「……そうだ、もうすぐハーメルンなのよね!」
一呼吸置くや、思い出したようにスミエは言及する。
「ワームは何か知ってそうだったし、逃げたのは未来を襲撃したバフォメットみたいだった。やっぱあの町で悪事やらかすつもりよ、急がないと!」
言葉通りに慌てて出口へと向かいだし、戦闘で散らばっていた石片に躓く。
「て、わあ!」
「おっと」
転んだ彼女を抱き止めるように助けたクロードは運命を悟ったが、
「何抱きついてんのよ変態!」
遅く、理不尽極まりない暴力を受けて祭壇裏の方に殴り飛ばされていた。
「あ。ご、ごめんなさい」さすがに我に返って謝るも、相変わらず急かすスミエだ。「いつもの癖で。ていうか、急ぎましょ」
「……そこまで本気の拳ではなかったし、慣れてきてしまったからいい」
もはや本当に慣れた様子で、転んだ体勢からぶたれた腹部を擦りつつ身を起こす騎士である。
「ただ、今向かってもハーメルンに着くのは夜中だ。門は閉まってるし、闇夜ではオーガにも苦戦した。連中の企てがあるならそれ以上の事態に陥りかねん。どのみち、笛吹き男とやらが訪れるらしいヨハネとパウロの日まで時間があるだろう」
「そう、だけど」
「とりあえず。当初の予定通りここの安全を確保して一夜を明かし、明日――」
本格的に立とうとして、クロードは動きを止める。
女子中学生が戸惑った。
「え、どうしたの。ボディーブローが後からじわじわ効いちゃった?」
対するクロードは、祭壇の後ろにある扉を見据えて呟いた。
「……人の気配だ」
その向こうには地下室があった。
恐る恐る二人が踏み入ると、一階の床を支える柱が並ぶばかりで、あとはほぼがらんどうな石造りの空間だった。元からそうであったのではなく、妖精たちに荒らされたらしい。家具や書類、ネズミに散らかされた食物などもあり、元来は倉庫辺りだったのだろう。
さらには、本来はなかったであろう他の存在も転がっていた。
「……こいつは」
慎重に階段を下りて地下に足を着き周囲を一瞥するなり、クロードは絶句した。
「ひ、酷い」
スミエも嘆く。
部屋は、さながら地下墓地だったからだ。
殺風景な空洞には修道士たちの生活の痕跡だけでなく、かつて生存していたであろう彼らの人骨も散乱していた。
「殺された住人たちか」
クロードが辛そうに囁きを発した、ちょうどそのとき。
「う……うう」
一階を支える太い石柱の一つから、呻きがした。
「ぎゃーオバケー!」
と、スミエは反射的にクロードに抱きつく。胸が押し当てられる。
もちろん、「なに触ってんのよバカ!」と直後にビンタした。
「自分でくっ付いたんだろ!」
悲鳴と叫びを伴いつつも、連続した理不尽に怒りが復活した遍歴騎士であったが、なす術もなく吹っ飛ばされる。倒れ込んだのは、ちょうど呻きが聞こえた柱の脇だ。
「……生存者だ」
もっとも、そこを確認する形になって落ち着きを取り戻す。
隣にいたのは、荒縄で柱に縛られている修道騎士。酷く汚れてはいるが赤い十字の描かれた白いマントや長衣を纏った、中年のテンプル騎士団員だった。
すぐさま、クロードは身を起こして修道騎士の拘束を解きつつ案じる。
「大丈夫か、いったいなにがあったんだ」
「ご、ごめんクロード。人がいたのね。なら、あたしも訊きたいことがあるわ」
スミエも、申し訳程度に謝りながらそばに寄ってきた。
「……感謝する。が、なにがあったかはよくわからない」二人の来客に、修道騎士は弱々しく応答した。「妖精たちに囚われていたから……断片的にしか」
スミエはあたふたする。
「えーと、傷、傷。ゼノンドライブで他人の傷を回復させるにはまず……」
「ありがたいが限界だ。せめて、聞いてくれ」
弱りきった修道騎士は断り、代わりに話した。
「……襲撃者のうち最後に合流した一人が、そのとき唯一生き残っていたわたしを始末するよう命じられながら、なぜかここで密かに生かしてくれた。他の妖精の目を気にしてか手当てもずさんだったが、化ける参考にするためかもしれん」
暗がりに慣れてきた二人の目でよく観察すれば、彼は玄関で対応したワームが成り済ましていた男にそっくりだった。そのために生かされていたというのもありうる線かもしれない。
さらに修道騎士は、縋るようにして訴える。
「奴らは笛でなにかをしようとしていた。人には聞こえない音色で我々は操られ、殺し合いをさせられた。それを実験だとして……」よくない咳をして血を吐いた彼は、ほとんど掴みかかるように頼む。「おれはジャック・ド・モレー、テンプル騎士団では長らく行方不明名のはず、しかるべきところに名を伝えれば動いてくれる者たちがいる!」
「えーと。そうそう、こうすればクロードのときみたいに回復を!」
慌てふためいてテンプル騎士団最後の総長ジャック・ド・モレーの名前を聞き逃したスミエが何らかの調整を脳内で終え、両手を当人に翳したとき。相手は脱力して深くうな垂れた。
時間が止まったようだった。
クロードは相手の首筋で脈を取り、ゆっくりと首を横に振った。
「手遅れだ」
「そんな!」狼狽し、スミエは叫ぶ。「も、もしかすると蘇生もできるかも!」
もう一度手を亡骸に向け直し、ややあってまた騒ぎだす。
「そうだ、未来修復したとき自分でリミッターを設けちゃったんだった。単純な攻撃、防御、回復以外の、この世の法則を激変させそうな能力は恐くなって封じたのよ。でも、必要なら危険を承知でどうにか……」
「そっとしておいてやれ」
クロードが遺体を支えて助言する。
「彼は修道騎士だ。カトリックの修道者でもある、蘇るのは神の裁きを受ける審判の日と信じていたろう。信仰に反するはずだ」
そして面を上げ、真っ直ぐスミエを見据えて頼んだ。
「すまないが、この者たちを弔ってやりたい。一日猶予をくれないか」
「……ぅん」
これにはさすがに、スミエも神妙に頷いた。
「いいわよ。……笛を使って何かを企んでたって、笛吹き男関連だろうし。ここも連中の計画の重要拠点みたいだから、その間建物を調べてもみる」
かくして、彼らは一泊することにした。
日が暮れるまで、二人は修道院をできるだけ片付け、見つけることができた遺体は集めた。キリスト教圏においては土葬が主流だが、火事を装うため火攻めにされたのか、地下で生存していたジャックを除く全部が白骨化してしまっていた。
結局、他にハーメルンの笛吹き男に繋がるような情報はなかったが、修道騎士たちの寝床は無事だったので、クロードとスミエは使わせてもらうことにした。ワームに悪用されていた建物を囲う魔法円を魔除けに改変し、屋根の下での久々に安全な夜を過ごせた。
この晩遍歴の騎士は、ピエールたちと別れた日の夢を見た。親友はそこで、同じ台詞を吐いていた。
「――黙っていてすまなかったが、実はここの子爵には家族が世話になったんだ。セシールとも交際していた。……ロドルフに賛同するしかない。故郷か次の目的地で再会できるといいな」