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発端と陰謀

 ――発端は二三世紀の日本、まだ澄恵が妖精の襲撃を経験する以前のことだった。


 妖精軍との戦いで一度半壊してから復興した首都、新東京のビル群。六本木ヒルズで一番高いその建築物の最上階一室。そこには、大きな縦の筒状空間があった。

 室内自体が魔法円を模っている。

 中央には、さらに別の魔法円が床と天井に描かれ、周に沿って透明のケースが間を繋いでいた。ケース内部の中間くらいの高さには、〝メビウスの帯〟型物体が浮遊している。

 まるで、ゼノンドライブがあったあの空間のようだった。


「いよいよですわね」

 白衣を纏い眼鏡を掛けた、まだ二〇代ほどの妖艶な美女。ゼノンドライブ研究所の元副所長、梛野内やなぎのうち博士がケースの外からそいつを見上げて呟いた。

 唐突に、メビウスの帯が空間を巻き込んで歪み、産み落とすように異形を地に排出した。屈んだ体勢のそれはゆったりと立ち上がる。


 バフォメットだった。


「ようこそ」梛野内は長髪を撫で上げ、両腕を広げて歓迎した。「これで、このワームホールとも最終接続となりますかしら」

「あと一度使用可能のようだ」バフォメットは応じた。「街を襲撃する日までここに留まり、本物のゼノンドライブを強奪して帰還することになる。世話になったな」

「容易いことですわよ」


 ……なぜ、澄恵たちのいた街が襲撃されたのか。内通者がいたのではないかと疑われていたが、真相がこの美女だった。

 彼女はスミエの父を一方的にライバル視していた。ゼノンドライブ開発の共同研究チームで、自己顕示欲が強く、最初にそれを発明することを望んでいた人物だった。

 なにより、人類であろうが妖精であろうが利用して、新たな大発明を自分が成し遂げ歴史に名を刻みさえすればあとはどうでもよいと考えるマッドサイエンティストでもあった。


 しかし、梛野内が作った試作品のゼノンドライブは欠点だらけだった。


 妖力を参考に無限のエネルギーを生成しようとし、かつ科学的に未解明な領域である量子効果を中心に応用した結果、人には装着できず無限のエネルギーも創出できず、ただ量子泡を固着してかつてレイラインに用いられたワームホールを現代に繋ぐことができるというだけの代物となった。

 おまけにそこを通れるのは霊的存在、妖精に限定されていた。実質、単なる妖精用ワームホールでしかないこの装置は、ゼノンドライブとしては紛れもない失敗作だったのだ。起動させれば、妖精にだけ使用可能な過去と未来を行き来できる道をむざむざ与えるだけである。

 かくして即座に処分されることとなり、反省点も取り入れて修正し完成したのがスミエの父が開発した改良型ゼノンドライブなのだ。


 もっとも、梛野内がそんな状況を黙って見過ごすはずはない。

 彼女はゼノンドライブ研究所副所長であった権力を活用し、書面上では自作品が処分されたように装うと、実際は保管してあったそれを盗んで行方をくらまし、東京に潜伏したのである。


「思い出しますわ。初めて、あなた方と繋がったときのことを」

 梛野内はしみじみと語った。

 それは、妖精が襲撃してきた最初のきっかけともいえた。

 ワームホールで接続された過去から、興味本位で未来を訪れた初の妖精は、自分たちの居場所が失われていることを知った。だからこそ人間を襲撃し、自由を取り戻すことにしたのだ。

 以降、妖精たちがこの失敗作をどう用いたかは、彼らにしか使えない以上梛野内にもよくわからない。過去と未来を往復し、主に人類から魔法を奪うレイラインの構築に活かしたであろうことだけは明白だ。

 あとは興味もなかった。ただ、妖精たちは人類が失敗としたそれをありがたがり、梛野内に感謝し、彼女を崇めてくれた。それだけで充分だった。

 おまけに、見返りとして密かに妖力で支援してくれたお蔭で、行方不明とされたまま身元を隠して人類社会で裕福な生活を享受できてもいたのである。


 そんな生活もまもなく終わる。


 この失敗作はワームホールとしても不完全で、稼動には限界がありもうすぐ機能を停止してしまう。無論、そんなことは予期していて妖精たちにも伝えてある。タイムリミットたる今回までに、彼らはできうる限りの最善策を講じたらしい。

 あとは、最大の脅威となるであろう同等のタイムトラベルを可能とする改良型ゼノンドライブを妖精軍が奪取すれば、人類は対抗手段をなくすはずだ。


「約束を忘れないでくださいまし」美女は興奮気味に言った。「あたくしは妖精になりあなた方と共生するのですから。ゼノンドライブの発明者はあたくしだと歴史に記録してください。そうして、この才能を認めない愚かな人類は滅びるというわけですの!」


 一部己が招いた事態とはいえ、彼女はあまりに絶望的な戦力差にゼノンドライブが完成しても人類は負けると踏み、妖精に転生することを望んでいた。

 人が妖精になったり、妖力を授かる伝承はかねてよりある。それに習うのだ。

 悪魔が人間と契約を交わして互いに望みのものを得る伝説も西洋を中心にある。そうした文献を漁って調査済みの梛野内は、ならば妖精も約束は守るだろうと認識していた。

 事実、こんな高級マンションで贅沢な暮らしをしながら隠れていられるのも、人間界を売り払う代償にもらった恩恵なのだから。名誉ごときが報酬とは妖精にとっても安いものだろう。


 そう、思っていた。


「そうだな」ところが、バフォメットは吐き捨てた。「貴様も用済みだ、あとは我が記憶となって生きるがいい」

「……なんですって? 契約はちゃんとしたではありませんか」梛野内は意外そうだったが、そこまで驚いた風でもない。「裏切るといいますの? ここまで協力してあげたというのに」

「知らなかったのか。悪魔とは契約をごまかし、詐欺的手段で人間から不当な取り立てをするものだ。まして、同族の殲滅の手引きをする貴様なぞ、ラッテンほどの信頼もできん」

「なるほど。でしたら、仕方ありませんわね」

 彼女にはまだ余裕があった。理由を、暴露してやる。

「侮らないでほしいものですわ。ゼノンドライブがある街や研究所の防衛状況や弱点などの詳細は、未だ教えていないのですから」

「協力者が貴様だけだとでも?」鉤爪で、バフォメットは相手を指差した。「我々がこの出来損ないのワームホールをどう用いたかも把握しきっておるまい」

「バ、バカにしないでくださる?」悪魔の指摘には想定外のこともあったため内心焦ってきた梛野内だが、さらなる対抗手段もあった。「これでも、そんな態度が貫けますの!」

 そう吼え、白衣の両ポケットから両手にそれぞれ別の物体を取り出したのだ。

 西洋に伝わる二種類のお守りだ。

 鉱石を幾何学的に加工した防御に適するアミュレットと、印形図を刻んだ鉄板からなる攻撃的性質を有するタリスマン。裏ルートで仕入れ、いざというとき妖精たちに対抗すべく所持していたのである。販売元によれば、中世以前の高名な魔術師たちが作った強力な代物との触れ込みで、自身による鑑定でその説得力も確かめてもいた。


 梛野内は握ったアミュレットを自らの豊満な胸に当て、手の平に乗せたタリスマンを悪魔に突きつける。

「どうですの!」人間は勝ち誇る。「ここは脅しで勘弁してあげますが、似た品はいくつも買い占めて保管してありますのよ。現代では高級品でも、あなた方の妖力による財力のお蔭で、町一つを守護して戦争できるレベルの強力な道具を保持していますもの。あたくしに従えないなら、それらで始末してあげてよ!!」

「笑止」

 鋭い爪の生えた腕を薙ぎ、バフォメットは一蹴する。掌のタリスマンがそれだけで砕かれた。

 唖然とする梛野内。

「ど、どうしてですの」

「単純な力量差よ」悪魔は嘲笑う。「明かしていた立場も虚偽だ、我は貴様が思っているよりずっと高位の妖精。こんな程度の魔術なぞ歯牙にもかけぬ」


 反対側の腕を突き出し、バフォメットはアミュレットごと梛野内の柔らかな胸を貫いた。

 絶叫を最期にあっさりと命脈を絶たれた美女は、うつ伏せに倒れて単なる死体となった。


 バフォメットは意にも介さずに骸を踏みつけ、移動を開始する。

「さて、人類滅亡という儀式の洗礼を始めるとしよう」

 窓辺に寄ると眼下の街並みを展望した。

 一度崩壊してから再建された摩天楼群、東京タワーにスカイツリー。再びそれらを倒壊させる日が間近になったことを確信し、高らかに笑ったのだった。

 背後で、死んだはずの梛野内が口角をつり上げたのは感知できずに。

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