奥の手を見抜かれたような発言。慌てて、クロードは抜刀した。


「――リュ、〝リュジニャン――エアリアルאֲרִיאֵל〟!」


 唱えて間合いを切断。斬りかかる。

 が、避けられた。

 強烈な剣戟にたちまちジョフロアの大牙を弾き飛ばされ、仰向けに倒される。

 喉元には、〝傷跡〟の刃が突きつけられた。


「やはり」彼は、容赦なく指摘した。「仲間は否定したが、魔術騎士だな。隠して名を上げたというところか。生憎こちらは術師も斬ってきた、魔術は儀式を必要とし、隙が生じる。強力になるほどそれは複雑化するが、貴様のは威力が高い割に儀式が容易、装備に仕掛けがありそうだが新兵の列にいたやつに魔術武器の使用許可など下りんはず。不正な手段で入手したか」

 うろたえるクロードへと、〝傷跡〟は続ける。

「実戦でそれなりの腕前を持つ相手は欺ききれんぞ。新人多数が大雑把に見合う訓練と、命を賭けた真剣勝負は観察の集中力が違う」


 完全な図星だった。


 とてつもなく、恥ずかしかった。

 魔術騎士でも強くもなかったのに立派な騎士として活躍した父に憧れ、早く近付きたいと願いつつも叶わぬまま授かった妖力。自分はその恩恵でごまかし武力で超えたつもりでいたが、真の騎士としては全然父親に及んでいないと暴露されたようだった。

 身体が熱くなり、〝傷跡〟が見下すような笑みを浮かべた。そのとき――


 敵兵に不似合いな隙が生じた。


 考える間もなかった。

 怒りと羞恥を振り払うように、クロードは持てる能力の全てを注いで、渾身の一撃をぶつけた。


 リュジニャン!


 空間を斬って引き寄せたジョフロアの大牙で、相手を斬り倒した。が、寸前で身を逸らされ致命傷は回避される。

 それでも仰向けになった〝傷跡〟に圧し掛かり、大牙を傍らに捨ててとどめ用の短剣を腰から抜く。

 そいつを両手で握って振り下ろそうとしたとき。――〝傷跡〟は微笑んでいた。

 違和感に手を止めると、敵は告げる。 

「どうした、しくじるなよ」


 そこで悟った。


「い、今の隙はわざとか?」

 反則的手段に依存していたとはいえ、いちおう訓練は受けている。自分なりに見出した一瞬の好機を突いたつもりが、計算されたのだと直感した。だから避けられ、正体まで暴かれたのだと。

「ほう」〝傷跡〟は満足げだった。「それくらいは理解できるか」

「な、なぜだ?」

 そう、尋ねたとき。


「おい、あれを!」

 フランス軍の兵士が、この決闘に気づいて声を上げた。

「さすがオリヴィエ殿の息子だ、〝アラゴンの傷跡〟を倒したぞ!!」

「本当だ。躊躇してるようだが」

 敵兵たちと戦いながらも、口々に彼らは囃し立てる。

「いいぞクロード。おまえの手柄だ、止めを刺せ!」

「父上も情け深かったが、やるときはやる男だった。敵にも名誉の死はある」


「答えろよ!」切羽詰って、クロードは〝傷跡〟にだけ届く声量で問う。「なんで、なんでわざと斬られた!?」

 すると彼は、懐かしそうに語ったのだった。

「……実は病を患っていてな、そろそろ限界がきていたんだ。騎士として、病死より戦死が望みだった。最期をくれてやれそうな相手を探していたところだったんだよ」

「それがおれ? な、なんで」

「満足だからだ」

 そして満面の笑みで、〝傷跡〟は告知したのだ。真っ直ぐに処刑人を見上げながら、はっきりと。


「ついに、のだからな」


 ――最大の侮辱。

 人生でこれほどの恥辱を味わったことは、クロードにはなかった。

 あらゆるものを打ち払うかのように、彼にできたのは、全力で短刀を振り下ろすことだけだった。


「うわあああああああああぁーーーーーーッ!!」

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