「……見えてきたぞ。今日の宿泊場所だ」
翌日。カッコつけていた黒歴史時代の夢を見て別れた仲間たちまでも想起してしまったクロードは、一日微妙に元気がないまま馬での移動を終えようとしていた。
遠方。鬱蒼と満ちるトイトブルクの森を背景として、草原に聖堂の影が現れたのだ。
「あの不気味な建物?」
スミエが騎士の後ろから訊く。今さら余計なことまでも。
「てか、今日のあんた何だかテンション低かったね」
「少し昔の未練を思い出しただけだ。あと不気味とか言うな、古いだけだ」
「ふーん」
ぶっきらぼうに答えると、少女もたいして興味がなさそうに話題を終えた。むしろ、そんなスミエのマイペースに気持ちが緩和されていたのかもしれない。
ともかく夕暮れに、馬は目当ての建物へと接近していた。そして、
「これは、何事かあったのか……」
目近に迫るや騎士は絶句してしまう。女子中学生も、唖然として黙り込んでしまった。
やがて馬が正面玄関前で止まる。二人は、静かに地に降りた。
そいつはゴシック建築の小さな修道院。――の、廃墟だった。
焼け落ちたようにところどころが焦げ、崩れた箇所もある。ガラスもいくつか割れていた。
木柵で囲われた敷地内を見渡せば、自給自足生活を保つために設けられたであろう田畑も荒れている。飼育しているはずの家畜も姿がない。
とはいえ、全体としてはほとんど完全な形を保っていた。ただ、人の気配もなかった。
「小火でもあったのか。燃えてから日は浅いようだが、炭が雨で流れ落ちてもいない」
黒くぬかるんだ地面を革靴で擦って調べ、クロードは述べた。次いで聖堂を目上げると肩を落とす。
「これで放置されていては、盗賊の住処にされかねんぞ。悪質な妖精さえ住み着くかもしれん」
天辺の鐘楼を確認してぼやく。
教会の鐘が、吊られておらず屋上に置かれているようだった。この火事のようなもので落ちたのかもしれない。
「安全を確保すれば野宿よりましだが」
と、クロードはいつでも剣を抜けるように構えつつ玄関に進む。
「は、はあ?」それで気を取り直して、スミエは噛み付いた。「やっぱ不気味な場所だったじゃないのよ。幽霊教会で寝るなんてある意味外より怖いし」
「修道院な」
「どっちでもいいけど。いるかもしれないんでしょ、あのオーガみたいなの?」
騎士のツッコみを流して、女子中学生は怖がって入り口に近づかず辺りをびくびくと見回している。
そのときだった。
両開きの正面扉の片側が開き、誰かが聖堂内部から顔を出してきた。
「こんにちは、巡礼者ですかな」
声を掛けてきた彼は、それぞれに赤い十字の描かれた白いマントと長衣を纏っている。
騎士には見覚えのある正装。ひげを蓄え頭頂部が禿げかけた、賢明そうな中年のテンプル騎士団員だ。
「……住人がいらっしゃいましたか」
クロードは武器から手を離すと、姿勢を正して尋ねた。
「できれば宿泊場所を提供して頂きたく立ち寄ったのですが。なにかあったのですか?」
「火事です、落雷のせいでして」
朗らかに、修道騎士は応じた。
「修繕すれば使えそうですが、そばに街もありますし、さして重要な拠点ではないのでこれを機にじき取り壊される予定です。本部や近隣の集落には連絡しましたが、あなた方のような事情を知らない来訪者がまだ来るでしょうから、しばらくは何人か交代で残留し、こうして案内をしているのです。申し訳ないですが、巡礼者などに貸していた宿泊施設は焼けてしまっていますね」
「そうですか、しかし」
話を聞いている間に鋭い目つきになっていた遍歴騎士は、テンプル騎士が空けたままの木製扉内側が欠けているのを察知していた。
そこを、目顔で指摘する。
「傷がありますが、他に変わったことはありませんでしたか?」
「何かをぶつけたのかもしれません、気付きませんでしたが」
ほんの僅かだけ確認して、修道騎士はにこにこしながらはぐらかす。
クロードは、さり気なく腰元の武器に手を添え直して囁いた。
「〝リュジニャン――
空気を司る妖精の名と同時。布一枚を纏い羽を生やした半透明の美少女像がジョフロアの大牙より飛び立ち、鐘楼の鐘に体当たりして鳴らした。
屋上に置かれているので揺すって内部の分銅で鳴らすなどはできないが、鈍い音を奏でたのだ。
「ぐぬっ!」
途端に修道騎士が呻き、顔形を歪める。
即座に遍歴騎士は抜剣して斬りかかった。
ガキィン!
それでも恐るべき速度でテンプル騎士は反応し、己の剣でどうにか受ける。
鍔迫り合いで両者の刃がガタガタ震えた。
「ちょ、なにしてんのよクロード!」
ようやく事態に勘づいたらしく遠くから叫ぶスミエに、修道騎士が笑顔を貼り付かせたまま同調する。
「お連れの方の仰る通りです、なぜこんなことを。賊なら命は保障しませんよ」
「〝退魔のベル〟で苦しんで、ごまかせるとでも?」
遍歴騎士は動じずに看破する。
「おれはちょっとした魔法が使えてな、そいつで鳴らした。扉の傷が剣によるものであることを、修道者とはいえ騎士でもあるあんたが知らんのも妙だ」
教会に馴染み深い鐘は、悪い妖精を退けるための白魔術〝退魔のベル〟としての効能もある。それが下ろされていたことと戸口の刀傷から不審を抱いたクロードは、自身の能力によって試したのだ。
「……鐘から剣までの距離を斬って叩いたことにした、といったところか」
天使染みた修道騎士の顔付きが、悪魔の如く変容する。
「リュジニャンの技だな。おまえがメリジューヌの。すると、女は同行者たる計画の妨げか」
いきなり相手の腕力が強大となり、クロードは吹っ飛ばされた。
わけもわからず立ち尽くしていたスミエにぶつかって巻き込み、二人で遥か後方の田畑に突っ込む。
土塗れになった二人は、けれどもすぐに立ち上がった。
「もう!」ゼノンドライブでとっさに防御力を上げ、衝撃を緩和したスミエが愚痴る。「汚れちゃったじゃない! なんで喧嘩なんか始めてんのよ!!」
「単純化するな」大牙で〝衝撃を斬った〟クロードも、負けじと言い繕う。「おまえのお伽噺とは違うが、こここそ悪妖精が人を襲撃した現場かもしれん」
「だとしたら興味深いけど、お伽噺ってまだ信じてないわけ?!」
「辛い過去を疑いたくはないが、それが未来で起きたというのは半信半疑だ。今は差し迫った脅威を警戒すべきだろう」
遍歴騎士は剣先で修道院を示す。不満げながらもその先に視線を向けて、女子高生は心底嫌そうな顔をした。
修道院前にいた修道騎士は、化け物へと変異している過程だったのだ。
人間の身体を肉袋のように破り、中身から長大な体躯がそそり立つ。巨大ミミズのようなそいつはざっと幅一メートル、全長七、八メートルはありそうだ。
戸愚呂を巻いて鎌首をもたげた体勢で、頭が鐘楼塔よりも上にある。
頭部先端は胴体とほぼ同じ幅に開いた円形の口で、周に沿って内側に向けた鋭い牙がずらりと並んでいた。目も鼻も耳もない。
「うっわキッモッ!」スミエが、極めて率直な感想を洩らす。「あの善良そうなおっさんがあんなキモいモンスターだったの!? こんなんでも妖精?」
そのキモいやつへとジョフロアの大牙を構え直しつつ、脱力させられてクロードは返す。
「疑問だが。おまえの時代では妖精と戦争してるという割に、個々の種についての学識はないんだな」
「また疑ってるわね」イラッとして女子中学生はがなる。「じゃあなに、この時代の騎士以外の一般人はどっかと戦争中だからってみんな相手国にすっごく詳しいわけ? 違うでしょ! あたしはあんまり妖精に興味ないのよ、妖怪ならパパがよく研究してたし詳しいけどね」
一理あった。
場合によっては前線の戦士さえ、敵への憎しみから偏見を助長した虚構を印象付けられていることもある。
「……かもしれんな」
「で、こいつは何なの」
そんなわけでちょっとは同意すると、スミエは質問を重ねた。
「
仕方なくクロードは教えてやる。
「オーガなどと同じ、未開の地を縄張りにしていることの多い類いだな。ここにもワームはいたが、ハーメルンや近隣の人間を襲っていたために倒され、跡地へテンプル騎士団が拠点を設けたと聞いたが。――危ないッ!」
いきなり、スミエの胸を押してクロードが彼女を突き飛ばす。騎士も横へと跳んで転がった。
「ちょ! おっぱい触ったわね変態!!」
少女が喚き終わらないうちに、二人がさっきいた辺りに液体が降り注いだ。蒸気を放って土が溶け、深い穴があく。
愕然とするスミエ。
「おしゃべりはそこまでだ」
おどろおどろしい警鐘を人間たちへぶつけたのは、口から消化液を吹き掛けたワームだった。
「いかにも、かつてこの土地をねぐらにしていたのは同族だ。妖精が先住民だったのだから、侵略者たる人間を排除するのは当然。それを殺すほうがおかしいのだ。これは仇討ち。家畜は喰らい、修道騎士どもは燃やしてやったわ!
戸口の傷は奴らと刃を交えた時のもの。貴様らはオーガを退けたそうだが、棍棒を振り回すだけのデクと一緒にするな!!」
「ほう、なんでオーガの件を知っている?」
興味深げにクロードは尋ね、立ち上がる。
「確かに」とりあえず様々な怒りを敵にぶつけることにして、スミエも起きた。「重要そうな情報をうっかり洩らしちゃうあたり、あの巨人とおんなじマヌケじゃないの」
彼女は、映画などで見知った適当に戦えそうなポーズをする。
「クロードはあとでしばくとして、あんたのせいで胸揉まれたようなもんだし。覚悟しなさい!」
「も、揉んじゃいないが」
敵よりも隣人に恐怖を抱きつつ、クロードもワームへと改めて大牙を向けた。
「さっさと誤解を解きたいし、訊きたいこともできた。片をつけさせてもらおう」
「ふ、ふん!」
怪物は動揺しつつも、巨体に違わず大きく跳ねる。空高くまで至り、遍歴騎士と女子中学生目掛けて急降下しながら吼えたのだ。
「うっかり秘密を洩らしたわけではないぞ! どうせ貴様らは死ぬのだからな!!」